78 / 112
第23章-3
しおりを挟む
帰りの車のなかで、祐樹は問いかけた。
「どうして、あそこに?」
「べつに深い意味があったわけじゃないんです。たまたま近かったというのが大きいけど、昨日行った工場とは違う世界を見せたかったというか……」
孝弘はちょっと首をかしげるようにして、言葉を探した。
「本当のことを言うとですね、実はぞぞむの会社には俺も出資してるんです。といっても最近は俺はこっちの仕事ばかりで、櫻花貿易公司の仕事はぞぞむに任せてる状態なんですけど」
つまり、共同経営者だったのか。
留学生が会社を立ち上げることはそれなりにあるが、こうして工場を構えているならそこそこ成功しているのだろう。会社は中国の工芸品などを扱っているらしい。
「だからここの話は立ち上げのときから関わってました。ぞぞむは腕のいい刺繍職人を集めるのにも苦労してましたよ。あいつ、ああ見えて妥協しないんです。ふだんものぐさでおおざっぱなくせに、扱う商品だけは納得しないとだめで。大量生産の工場で作れるレベルならうちでは扱わないっていつも言ってて」
中国ではコストが安いからと大量生産の安かろう悪かろうという商品を作る工場も多い。
佐々木はそれでは生き残れないとわかっているのだろう。コストだけでは、ほぼ個人経営といっていい会社は大手に太刀打ちできない。
「それで苦労することも多いけど、ああやって地道に各地に生産拠点を作ったり、信頼できる中国人パートナーを見つけたり、そういうのを見せたかったというか」
うまく言えないんだけど、と孝弘はこまったように笑った。その笑顔に祐樹の胸がきゅっと痛くなることなど思いつかないのだろう。
自分から断っておいて、勝手だなと心のなかで自嘲する。
「といっても、俺も実際、工場まで来たのは初めてですけど。地方だとなかなか来るチャンスがないんで。だからきょうはラッキーでした」
孝弘はすこし表情を改めた。また仕事用の顔に戻って祐樹を向いた。
その顔が好きだ、と祐樹はこっそり見とれた。仕事のときの孝弘は、ストイックな感じがとてもセクシーだ。口が裂けても本人には言えないが。
「今回の出張は難しいことになるって、事前に緒方部長から聞いていました。トラブル対応はそこそこ慣れてますけど、それでも現場にいれば落ち込むことも多いし、腹の立つこともあるし。通訳の俺でも感じるなら、高橋さんはなおさらプレッシャーとかストレスがあるだろうなって思って。ちょっと違う世界を見てみれば、気分転換になるかなと」
大企業が手掛ける大掛かりなプロジェクトとはまた違う中国取引の一面を見せてくれたのだと理解する。
政府の役人や開発区の行政担当者の思惑などのしがらみが一切絡まない、個人経営の企業のしたたかさや老板や職人たちとの信頼関係で成り立っている小さな工場の心意気を感じさせてくれたのだ。
ああ、まただ、と思う。
孝弘はいつも祐樹を別世界に連れ出してくれる。
行き詰った時に、落ち込んだ時に。
さりげないその慰めで祐樹の中国生活をやわらかく救ったことなど、きっと気づいていないだろう。
デートなどと言いながら、じつは祐樹の様子を見ていて気分転換をさせてくれたのだ。
泣きたくなるような気持ちで、祐樹はうつむいて礼をいった。
「うん、なんか、ちょっと意識が変わった。ありがとう」
帰りの道はひどい有様だった。
行きに通ってきた山にへばりつくように作られていた道路は、山からの土砂でまだ半ば以上埋もれた状態のままだった。
田舎の道路の復旧に重機などはなくひたすら人海戦術だ。近隣の集落から駆り出されたたくさんの人々で復旧作業は行われていた。
日頃は農作業に使っているのだろう鍬やスコップで土砂を掘り出しては手押し車で運んでいる。
気の遠くなるような光景だが、ここではこれが当たり前だった。
かろうじて車が通れる幅に細く通された道を、慎重なハンドルさばきで運転手が通り抜ける。何台もの車が数珠つなぎになって渋滞しており、その合間を作業する人々が縫って歩いている。
がくん、と車が急に揺れて、止まった。
エンジンをかけてもタイヤが空回りする音が聞こえるだけだ。
運転手がちっと舌打ちして、車を降りていく。
孝弘と祐樹も様子を見に降りる。
「あー、これはダメだ」
タイヤを見ると完全にぬかるみにはまっていた。
運転手がそこらへんから板を持ってきてタイヤのしたに突っ込み、手伝ってくれと周囲の人々に声をかける。
泥だらけになって土砂を運んでいた男たちがわらわらと寄ってくる。
「旦那たちは下がってな。泥が跳ねるから。あ、それとも乗るかい?」
「いや、こっちでいいよ」
乗ればそれだけ重くなるから、押す人たちの負担になる。
孝弘と祐樹は素直に道路わきまで下がった。
「いいかー、せーのっ」
数人がかりで後ろから押しがけする。
エンジンのきゅるきゅるという音が響くが、車は動く気配もない。
「これは、無理だな」
車を押していた男たちがさら周りの人にも声をかけて一緒に押してもらい、どうにかぬかるみを抜けられそうになったとき、
「あぶないっ」
空気を切り裂く悲鳴と同時に、頭上からものすごい音がした。
咄嗟に上を見ようとした祐樹は横から突き飛ばされた。
後ろにふっとんだ勢いのまま、背中を強打し一瞬息が止まる。
そこへ上から土砂が降ってきた。
どどどっという地響きに、怒声と悲鳴がかぶさる。
男女の怒声、ゴロゴロガラガラという辺りに轟く不穏な音。
反射的に体を丸め、頭を守ろうとする。
土砂崩れが起きたのだとわかったが、土埃で目を開けられない。
「上野くんっ、孝弘っ」
背中の痛みをこらえて大声で呼んでみたが、返事は聞こえない。
孝弘はどうなった?
薄目を開けても何も見えず、周りは怒鳴り声が響いていた。
早口で聞き取れない。
どっちに動けばいいのか、周囲では多くの人が右往左往する気配がする。
「上野くんっ、大丈夫かっ?」
もう一度呼んでみたが、返事はない。
その時、すぐ近くでガンという音がして、左腕に激痛が走り、祐樹の意識はそこで途切れた。
「どうして、あそこに?」
「べつに深い意味があったわけじゃないんです。たまたま近かったというのが大きいけど、昨日行った工場とは違う世界を見せたかったというか……」
孝弘はちょっと首をかしげるようにして、言葉を探した。
「本当のことを言うとですね、実はぞぞむの会社には俺も出資してるんです。といっても最近は俺はこっちの仕事ばかりで、櫻花貿易公司の仕事はぞぞむに任せてる状態なんですけど」
つまり、共同経営者だったのか。
留学生が会社を立ち上げることはそれなりにあるが、こうして工場を構えているならそこそこ成功しているのだろう。会社は中国の工芸品などを扱っているらしい。
「だからここの話は立ち上げのときから関わってました。ぞぞむは腕のいい刺繍職人を集めるのにも苦労してましたよ。あいつ、ああ見えて妥協しないんです。ふだんものぐさでおおざっぱなくせに、扱う商品だけは納得しないとだめで。大量生産の工場で作れるレベルならうちでは扱わないっていつも言ってて」
中国ではコストが安いからと大量生産の安かろう悪かろうという商品を作る工場も多い。
佐々木はそれでは生き残れないとわかっているのだろう。コストだけでは、ほぼ個人経営といっていい会社は大手に太刀打ちできない。
「それで苦労することも多いけど、ああやって地道に各地に生産拠点を作ったり、信頼できる中国人パートナーを見つけたり、そういうのを見せたかったというか」
うまく言えないんだけど、と孝弘はこまったように笑った。その笑顔に祐樹の胸がきゅっと痛くなることなど思いつかないのだろう。
自分から断っておいて、勝手だなと心のなかで自嘲する。
「といっても、俺も実際、工場まで来たのは初めてですけど。地方だとなかなか来るチャンスがないんで。だからきょうはラッキーでした」
孝弘はすこし表情を改めた。また仕事用の顔に戻って祐樹を向いた。
その顔が好きだ、と祐樹はこっそり見とれた。仕事のときの孝弘は、ストイックな感じがとてもセクシーだ。口が裂けても本人には言えないが。
「今回の出張は難しいことになるって、事前に緒方部長から聞いていました。トラブル対応はそこそこ慣れてますけど、それでも現場にいれば落ち込むことも多いし、腹の立つこともあるし。通訳の俺でも感じるなら、高橋さんはなおさらプレッシャーとかストレスがあるだろうなって思って。ちょっと違う世界を見てみれば、気分転換になるかなと」
大企業が手掛ける大掛かりなプロジェクトとはまた違う中国取引の一面を見せてくれたのだと理解する。
政府の役人や開発区の行政担当者の思惑などのしがらみが一切絡まない、個人経営の企業のしたたかさや老板や職人たちとの信頼関係で成り立っている小さな工場の心意気を感じさせてくれたのだ。
ああ、まただ、と思う。
孝弘はいつも祐樹を別世界に連れ出してくれる。
行き詰った時に、落ち込んだ時に。
さりげないその慰めで祐樹の中国生活をやわらかく救ったことなど、きっと気づいていないだろう。
デートなどと言いながら、じつは祐樹の様子を見ていて気分転換をさせてくれたのだ。
泣きたくなるような気持ちで、祐樹はうつむいて礼をいった。
「うん、なんか、ちょっと意識が変わった。ありがとう」
帰りの道はひどい有様だった。
行きに通ってきた山にへばりつくように作られていた道路は、山からの土砂でまだ半ば以上埋もれた状態のままだった。
田舎の道路の復旧に重機などはなくひたすら人海戦術だ。近隣の集落から駆り出されたたくさんの人々で復旧作業は行われていた。
日頃は農作業に使っているのだろう鍬やスコップで土砂を掘り出しては手押し車で運んでいる。
気の遠くなるような光景だが、ここではこれが当たり前だった。
かろうじて車が通れる幅に細く通された道を、慎重なハンドルさばきで運転手が通り抜ける。何台もの車が数珠つなぎになって渋滞しており、その合間を作業する人々が縫って歩いている。
がくん、と車が急に揺れて、止まった。
エンジンをかけてもタイヤが空回りする音が聞こえるだけだ。
運転手がちっと舌打ちして、車を降りていく。
孝弘と祐樹も様子を見に降りる。
「あー、これはダメだ」
タイヤを見ると完全にぬかるみにはまっていた。
運転手がそこらへんから板を持ってきてタイヤのしたに突っ込み、手伝ってくれと周囲の人々に声をかける。
泥だらけになって土砂を運んでいた男たちがわらわらと寄ってくる。
「旦那たちは下がってな。泥が跳ねるから。あ、それとも乗るかい?」
「いや、こっちでいいよ」
乗ればそれだけ重くなるから、押す人たちの負担になる。
孝弘と祐樹は素直に道路わきまで下がった。
「いいかー、せーのっ」
数人がかりで後ろから押しがけする。
エンジンのきゅるきゅるという音が響くが、車は動く気配もない。
「これは、無理だな」
車を押していた男たちがさら周りの人にも声をかけて一緒に押してもらい、どうにかぬかるみを抜けられそうになったとき、
「あぶないっ」
空気を切り裂く悲鳴と同時に、頭上からものすごい音がした。
咄嗟に上を見ようとした祐樹は横から突き飛ばされた。
後ろにふっとんだ勢いのまま、背中を強打し一瞬息が止まる。
そこへ上から土砂が降ってきた。
どどどっという地響きに、怒声と悲鳴がかぶさる。
男女の怒声、ゴロゴロガラガラという辺りに轟く不穏な音。
反射的に体を丸め、頭を守ろうとする。
土砂崩れが起きたのだとわかったが、土埃で目を開けられない。
「上野くんっ、孝弘っ」
背中の痛みをこらえて大声で呼んでみたが、返事は聞こえない。
孝弘はどうなった?
薄目を開けても何も見えず、周りは怒鳴り声が響いていた。
早口で聞き取れない。
どっちに動けばいいのか、周囲では多くの人が右往左往する気配がする。
「上野くんっ、大丈夫かっ?」
もう一度呼んでみたが、返事はない。
その時、すぐ近くでガンという音がして、左腕に激痛が走り、祐樹の意識はそこで途切れた。
5
お気に入りに追加
101
あなたにおすすめの小説
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。

もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる