「私はまた、失う」

うた子

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父が、消える

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私はただ毎日、コンビニでビールやワインを買って来ては飲んでいた。
生きてるのか死んでいるのかわからなかったし、テレビに映る津波の映像を見るたびに、自分が死ねば良かったのではないだろうか?と思うことしか出来なかった。

そんな風に日々を過ごしていた中、父が動いた。
なんとか親戚に連絡を取ることが出来たので、しばらくの間いられる場所を確保できたと言う話だった。

母方の祖父、祖母、叔父、叔母、従弟に一旦別れを告げて、父、母、父方の祖母、私、の四人で車に乗ると、はじめの目的だった福島県の真ん中辺りにある土地へと向かった。

父が連絡を取ることが出来た親戚から、親戚の亡くなったお祖母ちゃんが使っていた小さな平屋が残っているから、しばらく行き場が決まるまでその平屋を使って良いと言ってもらえたらしい。
なので、そちらにうつった。

その平屋に向かう途中で見た町の様子と言えば、ガラスは割れ、屋根は瓦が落ち、ブルーシートで覆われていたり、どの店も家も同じようなものだった。
時々割れた道路を避けて、なんとかたどり着いたその小さな平屋を片付け、掃除し、人が住める状態にすると、私と母で近所にあったスーパーに向かいカップ麺を買い込んだ。

お金の手持ちもあまりなく、通帳もカードも持って出てきていなかった。
でも、それらを取りに家に帰ることは出来ない。
原発が爆発してからすぐならば帰って取りに行けたかもしれないが、数日たってしまった今ではもう立ち入り禁止だろうと父は言った。
その通り、テレビをつければその土地へは入ってはいけないと言うようなことがニュースでは流れていた。

私は相変わらずビールやワインばかり飲んで生きていた。
それ以外、食べ物は全く受け付けなくなっていた。

そんなある日、父の姿が消えた。

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