12 / 112
第3章-3
しおりを挟む
「すごい、本当に誰もいない」
登山口で入場料と保険料(保険料ってなに?と驚いていたが)を払い、城壁のなかに入ると、祐樹は弾んだ声をあげた。また子供みたいな笑顔になっている。
「けっこう遠くまで行けそうなんだけど。これって好きに進んでいいの?」
左右に伸びている城壁をながめて、どちらに進むかしばらく悩む。
山の斜面に作られた城壁はわりと横幅があり、二人は右側を登ることにした。
登っては降りて、また登ってを繰り返し、時々見張り台から新緑も鮮やかな外をながめて、休憩がてら水を飲んだ。
タクシーのなかとは違って、二人ともほとんど口をきかず、ただ黙ってそれぞれのペースで登り降りしていたが、その沈黙も気にならない。
5月の終わりの日差しは暖かくて少し汗ばむくらいだったが、標高が高いせいか休憩していると山の風は心地よい。
「もう少し前だったら、桜が見れたらしいんだけど」
「中国にも桜ってあるんだ」
「日本とは種類が違うと思うけど」
1時間ほどのんびり登って、ひときわきつい急勾配をあがりきったところで振り返ると、祐樹もちょうど幅の狭い階段をへばりつくようにして登ってきた。
階段の幅は十センチくらいしかなく、足を置くのも横にしないと登れないくらいだ。
「よくこんな所に革靴やハイヒールで来るよね」
とてもふつうに立って登れる傾斜角度ではなく、両手で前の階段をつかみながらの踏破になった。
「もう少し先まで行く?」
「いや、もうじゅうぶん。入り口まで戻らなきゃいけないし。あそこで休憩しよう」
見張り台の下に入ると、急に暗くなった視界にめまいを起こしたようにくらりとする。石造りの見張り台の中は何もなく、ひんやりした空気が抜けて祐樹の髪を揺らした。
「やっぱり登ると暑いね」
「そう? 高橋さんて、汗かかなさそう」
涼し気な顔をしている高橋は、あまりそういう熱を感じさせない雰囲気がある。
「そんなわけないでしょ。けっこうかいたよ。でも乾燥してるからすぐ乾くよね」
日本に比べると湿度がかなり低いので、汗をかいてもべたつかずさらりとしているのは北京のいいところかもしれない。そのせいでほこりっぽくもあるのだけれど。
なんとなく手を伸ばして祐樹の腕に触れた。
汗のべたついた感じなどなく、少ししっとりとしているだけだ。
吸い付くような肌ってこんな感じ? いや、なに触ってんの俺、と突っこみながらそっと祐樹をうかがう。腕くらいならセーフ? いや腕くらいってなんだ?
祐樹はちょっとふしぎそうな顔で孝弘を見たあと、逆に孝弘のほうにその手を伸ばしてきた。え、何? あせった孝弘は「輪ゴム」と口にする。
「輪ゴム?」
「うん、俺、北京来てすぐのころ、パン買って輪ゴムしとかなかったら、次の朝かっちかちになっててびっくりした」
「ああ、日本だと湿気ないように輪ゴムするけど、こっちだと乾燥しないようになんだね」
うなずいて、祐樹は孝弘の髪に触れると、葉っぱついてたよと風に散らした。
なんだか胸がドキドキする。
何に動揺したのかわからないまま、孝弘はリュックに手を入れて水を取り出し、その底にカメラを見つけた。
わざわざ慕田峪まで行くなら持って行けと佐々木が貸してくれたのだが、孝弘はカメラを持ち歩く習慣がなく、すっかり忘れていた。
36枚撮りのフィルムだからなかなか撮り終わらないとぼやいていたので、1枚も撮って帰らなかったら怒られそうだ。
「高橋さん、せっかくだから写真撮る?」
「あ、カメラ持ってきたんだ。いいね、撮ろう」
祐樹もカメラを持ち歩くタイプではないらしく、それを見て嬉しそうにうなずいた。
長城を背景に交代で撮りあったあと、タイマー機能を使って二人で写ってみることにしたが、案外、角度や置き場所が難しい。
段差が大きいので、後ろに長城を入れようと思うと空中からの高さがちょうどいいのだが、そんな場所にカメラを固定できない。何枚か撮ってみたが失敗した気がする。
タイマーのタイミングも思っていたより遅くて合わせるのが難しい。
しばらくあれこれ試したあと、床の上にリュックを置いてその上にカメラを置き、少し階段を下がった位置にスタンバイしてみた。
並んで立つ二人の後ろに龍の体がくねっているような感じで長城が入る。
レンズを覗いてみた感じではなかなかよかったので、その位置で何枚か撮って撮影会は終了した。
「できたら見せて」
「焼き増しするよ。でもこれ友達のカメラで、まだフィルム撮り終わってないから、しばらく先になるかもしれないけど」
なんだかんだで10枚ほど撮ったようだ。どんな写真が撮れたか楽しみだと思い、そんなことを思う自分に戸惑った。どんな観光地に行っても写真を撮りたいと思ったことはないのに。
祐樹の笑顔を閉じ込めたいなどと思う自分にちょっと戸惑う。
「お腹空いたね。戻ってお昼食べに行こうよ」
祐樹がいったと同時に、ぐううっと孝弘の腹が大きく鳴った。
タイミング良すぎと祐樹の笑う声が高い空に響いた。
登山口で入場料と保険料(保険料ってなに?と驚いていたが)を払い、城壁のなかに入ると、祐樹は弾んだ声をあげた。また子供みたいな笑顔になっている。
「けっこう遠くまで行けそうなんだけど。これって好きに進んでいいの?」
左右に伸びている城壁をながめて、どちらに進むかしばらく悩む。
山の斜面に作られた城壁はわりと横幅があり、二人は右側を登ることにした。
登っては降りて、また登ってを繰り返し、時々見張り台から新緑も鮮やかな外をながめて、休憩がてら水を飲んだ。
タクシーのなかとは違って、二人ともほとんど口をきかず、ただ黙ってそれぞれのペースで登り降りしていたが、その沈黙も気にならない。
5月の終わりの日差しは暖かくて少し汗ばむくらいだったが、標高が高いせいか休憩していると山の風は心地よい。
「もう少し前だったら、桜が見れたらしいんだけど」
「中国にも桜ってあるんだ」
「日本とは種類が違うと思うけど」
1時間ほどのんびり登って、ひときわきつい急勾配をあがりきったところで振り返ると、祐樹もちょうど幅の狭い階段をへばりつくようにして登ってきた。
階段の幅は十センチくらいしかなく、足を置くのも横にしないと登れないくらいだ。
「よくこんな所に革靴やハイヒールで来るよね」
とてもふつうに立って登れる傾斜角度ではなく、両手で前の階段をつかみながらの踏破になった。
「もう少し先まで行く?」
「いや、もうじゅうぶん。入り口まで戻らなきゃいけないし。あそこで休憩しよう」
見張り台の下に入ると、急に暗くなった視界にめまいを起こしたようにくらりとする。石造りの見張り台の中は何もなく、ひんやりした空気が抜けて祐樹の髪を揺らした。
「やっぱり登ると暑いね」
「そう? 高橋さんて、汗かかなさそう」
涼し気な顔をしている高橋は、あまりそういう熱を感じさせない雰囲気がある。
「そんなわけないでしょ。けっこうかいたよ。でも乾燥してるからすぐ乾くよね」
日本に比べると湿度がかなり低いので、汗をかいてもべたつかずさらりとしているのは北京のいいところかもしれない。そのせいでほこりっぽくもあるのだけれど。
なんとなく手を伸ばして祐樹の腕に触れた。
汗のべたついた感じなどなく、少ししっとりとしているだけだ。
吸い付くような肌ってこんな感じ? いや、なに触ってんの俺、と突っこみながらそっと祐樹をうかがう。腕くらいならセーフ? いや腕くらいってなんだ?
祐樹はちょっとふしぎそうな顔で孝弘を見たあと、逆に孝弘のほうにその手を伸ばしてきた。え、何? あせった孝弘は「輪ゴム」と口にする。
「輪ゴム?」
「うん、俺、北京来てすぐのころ、パン買って輪ゴムしとかなかったら、次の朝かっちかちになっててびっくりした」
「ああ、日本だと湿気ないように輪ゴムするけど、こっちだと乾燥しないようになんだね」
うなずいて、祐樹は孝弘の髪に触れると、葉っぱついてたよと風に散らした。
なんだか胸がドキドキする。
何に動揺したのかわからないまま、孝弘はリュックに手を入れて水を取り出し、その底にカメラを見つけた。
わざわざ慕田峪まで行くなら持って行けと佐々木が貸してくれたのだが、孝弘はカメラを持ち歩く習慣がなく、すっかり忘れていた。
36枚撮りのフィルムだからなかなか撮り終わらないとぼやいていたので、1枚も撮って帰らなかったら怒られそうだ。
「高橋さん、せっかくだから写真撮る?」
「あ、カメラ持ってきたんだ。いいね、撮ろう」
祐樹もカメラを持ち歩くタイプではないらしく、それを見て嬉しそうにうなずいた。
長城を背景に交代で撮りあったあと、タイマー機能を使って二人で写ってみることにしたが、案外、角度や置き場所が難しい。
段差が大きいので、後ろに長城を入れようと思うと空中からの高さがちょうどいいのだが、そんな場所にカメラを固定できない。何枚か撮ってみたが失敗した気がする。
タイマーのタイミングも思っていたより遅くて合わせるのが難しい。
しばらくあれこれ試したあと、床の上にリュックを置いてその上にカメラを置き、少し階段を下がった位置にスタンバイしてみた。
並んで立つ二人の後ろに龍の体がくねっているような感じで長城が入る。
レンズを覗いてみた感じではなかなかよかったので、その位置で何枚か撮って撮影会は終了した。
「できたら見せて」
「焼き増しするよ。でもこれ友達のカメラで、まだフィルム撮り終わってないから、しばらく先になるかもしれないけど」
なんだかんだで10枚ほど撮ったようだ。どんな写真が撮れたか楽しみだと思い、そんなことを思う自分に戸惑った。どんな観光地に行っても写真を撮りたいと思ったことはないのに。
祐樹の笑顔を閉じ込めたいなどと思う自分にちょっと戸惑う。
「お腹空いたね。戻ってお昼食べに行こうよ」
祐樹がいったと同時に、ぐううっと孝弘の腹が大きく鳴った。
タイミング良すぎと祐樹の笑う声が高い空に響いた。
2
お気に入りに追加
101
あなたにおすすめの小説
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる