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一章 孤児院卒業編

15話 スラム街

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 闇市へと向かうべく、正門を出る前に、私はバリィさんに今回の目的を話しておく。

「実は、今回は高価だと思しきマジックアイテムを売りに行くんです。入手方法に疚しいところなんて、一切ないんですけど……疑われたら、無実を証明するのが難しいかもしれないので、闇市へ流すことに……」

「へぇ、そういうことか。そりゃ賢い選択かもな」

 バリィさんは私のことを疑わず、余計な詮索もしない人だった。
 歳が離れているものの、孤児仲間というのは心強い。
 マリアさんも彼を信用しているみたいだし、これってチャンスかもしれない。
 そう考えた私は、自分が思い付いた名案を提示してみる。

「あのっ、バリィさんへの依頼内容を今から変更して、私の代わりに街の商人に売ってきて貰う、というのは……どうでしょう?」

「ナシだな。それは商人の仕事で、俺は冒険者だ。……商人とのやり取りって、身体が痒くなるんだよ」

「そ、そうですか……。名案だと思ったんだけどなぁ……」

 残念、素気無く断られちゃった。闇市は危なそうだし、行かなくて済むなら、それに越したことはなかったんだけどね。

 ──私たちが正門から出ると、目の前には雄大な湿地帯が広がっていた。
 水が澄んでおり、青々とした水草があちこちに生えている。
 私は街から出るのが初めてなので、この光景に解放感を覚えた。
 なんだか、無性にワクワクして、走り出したい気分だよ。

「やれやれ……。街の外へ出ると、心底ゾッとするねぇ……」

「同感だな。大自然を前にすると、自分がちっぽけな存在に思えて、不安になっちまう」

 マリアさんとバリィさんは、私と正反対の感想を抱いていた。
 二人とも、大自然の中に生息している魔物の脅威を知っているから、捉え方が違うんだろうね。

 呑気に高揚していた自分が、世間知らずな子供に思えて、ちょっとだけ恥ずかしい。
 ……まぁ、実際に世間知らずな子供なんだけど、中身はアラサーだから。
 冷静になったところで、私が周囲を見渡してみると、スラム街が見当たらないことに気付いた。

「バリィさん、肝心のスラム街はどこにあるんですか?」

「正門からは見えない位置の壁際だ。少し歩くぞ」

 バリィさんは真面目な仕事人の顔付きになって、私とマリアさんを先導してくれる。
 歩いている最中は暇だし、少し気になったことを尋ねよう。

「こんなこと、聞いていいのか分からないんですけど……バリィさんって、どれくらい凄い冒険者なんですか?」

「俺は金級だから、自分で言うのもなんだが、結構な上澄みだぞ。冒険者は銅、銀、金、白金の四つの階級に分かれていて、それぞれが雇うのに必要な、一日当たりの最低報酬を表しているんだ」

 バリィさんは金級冒険者なので、一日でも雇うなら、金貨が必要だったらしい。
 とんでもない高給取りで、私はぽかんと口を開けてしまう。
 そんな人が、銀貨二十枚で依頼を引き受けてくれたんだから、マリアさんからの依頼だったことが無関係な訳ないよね。

 育ての親への恩返し……。その機会を見逃さなかった人だから、バリィさんは私も信用出来る。この縁は大切にしよう。
 この後も、冒険者に関することを聞き出しながら、外壁に沿って歩いていると──突然、魔物に襲われた。

「うわっ、な、なに!? 白鳥!? 水!?」

 私たちを襲ったのは、口から水の弾丸を吐き出す白鳥だった。体長は一メートルほどで、数は三羽。
 白鳥が放った水の弾丸は、私に当たる前に見えない壁に阻まれて、何事もなかったかのように霧散する。水飛沫すら、私には掛からなかったよ。

「この程度の魔物なら、百羽集まっても俺の結界は破れない。無視して先に進むぞ」

「す、凄い……!! これが結界なんですね!」

「鼻たれ小僧だったバリィが、すっかり一端の冒険者たぁねぇ……。あたしも歳を取っちまったよ」

 私とマリアさんに称賛されて、バリィさんは照れ臭そうに笑った。
 そんな和やかな雰囲気の中でも、白鳥はバチバチに攻撃してくる。
 でも、結界はびくともしていないので、なんだかアトラクション気分だ。

 歩きながらステホで撮影してみると、『アクアスワン』という名前の魔物だと判明した。
 持っているスキルは【冷水弾】で、さっきから吐き出している水の弾丸がそれだね。

「バリィさん、アクアスワンは倒さなくてもいいんですか?」

「ああ、必要がなければ殺さない。スラム街の連中は、この魔物を狩って食い繋いでいるんだ。街の人間が狩ると、顰蹙を買っちまう」

「なるほど、外には外のルールがあるんですね」

 私たちを襲っている個体は、魔力が切れそうになったのか、フラフラしながら諦めて飛び去った。
 盾を用意して攻撃を往なし、フラフラしているタイミングで石を投げれば、きっと簡単に倒せるんだと思う。
 身体が細いから、可食部は少なそうだよ。

「──アーシャ、見えて来たよ。あれがスラム街、市民権を失った人間が行き着く先さね」

 マリアさんが見据える先には、襤褸のテントと雑な石造建築が立ち並んでいた。
 私から見たスラム街の第一印象は、都市の外壁にへばり付く寄生虫……。
 とても失礼な表現だけど、それ以外に思い浮かばない。

「絶対に俺から離れるなよ。スラム街の連中に隙を見せたら、取って食われちまうぞ」

 バリィさんが怖いことを言うので、私は半歩分だけ彼との距離を詰めて歩く。
 スラム街に足を踏み入れると、あちこちから飢えた獣のような視線を向けられた。
 私の使い古した雑巾みたいな衣服ですら、ここでは上等に見えてしまう。
 何故なら、衣服すら着ていない人が、多いから……。

 極度の栄養失調が原因で、お腹が風船のように膨らんでいる人ばっかりだ。
 栄養が足りないと、血管の中じゃなくて、お腹に水が溜まる。
 この状態は、『腹水』って呼ばれているよ。

 私は奴隷制度に対して、かなりの忌避感を抱いていたけど、この惨状を目の当たりにして、考えを改めた。
 奴隷制度とは、人間社会から零れ落ちそうな人を助けるための、受け皿という側面があるんだ。

「こんな場所で市場なんて、本当に開かれているんですか……?」

「さぁねぇ……。あたしも足を運ぶのは初めてだから、確かなことは言えないよ」

 私とマリアさんは顔を見合わせて、同時に溜息を吐いた。
 もう帰りたい、早く帰りたい。そう思いながら、居心地の悪いスラム街を歩いていると──不意に、マリアさんが声を掛けられる。

「ま、まり、マ、リア、先生……?」

「──ッ!? あ、あんた……まさか、イヴァンかい……?」

 声を掛けてきたのは、虚ろな目をしている一人の浮浪者だった。
 余りにも痩せ細っているので、年齢は分からないけど、性別は男性だ。
 彼はマリアさんに名前を呼ばれた瞬間、一筋の涙を零し、弾かれたように身を翻して去って行った。
 マリアさんは彼の背中に手を伸ばしたけど、追い掛けはしない。……息が詰まるような数秒を経てから、泣きそうな表情で手を下ろす。

「…………」

 なんて声を掛ければいいのか、分からない。
 長い沈黙の後で、マリアさんが少しだけ事情を話してくれた。

「……イヴァンは、あたしの孤児院で育ったんだよ。生意気だったけど、根は良い子で……負けん気が強くて、冒険者になる道を選んで……」

 バリィさんのように成功した人もいれば、イヴァンさんのように失敗した人もいる。
 それは、当たり前の話だけど、胸が苦しくなる話だった。

 ……物凄く気まずい。特に、成功者のバリィさんなんて、居心地の悪さが最高潮に達しているよ。
 ここは一つ、子供の私が無邪気を装って、何か言うべきかな。

 まずは呼吸を整えて──

「ふぅ……。あのっ、マリアさん!! 私っ、幸せになりますからね!! 必ずっ、絶対の絶対っ!! 約束です!!」

 私はマリアさんの手を握って、一方的にそんな約束をした。
 こんなの、なんの気休めにもならないかも……。そう思ったけど、マリアさんは張り詰めていた表情を柔らかくして、小さく苦笑する。

「そうかい、期待しているよ」

「はいっ、大いにどうぞ!!」

 私は虫一匹殺せないけど、それを補って余りあるスキルを持っている。
 やり方さえ間違えなければ、幸せになることは難しくないよね。
 フンス!と鼻を鳴らして気合を入れると、バリィさんが優しい目をしながら、私の頭を撫でてきた。

「孤児仲間にも良し悪しはあるが、嬢ちゃんは良い奴だな。連絡先、俺と交換しておくか?」

「えっ、いいんですか!? 是非お願いします!!」

 ステホにはフレンド登録した人と、通話出来る機能が備わっている。
 ただし、フレンド登録の上限人数は、基本的に十人まで。
 税金を通常よりも多く収めると、ステホの機能が拡張されるらしいから、バリィさんは登録出来る人数が多いと思う。
 それでも、数に限りがあるフレンド枠に、私の名前を入れてくれるってことは、結構気に入られたっぽい。

 私のステホには、ルークス、シュヴァインくん、フィオナちゃんの名前が並んでいて、新たにバリィさんの名前が追加された。
 ちなみに、マリアさんは特定の孤児に肩入れしないために、誰ともフレンド登録はしていないよ。
 
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