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一章 孤児院卒業編
1話 目覚め
しおりを挟む陽気な春の日差しに照らされた孤児院の庭で、アーシャこと私はいじめっ子に突き飛ばされて、地面に頭を打ち付けた。
その衝撃で前世の記憶が蘇り、精神年齢が一気に上がってしまう。さようなら、私の無垢な子供時代。
前世の私は、あんまり褒められない生き方をしていた。怠惰なアラサー女で、親の脛を齧りながら生きていたからね。
前世での私の名前は思い出せないけど、座右の銘は『他力本願』だったとハッキリ覚えている。
死因は心筋梗塞。親に迷惑ばかり掛けていたので、神様が天罰を下したのかもしれない。
私の二度目の人生、アーシャとして生まれ落ちたのは、地球じゃなかった。
ここは中世ヨーロッパ風の異世界で、魔法とか魔物とか、そんなものが当たり前のように存在している危険なところだ。
今の私は無力な六歳児の幼女で、しかも親がいない孤児。別に病気を患っている訳じゃないけど、この命は風前の灯火に思える。
極貧だし、社会的地位もないし、不思議な力も持っていない。人生ハードモードだよ。
「──オイっ、アーシャ!! テメェが悪いンだからな!! 俺様の子分にしてやるって言ってンのに、断りやがってよォ!!」
私が頭を抱えながら、前世の記憶と現状を反芻していると、頭上から怒鳴り声を浴びせられた。
ジトっとした目で見上げると、そこにはガラが悪い六歳児の少年、孤児院の問題児であるトールの姿が……。
彼は短めのくすんだ銀髪に、猛々しい鳶色の瞳を持っており、その目付きは猛禽類の如く鋭い。顔立ちには野性味があって、外で遊んでばかりの肌は小麦色なので、まさに野生児と言った印象を受ける。
身に着けているのは簡素な麻布の衣服で、私と同じく貧乏な孤児院暮らしだから、襤褸で小汚い。
こいつが私を突き飛ばしたいじめっ子だね。
「子分は嫌。あっち行って」
少し前までの私にとって、トールという男の子は恐怖の化身だった。
しかし、つい今し方、精神年齢がアラサーになったことで、全然怖くなくなったよ。
彼は私よりも大柄で横暴で自己中心的だけど、所詮は私と同じ六歳児。本気で喧嘩をすれば、勝てないまでも痛手を負わせて、二度とちょっかいを掛けてこなくなる……はず。
「テメェ……ッ!! 俺様の誘いを何度も何度も断りやがってッ!! 今日という今日は覚悟出来てンだろォなァ!?」
トールが腕捲りして凄んできたので、私も腕捲り──は、出来なかった。私が着ているのは、袖が短い簡素なワンピースだったよ。
使い込んだ雑巾みたいな灰色で、これが私の一張羅だと思うとゲンナリする……。
なんにしても、とにかくトールに応戦しよう。
「トール、私のこと好きなんでしょ? どう接していいのか分からないからって、無理やり子分にしようとするのは良くないよ」
「な、なななっ、なァ──ッ!?」
トールは私に図星を突かれて、顔を真っ赤にしながら狼狽えた。
前世の記憶を取り戻す前は全然分からなかったけど、今なら明確に分かってしまう。
トールが私をいじめているのは、好きな子にちょっかいを掛けたくなるという、クソガキの心理に突き動かされてのことだと。
今世の私の容姿は、腰まで伸びた黒髪にパッチリ黒目。どちらも光が当たる角度次第で、深みのある綺麗な濃紺色に見える。顔立ちは全体的に彫がやや浅いので、万人受けするとは思わないけど、私の目から見れば非常に可愛い部類だよ。
外遊びなんて全くしないから、肌は真っ白でスベスベだし、トールが好きになるのも無理はない。
「──隙あり!! 唸れっ、私の右フック!!」
私はそう叫びながら、左の拳でストレートをぶっ放した。小賢しいブラフで翻弄する作戦だ。
素直に右フックを警戒したトールをまんまと欺き、いざ私の拳が彼の頬に突き刺さる──直前で、
「…………寸止め、だと?」
何故か、私の拳はピタリと止まった。
「え、なんで?」
困惑。別に慈悲の心なんて持ち合わせていないのに、拳が勝手に止まってしまったんだ。
子供が可哀そう? 大人げない? 知るか!! いじめっ子には鉄拳制裁っ!!
もう一度殴ろうとするも、再びピタリと止まってしまう。まるで、金縛りにでもあったかのような状態だよ。
前世の記憶を取り戻す前の私は、虫一匹殺せないよわよわ幼女だった。
自分の腕が蚊に刺されても、それを涙目で見つめるだけという、なんとも情けない人間だった記憶がある。
しかし、今の私は違う。この身に宿したアラサーの精神は、カサカサ動くキモい虫だって、スリッパ一つで撃退出来るくらいには逞しい。
……まぁ、苦手だけどね? 出来れば目の前に現れて欲しくない。
「俺様をコケにしやがってッ!! このォ──ッ!!」
怒り心頭のトールが私を突き飛ばして、馬乗りになってきた。
「やめっ、やめて! 馬鹿っ!! エッチ!! 変態っ!!」
私は盛大にトールを罵るけど、暴れて反撃しようとすると、再び金縛りにあってしまう。
これは本格的に参った。……よく見ると、トールがこの状況で困っている。彼は馬乗りになったものの、私を本気で殴るほど暴力的ではないらしい。
思い返してみると、普段は突き飛ばされたり、腕を強く掴まれたりする程度の暴力しか、振るわれていないかも……。
こうして、私たちが硬直状態に陥っていると、一人の少年がトールに飛び蹴りをかました。
「トール!! アーシャをいじめるな!!」
「ぐっ、テメェ……ッ!! ルークス!! また邪魔しやがって!! ブッ殺されてェのか!?」
私を助けてくれたのは、柔らかい金髪と碧色の瞳を持つ少年、ルークス。彼もまた六歳児で、私たちと同じ孤児院暮らしをしている。
顔立ちが柔和で体格は並み。肌が私ほどではないけど色白で、普段は背景に溶け込んでいるような、とても影が薄い男の子だ。
しかし、どう考えてもモブキャラではない。何故なら、ルークスの心には一本の太い芯が通っていて、鋼の如き意思を貫くことがあるのだから。
彼は友達がピンチのときとか、絶対に見捨てない。私の──いや、孤児院のヒーローなんだ。トールとは違って、みんなの人気者だよ。
「トールがオレの友達をいじめるなら、何度だって邪魔するよ!!」
「チッ、マジでムカつく奴だぜ……ッ!! 雑魚の癖によォ、俺様に突っ掛かってくンじゃねェッ!!」
「弱いことは、友達を助けないことの言い訳にはならない!! 掛かってこいっ、トール!!」
気炎を揚げるルークスを前に、トールの苛立ちは限界に達した。ここから始まるのは、彼ら二人の大喧嘩だ。……とは言っても、所詮は子供の喧嘩。ポカポカという擬音が当て嵌まるような、地味な喧嘩だよ。当人たちは至って真面目だけどね。
ルークスは喧嘩が強くないから、トールに勝てたことは一度もない。けど、何度だって立ち上がるので、明確に負けたこともないんだ。
喧嘩が弱いからこそ、心の強さが際立って見える。
私はトールに石を投げて、ルークスを援護しようと思った。それなのに、ここでも身体が硬直してしまう。
「本当になんなの、これ……?」
頭の中で朧気に、『他力本願』の四文字が浮かび上がる。
これは、『他人の力を当てにする』という意味の熟語で、前世の私の生き方を表現するのにピッタリな言葉だ。
まさか、前世の業を背負わされているのだろうか……?
先行きが不安になりながらも、アラサーの魂を宿した私ことアーシャの物語が、ここから幕を開ける。
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