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三章

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「ごめんね。カルル君の事情は料理長から少しだけ聞いたよ。どうしようもなかったって俺にも分かる。だからもう気にしないでくれ」
「そ、そんなっ、ならせめてこれだけは受け取ってください……っ!」
「これって」

 カルルは慌てて鞄から取り出した袋を、アダムに押付けた。
 手のひらに触れたずっしりとした重みや、中身が擦れ合い生まれた音。
 それがなんなのか、見なくたって分かる。

「どうか、そのお金だけでも受け取ってください! 僕がしたことは貴方達の命だって奪いかねないことでした! それに──」
「カルル君」

 上気した頬、ぱちぱちと早まる瞬き。
 今にも折れてしまいそうな薄い体は、どう見ても満足な食事さえとれていないのだと察するに容易い。
 これは、まだ12歳の少年が、必死に重労働をして得たお金なのだ。
 懸命に自らの罪と向き合った結果だからこそ、受け取ることはできなかった。

「受け取れないよ」
「す、少ないですかっ? 今すぐには無理でも、来月には!」
「カルル君、聞いて」
「~っ」

 なぜ、彼が危険を省みずに門番に噛み付いたのかが分かり、アダムはどうしようもない切なさに眉を下げる。
 そして、彼を子供としてではなく、けじめをつけにきた一人の男として向き合った。

「今の君からはもらえない」
「でも」
「あのね、俺がもしサミーのために誰かの宝を盗んで来いって言われたら、きっと同じように罪を犯すよ」

 もしも、本当にどうしようもなくて、サミーの命を守らなければならないとき。
 アダムはきっと犯罪とわかっていてもいとわないだろう。そんなものは決して美談でもないと分かっている。
 けれど、きっと、罪だと知っていても、振り切れない時があるということを、アダムは誰よりも痛感していた。
 だからこそ、

「はっきり言うと、最初は俺の物を盗んだ奴を見つけたら絶対に許さないとか思ってた。でも、今は違う。俺はこうして生きてるしね」

 一度、胸を張ってそう言うと、アダムは続ける。

「何より君がこうしてけじめをつけに来たから俺も正直に言うよ。本当に償いに来たのなら、こんなどう見ても心配な状態で来ないでほしい」
「すみ、ません……」
「……。だから、ちゃんと自分のことは大丈夫だって、俺の目を見てハッキリと言えるようになったら、そうしたらまた顔を見せてよ」
「──!」

 カルルが弾かれたように顔を上げる。
 薄水色の瞳が、今にも溶けてしまいそうなほど、潤んでいった。

「ね。ちゃんとご飯食べて、体に負担のないお仕事をして。それでしっかりと自分の人生を生きて。オメガだとかベータだとか、そういうものに囚われないで。カルルはカルルだ。俺ももう囚われるのはやめて頑張ってみようと思うからさ」
「あ、っあ、アダムさ、んっ」
「わー。すごい鼻水だねぇ。よしよし、よく頑張ったよ」

 噛み締められた唇に、カルルの意地を感じた。
 きっと、ここに来るのは怖かっただろう。慣れない力仕事は苦しくて何度も辞めたかっただろう。
 そんななか、勇気をだして、必死に頑張ってきたものを彼は差し出してくれた。
 12歳の子供ではなく、彼はもう立派な一人の男として、責任を果たしにきたのだ。

「これから行くあてはあるの?」
「は、はい。実は……料理長が僕の雇い主に再就職先を斡旋してくださって」
「本当に? なら安心だ。料理長の紹介ならカルル君もきっと気に入る場所だろうね」
「……本当にありがとうございます。アダムさんも、料理長も。……だから僕、お二人に会わないとって。会ってちゃんと許可を得ないと」
「許可って大袈裟だなあ。いいんだよ。自分のために幸せになる選択をして。君はまだまだこれからなんだから」

 カルルの言葉を遮り、アダムは快活に笑った。
 わだかまった心の重荷はできる限り、ここに置いていって欲しかったのだ。

「ぼく、ずっと体が小さかったんです。だから皆がオメガだろうって信じていて……喜んでいて……。でも、どんどん体が大きくなって、顔立ちもオメガの方のように華やかさも愛らしさもなくなって。ベータだと分かった時の、皆の落胆した顔が忘れられませんでした。……でも、僕! アダムさんにまた会いに来るためにも、自分は自分だと、言いきれるように強くなります!」
「うん、待ってるよ。今度はもっと元気なカルルの笑顔を見せてね」

 カルルの吐露した過去は、再びアダムと重なり合う部分があった。
 アダムは反対にベータだと思っていたのに、オメガだと分かり、両親にさえ打ち明けられなかった過去がある。
 だから、サミーを連れて逃げた時も、両親には頼れなかった。
 追っ手が両親やその周囲に居る誰かを傷つけないとも限らなかったし、何より…──

「俺も落胆した顔を見たくなかったんだよなあ」

 アダムはポツリと零す。
 遠ざかるカルルの背中を見送りながら、未だに抜けない棘のように。
 小さく、けれどもはっきりと分かる胸の痛みが、両親への愛を目覚めさせた。
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