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三章
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しおりを挟むアダムは頭を切り替えると、凛と背筋を伸ばした。宰相をまっすぐに見つめて深く頭を下げて感謝を告げる。
「宰相様。ここまでして頂いて本当にありがとうございます。ヒートも終わりましたし、もう大丈夫です。なので、私のことは気にしないでお仕事に戻って下さい」
忙しい合間を縫って彼がそばに居てくれたことを知っている。浅い眠りを繰り返し、目を覚ますたび、すぐ隣で何やら難しそうな書類に目を通す姿を見た。
そばを離れなかったのは、万が一でも再びヒートを起こした時のためだ。
言葉にしないから見えにくい不器用な優しさ。彼はあの丁寧で素直な言葉を綴った男なのだと、今なら信じられる。
過去に投げつけてしまった数々の心無い言葉が心に降ってきた。罪悪感を抱くのはこちらだ。そう思案していると、全くもって想像していなかったことを言われて瞬く。
「宰相様は堅苦しい。今さら畏まられても薄ら寒いだけだ。名前で呼べ」
「は、はあ……いや、でも」
「……まさか」
くいっと綺麗な細い眉が片側だけ上がった。
「俺の名前を知らないのか」
「……」
きょどきょどと、アダムは居心地の悪さに、視線をさ迷わせる。
「す、すみませんっ。私にとっては一生かかわり合いのない遠い方だと思っていたので……」
素直に謝罪すると、宰相は気を持ち直すように、ゆるりと首を振るう。
「別に構わない。確かにお前は来たばかりだしな。陛下の名前さえ危ういんじゃないか」
「あっ、知ってます。テオドール様ですよね?」
「……」
思わず即答すると、宰相の意識がどこか遠くへ飛んでいったような気がした。何かしでかしたかと身構える。ふと視線がしっぽに向いた。床につくほど垂れ下がっていてしょんぼりしているのだ。
「……そうか。陛下のは知っているのか。なのに俺のは知らないか」
「あの、その。さすがに国を統べる方ですし」
「俺は国を動かしているが?」
「そ、そうですよね!」
恨みがましく見られてアダムは慌てて苦笑いを浮かべた。
「イサクだ」
「はい。イサク様」
「様は要らない」
「……そういうわけにはいきませんよ」
「……そうだな」
おかしな会話だ。そして、なんだか不思議な空気だった。
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