あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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番外編4-4

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 帰りのタクシーで三環路を走りながら、孝弘は工事が続く道をぼんやり見ていた。

 孝弘が留学して来た頃は自転車も馬車も荷車も通っていたけれど、この数年で徐々に馬車やロバや牛が引く荷車は少なくなっている。
 背の高い街路樹が並んでいた広い道路はここ数年で高架化がすすめられ、大きな街路樹が次々に掘り起こされている。
 祐樹と一緒に歩いた三環路の歩道も地下道も、すでになくなってしまった。 

 ここしばらく、よく祐樹を思い出す。
 気持ちが揺れているのは、来月から香港に行くからだ。
 こちらの大学の夏休みを利用して、2ヶ月だけ広東語の集中講座を受けに短期留学する計画をたてていた。

 香港から来た留学生と相互学習(フーシャンシュエシィ)して、広東語の基礎はすでに大体覚えている。北京語もそうだったが、広東語も発音がいちばん難しい。
 これはやっぱり現地で体に発音を叩きこんだほうが早いだろうなと思って、しばらく広東語圏に行ってみようかなと冗談交じりに口にしたら、今の同室者のレオン・黄(ウォン)が「だったらうちに来れば?」と言い出したのだ。

 レオンは香港出身でこの夏で留学を終える。
 孝弘が本気で来るなら、夏休みはうちに泊まればいいと誘ってくれた。
 広東語にどっぷりつかれる環境はありがたいけれど、そんな長期間、よそ様の家に泊まるのはどうかとためらったが、香港でもアッパークラスのレオンの家は部屋が余っているらしい。
 ホームステイだと思えばいいじゃないとレオンは言い、本当に大丈夫かと家族に確認してもらったら家族も歓迎してくれたので、ありがたく世話になることにした。

 香港には相互学習の相手だったサラも帰国していて、再会する予定になっている。
 サバサバした明るい性格の女の子で、美人でとてもモテたが留学先では恋愛関係は求めていないのと公言していた。孝弘に対しても特別な感情を持たなかったので、男友達といるみたいな感覚でつき合いやすかった。
 サラもレオンも友人たちを紹介してくれるというので、それも楽しみだった。

 この夏はチベットへ買付けに行くというぞぞむも、8月には香港へ来ると言っている。みんなで香港で会えるなんてと思うとワクワクする。
 でも何より孝弘の気持ちを波立たせるのは、香港は広州からすぐだということだ。
 香港から広州へは列車も高速バスも走っていて、どちらも2時間から3時間ほどの距離だ。香港から切符を買って、列車かバスに乗るだけで着く。
 途中で国境を越えるからパスポートチェックがあるが、中国の留学生ビザを持っている孝弘は広州に入ることができる。

 会いに行こうと思えば行けるのだ。
 でも広州に行ってどうする?
 ただ広州の町を歩いて、ここで祐樹が仕事をしているのかと感じて、それで満足する? 偶然に会えないかと支社の近くに行ってみる?
 ……いや、普通に気持ち悪いだろ、それは。

 冷静に考えれば、北京からでも飛行機なら3時間半で広州に行ける。でも地図上で見る香港から広州の距離は、孝弘の胸をざわつかせた。
 ほんの1センチもないのだ。
 北京からは遠すぎると諦めていたけれど、香港からならすぐに見える。

 ……いや、やっぱダメだろ。
 突然、訪ねていくなんてありえない。そもそも会っても絶対に喜ばれることはない。アルバイトを続けていたことすら知らせてないのに。
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