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第5章:龍の花嫁
近衛騎士団の膿01
しおりを挟む太陽が天上に登り、キラキラと輝かしい陽が降り注ぐ。
そんな清々しい昼下がり。
僕は滞在している宮にあるサロンで、セラジェルと香茶を飲んでいた。
「えへへ……。へへ、ひひ、ひひひ」
「不気味な声を出すな。やめてくれ」
「ええ~、なにが!?」
「しかもウザすぎる」
「おー! うざいって言葉を上手く使えてるね~!」
この世界に「ウザイ」という発音で、嫌悪感を示す軽い言葉は存在しない。
僕がたまーに前世の癖で「うわ、うざすぎるな~」なんて言葉を吐いていたのを、セラジェルが見逃さずに、意味を聞いてきたことがあった。
その時に俗語の類で、造語みたいなものだと教えたのだ。
「ふふん! なんせ僕は博識だからね」
褒められたことで、セラジェルが薄い胸を張る。
妖精族のため実年齢は僕よりもかなり上だろう。
だというのに、どこから見てもまだまだ幼い男の子で、今日も可愛いとしか感想が出ない。
「うんうんすごいねぇ。それよりさぁ、スーちゃんがね?」
「もう結構だよ。この二日間、大公の話ばかりで胃がムカムカしてきたところだ」
「……胃がムカムカ? もしかしてスーちゃんのかっこいかわいい話を聞いて恋煩いを……?」
「いい加減にしたまえ! 侍従君。こいつをしばらく悟りの部屋にでも入れて置かないか!?」
「それはいいご提案でございますね」
「そうだろう!」
モブ君が僕のカップに香茶を注ぎ足しながら頷く。
頭をぐしゃっと掻き回したセラジェルは、ここ二日で最も晴れやかな顔をしていた。
そんな二人が僕を同時に見てきて、思わずへへへっと笑ってしまう。
「駄目だこれは……。もうなにを言っても、今の彼は脳内にお花が咲き乱れていて、手のつけようがないよ」
「諦めてくださいませセラジェル様。恋愛とはそういうものです。ましてやお付き合いを始めた頃など、浮き足たつのも仕方のないことでしょう」
「そうか……そういうものなのか……」
二人が僕を観察しながら何かを言っている。
けれど僕は、相も変わらずニコニコと笑い返すばかり。今ならどんな悪口を言われても、笑って抱きしめることさえ出来そうだ。
テーブルに両肘をついて、手のひらに顎を乗せながら鼻歌をうたう。
すると、モブくんがすかさず「お行儀が悪い」と、言いたげに視線をよこした。
けれどしばらくは許して欲しい。なんせ、常に心が踊るように幸せでどうしようもないのだ。
舞踏会の事件から三日が経ち、そろそろ心も落ち着くだろうと思っていたが、そんな気配は全くない。
朝から晩までスーちゃんのことばかりが頭を埋めつくすし、僕だけじゃなくてスーちゃんもとても優しいから拍車をかけるのだ。
今日はこの後、面倒な話し合いがある。
まあ、スーちゃんに参加を頼まれたので、何があろうとも這ってでも出席するつもりではあるが。
脳裏に「ジョシュア」と僕を呼ぶスーちゃんが浮かび、たまらず叫び出したくなる。
バタバタと足を揺らしながら手で顔を覆うと、目前から二つの大きなため息が聞こえた。
「王子」
「ふふふっ、ついに幻聴まで聞こえてきた」
「……?」
脳内に響く声と重なるように「王子」と右側から聞こえる。
上機嫌な尻尾が左右に揺れるなか、セラジェルが遠い目をして言った。
「ちがうぞ、ジョシュア。キミのお迎えがきてくれたんだ」
「えっ」
「王子?」
再び右側から「王子」と声が聞こえて顔をあげる。
すると、なんということでしょう……。
陽の光に照らされた、眩いほどの美男子が、そこに居たのです。
不思議そうに瞬く紫の瞳に、長いまつ毛が影をさし色気が漂う。
なにより、群青色の服に包まれた、厚い胸板に、がっしりとした体躯は、繊細な美貌とは対照的な、獣じみた男らしさがあり……。
「王子、大丈夫か?」
「ダイジョウブデス」
「もしや熱か!?」
思わず声がひっくりかえってカタコトになると、スーちゃんが目を見開き、おでこを合わせてくる。
咄嗟に起きたご褒美に、僕は音もなく喉の奥で叫び声をあげた。
「……熱はないようだが」
心配そうに眉を寄せて、スーちゃんがぽつりと零す。
はい、これは熱ではないです。
スーちゃんを見ると体温が上昇して、まともに目が見れないだけで、決して熱ではないです。
と、コクコクと頷きながら、胸中で説明する。
しばらくして心拍が落ち着くと、僕はボソッと言った。
「だ、だいじょうぶ。それより、話し合いにいこう……」
「だが、元気もないようだが」
いや、それは、と説明しようとした時。
セラジェルが荒んだ声を発した。
「違うよ、彼はね。大公が好きすぎて緊張しているんだ。朝から晩までキミの話を聞かされている僕とこの侍従君は、立派な被害者だよ。分かったのなら、さっさとジョシュアを連れて出て行ってくれたまえ」
「……緊張?」
セラジェルの説明にまたもやスーちゃんが目を見張る。
だが、次の瞬間には砂糖をまぶした菓子のように、甘い表情を浮かべて、僕の顔を覗き込んだ。
「緊張しているのか?」
「~っ!」
「……ああ、本当のようだな。目尻が赤くなっている」
スーちゃんはそう言って笑い、羽のように優しく僕の眦から頬へと、指先を流す。
「だが安心してくれ。私も同じように緊張している」
そうして最後には、面映ゆい表情で、見ているこちらが愛おしくて堪らないと、思わせるような笑みを浮かべた。
「グハッ」
天使の微笑みにより、無事に撃沈した僕が動けるようになるのは、それからもう暫くしてからだった。
「それでスーちゃん、話し合いってどのくらいかかるの?」
「なんだ、まだ始まってもいないのに飽きているのか?」
「だってつまらない時間になりそうだし」
話し合いの場が設けられるのは、皇帝や大臣たちが主に政を行う宮殿だ。
僕たちに貸し出されている、賓客用の宮からはかなり遠く、馬車で移動してきただけでも既に飽き飽きとしていた。
元々、形式ばった行事が好きなのは人間くらいだろう。
獣人も妖精族も能力社会だ。
僕の国も王侯貴族は居るが、それは民を纏める統率者という意味合いで存在している。
人間のように、階級に縛られ、凝り固まった縦社会はない。
なにより、敬うために礼儀があるとするならば、どんなに飾ったところで、慇懃無礼なのであれば意味は無いわけで。
人間の国がめんどうなのは、たいした能力もないくせに、階級や出自だけで偉そうにしている奴が多いから。
これから行われる話し合いは、先日の不始末についてだ。
ようは、舞踏会の最中に襲われた僕の件について、警備を担当していた近衛や、国の代表である両陛下へ責任を問うのである。
用意されているであろう、長ったらしい言い訳や屁理屈を、想像しただけで辟易した。
「そう嫌そうな顔をするな。お前を呼んだのにはわけがあるのだし」
「わけ?」
スーちゃんが唇に酷薄な笑みをのせる。
突然の悪役さながらの姿に胸がときめいた。
「まあ、大層な理由ではない。ただ、お前の話をするのだから、その場に居た方が意見を言いやすいだろうかと思ったんだ」
「んー、でもねえ」
僕があんまり口出すと、スーちゃんに迷惑がかかる。
だから今日もお利口さんのふりをして、座っているだけになりそうだ。
だが、
「それから我慢するな。俺のために我慢をしなくていい」
まるで心を読んだかのように、スーちゃんは言った。
「いつものジョシュアらしく、言いたいことは言えばいい。好き勝手に動いてもきちんと尻拭いはしてやる」
「なんだよ尻拭いって! 僕は好き勝手したら、自分で解決します~」
「そうか」
クスクスと楽しそうに笑い、宥めるように頭を撫でてくる。
ありのままでいいのだと、取り繕う必要はないと、そう言われた気がして、僕はこの後の話し合いにたいして、俄然やる気になってしまった。
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