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参話 断ち切る因縁
(伍)下準備・壱
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「興長カゲユキ……」
貰ったばかりの薄い金属製の板を手の内で弄びながら、そこに刻まれた名前を呟いた。出身地として記されている見覚えのない地名は、興長の住んでいた土地のものらしい。
ユキは興長の養子ということになっていた。
(……いいのかな、そんな簡単に)
生天目ユキノスケからカゲユキになって、それから興長カゲユキになった。
ユキは困惑を隠せないものの、通行証の発行自体は案外アッサリと片付いたのでよいのだろう。もっと揉めるものだと想定していたのだが、そんなこともないらしい。
ほとんどの手続きは興長がてきぱきと進めてくれて、ユキは指紋を取られ、名前を書くくらいのものだった。それを妖術で板に刻んで、それで終わり。ユキがどこから来たか、何が目的かを詰問されることもない。
曰く、「形骸化してるのも否めないけどね。まあ、通る人の身を証明する誰かがいるってことが見れりゃあ良いんだろう」とのことでユキは少しだけホッとした。この板一枚で変わるのは、町にすんなり入れるかどうかだけだという話だ。
そんなこんなで、二人とおえんが町に入った頃も、まだ陽は残っていた。
「あの、父上」
ユキは一瞬迷ってから、興長を見上げた。
「名前をお借りしちゃってもよかったんですか」
「名前?」
「興長──」
「ああ、それは気にしないでいい。というか、僕の方こそ勝手にすまないな。ただのカゲユキとしてよりも、僕の義子として作る方が楽だったもんだから。今後どこかに所属することがあれば改めて作り直す機会もあるだろうから、それまでってことで我慢してくれるかい」
「しばらくこのままでいても、父上に迷惑はかけませんか」
「うん、あとで辻褄は合わせておく」
「俺としてはありがたいばかりなんですけど……その、俺が勝手に養子みたいになって、大丈夫なんですか。他の方とか」
不安に視線を泳がせる。何処の誰とも知れない(しかも世間的には咎人の子とされる)ユキを喜んで迎えてくれるとは思えなかったのだ。
なにせ、会ってまだ間もないのだ。
ユキはこの短い中でも興長を信用するに至っているが、それとこれとは別である。いくら人が良いにしたってやりすぎだ。そう伝えると、なんだ、そんな心配かとあっけらかんに返された。
「どうせ僕だけの家だよ。元々由緒正しい名家とかじゃあなくて、父も普通の商人だったし、妖術士として名を馳せていた先祖だっていないんだ。父の商店はとうに潰れてるしさ」
「そうなんですか」
「継ぐ家屋敷すらないし、金持ちでもない。ウチに入って得られる利益はほとんどない。それに僕の歳で養子をとることだって別に珍しい話じゃあないから不自然でもないよ。中には弟子をそのまま養子にする家もある」
「……その、俺世間知らずなので、興長さんの名前を借りることで迷惑をかけたらすみません」
「子供はそんなことを気にするなよ。まあ、さっきも言ったが、通行証なんてもんは今やあくまでも形だけだ。決められたものを持っている、発行するにあたって保証してくれる後ろ盾がいる、それだけが大事なんだ。ただ、それ自体の素材は特殊だからね。なくさないようにだけ気をつけてくれ」
「わかりました」
これで首から下げておくと良い、と長い革紐がついた小巾着を差し出した。ありがたく受け取ると、その中に通行証を収めて、首から掛ける。
「なんだか、俺は貰ってばかりで申し訳ないです」
「気にするな────と言いたいが、そうだな、改めてきみの話を聞かせてくれたらそれでおあいこにしようか。きみの剣術にも興味があるからね。依頼を終えたら、何処かで飯でも食って、落ち着いてこの後の旅程を立てたいなあ」
「ここからミヤトは近いんですよね」
「うん、それなりには近い。ただ、きみがこの先剣士としてやっていくなら、少し寄り道はしたいところだな。わかりやすい実績があれば、この先一人でも仕事をとりやすいだろう?」
「今回のは……」
「うーん、いや、今回は変則的な依頼だ。旅する中ではよくあるパターンだが、こういうのは漏れず厄介なものが多いから、避けやれるなら避けるのが賢明だ」
「なるほど」
ユキはぎゅ、と巾着を握りしめた。
アンドレをいたずらに待たせるわけにもいかないので、二人はすぐに目的の邸宅を目指すことにした。
町は小高い丘にぐるりと沿うように広がっていた。町を東西に横切る大通りと、その隙間に細かい通りが走っている。ところどころ細い川が横切り、各区画に橋が渡されていた。町中にも木立なども連なって、身を隠すには苦労しなさそうである。
ただし、そう大きな町でもない。宿屋と小商店が連なる通りや民家の建ち並ぶ区画は、行商人やら旅人やらで賑わっていたが、そこから外れればすぐに落ち着いた雰囲気となる。
中心から北西、丁度丘の中腹に目的の櫻葉邸はあった。
斜面に沿って石段と灯篭が並び、その上に立派な門がある。門番は段上と段下に二人ずつ。当然、邸宅は見えない。
目の前の通りは鬱蒼と木々が道に影を落としていた。点々と灯はあるが、夜はさぞ暗くなるだろう。ここに来るまでの道も、中央の道を逸れて仕舞えば似たようなものだった。
町に入った当初から視線は感じていたが、屋敷に近づくにつれ鋭くなっていく。ユキは突き刺さるようなそれを無視して、気がついていないかのように呑気な足取りで動かした。指示をされなくたってこういう時の振る舞いはわかっている。
興長とユキは他愛のない世間話をしながら一度屋敷を通り過ぎた。そのまま町はずれの小さな店を見つけて、さも迷子であるかのように道を聞くフリをする興長の隣で、ユキはそっと目の端で辺りを探る。
人を探している、のではなさそうだ。単なる警戒だろうか。数人、ユキたちを尾けてきている。
「ナーナー、ユキ、気がついてるかヨ?」
おえんが囁く。瞬きで応える。
「ふふふふふ! ありゃあ初めて見る妖具だナ、楽しそうだ! 豊作だ! こりゃあ囮もやりがいがあるナ」
ユキは視線だけ持ち上げて、じとりとおえんを見上げた。
「なんだよう、変な目で見て。別に殺れって言ってンじゃないぞ。おまえだって戦いには心躍るだろ? ナ? モンモンとの稽古とか、強い奴と対峙するとわくわくしねェのかヨ」
それはまあ、と納得はする。ユキも剣の道を歩んでいる以上、その感情は理解できるものだった。とは言え、ここは稽古場ではなく、相手も親切に稽古をつけてくれるわけではないのだが。
やがて、話し終えた興長は困ったように笑いながら頭を掻いた。彼も追手に気がついているのだろう。うっかり者の父親の顔でユキに手を合わせた。
「待たせたな。どうやら我々の宿とは反対側にきてしまったらしい。地図は見たんだがなァ」
「……父上もうっかりですね。方向感覚が壊滅的だ」
ユキも小芝居に乗っかる。町に入る前に決めたのは、二人は旅の妖具売りという設定である。うっかり者の父親と、冷静な息子、そういう設定だ。
「商品が売れなかったら次の町に着けませんよ」
「そりゃそうだ。旦那、道案内助かったよ。割り引くけど、よかったら妖具を買わないかい? 気付に汚れ落としに火種に──あれ、要らない? そりゃすまないね、残念だよ」
店の旦那は人が良さそうな笑みで「要らん要らん、しかし中央通りなら買ってもらえるんじゃないか」と教えてくれた。
興長は礼を言うと、ユキの背中を押しながら来た道を戻り始めた。角を曲がり、屋敷の近くの橋を渡る。カァン、と何処かで鐘がなるのに合わせて短く、低く呟く。
「覚えて」
ユキは返事をせずに静かに櫻葉の屋敷を目に焼きつけるように見つめた。門の前、辺りの道、陰、辺りに潜む視線が複数。気配を探るが、想定よりも少ない数だ。当然櫻葉の姿はないが、屋敷にいるのだろうか。こんなにも少ない護衛では、或いはアンドレを探しに外に出ているのか。
興長は途中ですれ違った人に妖具──小さな灯りになる石ころやら、汚れ取り用の布巾やらを売り付けるフリをしながら、さりげなく「あそこにあるのは立派なお屋敷ですねえ」と聞く。何人かからは曖昧に返されたものの、「ありゃ櫻葉屋さんだよ」と囁き教えてくれる人がいた。
屋敷から二つほど区画を離れている。この頃にはまとわりつく視線はほぼ消えていた。
「櫻葉屋ですか」
「この町に長居するなら、あんたら、櫻葉の旦那を困らせちゃあいけないよ」
「うん? 櫻葉の旦那様はお役人様ですか」
「なんのなんの、商人だよ、あの人は。偉い人だが、怒らせると怖い人で……って、知らないのかい? 兄さんたちは旅の人か」
「そうですね。でも長居はしませんよ。息子に汽車を見せたくて、旅の道中に一休みに泊まっただけなんです」
「そりゃあいいな! 汽車ってことはミヤトへの観光客か。坊主、楽しめよ。飴はいるか?」
「ああ、いえ、息子は歯を痛めてまして。甘いものが滲みるんですよ。お気持ちだけ」
「ふ、ふぁい」
ユキは慌てて話に乗る。別に口の中は何ともないが、興長としてはこの飴玉を受け取って欲しくないのであろうことは察せられた。残念そうに、しかし治ってから食えばいいと握らされた飴玉は、興長が取り上げた。
「せっかくなんで、僕が貰っても?」
「ああ、それでもいいか」
「それはどうも」
親切な男に別れを告げて、背中を見送られながら興長はわざとらしく飴玉を頬張る。ころりと転がして、僅かに眉根が寄る。ユキは目の端で、男が踵を返したのを見届けてから興長に囁きかけた。
「……それ、美味しいですか」
「微妙だな。さあ、まずは適当な宿をとろうか。来る途中に空いていそうな店を見つけた」
「部屋、とってきます」
ユキはおえんと一緒に足早に宿へ向かった。
貰ったばかりの薄い金属製の板を手の内で弄びながら、そこに刻まれた名前を呟いた。出身地として記されている見覚えのない地名は、興長の住んでいた土地のものらしい。
ユキは興長の養子ということになっていた。
(……いいのかな、そんな簡単に)
生天目ユキノスケからカゲユキになって、それから興長カゲユキになった。
ユキは困惑を隠せないものの、通行証の発行自体は案外アッサリと片付いたのでよいのだろう。もっと揉めるものだと想定していたのだが、そんなこともないらしい。
ほとんどの手続きは興長がてきぱきと進めてくれて、ユキは指紋を取られ、名前を書くくらいのものだった。それを妖術で板に刻んで、それで終わり。ユキがどこから来たか、何が目的かを詰問されることもない。
曰く、「形骸化してるのも否めないけどね。まあ、通る人の身を証明する誰かがいるってことが見れりゃあ良いんだろう」とのことでユキは少しだけホッとした。この板一枚で変わるのは、町にすんなり入れるかどうかだけだという話だ。
そんなこんなで、二人とおえんが町に入った頃も、まだ陽は残っていた。
「あの、父上」
ユキは一瞬迷ってから、興長を見上げた。
「名前をお借りしちゃってもよかったんですか」
「名前?」
「興長──」
「ああ、それは気にしないでいい。というか、僕の方こそ勝手にすまないな。ただのカゲユキとしてよりも、僕の義子として作る方が楽だったもんだから。今後どこかに所属することがあれば改めて作り直す機会もあるだろうから、それまでってことで我慢してくれるかい」
「しばらくこのままでいても、父上に迷惑はかけませんか」
「うん、あとで辻褄は合わせておく」
「俺としてはありがたいばかりなんですけど……その、俺が勝手に養子みたいになって、大丈夫なんですか。他の方とか」
不安に視線を泳がせる。何処の誰とも知れない(しかも世間的には咎人の子とされる)ユキを喜んで迎えてくれるとは思えなかったのだ。
なにせ、会ってまだ間もないのだ。
ユキはこの短い中でも興長を信用するに至っているが、それとこれとは別である。いくら人が良いにしたってやりすぎだ。そう伝えると、なんだ、そんな心配かとあっけらかんに返された。
「どうせ僕だけの家だよ。元々由緒正しい名家とかじゃあなくて、父も普通の商人だったし、妖術士として名を馳せていた先祖だっていないんだ。父の商店はとうに潰れてるしさ」
「そうなんですか」
「継ぐ家屋敷すらないし、金持ちでもない。ウチに入って得られる利益はほとんどない。それに僕の歳で養子をとることだって別に珍しい話じゃあないから不自然でもないよ。中には弟子をそのまま養子にする家もある」
「……その、俺世間知らずなので、興長さんの名前を借りることで迷惑をかけたらすみません」
「子供はそんなことを気にするなよ。まあ、さっきも言ったが、通行証なんてもんは今やあくまでも形だけだ。決められたものを持っている、発行するにあたって保証してくれる後ろ盾がいる、それだけが大事なんだ。ただ、それ自体の素材は特殊だからね。なくさないようにだけ気をつけてくれ」
「わかりました」
これで首から下げておくと良い、と長い革紐がついた小巾着を差し出した。ありがたく受け取ると、その中に通行証を収めて、首から掛ける。
「なんだか、俺は貰ってばかりで申し訳ないです」
「気にするな────と言いたいが、そうだな、改めてきみの話を聞かせてくれたらそれでおあいこにしようか。きみの剣術にも興味があるからね。依頼を終えたら、何処かで飯でも食って、落ち着いてこの後の旅程を立てたいなあ」
「ここからミヤトは近いんですよね」
「うん、それなりには近い。ただ、きみがこの先剣士としてやっていくなら、少し寄り道はしたいところだな。わかりやすい実績があれば、この先一人でも仕事をとりやすいだろう?」
「今回のは……」
「うーん、いや、今回は変則的な依頼だ。旅する中ではよくあるパターンだが、こういうのは漏れず厄介なものが多いから、避けやれるなら避けるのが賢明だ」
「なるほど」
ユキはぎゅ、と巾着を握りしめた。
アンドレをいたずらに待たせるわけにもいかないので、二人はすぐに目的の邸宅を目指すことにした。
町は小高い丘にぐるりと沿うように広がっていた。町を東西に横切る大通りと、その隙間に細かい通りが走っている。ところどころ細い川が横切り、各区画に橋が渡されていた。町中にも木立なども連なって、身を隠すには苦労しなさそうである。
ただし、そう大きな町でもない。宿屋と小商店が連なる通りや民家の建ち並ぶ区画は、行商人やら旅人やらで賑わっていたが、そこから外れればすぐに落ち着いた雰囲気となる。
中心から北西、丁度丘の中腹に目的の櫻葉邸はあった。
斜面に沿って石段と灯篭が並び、その上に立派な門がある。門番は段上と段下に二人ずつ。当然、邸宅は見えない。
目の前の通りは鬱蒼と木々が道に影を落としていた。点々と灯はあるが、夜はさぞ暗くなるだろう。ここに来るまでの道も、中央の道を逸れて仕舞えば似たようなものだった。
町に入った当初から視線は感じていたが、屋敷に近づくにつれ鋭くなっていく。ユキは突き刺さるようなそれを無視して、気がついていないかのように呑気な足取りで動かした。指示をされなくたってこういう時の振る舞いはわかっている。
興長とユキは他愛のない世間話をしながら一度屋敷を通り過ぎた。そのまま町はずれの小さな店を見つけて、さも迷子であるかのように道を聞くフリをする興長の隣で、ユキはそっと目の端で辺りを探る。
人を探している、のではなさそうだ。単なる警戒だろうか。数人、ユキたちを尾けてきている。
「ナーナー、ユキ、気がついてるかヨ?」
おえんが囁く。瞬きで応える。
「ふふふふふ! ありゃあ初めて見る妖具だナ、楽しそうだ! 豊作だ! こりゃあ囮もやりがいがあるナ」
ユキは視線だけ持ち上げて、じとりとおえんを見上げた。
「なんだよう、変な目で見て。別に殺れって言ってンじゃないぞ。おまえだって戦いには心躍るだろ? ナ? モンモンとの稽古とか、強い奴と対峙するとわくわくしねェのかヨ」
それはまあ、と納得はする。ユキも剣の道を歩んでいる以上、その感情は理解できるものだった。とは言え、ここは稽古場ではなく、相手も親切に稽古をつけてくれるわけではないのだが。
やがて、話し終えた興長は困ったように笑いながら頭を掻いた。彼も追手に気がついているのだろう。うっかり者の父親の顔でユキに手を合わせた。
「待たせたな。どうやら我々の宿とは反対側にきてしまったらしい。地図は見たんだがなァ」
「……父上もうっかりですね。方向感覚が壊滅的だ」
ユキも小芝居に乗っかる。町に入る前に決めたのは、二人は旅の妖具売りという設定である。うっかり者の父親と、冷静な息子、そういう設定だ。
「商品が売れなかったら次の町に着けませんよ」
「そりゃそうだ。旦那、道案内助かったよ。割り引くけど、よかったら妖具を買わないかい? 気付に汚れ落としに火種に──あれ、要らない? そりゃすまないね、残念だよ」
店の旦那は人が良さそうな笑みで「要らん要らん、しかし中央通りなら買ってもらえるんじゃないか」と教えてくれた。
興長は礼を言うと、ユキの背中を押しながら来た道を戻り始めた。角を曲がり、屋敷の近くの橋を渡る。カァン、と何処かで鐘がなるのに合わせて短く、低く呟く。
「覚えて」
ユキは返事をせずに静かに櫻葉の屋敷を目に焼きつけるように見つめた。門の前、辺りの道、陰、辺りに潜む視線が複数。気配を探るが、想定よりも少ない数だ。当然櫻葉の姿はないが、屋敷にいるのだろうか。こんなにも少ない護衛では、或いはアンドレを探しに外に出ているのか。
興長は途中ですれ違った人に妖具──小さな灯りになる石ころやら、汚れ取り用の布巾やらを売り付けるフリをしながら、さりげなく「あそこにあるのは立派なお屋敷ですねえ」と聞く。何人かからは曖昧に返されたものの、「ありゃ櫻葉屋さんだよ」と囁き教えてくれる人がいた。
屋敷から二つほど区画を離れている。この頃にはまとわりつく視線はほぼ消えていた。
「櫻葉屋ですか」
「この町に長居するなら、あんたら、櫻葉の旦那を困らせちゃあいけないよ」
「うん? 櫻葉の旦那様はお役人様ですか」
「なんのなんの、商人だよ、あの人は。偉い人だが、怒らせると怖い人で……って、知らないのかい? 兄さんたちは旅の人か」
「そうですね。でも長居はしませんよ。息子に汽車を見せたくて、旅の道中に一休みに泊まっただけなんです」
「そりゃあいいな! 汽車ってことはミヤトへの観光客か。坊主、楽しめよ。飴はいるか?」
「ああ、いえ、息子は歯を痛めてまして。甘いものが滲みるんですよ。お気持ちだけ」
「ふ、ふぁい」
ユキは慌てて話に乗る。別に口の中は何ともないが、興長としてはこの飴玉を受け取って欲しくないのであろうことは察せられた。残念そうに、しかし治ってから食えばいいと握らされた飴玉は、興長が取り上げた。
「せっかくなんで、僕が貰っても?」
「ああ、それでもいいか」
「それはどうも」
親切な男に別れを告げて、背中を見送られながら興長はわざとらしく飴玉を頬張る。ころりと転がして、僅かに眉根が寄る。ユキは目の端で、男が踵を返したのを見届けてから興長に囁きかけた。
「……それ、美味しいですか」
「微妙だな。さあ、まずは適当な宿をとろうか。来る途中に空いていそうな店を見つけた」
「部屋、とってきます」
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