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三章
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しおりを挟むそれに気づくと、なんだか心がくすぐったくて、アダムは誤魔化すように今日あったことをポツリと話した。
カルルとのこと、先輩とのこと、けれど料理長がカルルのために動いていてくれたこと。
全てを話し終える頃には、イサクの眉間にはなぜか皺がよっていた。
「……あの、なんか不愉快でした?」
「不愉快ではない。だがお前はとことんお人好しなのか? それとも本当にバカなのか」
「どこでそう思ったんです?!」
「はあ。いいか、お前は被害者だったんだぞ。なのに、辛気臭い顔をしていた理由が、その子供のことを考えていたからだなんて……やはりお人好しでありバカなのだな」
「バカバカ言わないでくださいっ。それを言うなら貴方は大人のくせに中身はガキじゃないですか!」
アダムの指摘をイサクは鼻で笑いとばす。
「俺がガキならば、お前は赤ちゃんか?」
「っ!」
「裸を見たぐらいであんなにも騒いでいたのを忘れたか?」
「~っ、な、それは!」
過去の一部を思い返して、みるみるうちに顔が熱くなる。あわあわと噛み付くように口を開くが、イサクの方が一歩早かった。
「お前はいつも他人のことばかりだな。人の痛みは見えるが、自分の痛みには無頓着だ」
「……自分の痛み?」
「それとも知らないふりをしたいだけなのか?」
「何を言ってるんですか」
「だってお前、あの時酷く苦しそうだったじゃないか。それは傷ついたということではないのか? その気持ちは簡単に癒えるものなのか?」
「……」
まっすぐに投げかけられた言葉にアダムは口を噤んだ。
「子供の置かれた状況を不安に思うのも分かる。だがお前も傷ついたのだろう? 俺は、お前はどうなのかと聞いたんだ。子供のことを聞いたわけじゃない」
「別に、平気ですよ。このぐらい。昔に比べたら」
「……昔に比べなければ平気ではないということだろう、それは」
「っ!」
ズキズキと心臓が痛くなる。
イサクの指摘は、アダムが押し込めていた感情を思い起こさせるものだった。
あの時のヒソヒソと交わされる、自分に対するマイナスな思いが蘇る。
息を殺すようにして、仕事だけに打ち込んで、自分の居場所はどこなのかと、大きくなる不安。
けれど、そうやって何も無いふりをして生活を送るのは、自分だけではないのだ。
「……噂をされて、裏で何かを言われて、でも、何も無い振りをするのが大人でしょう。そうやって、周囲とあわせて、波風たてたくないからなかったことにして。そうやって慣れていかないと、やっていけないじゃないですか」
「……」
「そりゃあ、嫌でしたよ。噂をしているくせに、何事もなかったみたいに話しかけられて。それでまた、俺が居ないところでは好き勝手に面白おかしく話される。……すごくすごく嫌でした。でも、そういうのは皆がそれぞれ抱えていて、黙っているんです。……宰相様みたいに、好き勝手言う人ばかりじゃありません」
これでは完全なる八つ当たりだ。
本当に言ってやりたい相手はイサクではなく、彼等なのに。
押し込めていたものが一つこぼれると、追いかけるように、いくつもの感情までもがこぼれ出す。
「それが本音なのだろう? お前の心の内なのだろう?」
「……そうですよ。でも、そんなこと言ってなにになるんですか」
「おかしなことを言うな。お前が俺に教えた心を砕き、言葉を使って、慰めるというのはこういうことではないのか?」
「え……」
「……悪いと思っている。お前を追い詰めた原因は俺にもあるからな」
「気にしてたんですか?」
ぽかりと口が空く。おかしなものでも見るかのように、イサクを見れば、気まずそうに尻尾がソファを叩いた。
「…………思わないのならそもそも聞かない」
「……ほんとう、変な人ですよね貴方」
「うるさいぞ」
自分を慰めたくて、教わったばかりの行為をしたと告げる相手を、愛おしいと思ってしまう。
「……お前はすぐにあーだこーだと考えて、辛気臭い顔で笑うからわかりやすいんだ。その顔を見ていると腹の奥がムカムカする。これからもそれが続くことを考えれば、手っ取り早く聞いてやらないこともない」
「それって、なにかあったなら俺に相談しろって意味ですか」
「そこまでは言っていない。仕方ないから、聞いてやると言っているんだ」
「同じじゃないですか」
「……」
イサクという男は不思議だ。
人の心に鈍感で機微に疎いかと思えば、驚くほど強烈な言葉で真意をつく。
あまりにもまっすぐで、言葉に嘘がないから、受け取った方が衝撃や時には痛みさえ感じるけれども。
今は少しだけ、イサクが不器用なだけだと分かるから。
「さっき、俺、一つだけ貴方に教えなかったことがあるんです」
「なんだ?」
「誰かを慰めたい、守りたい、癒したい。そんな時、こうすることもあるんですよ」
アダムはそう言って立ち上がると、イサクを抱きしめた。
座ったままのイサクの頭がお腹に触れる。
そっと背中に伸ばした腕で、ぽんぽんと優しく叩きながら、笑みをもらした。
「こうやって抱きしめて慰めることもあるんですよ」
「……」
「まあでもこれは、お互いに信頼関係があるからこそできることだと思うんですけどね」
言葉では照れくさくて言えないけれど、いつもいつも、ここぞと言う時に助けてくれてありがとう。
そんな感謝が伝わればいいなあ。アダムは心の中で呟くと、惚けているイサクに再び笑いかけた。
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