あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第23章-4

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「今回の出張は難しいことになるって、事前に緒方部長から聞いていました。トラブル対応はそこそこ慣れてますけど、それでも現場にいれば落ち込むことも多いし、腹の立つこともあるし。通訳の俺でも感じるなら、高橋さんはなおさらプレッシャーとかストレスがあるだろうなって思って。ちょっと違う世界を見てみれば、気分転換になるかなと」

 大企業が手掛ける大掛かりなプロジェクトとはまた違う中国取引の一面を見せてくれたのだと理解する。
  政府の役人や開発区の行政担当者の思惑などのしがらみが一切絡まない、個人経営の企業のしたたかさや老板や職人たちとの信頼関係で成り立っている小さな工場の心意気を感じさせてくれたのだ。

 ああ、まただ、と思う。
 孝弘はいつも祐樹を別世界に連れ出してくれる。
 行き詰った時に、落ち込んだ時に。
 さりげないその慰めで祐樹の中国生活をやわらかく救ったことなど、きっと気づいていないだろう。
  デートなどと言いながら、じつは祐樹の様子を見ていて気分転換をさせてくれたのだ。
 泣きたくなるような気持ちで、祐樹はうつむいて礼をいった。
「うん、なんか、ちょっと意識が変わった。ありがとう」


 帰りの道はひどい有様だった。
 行きに通ってきた山にへばりつくように作られていた道路は、山からの土砂でまだ半ば以上埋もれた状態のままだった。
 田舎の道路の復旧に重機などはなくひたすら人海戦術だ。近隣の集落から駆り出されたたくさんの人々で復旧作業は行われていた。
 日頃は農作業に使っているのだろう鍬やスコップで土砂を掘り出しては手押し車で運んでいる。
 気の遠くなるような光景だが、ここではこれが当たり前だった。

 かろうじて車が通れる幅に細く通された道を、慎重なハンドルさばきで運転手が通り抜ける。何台もの車が数珠つなぎになって渋滞しており、その合間を作業する人々が縫って歩いている。
 がくん、と車が急に揺れて、止まった。
 エンジンをかけてもタイヤが空回りする音が聞こえるだけだ。
 運転手がちっと舌打ちして、車を降りていく。
 孝弘と祐樹も様子を見に降りる。

「あー、これはダメだ」
 タイヤを見ると完全にぬかるみにはまっていた。
 運転手がそこらへんから板を持ってきて、慣れた手つきでタイヤのしたに突っ込み、手伝ってくれと周囲の人々に声をかける。
 泥だらけになって土砂を運んでいた男たちがわらわらと寄ってきた。
「旦那たちは下がってな。泥が跳ねるから。あ、それとも乗るかい?」
「いや、こっちでいいよ」
 乗ればそれだけ重くなるから、押す人たちの負担になる。
 孝弘と祐樹は素直に道路わきまで下がった。

「いいかー、せーのっ」
 数人がかりで後ろから押しがけする。
 エンジンのきゅるきゅるという音が響くが、タイヤは空回りして車は動く気配もない。
「これは、無理だな」
 車を押していた男たちがさらに周りの人にも声をかけて一緒に押してもらい、どうにかぬかるみを抜けられそうになったときだった。ガラガラという地響きが聞こえた。
 人々が何事かと顔を上げた次の瞬間。
 空気を切り裂く悲鳴と同時に、頭上からものすごい音がした。

「あぶないっ」
 咄嗟に上を見ようとした祐樹は横から思い切り突き飛ばされた。
 ふっとんだ勢いのまま、肩から背中を強打し一瞬息が止まる。
 そこへ上から土砂が降ってきた。
 どどどっという地響きに、怒声と悲鳴がかぶさった。

 反射的に体を丸め、頭を守ろうとする。
 男女のわめく声、ゴロゴロガラガラという辺りに轟く不穏な音。
 土砂崩れが起きたのだとわかったが、土埃で目を開けられない。

「上野くんっ、孝弘っ」
 背中の痛みをこらえて大声で呼んでみたが、返事は聞こえない。 
 孝弘はどうなった?
 薄目を開けても土埃で何も見えず、周囲では怒鳴り声が響いて多くの人が右往左往する気配がする。
 怒声が飛び交うが、早口で何を言っているか聞き取れない。
 ここから避難しなければ。でもどっちに動けばいいのか、判断に迷う。

 少し視界が開けてきたら、あちこちで人が倒れているのが見えた。
「上野くんっ、大丈夫かっ?」 
 もう一度呼んでみたが、返事はない。
 その時、すぐ近くでガンという音がしたかと思うと左腕に激痛が走り、祐樹の意識はそこで途切れた。
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