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第6章:触れたくて、すこし怖い

■レーヴ陛下side:ざわめき

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 黒で統一された重厚な部屋に、シャンデリアのきらめきが上品に降り注ぐ。
 調度品の多くはシルバーで揃えられており、なかでも流れるような美しい木目が見事な長テーブルを、帝国を代表する貴族たちが囲んでいた。
 そんな宮廷会議が執り行われている部屋に、男たちのどよめきが響く。
 顰めた声であれど皆が一斉に話せば騒々しくもなる。好き勝手に飛び交う言葉の応酬を、帝国の太陽であるレーヴ陛下が静かに眺めていた。
 貴族たちを見下ろすようにあしらわれた一段上のフロアにて、皇帝のみが着席することを許される専用の椅子に腰かけながら。
 ふと、一人の貴族がレーヴ陛下の様子に気づき口を閉ざす。すると、波が引くように、部屋は無音に包まれた。

「話を続けてもいいだろうか?」

 冷徹と形容されてしまうのも無理がないような、冷たくて無機質な眼差しと声音。
 かつてはもっと多くの貴族が共に机を囲んでいた。
 その光景が見られなくなってしまったのは、レーヴ陛下により追放や、爵位を剥奪されたためである。

 特に貴族派の者達は先帝の頃とは変わってしまった現状に不満をため込んでおり、レーヴ陛下を攻撃できるエサがないかと常に目を光らせていた。

 そんなときに降ってわいた話——龍人が帝国に現れたという情報。
 レーヴ陛下から「あくまで人間の国々を観光している時に、偶然既知である王子を見つけて舞い降りた」と聞こうが、どうでもいい。
 貴族派にとって重要なのは「事実」ではなく、どのように「調理」するかだ。

 これまでは他種族との関係は希薄で、関わりはほんの最低限だった。
にもかかわらず、ここにきて獣人の王子だけでなく龍人までもが現れたと聞けば、この機をつかない選択肢などない。

「恐れながら陛下。偶然とはいいますがそれを信じてよいものでしょうか? 万が一、民が傷つくことになったらと思うと……」

 貴族派のひとりがまるで民を思い、胸を痛めるかのような表情を浮かべる。
 しかし、龍人の目的や民の心配など本心ではどうでもいいということは、透けて見えていた。
 自分たちの権威を主張できる機会を逃さない方が大切なのだ。

 貴族派がそういった思惑を抱いていることは、レーヴ陛下も初めから想定していた。
 今の質問は「なにか」が起きた際に、「誰」が責任をとってくれるのか。
 それは一番初めに他種族なんぞに手紙を出して帝国へ招き入れた皇后であり、またそれを阻止しなかった皇帝であるべきだと、そう言わせたいのだ。

「信じる以外に何ができるのだ? それとも過剰な警戒心をもち、神と等しい力を持つという龍人を疑い、怒らせることが正しいとでも?」
「それはそうですが……、私が申し上げたかったのは獣人国から来ている第三王子が、裏で龍人と手を結び帝国を掌握しようとしている可能性のことでございます」

 レーヴ陛下は聞き飽きた「もしも」の話に内心で呆れ果てる。
 
「言われずともわかっている。しかし、王子の目的が他にあるのではないかと危惧する件はこれまでに何度となく言及され、そのたびに手を借りざるを負えないという結論に至っていたが。……まさかそなたは記憶に問題でもあるのか? ならばこの場に出席するのは負担だろう」

 続けて淡々と一蹴し、視線を投げかけた。

「ちょうどそなたには成人を迎えた後継者がいたな。そろそろ爵位を譲ってはどうだ?」
「っ陛下。なにをおっしゃいますか。まだまだ引退するには早すぎるかと……」
「ならばもう少しまともな意見を述べよ。危うく会議への参加者からそなたの名を消すところだった。私としても体調がすぐれない者に無理を強いるのはあまりにも心苦しいのでな」

 これ以上の戯言を言えば首を切る。
 存外に告げられてしまえば黙るほかない。
 レーヴ陛下は自分の上げ足をとることばかりに熱意を注ぎ、帝国の将来を危惧しようとしない貴族の相手をするのにも飽き飽きとしていた。
 
 なにかと攻撃の手段とする他種族の問題についてもそうだ。
 手を借りなければ解決するのが難しいほど、ベルデ領の状況を隠していたのはいったい誰なのか。
 もう少し早めに解決へと身を乗り出せば、貴族派の主張どおりに他種族の手は借りずに済んだというのに。
 レーヴ陛下が即位してすぐに現地の様子を見に行った時には、人族の手に負えない状況に陥っていた。
 このまま放置していれば、いずれベルデ領を襲う瘴気が帝都へと広がるのも時間の問題だろう。
 
 それだけではない。
 帝国のいたるところで使用されている魔道具の多くは、妖精族から輸入している。
 また、交易で重要となる帝国で採掘した魔石を、使用できるように加工してくれているのは獣人国だった。

 だが、最近は一部の国を除いて人族との交流を断とうとする動きがみられる。
 これまでに交易をするにあたり取り決めた契約金が、大幅に値上がったのだ。
 それも一方的な手紙による通達で済まされてしまい、実質手を切られたようなもの。
 そういった国を除き、今も変わらず公正な取引きを続けてくれているのは、セラジェルやジョシュアの国ぐらい。 

 他種族を警戒する気持ちは理解できる。
 だが、他種族からそっぽを向かれた時、真っ先に破滅へと向かうのが人族であるという事実は、他のことであたまがいっぱいの彼らには認識できないらしい。
 そのうえで他種族を軽んじ利用すればいいと、まるで主導権が自分たちにあるかのように自惚れているのもいただけない。
 これも全て先々代から続く、王侯貴族にだけ都合がいい政策をしてきたがゆえの弊害だった。
 今回の件についても秘匿することも考えたが、龍人が王子を攫う瞬間を目的した者が多すぎた。
 おかしなことに「皇帝」を守るために存在している「近衛団」が最も信用ならないのだから、笑いたくもなる。

「王子といえば、ひとつ疑問がございますなあ」

 その時、能天気ともいえるような声が部屋に響いた。
 発言した男は、皆の視線が己に集中することで気をよくしたのか、ぱっと目が輝きだす。
 この男もまた貴族派のひとりであり、空気が読めないことで有名なのは誰もが知っていた。
 そのためすぐに貴族派筆頭であるズロー侯爵が止めに入ろうとする。だが、レーヴ陛下は視線でそれを止めると、貴族派の弱点ともいえる男に「話してみよ」と許可をした。

「なぜ今すぐにベルデ領の浄化を行わないのでしょうか。王子が帝国に来てはやくも2か月が経ちました。しかし浄化どころかベルデ領を離れ、帝都に来てからというもの動きはなし……。本当は浄化などできないのでは?」
 
 はっはっは、と声をあげて笑い、豊かなあごひげを撫でつける姿には、さすがのレーヴ陛下も溜息をつきたくなった。
 しかし呆れられていることにも気づかない男は、これから話すことに自信があるのか、まるで演者のような身振りで話を続ける。

「小耳に挟んだのですが、なにやら王子が呼び寄せた獣人が珍妙な魔法を使用して、ベルデ領のぶ厚い雲を晴らしているらしく。それだけの魔法を使用できるくせに、王子はのうのうと婚約者である大公と帝都で遊んでばかり。仮に魔法が使えるとしても、初めから我々を助けるつもりなどなかったのではないかと思えてしまいますねぇ」
「言いたいことはそれだけか」

 レーヴ陛下は脳内で、男の自慢であるあごひげを鷲掴み、この場から放り出す光景を思い浮かべた。

 さきほどよりも鋭さを増した視線に、さすがの男も気づいたのかどもりながら「はい」と頷く。
 そして、助けを求めるかのようにズロー侯爵へちろり、と視線をなげかけた。
 レーヴ陛下とは違う意味で怒りを感じているらしいズロー侯爵は、口もとに笑みを浮かべたまま視線を流す。男は求めていた擁護を得られず顔を青ざめさせた。

 皇后が呼び寄せた王子がいまだになんの結果も出していないことを詰めれば、敵に赤っ恥をかかせられると思っての発言だったのだろう。
 しかし、浄化をするには瘴気の根源そのものを排除しなければならないこと、その機会がいつ来るかは定かではないことは、事前に獣人国から説明を受けていた。

 そのためにもしばらく様子を見る必要があると判断して、ひとまずは年内いっぱいである半年間を区切りにし、正式に依頼を交わすと宮廷会議で結論を出したのだ。

 居眠りでもしていたのか、そのことをすっかりと忘れている様子の男は、自分の発言がいかに無知であるかを証明していることには気づかない。

「確認するが、今の発言は瘴気の浄化が簡単なことであると考えてのものか?」

 レーヴ陛下に突然話を降られた男は、慌てて居住まいを正した。

「ま、魔法が扱える者であればそれほど難しいことではないのでは? 現にベルデ領に滞在している獣人は、いともあっさりと瘴気による曇天を晴らしたではありませんか」

 だからこそ、浄化をしようとする素振りも見せない王子は怠けていると、男はそう言いたいのだ。

「ならばそなたが浄化をすればいい」
「へっ?」
「魔法が使える者であれば簡単なことなのであろう? そなたも魔法の才があるではないか。ならば今すぐベルデ領に赴き、好きなように浄化をしてくればいい」
「な、なにをおっしゃいますか……確かに私は魔法の才がありますが、浄化に関しての知識はあまりないゆえご期待にそうことは難しいかと」

 レーヴ陛下は思わず微笑を浮かべる。

「ならばこれまでの発言は知識がないにもかかわらず、偏見による憶測を披露したということか」

 話にならない。
 このまま本当につまみ出してしまうか?
 そう思案したとき、これまで沈黙を貫いていたズロー侯爵が口を開いた。

「恐れながら、不安に思う方が居るのももちろんのことかと。しかし、私としましては帝国に来てくれたのがジョシュア王子であったことを、僥倖に思っております」

 レーヴ陛下の肩を持つような言葉に貴族派は動揺を、皇帝派と中立派は疑心を、それぞれの胸に抱く。

「皆さんは、王子を歓迎する舞踏会で、帝国の貴族が許されない無礼を働いた件をお忘れですか? 寛大なことにも処罰をこちらに一任してくださいました。それに話してみればわかりますが、王子は気持ちのよい方ですよ。種族による偏見などなく、城に居る者にも友好的に接している様子をよく見かけます。ジョシュア王子ならば帝国と獣人国を繋ぐ希望になるのではないでしょうか?」

 ズロー侯爵が、はっきりとジョシュア王子を認めた。
 それに対する困惑はあれど、逆らうわけにもいかず、取り繕うかのように貴族派の多くが相槌を打つ。
 さきほどまで攻撃の材料として王子を悪役に仕立てようとした過去は、都合のいい頭から削除しているようだ。

 一方、他種族との交流に前向きな者達からは、朗らかな様子でジョシュア王子の話題があがっていた。
 
「先日最新の治療薬について不明な点があり王子を尋ねたところ、丁寧に説明していただきました。それだけでなく、急なお願いにもかかわらず、実際に治療薬を作成して下さったのですよ。魔法に秀でているとは伺っておりましたが、実際に使用している姿を目にすると、魔法とはこうも素晴らしいものかと見惚れてしまいましたね」

 代々、優秀な治療士を輩出してきた家系の伯爵が話すと、中立派のなかでも堅物として有名な辺境伯が、ボソリと返す。
 
「……俺の娘も王子を見かけて以来、獣人とはあんなにも素敵な殿方ばかりなのかと、なにかと話題にしている。俺としては結婚するのは容姿ではなく強い男が一番だと思うが、王子が呼んだゼロという獅子の特徴を持つ者は、男から見ても立派な体格で……。っ、ま、まあとにかく、ああいった者たちであれは友好関係を築くのも悪くないのかもしれないな」

 娘を大切に思う心からか、どことなく悔しそうな声音ではあるものの、ジョシュアやその側近のことは認めている口ぶりだ。
 それ以外にも、城に勤める子を持つ貴族からも様々な話が持ち上がる。感心する話題から、クスッとしてしまうような楽しい話まで。

 いまだかつてない和やかな空気のまま、会議が進むのかと思った時。

「皆様が王子に対して好感を抱いていることは理解しました。だからこそ気を付けるべきことがあると、私は考えております」

 淡々とした口調でそう言ったのは、レーヴ陛下と年が近い、中立派の子爵だった。
 ズロー侯爵が「なにか思うところが?」と問いかける。
 
「ベルデ大公のことです。王子がそれだけ魅力ある人物であり、今後も帝国で暮らすとなればきっと様々な利益を生み出してくれるでしょう。ですから、不安なのです。大公を支持する者が増えて皇室の権威が揺るがないかと」

 その発言は、まるで勢いよく氷水が降り注いだかのように、その場の空気を一瞬で塗り替えた。

「それは大公に反逆の意思があると言いたいのですかな!?」
「すみません。勘違いしないで頂きたいのですが、僕もそうは考えていません。危惧しているのは、大公にそのような思いがあるかどうかではなく、周りの空気がそういう思想を生み出すのではないかということです。大公は王位継承権を返上して、ベルデ領の当主としてご活躍されておられます。ですが、犯罪者としての前科がないかぎり、帝国では継承権を復権できることは可能です。……もし陛下になにかがあった時、次に帝国を導く方がどなたになるのか。たとえ——庶子であれど先帝の血を受け継ぐ存在であることは、紛れもない事実なのです」

 ざわめきはますます大きくなる。
 さきほどまでの穏やかな空気など幻のようだった。
 子爵は、レーヴ陛下へ顔を向けると深く深く頭を下げた。
 その様子は、まるでこれから発言するすべての罰を受ける覚悟があるとでもいうかのようだった。
 
「陛下、どうか次代の後継者を。揺るぐ隙など与えぬ、眩い光の希望を——」

 その瞬間、レーヴ陛下は理解した。
 ズロー侯爵がなぜ友好的な態度で王子を擁護してくれたのかを。
 すべてはここに行きつくための布石だったのだ。

「頭をあげよ。そなたの思いは理解した」

 子爵の言うことは一理ある。
 庶子と冷遇されようとも腐らず、たった一人であの捨てられた領地を守ってきた大公。
 そして、そんな哀れで心優しい大公の元に現れた、美しく聡明な王子。
 全てが民衆受けしそうな条件だ。
 それに比べて、自分たちの関係にまつわる噂はあまり良いものではない。
 レーヴ陛下に至っては、やや強引に貴族の粛清を行ったことで、血に濡れた冷徹漢とまで言われている。

 たかが好感度にそこまで気を配る必要があるのかと疑問に思う者もいるだろう。
 しかし、民の中で皇室よりも大公と王子の好感が上がることで、この先それが火種にならないとは言い切れない世界なのだ。
 なにより今は、腐りきった宮廷内を掃除している途中で、レーヴ陛下を狙う敵は多い。

 ふとズロー侯爵の姿が視界に入る。
 自分の娘を皇后にしようと執着していた男は、目が合うと気品よく笑みを深めた。
 人の心にうまく入り込む蛇のような男は、若さゆえに危うさを伴う真っすぐな心に、毒牙を突き刺していた。
 自分の手を汚さずに望みを叶えるために。

 もしも、レーヴ陛下が噂通りに血も涙もないのであれば、今ごろ子爵は衛兵に捕らえれ牢で暮らすことになっただろう。
 もしくは「不敬罪」として、首を切られていたかもしれない。

「後継者を望む気持ちは分かった。しかし、側妃を迎えることはない」

 はっきりと断言したレーヴ陛下に、貴族派が食ってかかろうとする。
 しかし、鋭い視線で言葉を封じると、最後に念を押すように告げた。

「そなたらも過去と同じ轍を踏むことは望まないだろう?」

 先々代が引き起こした凄惨な事件。
 多くの側妃たちが繰り広げた苛烈な戦いは、帝国に大きな打撃を与える痛ましい結末を迎えた。
 帝国ではそれ以来、後宮が閉鎖されて皇后のみを迎える形となった。
 おかげでレーヴ陛下も煩わしい側妃問題を躱せていたのだが……

「偉大な決断を下した先帝にならい、私が妻として迎える女性は皇后のみだ」

 自分の娘を側妃にしようと企んでいる者達へ示すための言葉。
 けれど、宣言をしたとき、なんだか胸に違和感を覚えた。
 そして同時に、先日の遠出で見た大公の姿を思い浮かべた。
 好きで好きでたまらないと、そういうかのように王子を見つめる大公の眼差しを。

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