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第10章-3

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 散歩がてら歩きながら尖沙咀(チムサーチョイ)に出ることにした。エアコンの効いたホテルから出ると、ほんの10分ほど歩いただけで汗が吹きだす暑さだ。

 地下鉄の尖沙咀駅を上がってすぐの彌敦道(ネイザンロード)沿いの飲茶の店は、有名店だからとても混むが、ランチタイムよりすこし早い時間だったので予約なしでもスムーズに案内された。
 
 湯気のたったワゴンが店内をぐるぐる回り、あちこちで呼び止める声や注文の声が飛び交う。ポットに入れる茶葉を選んだあとは、店中を回るワゴンから好きなものを取ればいい。あるいはオーダー票に記入して注文する。

 ふたりで相談しながら小籠包、翡翠餃子、蟹皇乾焼売、叉焼酥などいくつか取ってシェアした。    

「やっぱりおいしい」

 鮮蝦腸粉を食べて満足そうな祐樹に、孝弘が笑ってもう一皿取ろうかと訊く。

 それには首を振ったが、かわりに灌湯蝦球をオーダーした。なかから出てくる熱々のスープがおいしい。

「やっぱ食べ物はこっちのほうがうまいよな」
「大連は塩からいっていうけど? 北京とあまり変わらない感じかな」

「たぶんね。日本人に合うのは南のほうかなと思うけど、俺は北京料理もけっこう好きだよ。何年も住んで、慣れもあるだろうけど」

 孝弘がプロジェクト責任者の青木とともに北京に出発するのは3週間後の予定だ。それから1か月後くらいには祐樹も北京へ、その後大連に向かうことになる。

 5月に東京本社で顔を合わせたときには、こんなことになるなんてまったく想像もしていなかった。

 この1カ月のことを思い返すと、夢を見ていたような現実離れした気分になる。いまこうやって香港で飲茶を食べているのも夢のようだ。

 目が覚めたら広州のマンションで、あるいは東京の部屋で、ひとりで寝ているのかもしれない。そんな妄想もできてしまうくらい現実感がない。

 広東語や英語が飛び交うレストランの喧噪のなか、意識がふっと浮かび上がる気がした。

「どうしたの、ぼうっとして」

「…なんか、夢みたいだと思って。孝弘とつきあってるとか、一緒に旅行してるとか、全部、都合のいい夢を見てるのかもって」

「都合のいい夢を見てるのは俺のほうだよ」
 孝弘はふっととてもやさしい表情になった。

 そのまま一生夢見てて、と穏やかに笑う。

「…一生って。プロポーズみたい」
 どきっとした祐樹が軽口でかわそうとする。

 一生なんて、まだ24歳の孝弘には重すぎる言葉だろう。

「そうだよ。俺はそのつもりだよ」

 ところがゆったり笑った孝弘は軽やかに肯定してみせて、祐樹を絶句させた。焼売をつかんでいた箸が止まる。

「そのつもりって……」
「一生つきあっていくつもりでいるから。まだ先の予定だったけど、ちゃんとプロポーズもするから」

 思いがけない方向に話が転がって、祐樹は口を閉じた。

 プ、プロポーズ? 
 冗談を言っている様子ではないし、うっかり返事をできることでもない。

 困惑を隠せずに、気まずく茶を飲んだ。

「ほら、熱いうちに食べよ?」

 祐樹の反応は予想のうちという顔で、孝弘はしらっと届いたばかりのせいろを勧めてくる。だから黙って湯気のたったスペアリブの煮物を取り分けた。

 大体こんなところでする話でもない。

 孝弘もその話題を蒸し返さなかったのでそのまま食事を続けたが、孝弘の口から出たプロポーズという単語は頭のすみに居座り続けた。


「ちょっと食べすぎたかも」

「俺もそんな感じ。腹ごなしにちょっと歩く? すぐ隣が九龍公園だけど、って外は暑すぎるか。ショッピングセンターでも行く? 見たいものあったらついでに見ようか?」

「あ、会社にお土産買わないと。ちょっとしたお菓子とか香港ぽい雑貨とかでいいんだけど」

 祐樹から希望した休暇ではないが、10連休をもらっている身としては少々気をつかうところだ。祐樹の部署でいまさら香港みやげなどめずらしくもないが、手ぶらというわけにもいかない。

 店を出て海防路(ハイフォンロード)を5分も歩けば海港城(ハーバーシティ)なので、行ってみることにした。ホテルや商業ビルがいくつもつながった巨大ショッピングセンターだ。

 一流ブランドショップから庶民的な雑貨やスーパー、レストランに映画館までなんでもそろっている。女の子なら一日中いても飽きないだろう。

 でもショッピングにさほど興味のない男ふたりでは、とりたてて楽しい場所でもないかもしれない。そう思っていたのだが、シティスーパーで案外楽しく買い物をしてしまった。

 買いはしないが食材やら調味料やら、身近なものは見ているだけでも意外とおもしろい。会社用にいくつかクッキーやお茶などを買って、夜に部屋で飲むためのワインとつまみも見繕ってホテルに戻った。

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