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第1章
1-7 なかったことにしたいけど
しおりを挟む「お待たせ」
高畠さんの声に視線を上げると……
「……どうも」
(うぇ!?)
何故か隣に秋元さんが。
「……これ、あなたのでしょ。ホットのカフェラテにショットとはちみつ追加」
スリーブのついたカップを私に差し出す。
「えっ、あ!」
慌てて立ち上がり受け取った。
「3つ持とうとしたらさ、秋元くんが手伝ってくれたんだ」
「あっ、ごめんなさい、おしゃべりに夢中になっちゃって、高畠さんにまかせっきりでした」
「す、すみません、受け取りにいくのうっかり忘れてました」
「はは、気にしないで、俺が席で待っててって言ったんだし」
「その……秋元さん、も、わざわざすみませんでした」
「……」
軽く首だけの会釈をした秋元さんと私の間に、”糸”がふわりと現れる。
(……あ)
反射的に焦点を合わせると、秋元さんの瞳も動いた。
───まるで、私と同じものを追っているように。
(まさか……秋元さんにも”見えてる”?)
追っていた”糸”がかき消えると同時に、私と秋元さんの視線がぶつかる。
「……」
秋元さんも、もの言いたげな瞳でじっと見つめ返してきた。
「よかったらさ、秋元くんも一緒に―――」
「153番でお待ちのお客様―――」
「あ、俺」
高畠さんの誘いと店員の呼び出しの声、そして秋元さんの呟きが重なりハッとする。
「……すみません、俺、寄るところあるんで、これで失礼します」
「そうか、残念。じゃあまた今度」
「あっ、その……本当に、ありがとうございました」
「……」
慌ててもう一度お礼を言った私を一瞥すると、軽い会釈をしてくるりと背を向けた。
去っていく背中に、質問を投げかけたい気持ちでいっぱいになる。
(さっきの……多分、いや、きっと”見えて”た。あっちも私が”見えて”るってことに気付いたはず)
(私だけじゃなかったんだ……秋元さんはいつから”見えて”た?
こういうのが”見える”のって、何か意味があるの?……秋元さんは、知ってるのかな)
気になるけれど、佳奈美と高畠さんの手前秋元さんを追いかけるわけにもいかない。
(秋元さんも用事あるって言ってたし……初対面の私にしつこくされても困るよね)
諦める言い訳を並べ立て、高畠さんが椅子に座ったのを合図に私も気持ちを切り替えた。
「さっきも依音と話してたんですけど、秋元さんって独特の雰囲気の方ですよね」
「そうだな、うちの会社じゃあまり見かけないタイプかもしれないね」
「高畠さん、もし機会があったら秋元さんに―――」
(わわっ、佳奈美、さっきの提案するつもり!?)
「あのっ、ここにいない人の話はしない方がいいんじゃないですかね?」
危機を感じて慌てて高畠さんの正義感を煽りつつ、強引に話を逸らした。
「それより、高畠さんと佳奈美の話を聞きたいなー。ていうか、私ってお邪魔じゃないですか?」
おどけながら水を向けると、高畠さんは照れくさそうに顔をほころばせた。
「そんなことないよ、佳奈美ちゃんと夏目さんが親しくしてるのは俺も見てて安心する」
「俺も、俺なりに佳奈美ちゃんを大事にするつもりだから、見守ってて欲しいんだ」
真面目に宣言する高畠さんは、イイ男だと思う。
私も、真面目に返さなくちゃ、と感じた。
「もちろんですよ。佳奈美はこんな私と親しくしてくれる数少ない友人なんですから。
ふたりで幸せになってくれたら嬉しいです」
「もう、ふたりとも堅苦しすぎない?」
照れ隠しで佳奈美が口を挟む。
「佳奈美がちゃんと紹介したいって言ったんじゃん。私はそれに応えただけだよ」
「俺も、夏目さんにちゃんと佳奈美ちゃんとのこと認めてもらいたかったからさ」
「認めるも何も、私は前から密かに”もう付き合っちゃえよ”って思ってましたからね。今だから言いますけど」
「え、そうだったんだ、はは、嬉しいなあ」
「依音、それ言わないでよ……」
―――その後、私はふたりからの夕食の誘いを遠慮して、カフェで別れた。
(はあ……結局ふたりとも小指の”糸”は消えたままだったな)
だけど、相変わらず空間には”糸”が漂っているし、小指に”糸”が絡まっている人も見かける。
そして、あのふたりの仲の良さを疑う余地もない。
(私に”糸”が見えなくなったわけじゃない)
(あのふたりが別れそうな気配もない)
(……じゃあなんで?)
何のヒントもなく、考える手がかりすら見つからない。
わからないのが、怖い。
(……でも、そもそも他の人には”見えない”もの、なんだよね)
知らなければ、気付かない。
気付かなければ、心配することもない。
その時ふと思い出す。
(……秋元さんなら、どうするんだろう)
”見え”ているであろう秋元さんは、多分高畠さんと佳奈美の”糸”の変化にも気付いているはずだ。
もしかして、その理由も知っているかもしれない。
(ちゃんと聞いた方がいいかな……でも、そもそも秋元さんにも”見えてる”っていうのが私の勘違いだったら?)
確信が持てないのに尋ねるのも怖い。
”変なヤツ”と思われてしまうのがオチだ。
こうして帰路を辿るうちにも、”糸”は辺りに見え隠れしている。
(……明日にはこんな現象、治まりますように……)
―――翌日。
(治まんないか……)
昨日と同様、出勤途中の街並みにゆらゆらと揺蕩う”糸”。
そして道行く人たちの小指にも”糸”。
(あーもう、気にしない、気にしない)
よく考えたら、”糸”はただ、私にとってそこに”見えている”だけ。
物理で実体があるわけじゃないし、何か悪さをするわけでもない。
足に引っかかって転ばされるものでもない。
(視界に入るのは鬱陶しいけど、存在しないものだと思って意識しなけりゃなんてことない)
なかったことにしよう、と決意するのだけれど……
「おはよう」
オフィスに入ると、佳奈美がにこにこと輝く笑顔で迎えてくれた。
「おはよ。昨日はありがとね」
「ううん、今度はちゃんと約束しよ、ご飯。いつがいい?」
佳奈美の笑顔が怪しさを帯びる。
「……余計な企みがないんなら、いつでもいいけど」
「どういう意味よ」
「言葉通り、そのまんまだよ」
(めちゃくちゃ嫌な予感しかしない)
「じゃあ今度の週末、仕事終わってから集合ね」
(集合って)
「……私と佳奈美と、高畠さん、の3人だよね?」
「んー、多分?」
にこりと微笑み返す佳奈美に、嫌な予感が増す。
「多分って、どういう……」
「ほら、依音も気になるって言ってたお店、あそこに行こうって高畠さんとも話してたんだ。一緒に行くよね?」
「……はあ……わかったよ」
なんだかんだ言って、佳奈美の押しには弱い。
(……まあいいか。美味しいご飯が食べられるなら)
(それに、もし私の”嫌な予感”が当たってたとしても……逆に利用するって手もあるし)
などと打算的なことを考えながら、佳奈美の左手小指を盗み見る。
そこには、やっぱり”糸”は見えないままだった。
―――週末、気持ちよく休日を迎えるために業務をきっちり終わらせた私は、佳奈美とオフィスを出た。
いつもよりも素敵な格好をした佳奈美は、仕事から解放された時間を迎えるに相応しい雰囲気だった。
「依音、その服似合ってる」
「佳奈美こそ。高畠さんも好きそう」
くすくすと笑いながら角を曲がると、そわそわとこちらを待ち構える人影が動いた。
「佳奈美ちゃん、夏目さん」
爽やかに手を挙げた高畠さんの横には―――
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