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第6章:触れたくて、すこし怖い
触れたい03
しおりを挟む「……着替えてくる」
「いや、ちょっと待って今のは冗談だってば~」
じとっとした目を向けられて咄嗟に誤魔化す。
スーちゃんは疑うように僕を見て、結局は諦めたのか自身の足元に転がってきた円滑剤を拾い、首を傾げた。
「これは?」
「あ、あああ、飴だよ……!」
「ふっ。やっぱりお腹がすいていたんだな」
いいえ、違います。
そんな慈愛に満ちた笑みを向けられると良心が痛む。
それよりも落ちているものが大人の玩具や道具だと知られたら……
気配を消していたモブ君に助けを求めるが、薄茶の瞳は冷たく「自業自得では?」と言っているようだった。
だが、彼は仕事ができる男なのだ。
「……そろそろお食事が届く時間ですね。お待ちいただくあいだ果実水でもお飲みになられますか? 床に落ちたものはこちらで回収いたしますので、ソファでお待ちくださいませ」
ありがとう、モブ君……!
心の中で手を合わせて、すかさず助け舟に乗る。
無事に道具から意識を逸らすことに成功した僕は、スーちゃんと横並びにソファへと腰かけて思った。
——スーちゃんってもしかして今、ノーパンなのかな、と。
一度気になったら頭から離れない。
それ以外にも「普段は何も着ないで寝る派なのか」、「これからもガウン姿のスーちゃんを前にしてお預けを食らわなきゃいけないのか」とか。
ぐるぐる考えていると、不意に肩を叩かれる。
気づけばテーブルの上には様々な食事がならび、隣では心配そうに僕を見るスーちゃんの姿があった。
「ぼんやりしてどうした? まさか体調が悪いのか?」
「い、いやいや、僕は元気だよ!」
ひきつりそうな口角を無理に押し上げて、「わ~おいしそう」と口にする。
さすがの僕でも分かる。これ以上変なことを聞いたら、次こそスーちゃんが軽蔑の表情で僕を見るだろうってことを。
そうしないためにも、馬鹿なことを口にする前に食事を詰め込んでいく。
どんどん膨らんでいく頬袋が限界に達しそうになると制止がかかった。
「おい、誰も取らないからゆっくり食べろ。……そんなにもお腹がすいていたとは」
「……」
目を瞠るスーちゃんの前で思わず頭を抱えそうになった。
違うんだって……!
お腹が空いているんじゃなくて、緊張しているだけなんだよっ。
色気より食い気と思われているのを心配したから、あんな道具まで持ち出してお色気作戦でも実行しようとしたのに……
やること全てがから回っていて、しょんもりと耳も尻尾も垂れ下がってしまう。
力なく口の中のものをゴクリと飲み込むと、そうっと頬を撫でられた。
「……なに?」
「冗談だ。だから、あまり緊張しないでくれ」
「え?」
スーちゃんの方を向いて、ようやく気づいた。
「……ジョシュアがそうして俺を意識しているのが分かるたびに我慢できなくなる」
「……!」
まなじりがほんのりと赤くなっていることに。
ぴょんっと勢いよく立ち上がった三角耳は、雄弁に僕の心を表していた。
「が、我慢してたの?」
「……しないと思うのか?」
照れ隠しからか、むっと眉頭を寄せてそっぽを向いてしまう。
その瞬間、まるでスーちゃんの熱が交わるように僕まで顔が熱くなってきた。
暴れ出す心臓を落ちつかせたくて、果実酒を注いだグラスを手にするとグイっと一気に飲み干す。
それでも、規則正しく刻まれる秒針の音でさえ、心臓の音に重なって聞こえるようだった。
「あ、あはは! そうだよね、ぼ、僕だって……」
「……ジョシュアの顔も真っ赤だな」
「~っ」
ここでそんなふうに優しく微笑むのはずるい。
そりゃあ真っ赤にもなるさ。僕がどんなにスーちゃんを好きか。
そんな人と初めて夜を過ごすんだ、平常心で居られるわけがない。
「僕ばっかり見てないで、スーちゃんも食べなよ! あ、これも美味しかったから飲んでみて」
緊張で満たされた、甘酸っぱい空気に耐えきれなくて話を逸らしてしまう。
なのに心地良さも感じていて、不思議な感覚だった。
そうして何度かスーちゃんの空いたグラスに果実酒を注ぎ終えた頃、違和感に気づいた。
「スーちゃん?」
ふと力が抜けたように下を向いたのだ。
僕とは厚みが違う肩を叩くと、今度は顔を上げるなりふわりと笑いだす。
「ジョシュア」
「えっ」
そして、伸びてきた両腕に抱きしめられて、胸板に顔をぎゅうぎゅうと押し付けられる。
幸せな圧迫だけど、このままでは窒息死だ……!
ジタバタともがいてなんとか顔をあげることに成功した僕は、水あめのようにとろんと瞳がとろけているスーちゃんを見て呟いた。
「まさか……酔ってる?」
う、嘘だろ……!
たかが果実酒を2,3杯飲んだだけなのに? そもそもアルコール度数だって限りなく低いのに。
前世の記憶にある、カシスオレンジ1杯で「酔っちゃった~」と言っていた、あざと女子よりも弱いだなんて……
天然あざと男子、なんて恐ろしい子なのか!
「スーちゃんってば、お酒が激弱だったんだね」
これまで彼が飲んでいるところを見たことがないと思っていたら、そういうことだったのか。
水を取ってこようと「ちょっと待っててね」と告げて立ち上がった。
しかし、服の裾を引っ張られて、グンっとつんのめりそうになる。
あ、危ない……転ぶところだった。
「ちょっとスーちゃん! そんなに強く引っ張ったら……」
文句を言いかけながら後ろを振り返り言葉を失った。
「どこにいくんだ……?」
「——!?」
天使が僕を見上げていたんだ。
うるうると熱っぽい瞳を悲し気に垂らして、スーちゃんが「どこにも行くな」と僕の腰に腕を回す。
まるで捨てられた子犬のような、破壊的な可愛さに衝撃を受けて意味もなく口を開閉してばかり。
引き寄せられるままスーちゃんのひざ上に向かい合う形で座ると、嬉しそうに笑いかけられた。
「ジョシュア、好きだ」
「~~~っ」
続けてそんなことを言いながら、ぐりぐりと肩口に額を押し付けてくる。
僕は人生で初めて「IQ3」になる、というのを体感した。
もうすべてがどうでもいい。この可愛い生き物にすりすりされながら「好きだ」と言われる時間を、永遠に続かせるにはどうしたらいいのだろうか。
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