陰陽怪奇録

井田いづ

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ねじりおに

五話 おろか

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 月明かりだけが夜道を照らしている。
 面で顔を覆った男がその中を歩いている。時折雲が光を翳らせるがなんのその、彼は歩きにくそうな素振りも見せずに背筋を伸ばして歩いていた。太刀を手に、何かを誦じている。そうして暫く歩いたところで立ち止まった。
「失礼、この白鬼に何か御用でありましょうか」
そう問えば、背後からいくつか影が現れる。
 屋敷を出てすぐに、白鬼を尾ける者がいた。彼方から手を出してくれるのであればありがたいと喜んだのも束の間のこと。
 改めて数を数えて、なんだこの程度かとため息を吐いた。遠くに弓を構えた男がひとりいるのだが、それでも大したことのない数である。

 呪いを掛けた当人には呪いは返したが、恐らく死んではいない。故に、猫丸のように操られた、或いはそうでなくともその手下にあるような存在が邪魔者を排除するべく襲ってくることは想定できた。
 あの場で呪いを返したのは破丸だが、破丸は警備の厳しい屋敷の内にいる。どう狙ったものかと考えている矢先、そこに都合よく外に出ている白鬼がいれば、何らかの接触があっても良さそうだと想定した通りではあった。

「ううむ、思うておったよりも手が薄い。この白鬼は軽んじられておるか。よもや、ねじりおには人望がないか? 人でないものに人望を望むも酷であろうか」
白鬼が一人で何やら笑っていると、太刀を引っ提げた下人たちがじわりじわりと迫ってくる。

 びん、と張り詰めた空気が揺れた。

 空を裂く音がした時には、白鬼は片腕を振り上げていた。空気を割く。銀色の軌道が一瞬閃いて、ぎらりと太刀がうかび、真っ二つになった矢が地に落ちている。
 白鬼はその矢尻を掴みあげると、すかさず飛んできた方に放り投げた。
 折れた矢尻は風を切って飛んで行く。
 ぎゃっと声があがった。夜闇に紛れて顛末はわからない。しかし二の矢は飛んでくる気配はなかった。男たちが慌ててぴゅう、と口笛を吹いたが、返答もない。
 よもや刺さったか──白鬼の剛腕に、下人たちは一瞬怯みを見せた。人間業ではない。
 対して白鬼は太刀を地面に突き立てると、両手をひらひらと振ってみせた。
「失礼、失礼、吾は己が因果を返したのみにございますれば、どうか気を鎮められよ。其方が何もせねば、此方も何もせぬ。何も出来ぬ」
「ううむ」
「そら、此方は丸腰で御座いましょうや。ささ、左様なことよりも、ひとつだけ。汝らの主人は吾の死を望んでおられるのであろうか」
「そうじゃ」
ひとつ声がした。
「そうじゃ、邪魔をしおって」
もうひとり答えた。次々にそうだそうだと、下人たちに似合わない皺がれ声が応えた。

「斯様な場所で? 風情もない。ひとが来たらどうするのです」
「どうせひとは来ぬ」
「今宵死ぬはずだった女の代わりじゃ」
「まずはおまえを喰ってやる」
白鬼は怯えるどころか、渡りに船だと手を打っていた。
「なるほど、なるほど、それならば。このまま歩いて探しにいくよりも、連れて行ってもらうが早かろう。互いにな」

 言うなり、白鬼は突き立てていた太刀を明後日の方向に放り投げた。
 当然、男どもはぎょっとする。白鬼はその場にどかりと腰を下ろした。
「何のつもりじゃ」
問えば、
「ねじりおに殿の御手にかかりたいと思いましてな。ふむ、ねじりおに、大層な力でいるが、この白鬼の首も丈夫で御座いますれば……」
白鬼は嘲るような声音で笑った。
「力比べといえば可笑しな話であるが、へし折れるかと気になりましてな。連れていかれよ」
「左様な言葉で惑わせると思うておるか……」
「さあて、さあて……」
くつくつと嗤う。

 男たちは顔を見合わせた。斬ればいい、なのにそんな気が起きない。鬼の元へと連れていくべきかと思えてくる。鬼に操られているのに、それよりも強い何かに唆されている気分である。
「ささ、遠慮は不要に御座いますれば。疾く行かれよ」
などと、偉そうな人質である。
 太刀を降ろすべきか、それともこの場で斬り捨ててしまうべきかで男たちに迷いが生まれる。
「ささ、真摯な言葉が伝わらぬならば、目を見て願いましょうか──」
言いながら白鬼は面を外した。
 瞳に月明かりが跳ねる。
「疾く」


          ◼︎


 破丸は不機嫌を隠そうともしなかった。あれからもいくつか掘り残しを殴り返していた。恐らく呪詛返しについては対策の一つや二つしてあろうが、これだけ返されてはもう息も絶え絶えだろう。わざわざ捕まえずとも自壊する。
 よくもまあ、ここまで人に気が付かれずに埋めたものだと感心する。昨日の猫丸のように手近な人を操っていたのであろうが、それにしたって埋めすぎだ。中には男を模したものもあって、破丸はその見境のなさにため息を吐いた。これだけ埋めて、あの被害ならばまだ良い方か。或いはよほど呪詛の掛け方の悪い鬼なのだ。
「おい、そこの。昨日の男はどこだ。猫だ」
「ね、猫丸は怪我も重く、急ぎ故郷くにへ」
側の男に聞いて、破丸は舌打ちする。手打ちにされたのだろうと察しがつく。どちらが鬼だかわかったものではない。

 今朝は朝からてんやわんやだった。
 白鬼がいないせいだ、と破丸は決めつけていた。そのせいで兼時の相手を破丸がする羽目になったし、姫は昨日あれだけ当たり散らしておいて消えた法師に狼狽えるし、しかし実際に怨返しをしたのが破丸だからと面倒を押し付けてきたのである。
 白鬼のことだから、きっとまた単純なことを面倒なことに変えて、なにやら楽しんでいるのだろうという予想はついていた。ただ、これまで勝手に居場所を告げずに消えたことは数えるほどしかない。いつだってすぐに戻ってきたのだ。

 今どこにいるのか、いつ帰るのか、それがわからないことに破丸は苛ついている。
「屋敷は大方こんなものだろうがよ。吾は外へ出る。戻りはわからんが、明日になる前には白鬼を連れて戻るはずだ。あのばかが変な場所にいなければな」
「や、破丸様、法師様がお二人ともいない時に呪いが来たら如何なさいます」
「……」
「呪いが……」
「来ぬ」
破丸は言い切った。
「どうしても気になるならば……あいつだ、あそこにいる、あいつは素質がある。あれに弓を持たせて、昨晩のように弾かせてろ。瑣末なものならば来ぬだろうよ」
「は、はい!」
「…………それと、汝も吾と共に来やれ」
「は、はあ……? 己がで御座いますか」
「おう、己だ。よく考えてみりゃ、が必要だった。それを汝に任せる」
「はあ……」
犬丸はまだわからぬまま、取り敢えず主人の元へと走っていった。破丸は先に屋敷から出ると、鼻を利かせる。

 香りが風に溶け込んで、東の方へ伸びていた。蝮の吹っ飛んでいった方角である。
 破丸は鼻がよく利く。白鬼は耳がよく利く。二人、そうやって役割を分けて常は暮らしている。
 散々共にいるから、白鬼の匂いなら覚えている。それと、ねじりおにの匂いも思い当たるものはある。
 大体の目星をつけたところで犬丸がやってきて、二人は大股で其処を目指すこととなった。犬丸には己の太刀を持たせている。
 二人は特に会話もなく歩を進めて、東の市のあたりまで来た。月初めの頃だから、がらんどうとして人の通りは然程ない。ぐるぐるとそこらを回ってから、いきなり通りを幾つかまがって、京の端、ある廃屋までやってきた。随分と雨風に晒されたのか、崩れ掛けている。無法者などが巣食っていそうで、犬丸はぶるりと震えた。なるほど、攫われた先、と言われてみれば頷ける。
「もし、もし、法師様」
「吾か」
「ヤレマル法師様、こ、こちらですか」
「ああ」
「シラキ様の場所をどのようにして探し当てられたのです」
「どのようにか、匂いだな」
「匂い?」
「彼奴は特殊な香を焚いている。どんなに離れたって嗅ぎ間違えるものかよ」
そう言って、さっさと手近な屋敷に入っていった。
「己にはなんにも嗅げませんが」
犬丸は鼻をひくつかせて後を追う。

 誰も二人を止めなかった。
 それどころか、人の気配がない。
 形ばかりの門に、ぼうぼうと生え伸びた草、崩れた屋根のその小さな屋敷は長いこと人が住んでいないようであった。
 そのところどころに人が転がっていたものだから、犬丸は仰天した。
「あなや! ほ、ほ、法師様!」
「騒ぐな、死んでない」
破丸は一瞥して、すぐに視線を逸らした。
「彼奴は人を殺さぬ。吾を困らせることは余計にしないはずだ」
「シラキ様は……」
「この奥にいる」
言い切る破丸に、しかし犬丸はまだ不安なようで、
「ほ、法師様。これは誰の仕業なのです」
「白鬼が、己を拐わせた奴らを懲らしめたんだろ。昨日の猫丸と同じだ。彼奴は腕っぷしは立つからな」
「は、はあ……」
「気になるなら、介抱してから来い。すぐ其処にいる。呼んだら来よ」
言い捨てて、己は止まることなく奥へと進む。


 奥の部屋に白鬼はいた。
 倒れ伏した男たちに囲まれるようにして胡座をかいている。とうにこちらに気がついていたのだろう、「やあ」と手を挙げて首を傾げた。
「なんだ、破まで来ることはなかったのに。じきに土産を手に帰るから、屋敷でゆっくり待っておればよいのに」
「白鬼が勝手に消えやがるから来る羽目になったのだろう。いつ戻るかもわからん」
「吾が勝手なのは常のことであろう。破丸の常から言うように、子ではないのだから吾など置いて事を進めればよい」
「身勝手なのは常だが、こういった趣向はそうそうないから来たんだろう。せめて場所くらいは伝えろ」
「おや、おや、それは失礼したな。ねじりおにを捕まえる、その方法は見てればわかると言ったと思うていたのだが……」
「だからと言って拐われるつもりだと分かる奴があるかよ」
破丸はフン、と息を吐いた。
「どうせ汝がそうするように唆したのだろうが、白鬼の策とはこの程度ものか。単純だな」
「早いだろう、自分の足で探すよりも」

 首を傾げたところで、白鬼は面越しにじっと破丸を見つめた。破丸は露骨に眉間に皺を寄せる。
「なんだよ」
「待て待て、おまえは一体何に気を悪くしているのだ。勝手はいつものこと、それとも何か、分下兼時の相手が面倒であったか? 今後は面倒が増えると、山を下る前に言ったろう」
「怒ってなどない」
破丸はそう言いながらも睨む視線を緩めない。
「断じて怒ってなどいないが、白鬼は俺の隣に在るもんだろうが。それが勝手にいなくなるから、こうして小言も言いたくなる」
白鬼は覿面に吹き出した。けらけらと腹を抱えて笑い出す。
「…………破はとんだ阿呆であったな! 失礼、失礼、この白鬼は失念していた!」
「なんだと!」
「単なる童の駄々ではないか! そうかそうか、寂しかったか。それで臍を曲げてこんなところまで来るとは、駄々子ではないか!」
「ぐぬぬ、駄々ではない! 吾が目を離すと白鬼が何をしでかすかわからぬからだろう!」
「いやいや、まったくな傲慢そのものの言い分でな、驚いた」
「ふん、なれば白鬼の責だ。吾はそう育てられた」
「はははは、そうか、吾の育て方が間違ったか!」
白鬼は呵呵と笑った。
「いや、そう言われればそうだ。吾に倣えばそうなるのも当然だとも」
「だろ。────それで、ねじりおには捕まえたのかよ。乳母は何処にいる。鬼を逃したのか」
「いやな、乳母殿を迎えに行こうとして、そこにちょうど破らが来たと言うわけだ。盛り上げた方が鬼としても嬉しいだろうから」
「なればこれから行くか。犬も連れてきたからな」
「よいよい。では犬丸殿を呼んで、参ろうか。逃げられはしまい」
白鬼はようやく腰を上げて、表へ出た。

 犬丸は諸手をあげて白鬼の無事を喜んだ。随分懐いているらしい。白鬼も柔らかくこれに応えた。
 三人は揃って屋敷の奥へと進む。白鬼はやんわりと、犬丸を一番後ろに隠すように配置してその場所へ立つ。

 廊下の突き当たり、一見すると壁に見える場所を、拳で何度か打ちつけた。
「もうし、乳母殿」
ガタガタと音がする。それからなんぞか不気味な声。構わずに破丸は蹴破った。薄い板で覆われているだけの、窓もない小さな物置だった。
 その隅の暗がりに、乳母がいる。
 二つの目がぎらぎらと光って、しかし怯えるように揺らぎながら入ってきた破丸と白鬼を睨んだ。


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