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一章 孤児院卒業編
6話 ばいばい、スラ丸
しおりを挟む私がスラ丸を仲間にしてから、早いもので一週間が経過した。
この一週間、ルークスとは別の修行メニューで、スラ丸も育てている。具体的に言えば、壁師匠に向かってひたすら体当たりさせているよ。
雨の日も風の日も、日がな一日修行に明け暮れて、ルークスは目に見えて強くなった。
実戦経験がないのに、職業レベルが5まで上がったからね。
片やスラ丸は、全然成長していない。
「……もう駄目かも分からんね、スラ丸」
「!?」
孤児院の庭で修行させていたスラ丸に、私は戦力外通告を出した。
スラ丸はショックを受けて、べちゃっと身体を崩してしまう。
それから、『自分はまだやれる!』と訴え掛けるように、私の周りをコロコロと転がり始めた。
「無理だよ、スラ丸。どんなに頑張っても、キミは弱いままでしょ」
壁師匠を使っても、全く強くなれない時点で、戦力として数えられる日は訪れないと思う。
どれだけ愛嬌を振り撒かれたって、スラ丸には根本的な可愛さが足りていないから、私の癒し要員として確保しておくことも乗り気になれない。
スラ丸の取り柄であるスキル【浄化】も、物凄く地味なんだよね。
身体とか衣服の汚れを消すために使えるんだけど、一回で手のひら分の面積の汚れしか、消すことが出来ない。この子の魔力、余りにも少ないんだ。
「スラ丸には、二つの選択肢があります。野生に帰るか、ダンジョンでお宝を拾ってくるか、選んでください」
私は地面に縦線を引いて、前者を選ぶなら左側、後者を選ぶなら右側に移動するよう命令した。
スラ丸は逡巡してから、おずおずと右側に移動する。……正気かな?
『ダンジョン』というのは、危険な魔物が徘徊している謎の地下構造体だよ。
誰がどんな目的で造ったのか、あるいは自然発生したものなのか、その起源は明らかにされていない。
ダンジョン内から、魔物が外に出てくることもあるので、人類にとっては厄介な場所だ。
……でも、それだけじゃない。魔物から得られる素材は、人類の糧になるからね。
それと、ダンジョン内ではお宝が生成されるので、一攫千金を夢見て探索する人も多い。
お宝が生成されるという時点で、何者かが人間を誘き寄せる気満々だよ。少なくとも、私はそう感じた。
当たり前だけど、か弱い私は絶対に同行しない。
ダンジョンへ潜るのは、スラ丸だけになる。頑張れ!
「スラ丸、敵と戦う必要はないからね。無害なスライムとして、ダンジョン内を徘徊すること。それで、小さいお宝だけ持ち帰れば、上出来だから」
私の指示を聞いて、スラ丸はやる気を示すように、その場で何度も飛び跳ねた。……正直、あんまり期待はしていない。
ちなみに、私がマリアさんから聞いた話によると、サウスモニカの街に存在するダンジョンは、三つもあるんだとか。
一つ目は『流水海域』──流氷が幾つも浮かんでいる冷たい海のダンジョンで、出現する魔物は他所に比べると弱い。ただし、環境が人間にとっては厳しいとされている。
地下構造体なのに、海があるって聞いたときは、私の脳内が疑問符で一杯になったよ。ダンジョンに常識は通用しないみたい。
二つ目は『無機物遺跡』──無数の廃墟がある地下都市のようなダンジョンで、出現する魔物は動く鉱物の塊だって。俗に言う、ゴーレムというやつかな。
中級者向けのダンジョンとして知られており、敵は硬いけどお金が安定して稼げるらしい。鉱山みたいなものだね。
三つ目は『腐肉の洞窟』──床、壁、天井が、腐った生肉で形成されている洞窟型のダンジョンで、出現する魔物は悍ましいゾンビたち。
腐肉の洞窟を語る上で、まず欠かせないのが、シュールストレミングよりも遥かに酷い悪臭だ。
ダンジョン全体が腐肉で形成されていることに加えて、ゾンビも身体が腐っている。
しかも、誰も立ち入らないダンジョンだからと、スライムが処理し切れない分の街の生活排水が、全てここに流されている。
その悪臭は結界によって、外部に漏れないようになっているけど……一度漏れ出せば、街中の人間が死に絶えると言われているほどだよ。
次に語るべきは、旨味が殆どないこと。ゾンビの素材なんて、全然売れないみたい。
一応、ダンジョン内でお宝は生成されているはずだから、一攫千金のチャンスはあると思う。
でも、近場に二つも他のダンジョンがあるので、普通ならそっちへ行く。
最後に語るべきは、ゾンビが単純に強いことだよ。
光、火、水と弱点は多いらしいけど、それらの弱点を突けないと、中々倒せないって。
それに、この世界のゾンビはB級ホラーみたいな歩くゾンビではなく、A級ホラーの走って群れて津波のように襲い掛かってくるゾンビだ。
臭い、不味い、強い。そんな三拍子が揃った最凶ダンジョン、それが腐肉の洞窟。
──さて、そんな場所の入り口に、私はスラ丸を引き連れてやって来た。
信じ難いことに、孤児院の裏手にあるんだよね、ココ。
孤児の社会的地位は低い。そのため、私たちが暮らす孤児院は、立地条件が最悪な土地に建てられている。
ダンジョンの入り口の周囲は、ゾンビが苦手な水路で囲まれているし、臭気を遮る結界もある。
きちんと対策されているから、悪臭と魔物の被害はないんだけど……稀に、太陽光に焼かれているゾンビや、水路に落ちて腐乱死体になっているゾンビが、発見されるよ。
もうね、言うまでもなく、どちらも正気度が削られる光景だ。
入り口の大きさは二十メートルくらいあって、地獄の底へと続いているような、奈落の大穴になっている。
「スラ丸、任せたよ。お宝を拾ってくるまで、帰って来たら駄目だからね」
「!?」
スラ丸は愕然とした様子を見せたけど、真顔の私が手を振ってお見送りすると、渋々ながらも転がって行った。
スラ丸もまさか、腐肉の洞窟へ送り込まれるとは、考えていなかったみたい。
時折、歩みを止めてチラッと、こちらに視線を向けてくる。けど、私は命令を撤回したりしない。
淡々と手を振って、静かにお見送りするだけだ。
一応、私だってなんの勝算もなく、スラ丸を腐肉の洞窟へ送り込む訳ではない。
ゾンビって、多分だけどスライムを襲わないんだよね。クリアスライムが浄化の力を持っているからか、あるいは他の理由があるのか、詳しい理由は分からない。
なんにしても、生活排水と共に腐肉の洞窟へ流されていくスライムたちは、いつも何食わぬ顔で街に戻ってくる。
「あっ、そうだ。試しに使ってみようかな、【感覚共有】」
私は特殊効果の五感付与を切った状態で、スラ丸の感覚を共有させて貰う。
すると、スラ丸の周囲にある物体の輪郭が、ぼんやりと分かるようになった。
スラ丸に視覚、嗅覚、味覚はない。ただ、触覚と聴覚だけが人間以上に発達しており、自分がプルプルと振動することで、反響定位を行っている。
凄いことをしているなぁ……とは思うけど、反響定位の範囲は全然広くない。
これなら、私と同等の五感を付与した方が、探索しやすくなりそう。
なので、早速──って、危ない!! スラ丸に嗅覚を付与して、それを共有したら、私が殺人級の悪臭を嗅ぐことになってしまう。
「ふぅ……。寸前で思い止まって、命拾いしたよ……」
スラ丸に付与するのは、視覚だけにしておく。
実行すると、知覚していた周囲の輪郭に突然色が付いて、スラ丸は大いに困惑した。それから数分ほど右往左往していたけど、悪いことではないと受け入れ、気を取り直して探索を開始する。
腐肉の洞窟の中には、人型のゾンビが大勢いた。間引きとか誰もしないから、あちこちの通路で渋滞を起こしているよ。
ゾンビたちは壁や床を形成している腐肉に齧り付いて、貪るように食事をしており、噛み千切られた場所からは赤黒い血が流れていた。……これはちょっと、目を背けたくなる光景だね。
腐肉は所々が仄かに赤く発光しているので、光源には困らない。侵入者が奥へ奥へと進みやすいようになっているみたいで、これもまた不気味な要因の一つだった。
スラ丸は戦々恐々としながらも、慎重にゾンビたちの足元を潜り抜けて、何事もなく順調に前進している。私の予想通り、ゾンビたちはスラ丸に攻撃する素振りを見せていない。
しばらく進むと、ゾンビが数百匹は犇めいている大部屋に到着した。その部屋の中央には青銅の宝箱があって、スラ丸はそれに近付いていく。
──よしっ、触れる距離まで近付けた。
スラ丸が上蓋に向かって体当たりすると、なんの抵抗もなくパカッと開いたよ。
中に入っていたものは、錆びている鉄の剣だ。
「おおっ、それでいいよスラ丸! ナイスだよ!!」
錆びているとはいえ、貧乏な私からすれば、鉄の剣は十二分にお宝と呼べる代物だった。
当然、それを持ち帰って欲しいと願う。……けど、残念。スラ丸が持ち運ぶには、大き過ぎるね。
スラ丸はなんとか持ち帰ろうと、可能な限り努力してくれた。
──そして、次の瞬間。宝箱とその周囲の床が消えて、ぽっかりと穴が開く。
罠だ! と察するも、時既に遅し。スラ丸は悲鳴を上げる暇も口もなく、その穴に呑み込まれてしまった。
「…………ばいばい、スラ丸。キミのことは忘れないよ」
私はスラ丸との【感覚共有】を切って、ほろりと涙を流しながら、ご冥福をお祈りする。
──数日後。私が食堂で夕食をとっている最中、隣の席のルークスが質問をしてきた。
「ねぇねぇ、アーシャ。最近さ、スラ丸を見てないんだけど、どこに行ったの?」
「宝探しだよ。……それよりも、ルークス。スラ丸が私に反逆したら、助けてくれる?」
「え……? う、うん。反逆なんてされないと思うけど、されたら勿論助けるよ」
私はルークスの言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。大丈夫、私は一人じゃないんだ。
罠に嵌ったスラ丸は、死んだと思った。でも、目に見えない繋がりはずっと感じている。
だからね、定期的に視覚を共有して、現状を確認しているんだけど……スラ丸ってば、腐肉の洞窟の下層で、逞しく生きているよ。
あの子は腐肉だって食べられるから、飢え死にする心配はない。
ゾンビに襲われないから、命の危険だってない。
下層に現れる修道女の幽霊みたいな魔物、ゴースト。そいつもスラ丸には、見向きもしていない。
ただ、ゴーストは苦悶に満ちた悲鳴を絶え間なく上げているので、スラ丸の反響定位の邪魔になる。困ったスラ丸は、駄目元でゴーストに【浄化】を使った。
威力は低くとも、相手は不浄な存在だから、追い返すことくらいは出来るだろうと、期待してのことだ。
その結果、ゴーストは一瞬で消滅した。
スラ丸の威力が低い【浄化】でも、一撃で倒せてしまうほど、それはゴーストにとっての弱点だったらしい。
そうして消滅したゴーストは、その場に真っ黒な石を残した。
スラ丸の体内にあるものとは、色が全然違う。けど、それも魔物の核となる石、『魔石』と呼ばれるものだよ。
スラ丸は引き寄せられるように、ゴーストの魔石を体内に取り込んだ。
すると、ゴーストの魔石が消化されて、スラ丸のぷにぷにな身体が僅かに大きくなり、魔力だって少しだけ増えた。
これに味を占めたスラ丸は、延々とゴーストを狩り続けて、順調に力を蓄えている。
この物語の主人公が、スラ丸であれば……多分、タイトルはこうだと思う。
『ご主人様の無茶振りで最凶ダンジョンの下層に落ちたけど、スライムだから大丈夫でした。ここで自分も最凶になって、ご主人様に復讐します』
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