鬼の桃姫

井田いづ

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四話 落花

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 燃える。
 桃子の城が、畑が、島が、夢が、なにもかも燃えている。人間は容易く桃子の宝の島を蹂躙した。その足元に踏み躙られた亡骸は昨日までは当たり前のように笑っていた鬼たちだった。
「許せぬ、許せぬ、許してなるものかッ!」
桃子は薙刀を手に城に戻っていた。
 手摺に脚をかけ、赤く染まった城下を見ていた。

 あの悲鳴は誰のものか。
 あとどれだけ残っている。
 子らは逃げおおせたか。
 紗紗丸は逃げおおせたか。

 桃子はひらりと舞い上がり、目下にいた男の頭上から薙刀を振り抜いた。手に当たる感触は、肉を断つそれではない。歯噛みした。
 男は太刀で薙刀を受けていた。僅かな鍔迫り合いの後、火花が飛び散り、桃子は身を捻って飛び退く。
 桃子は常のような男のなりではなく髪は下ろして唐衣を見に纏っていた。どこからどう見ても高貴な姫君そのものだ。それが燃えるような髪を振り乱して、大きな得物を悠々と振り回す──異様な光景であった。
 男が吼えた。
「鬼の姫かッ! 頭領は何処だ!」
「我こそがその頭領よ!」
 どうやら、この男が人間側の頭領らしい。正義に燃えた瞳に、桃子は笑みを見せた。
「はん、ぬしかよ、この巫山戯ふざけた宴の主人あるじは」
「巫山戯ただと……」
「巫山戯ておる、巫山戯ておるよ。平和に暮らしおった我らを殺したろう。その両の掌にはどれだけの魂が潰されたのじゃ」
「先に我々に刃を向け、罪なき民草をその手にかけたのは貴様らだ!」
「ふうむ、後だ先だの言うておるのではないのに、分からぬやつじゃな」
不毛も不毛、埒があかない言い争いだった。互いに同じことをして、その原因は相手にあると主張する──道理を分からぬ者にこんこんと説くほど、桃子は甘くは出来ていない。
「なれば、死ね」
ぶん、と大きく薙刀を振るった。一閃──暴風が吹き荒れる。それを断ち斬る一打を男は繰り返す。お互いの額に脂汗が浮かぶ。
 男も、桃子の腕を見誤っていた。その立ち居振る舞いは猛者だが、とどこかで思っていた。油断をすると頬に烈風が走り、皮膚が裂けて血が散る。
「惜しい、鬼でなければ」
そう呟けば、
「鬼だからこそよ」
更に鋭く突いてくる。
 桃子の息も上がり始めていた。手も痺れ始めている。いくら効きが悪くても、退魔の香を嗅ぎ続けているのもある。目の前の男が予想以上に──それこそ鬼神と称された父を斬ったような武士が如く──強かったのもある。打ち合う度に骨が軋む。
「名を聞こう、強き鬼の姫よ」
「あん?」
互いに強くぶつかり合って、一足跳びに距離をとった。構えは解かぬまま、二人は睨み合う。
「我が名は桃太郎。貴様を討ち取る男の名だ」
「あはははははッ!」
桃子は身を捩って笑った。名の偶然なる一致がおかしいのか、既に討ち取る気の男の気概がおかしいのか、桃子にもわからない。

 しかし、気に入った。

「よかろう、よかろう! 無礼な小童こわっぱめが」
「……」
「我が名は桃子とうこ──人間おまえを喰らう悪鬼の名よ! 覚えて根の国に行くが良い!」
「鬼の桃姫とうき──」
男もまた、奇妙な一致に気がついたらしい。彼もまた不敵に笑って、駆け出した。

 太刀を振り回す。
 薙刀でいなす。
 跳び上がり上段から斬りかかる。
 太刀で受けて跳ね飛ばす。
 ぶつかり合う、その度に火花が散る。

 何度打ち合ったか分からない。斬り込んでも、互いにその刃は相手の首までは届かなかった。
 それでも最初こそ拮抗していたはずの力は段々と桃太郎に有利に働いていく。桃子は岩を蹴りながら冷や汗をかき始めていた。
 ──この桃子が押されるなど……。
 これまで一度たりともなかった。血筋だけではない、その圧倒的な力があったからこそ彼女は頭領だったのだ。
 身を低くし、滑り込んで脚払いをかけた──それを寸でのところで躱される。頭上に影が落ちる。しまったと顔を歪めた。致命傷は避けねば──!

「姫様!」

 振り下ろされた一撃を棍棒が受け止めた。
 桃子の頭の上で振り回された棍棒の軌跡を辿ると、阿良丸がこちらへ来たところであった。既に手負の身で、片目からは血が流れている。
 桃子は阿良丸の作った隙を逃さず、素早く身体を捻って桃太郎から離れる。阿良丸と桃子は並び立った。
「阿良丸、よう来た」
「いえ、遅くなりました。紗紗丸様が確認して参ったゆえ──」
紗紗丸が為した、それを聞いて桃子は少しだけ口元を緩めた。
「ほれ、奴はやる時はやる子じゃろう」
「しかしそう喜んでもおられますまい──外の人間共は幾らかは片付けましたが……既に鬼は我々のみ」
「まあ、な」
それもまた、わかっていた。
「なればこそ、退くわけにはいかぬ。共に来よ、阿良丸。ここで宝を守り抜くが我が道じゃ」
「……元より我が道は姫様そこに御座いますれば」

 二人の目線の先には、人間が一人立っている。

 火の手が近づき、めらめらと空気を揺らす。煤が頬を汚す。桃太郎は二人の会話を待っていたらしい。太刀を構え、小さく問うた。
「姫よ、死出の挨拶は終わったか」
「かか、律儀な男じゃ!」
そう言ったのと、再び桃子が跳んだのが同時だった。
 桃子は赤い風となって桃太郎に斬りかかる。阿良丸の棍棒が轟轟と唸る。それを太刀で受け、桃子の薙刀もいなし、なるほど、この人間の青年は滅法腕が立つらしい。脂汗をその額にたっぷりとたたえながらも、二人の鬼を相手にしているのだ。
 数太刀も受ければ、阿良丸は歴然とした力の差に気がついたらしい。力任せに桃太郎を弾き飛ばした。それでもなお、桃太郎は立ち上がる。何度打ち抜いても立ち上がる。柔らかい身体で、阿良丸の豪打を受け切るのだ──流石に阿良丸は焦りに呑まれていた。
「桃子様、ここは阿良丸が引き受けまする! どうかお逃げくだされ! 紗紗丸様には、我らにはまだ貴女様が必要なのです! どうか」
阿良丸が叫ぶ。

──ああ、戦場ではそのたった一瞬が命取りになるのに。

 それだけ、逃げてほしかったのだろう。
 それだけの願いだったのだ。

 しかし、その隙を見逃すほど、その男は甘くはなかった。持ち替えた刀で一閃、真一文字に阿良丸の喉笛を切り裂いていた。
 血が噴き出る。
 赤い雨が辺りに降り注ぐ。
「ひめ、さ、…………」
阿良丸が、ごぼり、血を吐いた。最期になにを言ったのか、桃子には聞き取れない。
「阿良丸────」
 桃子を庇うようにして、阿良丸が斃れた。地響きのような轟音を伴って、その鬼は物言わぬ骸と化した。辺りに血溜まりを残して、桃子を遺して、行った。
 桃子は唇を噛み締めた。
 これが戦の常だ。いつも覚悟はしていた。だが、だからといってなにも感じないわけにはいかないのだ。戦場での死に何も感じぬほど、桃子は年月を重ねていない。
 それでも頭領として、彼の主人として、涙は見せない。
「……まこと、よう来てくれた、阿良丸よ」
──けれど、すまぬ。お主の願いは聞いてやれそうにない。お主のおかげで、私は一人ではないのだから。

 桃子は桃太郎に向き直った。
 その瞳にあるのは純粋な怒りだった。


+++


 「罪とはなんだ、人の子よ」
 罪を罰するために来たと人間は言う。ならばその罪とはなんだ。
「生きるとはすなわち奪うことぞ」
他の生命を奪い、食らい、生き永らえる。それは生きとし生けるもの全てが例外なくそうなのだ。人の子も、鬼の子も、その他全ての動物の子であっても例外はない。だから桃子には理解ができなかった。

 
 
 

 無論、多少の恨みはわかる。悲しみもわかる。敵討ちも理解できぬわけではないし、現に鬼たちの中にもそういった考えはある。
 しかし、だからといって淘汰しようなどとは。
「主らが魚を食らうのと何が違うのじゃ。主らが鳥を狩るのと何が違うのじゃ。人は良いのか? 鬼は悪いのか? カカカ、まさか、動物は食われても良いが己は食われたくないと言うのではあるまいなあッ!」
桃子の蹴りが太刀の峰に入る。細かなひびが走ったのは、太刀の方である。すかさず薙刀を振り下ろしたが、そちらは避けられてしまった。
「主らと同じよ。我らとて、生きるためにやっていることじゃ」
「同じであるものかよ!」
桃太郎が吠える。
「お前たちに襲われた村々を見て来た、お前たちが食った人々の遺された家族と会って来た。生きるための行為だと? あれの何処が我々と同じだと言うのだ!」
「同じよ。お前たちが魚や実りに感謝こそすれ、殺した命の分だけ死ぬか? 償いをしておるのか? ああ、お前らがとんと分からぬ、分からぬのだよ、桃の小童」
「我らの居場所を破壊し奪ったのは鬼だ!」
「我らの場所を奪ったのもまたお前らぞ! 主らが城を奪い返すため戦うのと同じと心得よ!」
「なれば殺生すらも厭わぬと申すのか!」
「あはははは! 愚か愚か、主の今しているも殺生じゃろうて!」
「殺生結構、これは鬼たちに弄ばれた者たちの仇討ちだ!」
 炎が舞う。
 中を縦横無尽に二振の刃が駆け抜け、ぶつかり合う。
「人とはわかりあえぬな」
「鬼とはわかりあえぬよ」
「なればこそ、殺し合うのじゃろうて」
双方、最初から分かる気すらないのだから。

 遠くからも煙が上がる。

 遠くから悲鳴が上がる。

 桃子の夢が燃え尽きる。

 それでも、桃子は脳裏に浮かんだ弟の顔に、淡く微笑んだ。
──紗紗よ、うまく逃げてくれたか。
──お主が生きてさえいれば、我が夢も無駄にはならぬ。
 高い音が響いた。
 桃子の薙刀が真二つに折れた音だった。牙を折られた獣は、なればと武器を捨て、爪を突き立てるが────。

「────嗚呼」

 桃太郎の一閃が鬼姫の首を断つ。
 鬼の城が、落ちた。
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