あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第24章-4

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 看護師は気を取り直しててきぱきと体温を測り、38.5度もあるわとつぶやくと手早く薬を飲ませた。
 それから勤務後にどういう用件かと訊くので、祐樹は金をいれた封筒を渡して、孝弘の清拭と着替えを頼んだ。
「着替えとタオルは?」
「何もないから、買い物もお願いしたいんだけど」
 封筒の中身を確かめて、看護師は快く請け負ってくれた。
 病院の外まで付添人を探しに行く元気はなかったし、慣れた人間でないと意識のない寝たきりの人間の介護は難しい。
 それで看護師にお願いしたのだ。
 
 さきほど見に行ったとき、泥はきちんとはらってあったが、孝弘はまだ汚れた服のままだった。付添人がいないと、そういう世話をしてもらえない。
 本当は祐樹がしてやりたかったが、左腕が使えない状態では服を脱がせることも難しい。
 孝弘の裸を見られると思うと、看護師相手であっても気持ちが落ち着かない。
 あした退院したらちゃんとした付添人を手配するつもりだけれど、若い女は却下だな。中年の女性を探そうか、いやいっそ力のある男のほうがいいか?
 ……いや、やっぱ男はだめだな。

 熱のせいか、どうも思考がまとまらない。孝弘のことを考える。
 静かに眠っている孝弘の寝顔は穏やかなままで、祐樹は不穏な胸騒ぎをどうにか押し殺した。
 大丈夫。
 目が覚めたら、なんて言ってやろう。
 いや、まず謝るのがさきかな。
 今さらなにからどう話せばいいんだろう。

 そうだ、それを考えて待っていればいいだけ。
 だから、早く目を覚まして。
 話したいことが、たくさんあるから。



 翌朝、祐樹の熱はひとまず37.5度まで下がった。
 祐樹は目が覚めて、朝いちばんに孝弘の病室に様子を見に行ったが、パジャマに着替えた孝弘は相変わらず静かに眠っていた。
 昨日の夜、祐樹が頼んだ看護師はきちんと仕事をしてくれたようだ。
 洗ってくれたらしく髪も顔もきれいになり、手足も泥などついていなかったのでほっとした。
 静かな個室では点滴が規則正しく落ちる音まで聞こえそうだ。

「孝弘、起きて。もう朝になったよ」
 声をかけてみても、反応はない。
 髪をなでながら、やさしく何度も声をかける。
 やはり、反応はなかった。
 不安になった祐樹は、そっと布団をめくって孝弘の胸のうえに手のひらを当ててみた。

 心臓がとくとくと音をたてているのが伝わってほっとした。
 ちゃんとあたたかい。
 孝弘の体温に触れて、涙がでそうになる。
 どうしても直接触ってみたくなり、パジャマのボタンを外してそっと素肌に触れた。
 人肌のぬくもりに安心する。
 
 さっきよりもっと強く心臓の響きが手のひらに伝わってきた。
 ゆっくりなでると、孝弘のまぶたがぴくりと動いた。はっと手を止める。
 うっすら筋肉に覆われた胸をもう一度なでると、指先がふと乳首をかすめた。
 孝弘の体がぴくっとかすかに動いた。
 セクシャルな気持ちはないまま、反応したことがただ嬉しくて、もう一度そっと胸のさきに触れて軽く押してみる。

 くすぐったいのか体はぴくっと動いたが目は覚まさない。
 なんだかいけないいたずらをしている気分になって、そっと手を引いた。
 頬が熱い。
 また熱が上がりそうだ。
 でも個室にしてよかったと思う。
 こんなふうに、孝弘の体温を確かめることができるから。

「起きてよ、待ってるんだから」
 話をしよう。
 今まで言えなかった気持ちもちゃんと話すから。
 5年前、言えなかったことや本当は言いたかったことも。今なら、ぜんぶ言える気がするのに。
 額にそっと口づける。
 男らしく大人になったと思っていたが、眠っているといつもより幼く見える。

 おとぎ話じゃないんだから……と思うけれど、誘惑に逆らえず、顔を寄せて唇にもそっと触れてみた。
 やはり目覚めない。
 そりゃそうだ、キスで目覚めるなんて王子さまとお姫さまのおとぎ話の世界だ。
 思った以上にがっかりしたが、孝弘の頬をなでて病室をでた。


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