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五章

5話 学業区画

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 ──ジュエルハッチーの品種改良を終えた次の日。

 俺は日中から、牧場内に新しく作った学業区画へと足を運んでいた。これと言って用事がある訳ではないが、暇だったので様子を見ておこうと思ったのだ。

 この区画は主に、牧場の住人たちが文字の読み書き、算術、農業、商業、畜産業、服飾、錬金術、戦闘技術なんかを学ぶ場として、利用されている。

 まあ、学業区画とは言っても、立派な学び舎を建てたりは出来ていないので、殆どの授業は青空の下で行われているのだが……。

 教師役はそれぞれの分野に精通している者たちが、適当に時間を作って担当している。基本的には獣人の爺婆が率先して俺やクルミから学び、それを若者たちに教えているので、俺の手間は然程掛かっていない。

 ちなみに、この区画には孤児院を併設してある。俺がぶらぶらと歩いていると、そこを管理しているレオナに呼び止められた。

「あっ、王様! やっほーなんだよ!」

 レオナは橙色の髪と鳶色の瞳を持つ獅子獣人で、キリッとした太めの眉毛と、狸顔に見えるふっくらした頬が愛嬌満点の少女だ。

 しかし、そんな愛らしい見た目に反して、レオナは獣人族最強の天職である【獣王】を授かっている。その圧倒的な武力を以て、少し前まで『大草原の覇者』を自称し、大勢の者たちを騒がせていた。

 念のために付け加えておくと、その背景には獣人のため、延いては子供たちのためという理由があったので、利己的な野心家だったりはしない。ルゥとの一騎打ちに敗れたことで、今ではすっかり大人しくなって、この牧場の一員として暮らしている。

「うーん……。王様って呼び方、どうにかならないのか? レオナは獣王なんだし、その呼び方だと俺のことか、お前のことか、分からなくなるだろ」

「でもでもっ、アルスには『王様』が一番しっくりくるなぁーって、余は思うんだよ?」

 俺とレオナの付き合いは短いが、俺が牧場の住人たちのために色々とやっている姿を見て、レオナは俺を王様扱いするようになった。

 一応、この牧場と周辺に広がっている不毛の大地は、『イデア王国のアルス領』なので、俺は一介の領主に過ぎない。……だが、イデア王国では動乱があって、俺とは非常に仲の悪い──というか、一方的に俺を敵視している実の兄、ヨクバールが国王になってしまったので、俺の立場はとても不安定だ。

 これから領地の取り上げとか、途轍もない重税を課せられるとか、無理難題を押し付けられる可能性があるので、そうなったら俺は独立宣言して、本当に『王様』という立場になるかもしれない。

 念願の玉座を得たヨクバールは、我が世の春を謳歌しているはずなので、俺のことなんて忘れていると嬉しいのだが……まあ、どうなるのかは分からないな。

 俺が回想を挟んでいると、ゲルを何張りも繋げて作った孤児院から、子供たちが飛び出してきた。

「おうさまー! おうさまだー!!」

「王さま! ぼく、甘いもの食べたーい!!」

「おーちゃまっ! あっちであそぼ! みんなであそぶの、たのちいよ!」

 まだ十歳にも満たない獣人の子供たちが、一斉に俺の身体に群がってきた。

 俺は下級魔法によって、自分の身体能力を軽く底上げ出来るので、十人くらいなら問題なく受け止められる。しかし、ここにいる子供の数は五十人を超えていた。

 途中で押し倒されて、子供の山に埋もれた俺を見て、レオナが上機嫌に笑う。

「ナハハハハ! みんな王様が大好きなんだよ!」

「いや、大好きなのは良いけど、元気が良過ぎるだろ……。もう少し落ち着きを持たせるように、しっかりと教育してくれ……」

 俺が子供の山から這い出ると、再び子供たちが群がってくるので、何度か同じことが繰り返された。子供たちは、これが新しい遊びだと思ったのかもしれない。獣人の子供たちはパワフルなので、遊び相手を務めるのは本当に大変だ。

「にゃははははっ!! この遊びは楽しいにゃあ!!」

 途中で大きなお尻が俺の顔を押し潰し、馴染みのある声が聞こえた。 

「…………おい、ミーコ。子供たちに交ざって、俺の顔にケツを乗せるなんて、良い度胸してるな」

 声の主──豹獣人のミーコは、天然パーマが掛かった濃紺色の髪と、澄んだ群青色の瞳を持つ少女だ。実年齢は俺と同じくらいだが、仙桃を食べたせいで無駄に若返り、童女と言っても差し支えない姿になっている。

 俺を含め、周りの者たちは若草色の民族衣装を着ているが、ミーコだけは白い体操着に紺色のブルマという恰好なので、かなり目立っていた。

 こいつは子供の面倒見が良いので、こうして子供が集まっている場所に出没することが多い。

「にゃ、にゃあ……。ボス、怖い声で脅さにゃいで……? みゃーも遊んでるだけにゃんだよ……? あっ、それよりも! ちょっと小腹が空いたのにゃ!! おやつはまだかにゃあ!?」

 俺に怒られると思ったミーコは、おやつを所望して話題を逸らした。……この、無駄に大きいお尻を蹴とばしてやろうかと考えた俺だが、子供は大人の背中を見て育つものなので、あんまり暴力的な姿を見せたくない。

 『色々な理不尽を飲み込んで、この牧場のために働く』──子供たちには、そんな大人になって貰いたいので、ここは模範となる生き様を見せつけよう。

「はぁー……。仕方ない、何か作ってやるか。チビども、おやつの時間にするから手伝ってくれ」

 俺はミーコに対する文句をグッと飲み込んで、深々と溜息を吐いてから、おやつを用意するべく立ち上がった。

 おやつの時間と聞いた途端、ミーコと子供たちは一斉に「「「はーい!!」」」と元気よく返事をする。その姿に苦笑しながら、俺は指笛を吹いてペリカンを呼び出し、そいつの口の中から一メートルほどの大きさがある林檎を取り出した。

 今日は、アップルパイでも作ろうかな。

 林檎を切るのは俺とレオナの役目で、ミーコと子供たちにはパイ生地を練って貰う。

「みんなー! ちゃんと手を洗うんだよー!」

 レオナの呼び掛けに、みんな素直に返事をして、身綺麗にしてから早速調理に取り掛かった。子供はどんなことでも『遊び』として楽しめるので、調理の最中も笑顔が絶えない。

 アップルパイの材料は大半が牧場産なので、特に凝ったことをしなくても美味しくなるが、調理過程の思い出補正が味を更に引き立ててくれる。所謂、『笑顔が隠し味』というやつだ。

「──後は焼くだけにゃ!! ボスっ、焦がしちゃ駄目にゃんだよ!? 慎重にっ、慎重に焼いて欲しいのにゃあ!!」

「ああ、任せておけ。完璧な仕上がりにしてみせるさ」

 ミーコに注視されながら、俺は元々用意してあった石窯のオーブンを使って、絶妙な火加減でアップルパイを焼き始めた。

 生地にしっかりと火を通して、尚且つ林檎が焦げないようにするのは難しいが、既に何回か作ったことがあるので、手慣れたものだ。

 こうして、アップルパイは無事に焼き上がり、俺は最後の一工夫として、その表面に薄っすらと蜂蜜を塗る。

「わぁっ! とっても美味しそうなんだよ! 早く食べよう!!」

 光沢を帯びたアップルパイを前に、レオナが瞳を輝かせながら涎を垂らし、その後ろではミーコと子供たちがワッと歓声を上げていた。

 冷めないうちに食べようと、俺たちは外に出しているテーブルの上にアップルパイを運び──そこで、涎を垂らしながらマイフォークを握っているルゥの姿を発見した。

「ルゥ……。居たのか」

「……ん、ずっと居た。……美味な匂い、する」

 ルゥは一心にアップルパイを見つめており、俺はチラリと子供たちを見遣る。

 彼らはこの牧場に来る前まで、欠食児童だったので、食べ物に対して並々ならない執着心があるはずだ。年相応に食べ盛りでもあり、甘いおやつも大好きなので、果たして『分け与える』という選択肢を取れるのか……?

「ルゥおねえちゃん、いっしょに食べよう!」

「みんなで食べると、美味しいよ!」

 子供たちは一切躊躇することなく、満場一致でルゥにもアップルパイを分け与えることにした。ルゥは瞳をキラキラと輝かせて、「……ありがと。ありがと」と感謝の言葉を繰り返し、嬉しげに尻尾を振る。

「へぇ……。子供たちは良い子に育っているなぁ……。これはレオナの教育の賜物か?」

 俺の問いに、レオナは小さく頭を振って、子供たちの様子を眺めながら穏やかな笑みを浮かべる。

「ううん、余は何もしていないんだよ。この牧場で暮らしている一人一人が、当たり前のように優しいから、子供たちも優しくなれるんだ」

「ふぅん……。まあ、子供に優しく出来ない集団に、未来なんて無いからな」

 誰も、何も特別なことはしていない。俺がそう伝えると、レオナは今この瞬間に湧き出した気持ちが、心の内から溢れ出ないように、自分の胸にそっと手を押し当てた。

 それから、決意の熱が込められた声で、俺に向かって宣言する。

「ねぇ、王様……。余は、この場所の為なら、命を懸けられるんだよ」

 レオナが重たいことを言い出したので、俺は彼女の頭をわしゃわしゃと雑に撫でて、髪の毛をボサボサにしてやった。それから、レオナの頬を手で挟み、無理やり顔の向きを子供たちの方へ向けさせる。

「子供たちが悲しむから、命懸けはやめてくれ。──それにほら、ルゥとミーコを見てみろよ。俺たちの暮らしは、あれくらい馬鹿みたいに気楽で良いんだぞ」

 俺とレオナの視線の先では、ルゥとミーコがフォークをぶつけ合って、無駄に壮絶なバトルを繰り広げていた。

「にゃああああああああああっ!! ルゥのアップルパイの方がっ、みゃーのやつより林檎が大きい!! ズルいのにゃっ!! そっちを寄こせぇ!!」

「……やだ。ミーコ、邪魔。あっち行く」

 バトルが勃発した原因は、アップルパイに乗っている林檎の大きさだ。そんなくだらない理由で争っている奴は、子供たちの中にだって居ない。

 その光景を見たレオナはプッと吹き出し、それから目端に涙を浮かべて、「ナハハハハハ!!」と大声で笑い出した。

 俺たちに、シリアスな空気は似合わない。これからも色々な問題が降り掛かるとは思うが……まあ、程々に対処して、気楽に生きていこう。
 
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