あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第27章-3

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 祐樹の腕をつかんだ手のひらが温かかった。しっかりした大きな手だった。
  王府井で歩道に引き寄せられたことを思い出す。もし抱きしめられたら? 
  ちょっとだけ想像してみる。案外悪くない感じだった。
 祐樹がくだらない想像をしているうちに孝弘はするりと手を放し、リュックからカメラを取り出した。
 写真を撮ろうと誘われて、内心けっこう喜んだ。

 観光地に来るのに、カメラを持つという発想がなかった。というよりもカメラそのものを中国に持ってきていない。
 聞けば孝弘の持ってきたのも借りものだという。
 ふだんの祐樹なら1,2枚適当に撮って終わりにしたはずの写真を、タイマー機能まで使って2ショットを撮ったのは、最初から半年間の思い出にする予定だったからだ。

 欲しかったのは孝弘の写真だ。
 なんだ、けっこうおれって乙女チックだったんだな。自分でもびっくりする。
  でも孝弘の笑顔を持って帰れるならいいか、と思い直した。きっとこの研修が終わったら縁が切れて、会うこともない。
  だから記念写真くらい手元に残ればいい。

 カメラのタイマー機能を使ったことがないので知らなかったが、点滅してからシャッターを切るまでが意外と長い。その待ち時間が微妙に長くて、どんな表情を作ればいいのか困ってしまう。
 孝弘も初めてのようで、タイマーって結構難しいなとつぶやきながら、置き場所を調整している。
「よし、これで背景は完ぺき」
 自分のじゃないというカメラで、孝弘がアングルを考え、リュックのうえでバランスをとってシャッターを押す。

 祐樹の待っている位置まで素早く降りてきて横にならんだ。
    二人ともすこし緊張しているのがおかしくて、祐樹がくすりと笑う。つられて孝弘も笑ってしまい、そのタイミングでカシャッと音がした。
 たぶんいい写真が撮れた。
 念のためもう1枚と孝弘がいい、最後にもう1枚撮って撮影を終わる。
「なんかへんに緊張した」
「うん、おれも。タイマーってなんか、恥ずかしいね」
 どんな写真になっただろうか。できあがりが楽しみだった。そんなことを思う自分をちょっと不思議に思う。
    もしかして、かなり浮かれているのだろうか。

 ゆうべ寝付けなかったからか、帰りのタクシーでは孝弘の肩を枕に寝てしまい、起きてから驚いた。とても気持ちよくぐっすり寝てしまっていたのだ。
 信頼している、ということなんだろう。
 祐樹の恋愛のテンションはわりといつも低めだ。外見から派手な経験があるように見られることも多いが、決してそんなことはない。
 相手から押されてつき合うことがほとんどで、告白されてなんとなく付き合っていくうちに、だんだん気持ちがなじんでいくという感じで、そんなにテンション高く好きだという気持ちになって恋愛をしたことがない。

 考えてみれば、通訳を頼んだのは半分は仕事だったが、その後の食事にちょっと強引に誘ったのはまったく自分の意志だった。
   祐樹にしてはけっこう珍しいことだ。 
   海外にいるからなのかもしれない。
 非日常の出会い、非日常のテンション。
 まったく乗り気じゃなかった北京研修も、孝弘と遊んでいれば楽しいかもしれない。

 タクシーの外は黄色い大地が流れている。
 乾燥した空気、広くて色のうすい空。
 となりに座る孝弘の体温がかすかに伝わってくる。
   この距離でいよう、と思う。
 手を伸ばせば届く距離で、帰国までこっそり楽しもう。
 そう決心して、過ごしていたのだ。


 写真のなかの自分は、安心した顔をしていた。
 同じ写真を祐樹も持っている。寮まで遊びに行ってもらってきたのだ。見ると胸が痛むから、実家においたままだった。
 いま手にしたそれは端がすこし傷んでいて、おそらくこの5年間、手元に持ち歩いて何度も眺めたのだろうと察せられた。
 どんな気持ちで、孝弘はこの写真を眺めていたのだろう。
 いたたまれなくなって、写真のなかのふたりの目線から逃れるように、書類のうえに伏せておいた。

 立ちくらみがしてベッドに座ると、ふとあまい記憶がよみがえった。ここで孝弘に熱く口説かれたのはおとといの夜のことだった。
 きれいにメイクされたベッドには、そんな痕跡は残っていない。
 このベッドの上であんなに熱いセックスをしたのに、孝弘はいまは病院のベッドの上で眠ったままだ。
 胸がぎゅうっとつかまれたように痛くなる。
 電話が鳴って、祐樹ははっと顔をあげた。
 考え事をしている場合じゃない。

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