58 / 95
9-5
しおりを挟む
「人事異動の欄にロンドンから香港へって異動の人がいて」
「それが先輩かと思ったの?」
いたかもしれないが祐樹は覚えていなかった。
「うーん、そういうんじゃなくて。違うだろうと思ったけど、そう言えばあの人どうしたのかなって思い出して」
「それで気になった?」
「うん。なんて言うか、ちゃんと元気なのかなって感じで」
「元気だと思うし、とっくにおれのことなんか忘れて家族のために一生懸命仕事してると思うよ」
北京空港で別れたときの、大澤のさばさばした表情を思い返して祐樹はそう言った。
「そっか。そうだよな」
ワインを飲み干して、孝弘は「変なこと訊いてごめんな」と微笑んだ。
「ううん。べつに平気だよ。もう全部、過去のことだから」
その後は、仕事の話や取引先の人の面白い話なんかをして、穏やかに食事を終えた。パエリアはおいしかったし、機会があったらスペイン料理店にも行ってみよう。
祐樹が洗い物をしている横で、孝弘はレンジで湯を沸かしてマグカップを温めている。孝弘は案外丁寧で、カップをちゃんと温める。
祐樹はそんなことをしたことはなかったが、孝弘がしているのを見て、最近は温めるようになった。コーヒーの香りが漂うと、条件反射みたいに気持ちがリラックスする。
片づけを終えてリビングに戻って日本の衛星放送を見ていたら、先月の江沢民国家主席訪日についてのニュースが流れた。
日中平和友好条約締結20周年の記念すべき今年の11月25日から30日までという日程で史上初めての中国国家主席の公式訪日が実現した。日中共同宣言の詳細な内容をアナウンサーが伝えている。
90年代に入って反日教育を進めてきた江沢民が日本で何を言うのかと発言が注目されていたが、やはり過去の歴史問題に言及する事態となったようだ。国家主席の発言は、今後の日中関係に大きな影響をもたらす。
日中関係で摩擦が過熱するとすぐに反日デモや不買運動などに発展するため、在留邦人はこの手のニュースには敏感にならざるを得ない。
大使館や領事館からも注意喚起が出たり、各地の日本人会を通じて様々な連絡が来たりする。中国のメディアは情報統制されているため、正確なニュースが伝わってこないことが多々あるからだ。
歴史認識はさておき、経済方面においては今後さらに関係は深まることは間違いないと識者が解説を交えながら話している。
駐在員としては経済政策に変更はないという点では安心できた。改革開放政策はこのまま推し進められ、日中貿易はますます活発になっていくだろう。
大連へ進出してくる日本企業は年々増加しているし、それにつれて投資額も右肩上がりだ。当然、大連在住の邦人数も増加している。
心配していた対日感情については、実際に住んでみればそれほど悪くはなかった。普段接する中国人が開発区で仕事をしている親日家が多いからかもしれないが。
でも先日、町中に出て、見知らぬ人々に声を掛けて写真を撮らせてもらったときも、みんな親切にしてくれた。
日本人と知って日本語で話しかけてくれた若者もいた。開発区に日本企業が多く進出しているせいもあり、大連外国語大学を初めとする大連の大学生たちには日本語専攻者がかなりいる。
彼らは流暢な日本語を話し、日本のマンガやアニメ、ドラマや歌手に親しんで育ち、日本に憧れを抱いている者も多い。日本への留学経験者もかなりいて、日本文化に対する理解があって就職先に日系企業を目指している。
「それが先輩かと思ったの?」
いたかもしれないが祐樹は覚えていなかった。
「うーん、そういうんじゃなくて。違うだろうと思ったけど、そう言えばあの人どうしたのかなって思い出して」
「それで気になった?」
「うん。なんて言うか、ちゃんと元気なのかなって感じで」
「元気だと思うし、とっくにおれのことなんか忘れて家族のために一生懸命仕事してると思うよ」
北京空港で別れたときの、大澤のさばさばした表情を思い返して祐樹はそう言った。
「そっか。そうだよな」
ワインを飲み干して、孝弘は「変なこと訊いてごめんな」と微笑んだ。
「ううん。べつに平気だよ。もう全部、過去のことだから」
その後は、仕事の話や取引先の人の面白い話なんかをして、穏やかに食事を終えた。パエリアはおいしかったし、機会があったらスペイン料理店にも行ってみよう。
祐樹が洗い物をしている横で、孝弘はレンジで湯を沸かしてマグカップを温めている。孝弘は案外丁寧で、カップをちゃんと温める。
祐樹はそんなことをしたことはなかったが、孝弘がしているのを見て、最近は温めるようになった。コーヒーの香りが漂うと、条件反射みたいに気持ちがリラックスする。
片づけを終えてリビングに戻って日本の衛星放送を見ていたら、先月の江沢民国家主席訪日についてのニュースが流れた。
日中平和友好条約締結20周年の記念すべき今年の11月25日から30日までという日程で史上初めての中国国家主席の公式訪日が実現した。日中共同宣言の詳細な内容をアナウンサーが伝えている。
90年代に入って反日教育を進めてきた江沢民が日本で何を言うのかと発言が注目されていたが、やはり過去の歴史問題に言及する事態となったようだ。国家主席の発言は、今後の日中関係に大きな影響をもたらす。
日中関係で摩擦が過熱するとすぐに反日デモや不買運動などに発展するため、在留邦人はこの手のニュースには敏感にならざるを得ない。
大使館や領事館からも注意喚起が出たり、各地の日本人会を通じて様々な連絡が来たりする。中国のメディアは情報統制されているため、正確なニュースが伝わってこないことが多々あるからだ。
歴史認識はさておき、経済方面においては今後さらに関係は深まることは間違いないと識者が解説を交えながら話している。
駐在員としては経済政策に変更はないという点では安心できた。改革開放政策はこのまま推し進められ、日中貿易はますます活発になっていくだろう。
大連へ進出してくる日本企業は年々増加しているし、それにつれて投資額も右肩上がりだ。当然、大連在住の邦人数も増加している。
心配していた対日感情については、実際に住んでみればそれほど悪くはなかった。普段接する中国人が開発区で仕事をしている親日家が多いからかもしれないが。
でも先日、町中に出て、見知らぬ人々に声を掛けて写真を撮らせてもらったときも、みんな親切にしてくれた。
日本人と知って日本語で話しかけてくれた若者もいた。開発区に日本企業が多く進出しているせいもあり、大連外国語大学を初めとする大連の大学生たちには日本語専攻者がかなりいる。
彼らは流暢な日本語を話し、日本のマンガやアニメ、ドラマや歌手に親しんで育ち、日本に憧れを抱いている者も多い。日本への留学経験者もかなりいて、日本文化に対する理解があって就職先に日系企業を目指している。
5
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
処女姫Ωと帝の初夜
切羽未依
BL
αの皇子を産むため、男なのに姫として後宮に入れられたΩのぼく。
七年も経っても、未だに帝に番われず、未通(おとめ=処女)のままだった。
幼なじみでもある帝と仲は良かったが、Ωとして求められないことに、ぼくは不安と悲しみを抱えていた・・・
『紫式部~実は、歴史上の人物がΩだった件』の紫式部の就職先・藤原彰子も実はΩで、男の子だった!?というオメガバースな歴史ファンタジー。
歴史や古文が苦手でも、だいじょうぶ。ふりがな満載・カッコ書きの説明大量。
フツーの日本語で書いています。
愛なんかなかった
拓海のり
BL
直樹は振られた女の結婚式で磯崎に会った。その後、会社の接待で饗応の相手に使われた直樹は女性に性欲を感じなくなった。ある日そういう嗜好の男が行くバーで磯崎に再会する。
リーマン、俺様傲慢攻め×流され受け。総受け。三万字ちょいのお話です。
※ 傲慢俺様攻めです。合わない方は即閉じお願いします。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる