52 / 56
三章
31
しおりを挟む「ごめんね。カルル君の事情は料理長から少しだけ聞いたよ。どうしようもなかったって俺にも分かる。だからもう気にしないでくれ」
「そ、そんなっ、ならせめてこれだけは受け取ってください……っ!」
「これって」
カルルは慌てて鞄から取り出した袋を、アダムに押付けた。
手のひらに触れたずっしりとした重みや、中身が擦れ合い生まれた音。
それがなんなのか、見なくたって分かる。
「どうか、そのお金だけでも受け取ってください! 僕がしたことは貴方達の命だって奪いかねないことでした! それに──」
「カルル君」
上気した頬、ぱちぱちと早まる瞬き。
今にも折れてしまいそうな薄い体は、どう見ても満足な食事さえとれていないのだと察するに容易い。
これは、まだ12歳の少年が、必死に重労働をして得たお金なのだ。
懸命に自らの罪と向き合った結果だからこそ、受け取ることはできなかった。
「受け取れないよ」
「す、少ないですかっ? 今すぐには無理でも、来月には!」
「カルル君、聞いて」
「~っ」
なぜ、彼が危険を省みずに門番に噛み付いたのかが分かり、アダムはどうしようもない切なさに眉を下げる。
そして、彼を子供としてではなく、けじめをつけにきた一人の男として向き合った。
「今の君からはもらえない」
「でも」
「あのね、俺がもしサミーのために誰かの宝を盗んで来いって言われたら、きっと同じように罪を犯すよ」
もしも、本当にどうしようもなくて、サミーの命を守らなければならないとき。
アダムはきっと犯罪とわかっていてもいとわないだろう。そんなものは決して美談でもないと分かっている。
けれど、きっと、罪だと知っていても、振り切れない時があるということを、アダムは誰よりも痛感していた。
だからこそ、
「はっきり言うと、最初は俺の物を盗んだ奴を見つけたら絶対に許さないとか思ってた。でも、今は違う。俺はこうして生きてるしね」
一度、胸を張ってそう言うと、アダムは続ける。
「何より君がこうしてけじめをつけに来たから俺も正直に言うよ。本当に償いに来たのなら、こんなどう見ても心配な状態で来ないでほしい」
「すみ、ません……」
「……。だから、ちゃんと自分のことは大丈夫だって、俺の目を見てハッキリと言えるようになったら、そうしたらまた顔を見せてよ」
「──!」
カルルが弾かれたように顔を上げる。
薄水色の瞳が、今にも溶けてしまいそうなほど、潤んでいった。
「ね。ちゃんとご飯食べて、体に負担のないお仕事をして。それでしっかりと自分の人生を生きて。オメガだとかベータだとか、そういうものに囚われないで。カルルはカルルだ。俺ももう囚われるのはやめて頑張ってみようと思うからさ」
「あ、っあ、アダムさ、んっ」
「わー。すごい鼻水だねぇ。よしよし、よく頑張ったよ」
噛み締められた唇に、カルルの意地を感じた。
きっと、ここに来るのは怖かっただろう。慣れない力仕事は苦しくて何度も辞めたかっただろう。
そんななか、勇気をだして、必死に頑張ってきたものを彼は差し出してくれた。
12歳の子供ではなく、彼はもう立派な一人の男として、責任を果たしにきたのだ。
「これから行くあてはあるの?」
「は、はい。実は……料理長が僕の雇い主に再就職先を斡旋してくださって」
「本当に? なら安心だ。料理長の紹介ならカルル君もきっと気に入る場所だろうね」
「……本当にありがとうございます。アダムさんも、料理長も。……だから僕、お二人に会わないとって。会ってちゃんと許可を得ないと」
「許可って大袈裟だなあ。いいんだよ。自分のために幸せになる選択をして。君はまだまだこれからなんだから」
カルルの言葉を遮り、アダムは快活に笑った。
わだかまった心の重荷はできる限り、ここに置いていって欲しかったのだ。
「ぼく、ずっと体が小さかったんです。だから皆がオメガだろうって信じていて……喜んでいて……。でも、どんどん体が大きくなって、顔立ちもオメガの方のように華やかさも愛らしさもなくなって。ベータだと分かった時の、皆の落胆した顔が忘れられませんでした。……でも、僕! アダムさんにまた会いに来るためにも、自分は自分だと、言いきれるように強くなります!」
「うん、待ってるよ。今度はもっと元気なカルルの笑顔を見せてね」
カルルの吐露した過去は、再びアダムと重なり合う部分があった。
アダムは反対にベータだと思っていたのに、オメガだと分かり、両親にさえ打ち明けられなかった過去がある。
だから、サミーを連れて逃げた時も、両親には頼れなかった。
追っ手が両親やその周囲に居る誰かを傷つけないとも限らなかったし、何より…──
「俺も落胆した顔を見たくなかったんだよなあ」
アダムはポツリと零す。
遠ざかるカルルの背中を見送りながら、未だに抜けない棘のように。
小さく、けれどもはっきりと分かる胸の痛みが、両親への愛を目覚めさせた。
6
お気に入りに追加
1,027
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れているのを見たニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆明けましておめでとうございます。昨年度は色々ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。あまりめでたくない暗い話を書いていますがそのうち明るくなる予定です。
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる