陰陽怪奇録

井田いづ

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ねじりおに

一話 さわり

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 都のはずれで、女がひとり殺されていた。白い肌に黒髪が乱れて、異様なのはその首が幾度となく捻じられている、まさに恐ろしい死に様だった。
 はじめにそれを見つけたのは、近くに住む市女いちめだ。不審なモノが落ちている、はてさてなんだと近づけば、見目は美しかったであろう女の成れの果て。ぎゃあと叫べば、たちまち騒ぎとなった。
 あらためられて、それは分下わけという下級貴族の家に仕える女であることがわかったのだが、話はそこでは終わらなかった。

 次の日も人が死んでいたのである。同じように首が捻られた姿で見つかった。今度もまた、女人である。しかもまた、分下の家に関係する女だった。
 それでもまだ終わらない。
 そのまた次の日も人が死んで、同じように首が捻られているのだから、いよいよこれは人の仕業ではないと人々は囁いた。鬼の仕業じゃ、とまことしやかに囁かれたのも致し方ないことだった。
「あの家は呪われておる」
「おお、おお、鬼の仕業に違いない」
「誰ぞかに恨まれておるのではないか」
 そういう噂になれば、肩身も狭い。急ぎ祓いを頼んだものの、束の間の平穏の後、数日を挟んでまた死人が出て効果はあまり見られなかった。

 分下の家には緊張が走っていた。
 彼らが緊張するのも無理はない、死んだ女人は誰も彼も、どこか容姿が似ていたのである。目の感じ、顔の何処かにある黒子、下ぶくれの顔、薄い唇、そして分下の家。偶然も重なれば違和感を生む。
 これはおかしい。誰ぞが呪をかけたか。犯人探しが始まれば疑心暗鬼が伝播する。
 とは言え、特段出世頭の貴族でもなく、当主が何処ぞの姫君に無体を働いただの、或いは足が遠のいた女がいるだの、そんな話もない。狙われている当人に恋文があっただの、横恋慕だのもない。

「次はときの姫様じゃないか」

 ふと誰ともなくそう言い始めた。
 鴇姫は鳥を愛する大層美しい姫で、分下の一人娘だ。分下の当主は姫を溺愛しており、言い寄る男に厳しい言葉を浴びせることもあるという。
 ――次は私。
 当の鴇姫もそう思っていた。鴇姫に似た風采の女ばかりが、しかも分下の女が死んでいる。鴇姫を殺さんがために、関係のない下女を殺しているのだ。
 その身が未だ無事なのは、単に相手が甘くて狙いをつけきれていないだけなのか、或いはじわりじわりと恐怖に蝕むつもりなのか。鴇姫は必死に誰かと考えを巡らせたが、一向に答えは出ない。

 鴇姫には文をやりとりする相手はいる。少し前まで、かなり良い内容の歌を送りあっていた。近く結婚の話だって、父を通して出てはいる。
 ただ、その筋で恨まれる覚えはないのである。まさか、つまとなる人にもっと好いひとがいて……とは考えているのだが、そうなると相手の顔もわからぬ以上お手上げだ。そんな噂も聞かない以上、こちらから藪を突く性格でもなかった。
 
 此度の騒動が始まってからというもの、文が滞ってはいた。騒動については漏れ聞いているはずなのに、心配の文ひとつない。乳母にだけ相談してらひたすらに怯えて暮らすほかなかった。

 一月経っても犯人は見つからなかった。
 喉元に手を掛けられたような気がして気持ちが悪い。姫は誰でもいいから、この事態を良く変えてくれる者が来ないかと願っていた。
 その想いが通じたのやもしれない。
 ある日突然、妙な客人が来たのである。


           ◼︎


「もし、もし、御前様、よろしゅう御座いますか」
 さわりと風が御簾みすを揺らす。
 考えに耽っていた鴇姫はハッと意識を戻した。御簾の向こうに誰ぞかがいる。聞き覚えのない声に、思わず退いた。
 屋敷に人がいるのは決して珍しいことではないが、先ほどまでは確かに誰もいなかったはずで、しかも見ず知らずの声が聞こえてきていい場所ではない。
 御簾に不自然に影ふたつが濃く浮かび上がる──それも男だった。体温が下がるのを感じた。

 何故、こんなところに、誰も止めなかったのかと見渡すが、誰の音も聞こえない。誰が来る気配もない。それどころか鴇姫自身、声も上げられないのである。
「吾が声は聞こえておりまするな、どうか御返事をくだされ」
 男がなおも声を掛けてくる。返事をするまでは動かないつもりらしく、二つの影は微動だにしなかった。
 警戒する気持ちもあったが、不思議と鴇姫は落ち着きを早くに取り戻した。息を吸い込めば、束縛が解かれる。
 怖くない、と思えば何故だか本来働くはずの危機感というものが風に吹かれて飛んでいったようであった。

「其処に在るはどなたか」
 つとめて冷静に、尊大に声を出した。このまま人を呼べばいいものを、どうしてかそんな気は起きなかった。代わりに強い口調を意識する。
「此処を何処と心得ておるのです」
「失礼、失礼、声は届いておりましたか。それはなによりなにより──いや、お困りかと思いましてな」
 遮るようにして、すぐに声が返ってくる。随分と軽い調子の声だった。
「助けがいるのではないかと思った次第にて、故にこうして鴇の姫様の御前までまかり越したので御座います」
「……誰が其方を此処まで案内したのです」
「否、誰ひとりとも」
「誰ひとりも?」
「耳を澄ましてくださいませ、何も聞こえますまい。敷地に入ったことにすら気がついておりますまいて……しかし、それは問題では御座いますまい」
 そう言われれば、そんな気がしてくる。
「おい、おまえもいつまで不貞腐れておる。とく座れよ、やれ。此を何処と心得ておるのだ。御許様の御前ぞ、立ったままの奴があるか」
 背の高い影は静かに座るなり、隣の男に偉そうに命じていた。すると、すぐに小さい方が声を上げる。
「ふん、お前が勝手にずいずいいくのが悪いのだろう。しかも姫の御前だぞ、失礼の化身め」
「ははは、この場ではおのれが一等失礼であるぞ、破や。さあさあ、分かるならば座れ」
「……」
 どかりと大きな音を立て、背の低い方もようやく座った。

 御簾を隔てて、不思議なものと対峙する。
 鴇姫はじりりと膝で下がっていた。ふわりと風が吹いて、また恐怖がちろりと覗く。
 よもや、件の呪いを撒き散らす魑魅魍魎ちみもうりょうではないのか、いよいよ果たしに来たか──そうよぎったはずなのに、どうしてか人を呼ぶ気だけは起きない。本当に呪いでもかけられたか。

 御簾の奥でひとり悩む鴇姫をよそに、片方が先ほどまでのぶっきらぼうさをそのまま、こちらに向かって
「吾は破丸やれまる…………と申す者にございます」
そう名乗った。
 もう一人、「失礼」を繰り返している方は随分な巨躯だった。こちらは破丸の方に顔を向けて横向きにすわっている。
 驚いたのはその横顔だ。顔にはつるりとした面を当てているのか、凹凸ひとつない横顔だったのだ。そっと息を呑むが、やはり恐怖心は凪いだままだ。
「此は名を白鬼しらき斯様かような面のままにて失礼仕る。吾ら、旅の法師に御座います」
 男はそう名乗った。

 ヤレマル、シラキ、まるで覚えのない名前だった。鴇姫は慌てて咳払いをした。
「法師が何用です。用向きが如何にせよ、突然に押しかけるなど……斯様な場ではなく、然るべきところを通すべきでは?」
「御助けに参りました故、急ぎ参った次第にて」
「訳のわからぬことを」
「失礼、失礼、いやな、わからぬことはないでしょう。なにせ、御許様は呪われて在られる。覚えは御座いましょう。鴇の姫君を狙うはで御座いましょう──」
 ぎくりと肩が揺れる。己の首が捻られる錯覚に首元を抑えた。絹が鳴く。
 すかさず、破丸が言葉を繋いだ。
「それを吾らがどうにかしてやろう……というのです」
「な、汝らは一体……」
「吾らは旅の法師だ」
「突然に来て、望みは何です」
「うむ、無論、御助けするは吾らが善意ではあるが、礼については──」

 そこに、ぐうう、と長めに音が鳴る。
 破丸を遮るように途端にぐうぎゅう鳴り響く腹の虫、音源は白鬼の方らしい。
「あはは」
 彼は悪びれることなく笑い声をあげた。破丸が不機嫌な声をあげる。
「おい、白鬼」
「失礼。失礼仕った、いや、鴇姫様。ひとつ御願いが御座いましてな。御身にかかる魔を祓う礼として、この哀れな旅人に飯と宿とを恵んではくださらぬか──いや、吾らはなにぶん三日ほど、まともな飯にありつけておらなんだ……」
「おい!」
 鴇姫は甚だ困ってしまった。変なものがやってきた。それを拒めぬ自分がいる。
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