愛したいと獣がなくとき。

あじ/Jio

文字の大きさ
上 下
54 / 56
三章

33

しおりを挟む
 

 それに気づくと、なんだか心がくすぐったくて、アダムは誤魔化すように今日あったことをポツリと話した。
 カルルとのこと、先輩とのこと、けれど料理長がカルルのために動いていてくれたこと。
 全てを話し終える頃には、イサクの眉間にはなぜか皺がよっていた。

「……あの、なんか不愉快でした?」
「不愉快ではない。だがお前はとことんお人好しなのか? それとも本当にバカなのか」
「どこでそう思ったんです?!」
「はあ。いいか、お前は被害者だったんだぞ。なのに、辛気臭い顔をしていた理由が、その子供のことを考えていたからだなんて……やはりお人好しでありバカなのだな」
「バカバカ言わないでくださいっ。それを言うなら貴方は大人のくせに中身はガキじゃないですか!」

 アダムの指摘をイサクは鼻で笑いとばす。

「俺がガキならば、お前は赤ちゃんか?」
「っ!」
「裸を見たぐらいであんなにも騒いでいたのを忘れたか?」
「~っ、な、それは!」

 過去の一部を思い返して、みるみるうちに顔が熱くなる。あわあわと噛み付くように口を開くが、イサクの方が一歩早かった。

「お前はいつも他人のことばかりだな。人の痛みは見えるが、自分の痛みには無頓着だ」
「……自分の痛み?」
「それとも知らないふりをしたいだけなのか?」
「何を言ってるんですか」
「だってお前、あの時酷く苦しそうだったじゃないか。それは傷ついたということではないのか? その気持ちは簡単に癒えるものなのか?」
「……」

 まっすぐに投げかけられた言葉にアダムは口を噤んだ。

「子供の置かれた状況を不安に思うのも分かる。だがお前も傷ついたのだろう? 俺は、お前はどうなのかと聞いたんだ。子供のことを聞いたわけじゃない」
「別に、平気ですよ。このぐらい。昔に比べたら」
「……昔に比べなければ平気ではないということだろう、それは」
「っ!」

 ズキズキと心臓が痛くなる。
 イサクの指摘は、アダムが押し込めていた感情を思い起こさせるものだった。
 あの時のヒソヒソと交わされる、自分に対するマイナスな思いが蘇る。
 息を殺すようにして、仕事だけに打ち込んで、自分の居場所はどこなのかと、大きくなる不安。
 けれど、そうやって何も無いふりをして生活を送るのは、自分だけではないのだ。

「……噂をされて、裏で何かを言われて、でも、何も無い振りをするのが大人でしょう。そうやって、周囲とあわせて、波風たてたくないからなかったことにして。そうやって慣れていかないと、やっていけないじゃないですか」
「……」
「そりゃあ、嫌でしたよ。噂をしているくせに、何事もなかったみたいに話しかけられて。それでまた、俺が居ないところでは好き勝手に面白おかしく話される。……すごくすごく嫌でした。でも、そういうのは皆がそれぞれ抱えていて、黙っているんです。……宰相様みたいに、好き勝手言う人ばかりじゃありません」

 これでは完全なる八つ当たりだ。
 本当に言ってやりたい相手はイサクではなく、彼等なのに。
 押し込めていたものが一つこぼれると、追いかけるように、いくつもの感情までもがこぼれ出す。

「それが本音なのだろう? お前の心の内なのだろう?」
「……そうですよ。でも、そんなこと言ってなにになるんですか」
「おかしなことを言うな。お前が俺に教えた心を砕き、言葉を使って、慰めるというのはこういうことではないのか?」
「え……」
「……悪いと思っている。お前を追い詰めた原因は俺にもあるからな」
「気にしてたんですか?」

 ぽかりと口が空く。おかしなものでも見るかのように、イサクを見れば、気まずそうに尻尾がソファを叩いた。

「…………思わないのならそもそも聞かない」
「……ほんとう、変な人ですよね貴方」
「うるさいぞ」

 自分を慰めたくて、教わったばかりの行為をしたと告げる相手を、愛おしいと思ってしまう。

「……お前はすぐにあーだこーだと考えて、辛気臭い顔で笑うからわかりやすいんだ。その顔を見ていると腹の奥がムカムカする。これからもそれが続くことを考えれば、手っ取り早く聞いてやらないこともない」
「それって、なにかあったなら俺に相談しろって意味ですか」
「そこまでは言っていない。仕方ないから、聞いてやると言っているんだ」
「同じじゃないですか」
「……」

 イサクという男は不思議だ。
 人の心に鈍感で機微に疎いかと思えば、驚くほど強烈な言葉で真意をつく。
 あまりにもまっすぐで、言葉に嘘がないから、受け取った方が衝撃や時には痛みさえ感じるけれども。
 今は少しだけ、イサクが不器用なだけだと分かるから。

「さっき、俺、一つだけ貴方に教えなかったことがあるんです」
「なんだ?」
「誰かを慰めたい、守りたい、癒したい。そんな時、こうすることもあるんですよ」

 アダムはそう言って立ち上がると、イサクを抱きしめた。
 座ったままのイサクの頭がお腹に触れる。
 そっと背中に伸ばした腕で、ぽんぽんと優しく叩きながら、笑みをもらした。

「こうやって抱きしめて慰めることもあるんですよ」
「……」
「まあでもこれは、お互いに信頼関係があるからこそできることだと思うんですけどね」

 言葉では照れくさくて言えないけれど、いつもいつも、ここぞと言う時に助けてくれてありがとう。
 そんな感謝が伝わればいいなあ。アダムは心の中で呟くと、惚けているイサクに再び笑いかけた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

捨てられオメガの幸せは

ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。 幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

元ベータ後天性オメガ

桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。 ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。 主人公(受) 17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。 ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。 藤宮春樹(ふじみやはるき) 友人兼ライバル(攻) 金髪イケメン身長182cm ベータを偽っているアルファ 名前決まりました(1月26日) 決まるまではナナシくん‥。 大上礼央(おおかみれお) 名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥ ⭐︎コメント受付中 前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。 宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

嫌われ者の僕が学園を去る話

おこげ茶
BL
嫌われ者の男の子が学園を去って生活していく話です。 一旦ものすごく不幸にしたかったのですがあんまなってないかもです…。 最終的にはハピエンの予定です。 Rは書けるかわからなくて入れるか迷っているので今のところなしにしておきます。 ↓↓↓ 微妙なやつのタイトルに※つけておくので苦手な方は自衛お願いします。 設定ガバガバです。なんでも許せる方向け。 不定期更新です。(目標週1) 勝手もわかっていない超初心者が書いた拙い文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。 誤字などがありましたらふわふわ言葉で教えて欲しいです。爆速で修正します。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...