愛したいと獣がなくとき。

あじ/Jio

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一章

09

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「早かったな」
「ええ、まあ」

 振り返った宰相の言葉に、歯切れ悪く頷く。
 そのままテーブルを挟んで反対側の椅子に腰掛けようとしたとき、またしても宰相がやらかした。

「茶は?」
「……」
「喉が潤せるならなんでもいい」

 頭の奥がふつふつと煮える。ぷつん、と再び何かが切れる音がする。「いい加減にしろ」と言いたくなるのを抑えて、アダムは慣れたように作り笑いを浮かべる。
 そして香茶の用意をした。しっかりと菓子もつける。朝だからさっぱりとしたものがいいだろうか。
 戸棚を漁り、先日作った乾かした果物を器に盛る。これならば、すっきりとした香茶にも合うに違いない。
 そして宰相の元に戻ると香茶と果物を振る舞い、今度は対面の椅子に座ることができた。
 納得したように頷いていたが、殺意しか湧かない。狼の頃は可愛かったのに。
 と思い頭を抱えたくなる。そうだった、元はと言えば、自分が悪かったのだと。

「……宰相様。知らなかったとはいえ、数々の無礼を働いてしまい申し訳ございません」

 アダムは背筋を伸ばして謝罪する。
 まさか宰相が狼になるなど知らなかった。

 ──呪われた宰相様が魔の姿で現れるとき、決して目を合わせてはならない。

 魔の姿が狼の魔獣だと誰が想像できるのか。いや、城の者やこの国に住む者にとっては、当たり前のこと過ぎたのだろう。
 だが、帝国に着て三ヶ月。城で働くようになってからはまだひと月のアダムにとっては、知らないことが多すぎる。
 そうでなくても、覚えなければならない国によるルールや振る舞いがあるのだから。
 断罪される時を待つ罪人のような気持ちで、宰相の言葉を待つ。
 だが、謝罪するアダムにかけられた言葉は意外にも軽い返事だった。

「構わん。頭をあげろ」
「ですが」
「まあ。確かに、あれだけ噂されていたんだ。狼が俺だと気づいていないとは思わなかったがな」

 宰相は淡々と喋る。

「お前が嘘をついていないことは、先程の醜態を見れば分かる。だから気にするな」

 醜態といわれて顔が熱くなる。が、罪に問うことは無いと言われて、羞恥より安堵の気持ちが勝った。
 色々とアルファらしく傍若無人で、迷惑な男だが、根は悪くないのかもしれない。
 アダムの中で宰相についての感想が更新された時。
 その思いを砕くようなことを言われた。

「それでだ」
「はい」

 さきほどまでの緩い雰囲気とは違い、急に緊張感がはしる。
 肘をついてだらしない姿勢でいた宰相は居住まいを正した。
 罪に問われないとは言われたが、他に何か命じられるのだろうか?
 心臓が急速にバクバクと動き出す。
 ゴクリと唾を飲み込むと、アダムの不安を見抜くかのように、銀色の瞳が細まった。

「お前は分からないようだが、俺が言ったことは事実だ」
「……えと、なにをでしょうか?」

 言われたこととはなにか。
 抽象的な物言いに首を傾げる。
 すると、宰相の平坦な声音が告げた。

「お前は俺の運命の番だ」
「──ッ!」

 ゴン、と頭を殴られたような感覚だった。
 この言葉を聞くのは二度目だ。一度目は何を馬鹿なことを言っているのかと、まともに取り合わなかった。
 だが、この状況でしかも二度目となると話は違う。
 それになにより、あの日の熱を思い返して、アダムは心が震え上がった。
 それは間違いなく恐れだ。

「……そんな、まさか」

 アダムは心の内を悟られないよう、いつものように完璧な作り笑いを浮かべた。

「だって、私はもう番っていますから。それにおかしくないですか?」

 アダムは真っ直ぐに宰相を見つめた。
 オメガが他の誰かと番になったとき、例え運命の番と出会ってしまっていても気づかない。
 いや、気づけないのだ。引力のように、強烈に引きつけるフェロモンが途絶えてしまうから。
 アダムと宰相が仮に運命の番だとする。だが、アダムは既に他のアルファと番関係にある。
 だから、アダムのフェロモンを嗅ぐことができるのは、別れた恋人だけ。

「それとも宰相様は理を超えて、私のフェロモンが分かると?」

 そんなはずないですよね。
 質問に包めてアダムが問いかける。宰相は切れ長の瞳でこちらを一瞥した。

「分かるから言っているんだろうが」
「……は」
「俺も初めは微かに匂うぐらいだった。だが、お前と会う事に匂いは濃くなりはっきりと香るようになった。狼の姿でいる時だけ嗅覚が発達したんだろう」

 そう言いきった宰相の背中で、大ぶりの尻尾が揺れた。
 ふわふわの黒毛は先端に向かうにつれて銀色に薄まっている。見事なまでの美しい毛並みと尻尾だ。頭部にはぴこんと、凛々しい狼の耳がある。こちらも同じく先端は銀色だ。
 アダムはヒクヒクと鼻を動かし、匂いを嗅いでいた狼姿の宰相を思い出していた。
 確かに、一理あるのかもしれない。獣人の姿でいる時よりも獣の姿でいる方が、能力も上だろう。五感が発達していてもおかしくなかった。
 だからって認められる話ではないが。

「それでも、あくまで仮の話ですよね。私は貴方の運命の番なんかじゃないです」

 はっきりと硬質な声音で否定する。
 宰相は胡乱げにアダムを見た。
 相手はこの国で実質二番目の権力を持つ男だ。それを自負している宰相は、アダムが否定することを訝しんでいるのだろう。
 降ってわいたような話。運命の番だと騙る者もいるなか、宰相自ら「運命の番」と認めた。
 なのに、喜ぶどころか迷惑しているアダムがおかしいのだろう。

「まあいい。お前がそう言うならそうなんだろう」

 もっとごねるかと身構えたが、呆気ないほど簡単に宰相は身を引いた。
 アダムの全身から力が抜けていく。思ったよりも力をいれていたらしくて、ほんの数分が何時間にも感じる。
 キリキリ痛み出す胃に、もう少し頑張ろうなと励ました時。

「むしろ、俺に興味のない方が都合がいいからな」

 不穏な台詞が放たれた。
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