愛したいと獣がなくとき。

あじ/Jio

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一章

07

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 二階の寝室で眠っていたアダムは物音で目を覚ます。ぼんやりと霞む瞼を擦り、どこから聞こえるのかと辺りを見回した。
 ふと、窓の外からカリカリと、何かを引っ掻く音が聞こえる。
 カーテンの隙間から見える外はまだ薄暗い。夜空の向こう側に、朝の気配を感じた。
 隣ではサミーが自分の尻尾を抱き枕にして眠っている。
 すやすやと、仰向けになりぎゅっと大きな尻尾に手足を絡めているのだ。
 その愛らしい姿に瞳は緩まり、そっと我が子の頬を撫でた時。
 アオーンと、狼の鳴き声がした。

「もしかして」

 身じろいだサミーを起こさぬよう、アダムは足音を消して下へと降りる。
 玄関に向かい扉を少しだけ開けて確認した。
 そこにはやはり、黒毛の狼がお座りをしていた。

「……こんな朝早くになんだ? もしかして、昨日夕飯を食べ損なったから、朝食を強請りに来たのか?」

 ふあ、と欠伸を零して狼の頭をぞんざいに撫でる。
 まだ眠気の引かない体は、ぽやぽやしていて、布団の温もりを求めていた。
 そんなアダムを見上げて、狼が扉の隙間に体を滑り込ませる。

「あ、おい」

 アダムの制止も聞かず、我が物顔で部屋に入っていく。
 全くはた迷惑な狼だ。まるでどこぞの宰相とそっくりである。
 ふと狼の仏頂面と宰相の無表情が重なった。

「ふっ。ないない」

 似ていると思ってしまった自分に笑えた。
 憎らしくも可愛い狼と、憎いだけの宰相を同列にするなんて狼に失礼だ。
 アダムは窓を開け放つと椅子に座る。そして、部屋の真ん中でちょこんと立つ狼を眺めた。なにをするでもなく、窓の外を眺めている。
 本当に彼は何をしにやってきたのか。
 けれど、窓から入り込む朝の匂いは、アダムの心を癒した。
 外はぐんぐんと美しい暁光が、裾を靡かせるようにさしている。月は儚くなり、星は姿を隠した。
 美しくも力強い光景に見入っていると、狼が再び「アオーン」と遠吠えをする。
 それは思いのほか響き渡り、静謐な朝の空気を打ち破った。
 なにがなんだか分からないが、朝から遠吠えは迷惑だ。
 サミーが起きてしまうと、アダムが注意をしようとした時。
 窓から差し込む朝陽が狼を照らした。
 じわじわと光が黒色に滲んでいく。光に覆われた狼の輪郭がぐにゃりと歪んだ。

「えっ」

 驚愕するアダムは、目の前に現れた男を見て声を失う。
 狼の体が大きく歪んだ刹那、見慣れた男が現れたのだ。
 それは、つい昨日文句を言ってやろうと決めていた、あの宰相だった。

「な、な、……っえぇ?!」

 言いたいことよりも驚きが勝る。おかげで言葉は絡まりあい、喉の奥に詰まる。
 ぱくぱくと空気ばかり吐き出すアダムを、銀色の瞳が静かに見つめていた。
 ブルブルと震える指先が裸の宰相を指さす。
 そのとき、脳裏に言葉が蘇った。

 ──俺の体をこうして好き勝手にしただろ。
 ──あれほど図々しく俺を撫で回しておいて、知らんぷりするとはどういうつもりだ?

 あの日の言葉の意味を理解して、アダムの全身から血の気が引いていく。
 同時にあの日触れた宰相の肌の熱を思い返した。
 これまでの行いを思い返して膝が折れそうになる。目の前がぐるりと回り、意識を保つために頭を振るった。そして、視線を下げて絶句する。
 裸の宰相の足の間に、凶器がぶら下がっていたのだ。
 あまりの衝撃に視線が逸らせない。
 引力めいたものに引きずられて、どこから見ても立派な凶器をガン見した。
 その瞬間、凶器がブルンッと揺れる。
 宰相が歩いたのだ。
 一歩、一歩と歩みを進めるたびに、ぶるん、ぶるるんっと、凶器は暴れ出す。
 アダムは引き攣った呼気を吐き出した。
 そして、ひくりと戦慄く唇から哀れな悲鳴をあげる。
 限界を超えたアダムはバターンと背後に倒れた。

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