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オージェ伯爵邸襲撃事件編

白い天井と緑のカーテン1

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ふんわりと意識が浮上した。
真っ黒に染まっていた闇の世界が、光に包まれた白の世界に転じたようで、その温かさに重たいまぶたを上げずにはいられなかった。

見慣れない天井。いつも私が寝起きするのは木目のある茶色の天井だったはずなのに、白に塗られた天井が目の前にあった。
しばらくはぼんやりと天井を見つめる。私、どうしてこんなところにいたんだっけ。

白の天井を見つめていると、ちらりと脳裏に最後に見た光景が思い浮かぶ。
白いズボン。
いや、白かった、エプロン。

「───っ!」

声にもならない叫び声が喉から飛び出した。
あれは! あれは! あの赤は! 白は赤に染まる! 嫌だ! 嫌だ!
私も赤く染められてしまう!

「どうかしましたか!」

誰かが慌てたように部屋へと入ってくる。

「大丈夫です、大丈夫です、怖いものはもう何もありませんよ」

混乱した頭で声の主を見る。短い茶髪に人懐こい顔をして、白の服を着た、男。

「いやぁっ!」

赤に染まる記憶と一緒に、意識がなくなる直前、自分の身に何が起こったのかがフラッシュバックする。
私は自分の体をかき抱くように、横になったまま丸まる。かたかたと、震えが止まらない。

「大丈夫です、大丈夫ですから」
「どうしましたか!」
「あぁ、良かったエリアさん。目覚められたのですが、この通り拒絶されてしまいまして……」
「分かりました。騎士団から話は聞いているので、私が引き継ぎますよ。マルスラン先生を呼んできてもらえますか?」
「はい」

何もかもが怖くて、ますますうずくまっていると、背中がひきつれたように痛んだ。

「ぅ……ぁ……」
「大丈夫よ。怖い人はもういないわ。背中痛む? 起きる?」

女性の声。
のろのろと首を巡らせて見れば、二十代半ばくらいの淡い黄緑のワンピースを着ている女性がいた。藍色の髪をきっちりとお団子にまとめて、彼女は私に優しく微笑みかける。

「だ……れ……」

寝起きで叫んだからか、声がかすれていた。
それでも女性はきちんと聞き取ってくれたらしく、柔和に微笑む。

「私は薬剤師エリア。ここはシュロルムの診療所よ」

シュロルム。
一瞬どこかと思ってしまったけれど、一年も過ごしてきた場所だ。パッと自分が働いていた場所に程近い町の名前だと思い出す。

エリアさんと名乗った女性が、私の丸まる寝台の大きめの枕を調節して、私が半身を起こせるように背を支えてくれる。

「背中の傷、まだ塞がってないから本当はうつぶせの方がいいのだけど……」
「だい……じょうぶ、です」

ひきつれたように痛む背中。
思い出したくもない、最後の瞬間に刺された場所だと理解している。
なんとか上体を起こしたところで、私は白い部屋を見渡した。

どうやら診療所と言うけれど、ここは病室のようだった。窓に近い私の横たわるベッドと、見舞い客用だろうか、小さな椅子が二脚。それからサイドテーブルが一つと、荷物を入れておくためのクローゼット。簡素ながら入院設備が整っている。診療所というよりも療養所に近いかもしれない。
ぐるりと見渡して、私はエリアさんに視線を戻す。

「あの……私、どうしてここに。他の皆は」
「貴女は黒宵騎士団に助けられたのよ。彼らが貴方を連れてきた。他の皆というのが、オージェ伯爵の屋敷の方々のことを差すのなら……間に合わなかった、とだけ」
「そう、ですか」

つまり、私以外に助かった人はいないということ。あのあの男もそう言っていたし、目の前で人が死ぬところも見た。受け入れられないかもと思っていたけれど、案外すとんと受け入れられた。

一年前、私を拾ってくれだメイド長も。
分からないことを教えてくれた同僚も。
生意気な奴めと小突いてきた庭師も。
仕事中にこっそり町で買ってきたお菓子をくれた下男も。
時々厨房で私が作ったお菓子を味見してくれた料理長も。
皆、いなくなってしまった。
生き残ってしまったのは、オージェ伯爵に何の縁もゆかりも無く、ただ迷子だからという優しい理由で雇われた私だけ。
幸いなことに、今、旦那様夫妻は領地の屋敷ではなく王都の屋敷の方にいらっしゃるということかな。
私だけがまんまと生き残ってしまって、申し開きもない。

「体、つらい? 貴女が運ばれてから三日、怪我のせいで高熱が出ていたの。まだ微熱があるから、安静にしていてね」
「三日……」

三日もあれば王都に行ける。今頃、旦那様たちはお屋敷のことを知らされているに違いない。
ぼんやりとしていると、部屋のドアが開く音がした。

「ふむ、お目覚めかな」
「先生」

エリアさんの声につられるように、かけられた声の主を見る。
ちょっとふくよかな体に白衣を着た四十代ぐらいの男性が、こちらへ歩み寄ってきた。

「あ……っ」

白の服。赤に染められる視界の白。
私さ飛び出る悲鳴を口元で抑えて、体を折り畳むようにうつむく。寒くもないのに体が震える。胃の中は空っぽのはずなのに、喉の奥から何かがせりあがってくる。苦しい、怖い。

「……エリアくん、話はどれ程聞けた?」
「いえ、まだほとんど」
「そうか……もしもし、お嬢さん。君に触らないから、話だけでも聞いてくれるかい?」

ぎしっとベッドが軋む。視界の端に、エリアさんの淡い緑のワンピースが見えた。私に腕を差し出してくれる。
私はぎゅっとその腕にしがみついた。

「怯えないでくれ。何がそんなに怖いのかな?」

子供をあやすような声。私はエリアさんに腰の辺りをさすられながら、ようやく思考が動き出した。
何が怖いのかなんて、決まっている。

「男の、人……料理長の服が、赤くなって……首が、私を見て、いて。私を、捕まえて、それで…っ」

鮮明に思い出しちゃ駄目だと頭を振る。
それでもぽろぽろとこぼれる涙は抑えられなかった。

「……そうか。分かった。大丈夫だ。できるだけ配慮するようにするよ。エリアくん、任せても良いかな?」
「はい」
「うむ。それじゃ、一度退散するとしよう。落ち着いた頃、また呼んでくれ。診察はその時に」

そういって、男性は出ていく。
エリアさんがよしよしと私の頬を撫でた。

「ごめんなさいね。女性の医者なんていないから……私は薬剤師だからそれなりに診察はできるけど、実際に治療したのはマルスラン先生だから。診察は我慢してくれる?」

その言葉で、私の身に何が起きたのか正確に理解してくれていることが分かった。優しい気遣いに、止まりかけていた涙がまたこぼれだす。
ここ一年、知らない場所に一人放り出されても泣かなかったのに。どうして今はこんなにも泣けるんだろう。今まで泣けなかった分もまとめて泣いてる気がして恥ずかしいや。

私が落ち着いてくると、エリアさんは幾つか私に質問をした。私はそれに答えていく。

「貴女の名前は?」
「……ユカ・イサワです」
「ユカ、ね。何歳?」
「二十四です」
「あら、私と同い年なの? 小さいからもっと若いかと思った」

エリアさんの言葉に、固かった表情筋が少しだけ緩んだ。
ここ一年、さんざん言われたことだから、いい加減なれた。西洋人みたく平均身長の高い屋敷や町の人々に比べて、一五〇センチしかない私は十五歳くらいの子供によく間違われる。
それに残念ながら、Cカップ程度の私では子供扱いされてしまうのも分かるのだ。さっき抱き締めてもらった時の胸部の弾力の差で思い知らされた。世の中せつない。

怪我の具合、体調等を聞かれて、やがて核心に思われる事を聞かれた。

「マルスラン先生には言いにくいでしょうから、私に聞かせてね。貴女が運ばれたとき、下半身……スカートの中にまで血が付着していたわ。悪いと思ったけれど、手当てするために診させてもらったの」

スカートの中……あう、つまりは下着の中身も見られたってことかな……。女性同士とはいえ、それはちょっと恥ずかしい。

「それで、確認なのだけれど……どこまでされた?中まで入れられた? 精液の付着は無かったけれど、念のために聞かせてね。貴女のためでもあるから」

真剣な話だと、理解してる。血がついたままの性交渉なんて感染症状のリスクが高すぎるし、ただでさえ襲われたのなら望まない妊娠だってする可能性もあるんだから。

「……触られた、だけです。その、下着をとられて、お尻から撫でられて……そこで仲間らしい人がやって来て、逃げるように男に言って……刺され、ました」
「そう……ありがとう。つらいことを聞いたのにちゃんと話してくれて」

エリアさんはそう言って、もう一度私を抱き締めてくれた。私もホッとしてその身を委ねる。温かい。

それからエリアさんは私に食事を持ってきてくれた。私の怪我は運が良いのか内臓にまでは届いていなかったらしい。背中から刺されたけれど、肋骨が内臓にまで届くのを邪魔したのか、傷自体は浅くすんだらしい。位置が少しでもずれていたら、心臓が刺されていたと聞いてゾッとした。
三日高熱で浮かされていたというのもあって、食事は食べやすいスープだった。スープを食べて、痛み止めの薬を食後に煽る。
それからもう一つ、感染症を避けるために、秘部に塗るための塗り薬の使い方を教わった。風呂とかトイレとかした後に塗るタイプらしい。清潔に保つのが一番なんだろうな。

一息ついて、私はうとうとと微睡む。エリアさんからも、今は体力を回復させることが大切だからと言い含められたので、私は抗うことなくもう一度浅い眠りへとついた。
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