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オージェ伯爵邸襲撃事件編
助けたメイド
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その日、彼は夜番として詰所で一夜を明かそうとしていた。
仲間の当番と眠気を追い払うように語らいながら、片手間で書類仕事を進めていた時だった。
詰所の外が騒がしくなって、部下の一人が様子を見に行く。しばらくもしないうちに、部下が慌てて戻ってきた。
「隊長! オージェ伯爵邸が何者かに襲撃されたようです!」
「はぁ!?」
同じ部屋で待機していた者達がすっとんきょうな声を出しながらも次々と立ち上がる。
「どこからの情報だ?」
「詰所の門前にオージェ伯爵邸の警護の者が!」
「分かった。直接会いに行く」
「いや、それが……怪我がひどく、私に伝えたと同時に事切れてしまい……」
全身の血の気が引いた。どうやら彼が思っている以上に事態が切迫しているようだった。
「総員、出撃用意!オージェ伯爵邸に向かう!」
いったい何が起こっているのかは分からない。
今はオージェ伯爵は領地を出て王都にいる。使用人が維持管理するだけの屋敷に押し入るなど……強盗の線が一番高そうだが、それにしても警備を殺すのは質が悪すぎる。
果たして、彼の予想はそれを上回った。
警備だけではない。
屋敷のあちこちに血が付着し、使用人が死んでいる。
「一班と二班は生き残りを探せ! 残りの三班は犯人を追え! まだそんな遠くへは行ってないはずだ! ユーグ、リオネルに伝令行け!」
この惨状では生き残りがいる方が奇跡だろう。屋敷に残った騎士達が歯を食い縛りながら、一室一室、倒れている一人一人を検分していく。
彼も自ら死体に手を差しのべて呼吸と脈の有無を確認した。
そして回るうちに、彼は厨房にまでたどり着く。入り口のすぐそばには、料理人だろうか。白かったはずの調理服を赤く染め、仰向けになって事切れている。喉から溢れだした血が、床を血の海に染めていた。
一歩、厨房に踏みいれば、もう一人厨房の奥に倒れていた事に気がついた。
この屋敷のメイドだろう。黒色のスカートがめくれ、赤い手形を太腿につけて、下着が足首に引っ掛かっている。
無念に思った。押し入った犯人に襲われたのであろうことは明らかだ。その上、背中から一突きされている。
せめてその身なりだけでも整えてやろうと、しゃがんで彼女の下着を履かせようと足首を掴むと、ぴくりと少女の体が震えた気がした。
まさかと思い、彼は慌てて少女を仰向けに抱き起こす。
呼吸は浅いが、胸が上下している。
───生きている!
血に染まった屋敷の、ただ一人の生き証人かもしれない。
なんとしても、少女を生きながらえさせなければ。
「生存者発見! 本部……いや町医者の方が近いからそちらに連れていく! 他の者は引き続き捜索を続けろ!」
自分のマントを背からはずして少女をくるむ。無体をされた彼女をこれ以上誰かの目にさらすのは耐えがたかった。
血の気をなくした、黒髪のメイド。
彼はしっかりと少女を抱き抱えて、知り合いの町医者の元へと駆け込んだ。
◇◇◇
数日して、オージェ伯爵家襲撃事件の唯一の生き残りである少女が目を覚ましたと彼の耳にも入った。
大きな事件だ。事情聴取には彼の上司にあたるシュロルム支部責任者が直接当たった。
本部の医師ではなく、彼の知り合いの町医者に預けたので、彼自らが上司を案内した。
「アンリ、町医者に預けた判断は正解だったな。さっき、マルスラン医師から直接怪我の具合を聞いたが、本部まで戻っていたら彼女が事切れるのが早かったかもしれんと」
「そうだったのか。とりあえず一命をとりとめて良かったよ」
「まー、だが彼女にとっては不幸だったかもなぁ。俺なんか視線があった瞬間、この世の絶望を見たか!ってくらい怯えられたぞ。乱暴されたんだっけか?」
「ギリギリ未遂だったらしい」
彼女の服は乱れてはいたけれど、彼の友人のイアンから話を聞いたところ、未遂だったらしい。
彼はその綺麗な表情に險をのせる。
あの白い太腿に、パッと咲いた赤色の手形。あの手の持ち主は、あの少女……いや、女性をどこまで辱しめたのか。欲情して彼女を怯えさせただけではなく、あまつさえ命を奪うという恐怖さえも与えて。
それを考えるだけでも腸が煮えくり返る。
どす黒く渦巻く怒りを、彼は忘れるようにかぶりを振ると、自分と握手を交わした小さな手のひらを思い返す。
あれだけのことをされては、男を怖がるのも無理はない。
イアンからその事を聞いていたけれど、でも彼女は自分に「よろしく」と言って手を差し出したのだ。どれだけ勇気がいることだったのだろう。
知らず知らず、彼女と握手した手をぐっと握ったり開いたりしていたら、上司から生ぬるい視線を向けられる。
「いいなぁ、アンリちゃん? 嬢ちゃんと仲良くなれて。なぁなぁ、嬉しい? 自分だけ特別扱い嬉しい?」
「うっさい。僕と待遇が違ったからって絡むなってば」
「はん、男と認識されなかったお前さんよりましだ」
「え……やっぱりあの子、僕の事、女だと思ってる?」
「おうとも。薬剤師のお嬢さんとお前が話しているときにはっきりとお前の事を女性って言ってるの聞いたぞ」
「……まじかー」
話している最中にエリアに引っ張られていったとき、彼女に「もしかしたらユカがあなたを女性と勘違いしているかもしれないから、この場だけでも自分が男だとは言わないで。後から様子を見て私が訂正しておくから」と言われたが、まさしくその通りであったらしい。
嬉しいような、嬉しくないような。
彼も綺麗な顔をしているとはいえ男だ。さすがに女性と間違われるのは嬉しくない。
だけど、そのおかげで男に恐怖するあの女の子に受け入れてもらえたのなら。
なんとも複雑な気分だったが、彼女の恐怖心をいたずらに仰ぐことがなかったのならそれでよしとしようと思った。
そう思い直し、上司と共に騎士団の詰所への帰路を急ぐ。
……ただししばらく、彼の上司がこの話を広めたせいで、彼のあだ名が「アンリちゃん」となってしまったのだけは、よしとは思えなかった。
仲間の当番と眠気を追い払うように語らいながら、片手間で書類仕事を進めていた時だった。
詰所の外が騒がしくなって、部下の一人が様子を見に行く。しばらくもしないうちに、部下が慌てて戻ってきた。
「隊長! オージェ伯爵邸が何者かに襲撃されたようです!」
「はぁ!?」
同じ部屋で待機していた者達がすっとんきょうな声を出しながらも次々と立ち上がる。
「どこからの情報だ?」
「詰所の門前にオージェ伯爵邸の警護の者が!」
「分かった。直接会いに行く」
「いや、それが……怪我がひどく、私に伝えたと同時に事切れてしまい……」
全身の血の気が引いた。どうやら彼が思っている以上に事態が切迫しているようだった。
「総員、出撃用意!オージェ伯爵邸に向かう!」
いったい何が起こっているのかは分からない。
今はオージェ伯爵は領地を出て王都にいる。使用人が維持管理するだけの屋敷に押し入るなど……強盗の線が一番高そうだが、それにしても警備を殺すのは質が悪すぎる。
果たして、彼の予想はそれを上回った。
警備だけではない。
屋敷のあちこちに血が付着し、使用人が死んでいる。
「一班と二班は生き残りを探せ! 残りの三班は犯人を追え! まだそんな遠くへは行ってないはずだ! ユーグ、リオネルに伝令行け!」
この惨状では生き残りがいる方が奇跡だろう。屋敷に残った騎士達が歯を食い縛りながら、一室一室、倒れている一人一人を検分していく。
彼も自ら死体に手を差しのべて呼吸と脈の有無を確認した。
そして回るうちに、彼は厨房にまでたどり着く。入り口のすぐそばには、料理人だろうか。白かったはずの調理服を赤く染め、仰向けになって事切れている。喉から溢れだした血が、床を血の海に染めていた。
一歩、厨房に踏みいれば、もう一人厨房の奥に倒れていた事に気がついた。
この屋敷のメイドだろう。黒色のスカートがめくれ、赤い手形を太腿につけて、下着が足首に引っ掛かっている。
無念に思った。押し入った犯人に襲われたのであろうことは明らかだ。その上、背中から一突きされている。
せめてその身なりだけでも整えてやろうと、しゃがんで彼女の下着を履かせようと足首を掴むと、ぴくりと少女の体が震えた気がした。
まさかと思い、彼は慌てて少女を仰向けに抱き起こす。
呼吸は浅いが、胸が上下している。
───生きている!
血に染まった屋敷の、ただ一人の生き証人かもしれない。
なんとしても、少女を生きながらえさせなければ。
「生存者発見! 本部……いや町医者の方が近いからそちらに連れていく! 他の者は引き続き捜索を続けろ!」
自分のマントを背からはずして少女をくるむ。無体をされた彼女をこれ以上誰かの目にさらすのは耐えがたかった。
血の気をなくした、黒髪のメイド。
彼はしっかりと少女を抱き抱えて、知り合いの町医者の元へと駆け込んだ。
◇◇◇
数日して、オージェ伯爵家襲撃事件の唯一の生き残りである少女が目を覚ましたと彼の耳にも入った。
大きな事件だ。事情聴取には彼の上司にあたるシュロルム支部責任者が直接当たった。
本部の医師ではなく、彼の知り合いの町医者に預けたので、彼自らが上司を案内した。
「アンリ、町医者に預けた判断は正解だったな。さっき、マルスラン医師から直接怪我の具合を聞いたが、本部まで戻っていたら彼女が事切れるのが早かったかもしれんと」
「そうだったのか。とりあえず一命をとりとめて良かったよ」
「まー、だが彼女にとっては不幸だったかもなぁ。俺なんか視線があった瞬間、この世の絶望を見たか!ってくらい怯えられたぞ。乱暴されたんだっけか?」
「ギリギリ未遂だったらしい」
彼女の服は乱れてはいたけれど、彼の友人のイアンから話を聞いたところ、未遂だったらしい。
彼はその綺麗な表情に險をのせる。
あの白い太腿に、パッと咲いた赤色の手形。あの手の持ち主は、あの少女……いや、女性をどこまで辱しめたのか。欲情して彼女を怯えさせただけではなく、あまつさえ命を奪うという恐怖さえも与えて。
それを考えるだけでも腸が煮えくり返る。
どす黒く渦巻く怒りを、彼は忘れるようにかぶりを振ると、自分と握手を交わした小さな手のひらを思い返す。
あれだけのことをされては、男を怖がるのも無理はない。
イアンからその事を聞いていたけれど、でも彼女は自分に「よろしく」と言って手を差し出したのだ。どれだけ勇気がいることだったのだろう。
知らず知らず、彼女と握手した手をぐっと握ったり開いたりしていたら、上司から生ぬるい視線を向けられる。
「いいなぁ、アンリちゃん? 嬢ちゃんと仲良くなれて。なぁなぁ、嬉しい? 自分だけ特別扱い嬉しい?」
「うっさい。僕と待遇が違ったからって絡むなってば」
「はん、男と認識されなかったお前さんよりましだ」
「え……やっぱりあの子、僕の事、女だと思ってる?」
「おうとも。薬剤師のお嬢さんとお前が話しているときにはっきりとお前の事を女性って言ってるの聞いたぞ」
「……まじかー」
話している最中にエリアに引っ張られていったとき、彼女に「もしかしたらユカがあなたを女性と勘違いしているかもしれないから、この場だけでも自分が男だとは言わないで。後から様子を見て私が訂正しておくから」と言われたが、まさしくその通りであったらしい。
嬉しいような、嬉しくないような。
彼も綺麗な顔をしているとはいえ男だ。さすがに女性と間違われるのは嬉しくない。
だけど、そのおかげで男に恐怖するあの女の子に受け入れてもらえたのなら。
なんとも複雑な気分だったが、彼女の恐怖心をいたずらに仰ぐことがなかったのならそれでよしとしようと思った。
そう思い直し、上司と共に騎士団の詰所への帰路を急ぐ。
……ただししばらく、彼の上司がこの話を広めたせいで、彼のあだ名が「アンリちゃん」となってしまったのだけは、よしとは思えなかった。
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