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独り身の女
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「はあぁ……」
オフィスのカフェスペースで菅生環が吐いたため息を富士奈々恵は聞き逃さない。カップコーヒーを手に環のテーブルまで素早く移動して下から顔を覗き込んだ。
「カチョー補佐ぁ。悩みでもあるんですか? 私でよければ話を聞きますよ?」
瞳を爛々と輝かせる奈々恵から視線をそらし環は他人行儀に返す。
「大丈夫よ係長。ひと様にお話しするような悩みなんてありませんから」
すると菜々恵は急に口調を変えて環の耳元で囁いた。
「環先パーイ、誤魔化しちゃいけませんよ? 私が何年後輩してると思ってるんですか? さっきのため息は深ーい悩みがある時のそれです。表情もまさに不幸のど真ん中って感じだし。ねー先パーイ、愚痴りたい事があるならカワイイ後輩の私が聞きますよー。早く話して楽になりましょうよー。ねーねーねー」
学生時代の後輩に戻って問い詰める。
菜々恵は昔から察しが良い。他人の機微に対する感度は抜群だ。さらに一度興味を持つと口を割るまでしつこく喰らいつく。そのせいで一部では『落としの奈々恵』と呼ばれていた。
「あーもう。面倒くさいなぁ」
早々と観念した環は退社後に奈々恵と二人で居酒屋の個室に入ると誕生日での出来事を話した。
「ええっ別れた?! あのイケメンシャチョーと??」
「うん」
「そうだったんですか……私てっきり会社の上の人からマリハラかパワハラを受けたとばかり……もしウチのパパだったら私とママで追い込みをかけてやろうと思ってたんですけど……ごめんなさい環先輩。辛い話をさせてしまって」
奈々恵は日本酒のグラスを置き頭を下げた。
「いいのよ。奈々恵には今まで彼との話を色々聞いて貰ってたからさ。ちゃんと話せて少し気が楽になった」
富士奈々恵は専務の娘で環と同じ部署で係長を任されている。何かと父親のコネを勘ぐられる立場だが昔から彼女を知っている環はむしろ有能な娘を父親が自分の会社に引き抜いたのだと思っている。
高校の同じ部活動で一緒に汗を流していた頃から常に成績優秀で有名大学卒業時には総代を務める程だった。就活では外資のグローバル企業から内定を受けていたと聞いている。
現に環もデキる部下として絶大な信頼を置いていた。
「十年ぶりの独り身かあ。時間も出来るし何か資格でも取ってみようかなぁ」
「その意気ですよ環先輩。落ち込むなんてらしくないです。お酒の相手が必要な時は私がいますからいつでも声をかけて下さい」
「ありがとう奈々恵。でもあなたの場合はお酒を呑む口実が欲しいだけでしょう?」
「へへ、さすが先輩」
とは言え奈々恵は既婚でありおいそれと声をかける訳にはいかない。かといって彼女より若い社員達は上司と酒を呑む事に抵抗を感じる世代だし、だからと言って上司と呑みに行くのは環の方が嫌なのだった。
(これから自分一人の時間が増える。直ぐに寂しくなっちゃう性格だからスケジュールをパンパンにして気を紛らわせないと)
そこで環は婚活のことを思い出す。
次の休日には美祢子から渡されたレポートについて直接説明を受ける事になっていた。
(35歳までに結婚しないとヤバイって話なのよね? どうしてなの? 私実年齢より全然若く見られるし年下の子達と問題なく話せてる。レポートに書いてあったのはあくまで一般論で……いや一般論の方がヤバイかも。と、とにかく話を聞いてみないと納得いかないわ)
急に黙り込んだ環の肩にほろ酔いの奈々恵が手を回す。
「もーグラスが空いてるじゃないですか。このお店にはおいしいお酒がたくさんあるんだから色々試さなきゃもったいないですよ? よーし私が選んであげましょう。次は大吟醸いきますかぁ? おーいオニイサーン! 本日おすすめの大吟醸をねぇ……)
いつにも増してテンションの高い奈々恵の声を聞きながら環は小さくため息を吐く。
三十四歳になった途端、自分が不幸のターンに入ったような気がする。言いようのないどんよりとした不安感が頭をもたげるのだった。
オフィスのカフェスペースで菅生環が吐いたため息を富士奈々恵は聞き逃さない。カップコーヒーを手に環のテーブルまで素早く移動して下から顔を覗き込んだ。
「カチョー補佐ぁ。悩みでもあるんですか? 私でよければ話を聞きますよ?」
瞳を爛々と輝かせる奈々恵から視線をそらし環は他人行儀に返す。
「大丈夫よ係長。ひと様にお話しするような悩みなんてありませんから」
すると菜々恵は急に口調を変えて環の耳元で囁いた。
「環先パーイ、誤魔化しちゃいけませんよ? 私が何年後輩してると思ってるんですか? さっきのため息は深ーい悩みがある時のそれです。表情もまさに不幸のど真ん中って感じだし。ねー先パーイ、愚痴りたい事があるならカワイイ後輩の私が聞きますよー。早く話して楽になりましょうよー。ねーねーねー」
学生時代の後輩に戻って問い詰める。
菜々恵は昔から察しが良い。他人の機微に対する感度は抜群だ。さらに一度興味を持つと口を割るまでしつこく喰らいつく。そのせいで一部では『落としの奈々恵』と呼ばれていた。
「あーもう。面倒くさいなぁ」
早々と観念した環は退社後に奈々恵と二人で居酒屋の個室に入ると誕生日での出来事を話した。
「ええっ別れた?! あのイケメンシャチョーと??」
「うん」
「そうだったんですか……私てっきり会社の上の人からマリハラかパワハラを受けたとばかり……もしウチのパパだったら私とママで追い込みをかけてやろうと思ってたんですけど……ごめんなさい環先輩。辛い話をさせてしまって」
奈々恵は日本酒のグラスを置き頭を下げた。
「いいのよ。奈々恵には今まで彼との話を色々聞いて貰ってたからさ。ちゃんと話せて少し気が楽になった」
富士奈々恵は専務の娘で環と同じ部署で係長を任されている。何かと父親のコネを勘ぐられる立場だが昔から彼女を知っている環はむしろ有能な娘を父親が自分の会社に引き抜いたのだと思っている。
高校の同じ部活動で一緒に汗を流していた頃から常に成績優秀で有名大学卒業時には総代を務める程だった。就活では外資のグローバル企業から内定を受けていたと聞いている。
現に環もデキる部下として絶大な信頼を置いていた。
「十年ぶりの独り身かあ。時間も出来るし何か資格でも取ってみようかなぁ」
「その意気ですよ環先輩。落ち込むなんてらしくないです。お酒の相手が必要な時は私がいますからいつでも声をかけて下さい」
「ありがとう奈々恵。でもあなたの場合はお酒を呑む口実が欲しいだけでしょう?」
「へへ、さすが先輩」
とは言え奈々恵は既婚でありおいそれと声をかける訳にはいかない。かといって彼女より若い社員達は上司と酒を呑む事に抵抗を感じる世代だし、だからと言って上司と呑みに行くのは環の方が嫌なのだった。
(これから自分一人の時間が増える。直ぐに寂しくなっちゃう性格だからスケジュールをパンパンにして気を紛らわせないと)
そこで環は婚活のことを思い出す。
次の休日には美祢子から渡されたレポートについて直接説明を受ける事になっていた。
(35歳までに結婚しないとヤバイって話なのよね? どうしてなの? 私実年齢より全然若く見られるし年下の子達と問題なく話せてる。レポートに書いてあったのはあくまで一般論で……いや一般論の方がヤバイかも。と、とにかく話を聞いてみないと納得いかないわ)
急に黙り込んだ環の肩にほろ酔いの奈々恵が手を回す。
「もーグラスが空いてるじゃないですか。このお店にはおいしいお酒がたくさんあるんだから色々試さなきゃもったいないですよ? よーし私が選んであげましょう。次は大吟醸いきますかぁ? おーいオニイサーン! 本日おすすめの大吟醸をねぇ……)
いつにも増してテンションの高い奈々恵の声を聞きながら環は小さくため息を吐く。
三十四歳になった途端、自分が不幸のターンに入ったような気がする。言いようのないどんよりとした不安感が頭をもたげるのだった。
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