「私はまた、失う」

うた子

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「絆」なんて嘘っぱち

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父はいつもどこかへ、何度も繋がらない電話をかけたり、何かを深く考え込んだりしていた。

そして、私は毎晩毎晩、あまりにも眠ることが出来ず、もう数日間不眠不休で避難生活をしていた為、山のふもとにある町にあると聞いた内科へと歩いて向かった。

やっとでその病院へ辿り着くと、小さな待合室には町のおじいさんおばあさんたちがストーブを真ん中にして集まっていた。
私は少し離れたところに立って、自分の順番が来るのを待っていた。

その町のおじいさん、おばあさんたちの話し声が聞こえてくる。

一人が言う「なんでオラたちがあんな邪魔モンに朝っぱらからコメ炊いて握り飯作ってやんなきゃなんねんだ」。
一人が言う「とっとと出てってくんねえかな」。
一人が言う「こっちだって家こわっちぇんのになあ」。

私はその日から、ご飯を食べることをやめた。
差し入れを受け取ることもやめ、全て断った。

同じ県民と言えども、彼ら、彼女たちにとっては、避難して来た者たちは厄介者で迷惑な存在なのだ。
それはそうだろう、自分たちだって震災に合い、屋根の瓦が崩れていたり、壁にヒビが入ってしまった家で暮らしているのだから。

「でも、ねえ、あなたたちには、帰ることが出来る家が、まだちゃんとあるでしょう?」

と叫びたくなった。
けれど、そんなことをしたからと言って何もならない。
無駄だと言うことはわかっていたので、結局何も言わなかった。

大変なのは、皆、同じなのだから。

内科の診察で事情を話すと、薬は睡眠導入剤を貰える分だけ処方してくれたので、なんとか夜眠ることが出来るようになった。
もう、この病院に来ることもないだろう、と思った。

夜になり、車内から星を見上げると、ああ、そりゃそうだと思った。
自分の家だって地震で崩れているのに、朝から被災者ボランティアに駆り出されては迷惑千万であろう。
申し訳ないことこの上ない。
早いとこ出て行きたいのはこちらも同じだ。

キラキラとした「絆」やら「支えあい」なんて嘘っぱちでしかねえなあ、くっだらねえわ、と思った。

もしかしたら純粋な気持ちから手を差し伸べてくれていた人もいたのかもしれない。
けれど、私がたまたま見たのは、聞いたのはそれだった。
だからそう思った。

炊き出しをする叔父、赤ちゃんのいるお母さんと妊婦さんだけの部屋をこさえて、ストーブを設置したのも避難した同じ町の人だ。
トイレは水が流れなくてひどい状態だったし、みんなもう普通に外でしていた。

私は、なんだか現実と夢の境目がわからなくなっていた。

けれど、早く覚めて欲しい、と願うことすらも、許されなかった。


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