「私はまた、失う」

うた子

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自然に育まれて

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小学校の時なんかの私は、放課後になればとても元気に、海や山、高台、草原、大いに私たちを囲んで育んでくれていた自然の中を友達と自転車で駆け回っていた。

たまには大人しく家の庭でおままごとなんかをしたりもしたが、時に立ち入り禁止と書かれた看板が掲げてある有刺鉄線の張り巡らされた山の中になんとか踏み入って野花を摘んだり、虫を取ったりもするような、野生児的な生活を好む子供だった。

休みの日には祖父母に誘われ、従弟たちと一緒に川で鮎釣りを楽しみ、その場で鮎ご飯なんかを炊いてもらって食べたりもした。
祖父と妹と共に山深くにキノコを取りに入ったりして迷子になり、捜索隊を出されそうになったこともある。

そんな素晴らしい自然の中で過ごしてきたと言うのに、とくに強く記憶にあるのが、友人と共に畑に隣接していた田んぼでタニシやザリガニを見ていた時に、「ワッ」っと大声をかけられ背中を叩かれ驚いて牛糞の沼に落ちたことだったりする。
ひどいでしょ。その心の無さにビックリだよ。

とにかく私はメンヘラの片鱗をのぞかせながらも、一応小学校までは元気いっぱいな野生児だった。
とりあえず暗くなる前には家に帰れば良いと言う感じだったので、外で遊びまくっていた。

たまに、父の逆鱗に触れ、庭にほおり出される真夜中には、あの故郷の自然に抱かれた。
父が私たちの幼い頃に近所のペットセンターで購入してきたマメシバを抱きしめて、涙を流しては、よく星空を眺めていた。
泣いてばかりいても仕方はないのだけれど、意味もわからず涙は勝手に次から次へと溢れ出た。

でもそれが当たり前だったので、他の家の子供も皆このような目には合っているものだと思っていた。

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