あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第19章-3

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 あれはまずかった。

 祐樹は心の底から反省していた。
 流されるべきではなかった。出張はようやく半分過ぎたところだ。
 残り十日をどう孝弘と過ごせばいいのか。
 今後もまだ青木と三人で行動しなければならないというのに。
 ことのあと、平然とした顔をどうにか装って(成功したか自信はない)部屋に戻った祐樹は、熱いシャワーを浴びながら深く深く反省したのだ。

 強く押されるのに弱いというのは自覚していた。四男末っ子という立場で育ったせいなのか、世話を焼かれるのに慣れた甘ったれだとも知っている。
 誰かとつきあうきっかけはいつも相手から誘われてだったし、細かなことにこだわらない性格のおかげでそれでも問題なくつき合ってきた。
 日常生活におけるガードはわりと固いので、そうそうゲイだと見抜かれることもなかったし、告白されて断ったのは実をいうと孝弘が初めてで、唯一だ。

 二度と会わないだろうと思っていたから突き放したのに、東京で再会して以来、平常心を保てないでいる。
 しかも孝弘の押し方というのは、絶妙に祐樹の気に障らないポイントをついてくる。
 仕事では一切気のあるそぶりは見せないし、二人きりで肩を抱かれたり頬に触れられたり髪をなでられても、孝弘からはそうして当然といった雰囲気が出ていて、なんだか止めにくいのだ。
 ようするに祐樹は孝弘に弱い。
 しっかりしなくては。

 シャワーを浴びてもまだ孝弘が触れた手の感触が残っていて、熱を持っているような気がしたが、ともかく何もなかったことにするしかない。
 あしたの朝、孝弘がどんな態度でくるかわからないが、まさか恋人気取りってことはないだろう。
 そこだけは確信が持てた。

 さっきは名前を呼ばれたが、孝弘は人前では決して触れてこないし、必要がなければ目線も寄越さない。そういうけじめはつけている。
 停電がきっかけで昔を思い出して、暗い中で抱き合ってしまったから偶然発情しただけだ。
 それは祐樹を落ち込ませる考えだった。でもだからといって孝弘を受け入れられるかといえば、それもできないと思う。

 青木は北京事務所で用事を済ませたあと、今夜はスタッフに連れ出されたようでまだ帰ってこない。仕事の話でもして気を落ち着けたかったのに。
 誰かと会話すれば、この浮ついた気分も収まる気がした。
 なんだか無性に飲みに行きたくなり、祐樹はバスローブを脱いで服を着た。
 ドライヤーを使いながら北京で気に入っていたバーをいくつか思い浮かべるが、変化の激しい北京でいまも残っているのかよくわからない。

 そう言えば、孝弘と三里屯サンリトンのバーに行ったことがあったな。
 大使館街近くの三里屯には、当時としてはめずらしく、本格的な洋食やカクテルを出すバーが数軒あって、祐樹も誘われて遊びに行ったことがあった。
 パスタやオムライスがおいしかった。あの店は今もあるのかな……。
 タクシーに乗れば三里屯は遠くないが、孝弘との思い出がますます鮮明になりそうでやめておく。考えているうちに外に行くのはなんだか面倒になり、このホテルにもバーはあったと思い出して部屋を出た。
 
 エレベーターで最上階に行くと黒服にカウンターに案内された。適度に観葉植物が配置され、ゆったり飲める空間になっている。
 案外悪くなかったと思いながらなんとなく店内を見まわしていたが、あるところで視線が止まった。
 ソファ席に孝弘がいた。
 驚いたのは連れがいたからだ。

 ラフなジャケット姿の男だった。親し気に肩を寄せて話し込んでいる。男の顔は見えないが、服の着こなしから日本人だろうと推測できた。
 ジンバックを頼み、それを飲みながらどうしても目線は孝弘を追ってしまう。
 自分とあんなことをしたあと、誰かと会っているなんて。
 でも孝弘にとっては北京なんて庭も同然。友人知人は数え切れないほどいるはずだ。一緒にいるのはそのうちの一人なのか、それとも特別な誰かなのか。

 デートだとは思いたくなかった。
 いや孝弘の恋愛相手は女性のはずだし、そもそもさっきのことは突然の成行きだったのだから、もともと彼と約束があったんだろう。
 すこし冷静になるとそう思い至り、祐樹は二杯目のジンバックを頼んだ。
 相手の顔は見えないが、孝弘は横顔が見える。
 ごく自然な笑顔を向けている。あんな顔をするなんて。相手はそうとう親しい間柄のようだ。

 なにか楽しい話でもしているのか酔っているのか、相手は孝弘の肩をたたいたり、頭をなでたりする。
 孝弘はその手を邪険に払うが、楽しげなやり取りなのは遠目にもわかった。
 すこし親しすぎるんじゃないの? 
 中国では同性の友人同士で普通に肩を抱いたり腕を組んだりするから珍しい光景ではないが、孝弘がそういう触れあいかたをするタイプには思えない。
 いやでも、祐樹にはよく触れてくる。
 じゃあ、好きな相手には許しているわけか。つまり彼は好きな人ってこと?

 むかむかと胸のなかに湧いてくる感情を祐樹は自覚する。
 これは嫉妬か。
 祐樹の知る限り、孝弘の恋人は女子だけだったし、男は祐樹が初めてだと言っていたが、その後のことはわからない。
 今の恋人が彼であっても、おかしくはなかった。
 ひょっとしたら、これはデートの現場を見ているのかもしれない。そんなことを考えると胸がきゅうと締め付けられるような気がした。
 
 馬鹿だな、嫉妬なんかできる立場じゃない。
 孝弘はただの通訳だ。
 かなり早いペースで2杯目を空け、3杯目にシンガポールスリングを頼んで、これを飲んだら部屋に戻って寝てしまおうと決心した。


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