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六章 聖女の墓標攻略編
192話 青龍越水
しおりを挟む──ロバーダの治世は順調で、十年後には馬面の妻を娶った。
一般的な貴族であれば、もっと早い段階で結婚する。しかし、ロバーダは馬面の女性しか愛せなかったため、嫁を探すのに苦労した次第だ。
夫婦生活は頗る順調だったが、子宝には中々恵まれず──待望の嫡男を授かったのは、更に十年後のこと。
ロバーダは生まれたばかりの息子を抱えて、一目散にドラーゴのもとへと向かう。
このとき、二人は既に、四十歳となっていた。
「ヒヒィーーーンっ!! ドラーゴっ、馬並みの息子が生まれたぞ!!」
「おめでとうございます、閣下」
ドラーゴが恭しく頭を下げると、ロバーダは痒みを堪えるような表情で文句を言う。
「硬いッ!! 馬並みに硬いぞ!! 私的な場所で畏まるのはやめてくれ!!」
「はいはい、分かったよ。それなら言わせて貰うが……お前、息子の前で馬並みって連呼するの、やめろよな。その口癖が移ったら、可哀そうだろ」
「ヒヒン!? ひ、酷い!! 今度は馬並みに酷いぞ!!」
ドラーゴはロバーダの批難を鼻で笑い飛ばして、彼が抱いている馬面の赤ん坊に、優しい目を向けた。
長いこと不妊に悩んでいた親友の子供だ。例え馬面であっても、愛しさが大きくなってしまう。
とは言え、この子は辺境伯家の次期当主。甘やかすと、将来のためにならない。
「それで、息子の名前は決めたのか?」
「無論だ!! この子の名前は、ロバート!! 何もかもが馬並みの男っ、ロバートだ!!」
この日から、ロバーダは父親としての威厳を手に入れるために、より一層政務に励み始めた。
ドラーゴはロバートの教育係に任命されて、厳しくも愛情を持って彼に接する。
そうして、ロバートはスクスクと育ち、瞬く間に年月が経過して──十五年後。
アクアヘイム王国とダークガルド帝国の、大規模な戦争が勃発した。
王国軍の総大将は、アインス=アクアヘイム。当時の第一王子であり、凡愚で有名な人物だった。
帝国軍の総大将は、ロバーダ=スレイプニル。還暦が迫ってきた年齢になっても、老いを全く感じさせないような、知勇兼備の英雄だ。
王国軍は三万という兵力だったが、帝国軍は倍の六万。
総大将の力量にも天と地ほどの差があり、負けるはずがない戦いだと、誰もが高を括っていた。
──だが、王国軍にも、英雄が存在している。
帝国軍は王国軍を半壊させて、アインスを後一歩のところまで追い詰めた。
王国軍は無様に敗走して、帝国軍は一気呵成に追撃する。
ここで、王国軍の殿を務めていた宮廷魔導士が、自らの魂を削り、風属性の大魔法を使った。
これによって、戦場には白い虎を象った暴風の化身が現れる。
白虎の大きさは二百メートル以上もあり、奴が咆哮を上げると無数の竜巻が発生して、爪を振るえば大地が裂けた。
天変地異を引き起こす大魔法を前に、帝国軍は算を乱して逃げ惑う。
誰かが、食い止めなければならない。そして、それが出来るのは、この場に一人しかいなかった。
「ヒヒンっ、ドラーゴ!! 我が竹馬の友よ!! 息子を任せたぞッ!!」
「馬鹿っ、止せ!! 行くなぁッ!!」
ロバーダは【人馬一体】を使い、六匹の従馬と合体して、巨大な六脚の半人半馬になった。
その大きさは白虎に匹敵しているが、王国軍との戦いで負傷しているため、万全の状態とは言い難い。
それでも、ドラーゴの制止を振り切って、ロバーダは単身で白虎に突撃する。
このとき、ドラーゴは魔力が殆ど残っていなくて、この場に留まっても足手纏いにしかならなかった。
──ロバーダと白虎の戦いは熾烈を極めて、最終的には相打ちという形で幕を閉じた。
王国と帝国の戦争は、王国軍の戦死者が多数であり、帝国軍の戦死者が少数であったため、帝国の勝利として扱われる。
しかし、総大将のロバーダが討ち死にしたという事実は、余りにも重たい。
「ロバーダ……っ!! すまない……!! すまない……!! お前の遺言は、必ず守るぞ……っ!!」
親友を犠牲にして生き延びたドラーゴは、彼の遺言通りに、ロバートの面倒を見ることにした。
ロバートは十五歳という若さで、偉大な父親を失ったが、それでも腐ることなく研鑽を続ける。
政務を周囲の者たちが手伝ったり、レベル上げをドラーゴが手伝ったり、目まぐるしく年月が過ぎて──再び、凡そ十五年後。
王国と帝国の戦争が始まり、未曾有の脅威が帝国南部を襲う。
天災に匹敵する魔物、ソルガルーダの出現だ。
太陽の輪郭のような、焔の車輪を背負う怪鳥。この魔物は、帝国南部のあちこちを焼き払い、ロバートはそれを食い止めるために立ち向かった。
父親と同じ血統スキル【人馬一体】を使って、彼は六脚の半人半馬となり、ソルガルーダと激突。
常人が割り込める余地のない激闘は、ドラーゴの援護ですら微力と化した。
そんなときに、冒険者と思しき三人が救援に駆け付けて、ロバートと共にソルガルーダを追い詰めた。
だが、ソルガルーダの体内から、熱エネルギーの塊で形成されたドラゴンが現れて、ロバートが喰い殺されてしまう。
「あ、あぁ、あぁあぁぁ……っ、ろ、ロバーダ……ロバート……!! わ、儂は、また、守れなかった……!!」
ドラーゴは絶望に打ちひしがれて、完全に心が折れた。
しかし、聖女のスキル【聖戦】の発動と同時に、ドラゴンへの殺意が膨れ上がり、気が付けば生き死にを繰り返して、魔法を連発していた。
──ドラゴンを討伐した後のことは、記憶が曖昧だ。
何も守れなかった罪悪感。大切なものを全て失ってしまった虚無感。
その二つに押し潰されて、ドラーゴは餓死を待つだけの抜け殻になっている。
そんなとき、彼のもとに帝国の第三皇女、ルチア=ダークガルドが尋ねてきた。
「ドラーゴ、貴方の力を貸してください。お願いします」
「…………」
深々と頭を下げるルチアを前にしても、ドラーゴは虚ろな目で宙を眺めるだけだった。
ルチアはそんなドラーゴを憐れむこともなければ、叱咤することもない。
ただ、ゾッとするほど美しく、力強い眼差しで、彼を見つめている。
それから、何も言わずに身の回りの世話をして、ルチアはドラーゴに寄り添い続けた。
そんな日々がしばらく続いて、ドラーゴの口からポツリと、疑問が零れる。
「…………なぜ?」
「ようやく喋ってくれましたね、ドラーゴ。何故とは、何に対する疑問ですか?」
「……なぜ、そんな目で、儂を見る?」
ルチアはドラーゴの世話をしている間も、ずっと目付きが変わっていなかった。
彼女の眼差しの強さに、罪悪感も虚無感も、呑まれてしまったかのようだ。
「自分がどんな目をしているのか、わたくしには分かりません。ただ、わたくしは、貴方に期待しているのです」
「期待、だと? 何も守れなかった儂に、一体何を期待している……?」
「貴方なら、大義のために死んでくれるという、期待です。ドラーゴ、次の戦場を貴方の死に場所にしてください」
ルチアは作戦の概要も伝えずに、『龍の秘宝』と呼ばれるオリハルコンの杖と、スレイプニル家の紋章が入っているローブを持ってきて、ドラーゴに差し出した。
ここで、彼は気が付く。この紋章を見せられて、殉じろと命令されること。それこそが、今の自分が何よりも求めていたものだと。
生気を取り戻したドラーゴは、ローブを纏ってから自分のステホを確認する。
ドラゴンの討伐に貢献したことで、水の魔導士のレベルが25→32に上がり、新しいスキルを取得していた。
【水彩戯画】──このスキルは宙に水の魔法陣を描いて、次に使う水属性の魔法の階級を一つ上げるというもの。
これによって、元々が上級魔法だった【青龍越水】は、大魔法へと昇華する。
大魔法とは、魔力だけではなく、魂まで代償にする大技だ。
更に、ルチアから受け取った龍の秘宝を装備すれば、自分の生命力を全て捧げることで、龍に関するスキルを大幅に強化出来る。
ドラーゴはこの大魔法を一度も使ったことがないので、どういう現象が発生するのか、自分でも理解していない。
──【過去視】を使っていた私は、記憶が混同してしまった。
自分がドラーゴなのか、アーシャなのか、曖昧になっている。
スラ丸に軽く頬をペチペチされて、ハッとしたよ。スラ丸はアーシャの従魔で、アーシャは私だよね。
そして、今はドラーゴとの戦闘中。
彼は【水彩戯画】を使った後に、【青龍越水】を使おうとしている。
私は【光輪】を使った状態で、頭をフル回転させているけど、対処方法が思い付かない。
どんな大魔法か知りたくて、ドラーゴの過去を覗いたのに、彼は自分ですら何が起こるのか、理解していないんだ。
「ブロ丸っ、防御に専念して!!」
私は苦し紛れに、そんな指示しか出せなかった。
次の瞬間には、ドラーゴの大魔法が発動する。
彼が宙に描いた水の魔法陣。それが、燦然と真っ青に光り輝き、辺り一帯に豪雨が降り始めた。
「……あれ? これだけ?」
私はブロ丸の視界から周辺を見渡したけど、雨が降っているだけで、攻撃らしい攻撃は飛んでこない。
こんなの、別になんともない。そう思ったのに──突如として、無数の影が街を埋め尽くした。
「アヒャッ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」
ドラーゴは濁った瞳で空を見上げて、狂ったように嗤っている。
嫌な予感がして、私も上を確認すると──無数の水の龍が、天空から真っ逆さまに、落ちてくるところだった。
「う、嘘でしょ!? 下には帝国兵もいるのに!!」
「儂らの最期の役目は、この街を滅ぼすこと……ッ!! 皆、殉じる覚悟は出来ておるぞぉッ!! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」
ドラーゴの覚悟を肯定するように、街からは帝国兵たちの、『我らの痛みを知れ!!』『王国に絶望あれ!!』という歓声が聞こえてくる。
雨のように、水の龍を降らせる大魔法。この脅威から、サウスモニカの街を守れる手段なんて、私は持ち合わせていない。
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