陰陽怪奇録

井田いづ

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ねじりおに

閑話 むかしむかしの、面の鬼

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 その昔。遷都のころであろうか。
 野をひとりの鬼が流離っていた。遠い場所から海を越えて来たそれは、単に腹が減っていたか、或いは誰かを何処かを訪ねようとしていたか、はたまた何かを為そうとしたのか、鬼はとにかくそこにいた。

 変わり者の鬼であった。
 当時鬼に名前はなかったが、鳥やほかの鬼を食って暮らしていた。人は味がくどくて、一度買えば数年は満足するから、あっさりとした他の肉が好みだった。
 この鬼は山の洞穴にみつき、時折ふもとへと下りてゆく。人ならざる力を持っていたから、人から物をもらうのも難しいことではない。その目でただ見つめて、命じれば人は喜んで彼に力を貸した。

 そうこうするうちに景色は変わり、いさかいが起きて鎮まって、人は増えて減ってを繰り返していた。

 どれほど経った頃だろうか。
 山を下った鬼の目に不審なものが映り込んだ。川だ。広く横たわるそこに何かが流れている。
 こびりつく血の跡。それが水に解けていた。こんなことは珍しくはないが、この時ばかりは違った。

 思わずざばざばと水に入り、腕を伸ばしていた。
 葦で編んだ小舟に、ボロ布と共に乗せられた赤子を、鬼は根の国に流れ着く前に拾ったのである。
 こんな状況だというのに、赤子はおとなしく眠っていた。すやすやと、軽く叩いてみても泣きもしないので、そのまま腕に抱いて歩く。
 風に乗る匂いを上流に辿れば、河岸に息絶えた夫婦らしき死体があった。弱い鬼がそれを喰い漁っていたので、取り敢えずこれを殺してこの日の飯とした。赤子のことは分からないが、流石に肉は食うまいと、草などを煮込んだ汁を作って与えてみたりした。
「ううむ、汝が垂乳根たらちねは事切れていたぞ。どうする、どうする。この鬼と共に来るか。しかしなあ」
赤子ならば食っても胃もたれはせぬかとも思ったが食う気は起きず、鬼はしばらく云々唸っていた。

 しばらく経って、気まぐれかを起こした鬼はこれを育てることにした。親子というものを遊んでみようと思ったのだ。
 人を惑わせる目を赤子に見せるのは気が進まないとして、白木で面を打ってそれで顔を覆った。町で道具を仕入れ、山に小屋を建てて、これを二人の住まいとした。

 赤子はぐんぐんと育った。
 力の強い子で、よく紙やら草やら布やらを破る男の子であったので、名前を破丸とした。
 破丸が自分の足で立つようになってからは戦う術を叩き込み、ひとの言葉も教えた。鬼のこと、これを祓う術も教えた。
 気がつけば、人の世であれば破丸も元服する歳になっていた。白鬼──白い面をしているから白鬼だと、破丸が名付けてその鬼は白鬼となったのだが──とにかく白鬼は、大分満足はしていた。悪く言えば、飽きてきた。そろそろ旅に出ても、破丸も一人でどうにかできるだろうと踏んでいたのだ。

 ある日、二人で狩りをした。
「白鬼は」
弓に矢をつがえて破丸が言う。
「何処に行く」
「此処に在るではないか」
「違う、吾を置いて、独りで、何処ぞへと行こうとしているだろう。知っているのだぞ」
破丸はぶっきらぼうにそう言った。目ざとい子だと舌を巻く。
「行き先は何処だ。なぜ置いていく」
「ううむ、しかし根の国は人の子には楽しい場所でもなかろうからなあ」
白鬼は唸った。
「それに、破も大きくなった。そろそろ人の世に戻るのも良いだろうて。そうしたら、この白鬼こそ一人になるだろう。故に旅に出るのだ」
「吾と共に人の世に戻ればよい」
「人ではないゆえにな、戻れぬよ」
「白鬼は吾の父か、兄かだろう」
「否や、否や、顔立ちすら似ておらぬぞ」
それに何度も話したことだと白鬼は言った。

「汝が垂乳根は吾が腹の中じゃ。小鬼が食っておった。その鬼を丸ごとこの白鬼が食った。腹の中じゃ。だからまあ、ある意味では吾が破丸の父や母というのも間違いではないのかも知れぬ。しかし吾が食う前に破丸は生まれておったのだから、似るはずがない」
「それは何度も聞いた。しかし似ているかどうかはわからぬぞ。存外似ているやも知れぬ、吾は面の下を見たことはない」
「それは見せたことがないのだから当然だ」
白鬼は悪びれもなく言い切った。破丸もそんな白鬼に慣れているから、口を尖らせただけで諦めた。
「似ていようがいまいが、白鬼が吾を育てたのだから、汝が吾の父だ」
「父か」
「或いは兄だろう」
「兄か」
「おう」
「そういうものだろうか」
「そういうものだろうよ」
びゅんと弦が鳴いた。

 風を切り、真っ直ぐに飛ぶ。
 矢は既に遠くの鹿を射抜いている。さっさと歩き出した破丸を追うように、ざくざくと紅葉を踏み分けながら、白鬼は感心した。
「破丸はまた腕を上げたな」
「そうだろう、そうだろう」
「うむ、この分ならば、如何なものの怪とて敵ではあるまい。尚更、戻って法師だのなんだのになればよいのだ。学もある、力もある、破の望んだ場所に潜り込ませるくらい、この白鬼なら造作もないぞ。架空の家を作ってやろうか。認識を歪ませて、さる貴族の傍流の──」
「いやだ、やめろ、面倒じゃ」
破丸が口角をこれでもかと下げた。
「……吾に法師は無理だろう。それに白鬼は鬼だというが、吾がどんなことをしても祓えぬではないか。鬼を実際に祓ったこともない。教えてもらった弓の弦を鳴らす業も、破魔矢も、前に山来た法師だのも祓えなかった」
「それは無駄に年輪を重ねて在る鬼だからさ。強い者なら或いは、吾が此方に飽きて自ら根の国へ降りて行く前に仕留められよう」
「むう、では吾よりも強いものがあれば、白鬼はやられると? 吾ではない者に祓われるのか」
「ははは、世に生まれた以上永遠に続くものなどあるものか」

 吉事も凶事もいっときの夢だと嗤った。白鬼からすれば、人の子の一生など刹那のものだ。

「刹那なればこそ、飽くなく楽しいのだろうて」
「吾は楽しくないぞ。白鬼を祓うとは──鬼を祓うのは良い。吾を生んだ人らの仇じゃ。そういう鬼はまた人を食って吾と同じ者を生み出すこともあろう。……だが、おまえは別だ、よい鬼だろう」
「鬼に良いも悪いもあるものか。鬼は鬼じゃ」
「ある。それに、白鬼が悪いやつならば、その時は吾が祓う。他の誰にも譲れぬぞ」
「ははは! なんとなんと、この白鬼も好かれたものだな」
白鬼は呵々と笑った。それは良いと拍子を打つ。
「よい、よい、なれば都中の鬼を食ったあとに汝が吾を祓うのはどうじゃ、破。それくらいには破丸もその力がついていようさ。どうだ」
「……うむ」
「吾は腹は膨れる、飽きたら根の国へ行ける、破は結果的には垂乳根の仇が討て、吾を独り占めできる。良いことばかりだろう? 先に行くのだ、根の国に破が来る前に家を建てても良いな。おまえが飽きたら根の国で共に暮らすと、そんな話はどうだ」
共に暮らすなら今のままでいいだろう、何故わざわざ根の国に行くのだと不平をこぼしながらも、破丸はそれならまだいいと頷いた。

「都の鬼を食えば、それで全部になるか?」
「そんなわけがあるかよ、ひとがある場所にひとがある限り鬼は絶えぬさ。けれども、今在る分はこの白鬼が平らげて見せようぞ」
「鬼はどう探せばいい?」
「よし、よし、吾に任せろよ。都に蔓延る鬼退治──ひとつ探し方を教えてやろう」

そういう思いつきがあって、鬼と法師は鬼探しを始めたのである。

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