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幼少期から、すでに人間が嫌になっていた。王子というだけで権力欲しさに言い寄ってくる大人、そんな大人の鏡写しのように我も我もと傍に寄ってくるその子どもたち。その笑顔で何を考えているのか想像するに容易い。幼心に嫌悪感を抱かせるには十分だった。
そのとき唯一心を許せる相手は、スターチス家の執事長の息子であるエディだけだった。歳も近く、決して愚かで浅はかな人間ではなく寧ろ深慮深く賢い。権力などには興味はなく、ただ純粋に父親の手伝いをし俺の話を聞いてくれる友人だった。将来きっとエディが執事長となるのならば安心できる、そう思いながら王子としての教養を受けながら日々を過ごしていた。
そんな中、婚約話が出てきた。王子であればその話が出てくるのは当たり前だろう。だが、人間が嫌になっている俺が果たして相手を受け入れられるかどうか。
答えは『否』だった。
アルストロ家の娘、カトレア・ノーマ・アルストロ。彼女は初めて顔を合わせたとき礼儀正しく名を告げ頭を下げた。洗礼されている所作だった。しっかりと教養が行き届いているのが見て取れたが、そもそも俺自身が受け入れられる器を持ってはいなかった。親同士が勝手に決めた婚約だ、よくも知りもしない相手に一体何を育めと言うのか。反吐が出る。結局俺も彼女もこの国のための道具に過ぎない。
それでも彼女は婚約者であろうと、健気だった。婚約者としての決まりのように顔を合わせる時間、その間必死で何か話題を出そうと色々と話しかけてきた。だが俺は話すつもりもなく、また彼女と親交を深めるつもりも更々ない。あらゆる言葉をすべて聞き流し、結局何を喋っていたのかまったく記憶に留めなかった。
「王子は何がお好きなんですか?」
「さぁ」
「本は読みます?」
「ああ」
「どんなものを読むんですか?」
「色々」
こんな感じで、彼女の言葉にはすべて一言で返す。喋るのも億劫だったからだ。それに気付いてか、数回会ううちに彼女の口数も徐々に減っていき天気の話など実のないものになっていった。目を合わせることもせず、俺よりも小さい彼女の歩幅に合わせて歩くこともない。だから彼女は常に俺の後ろを歩く。そんなある日のことだった。
「王子、名は『レオ』でございましたよね。私も今後そうお呼びしてもよろしいでしょうか?」
それは、親しい者だけに許している呼び名。顔も目も合わせない、ただ利益のためだけの関係性である彼女がその『親しい者』に入るわけがない。
今ならば婚約者であれば別に口にするのもおかしいわけではないのに、当時の俺は酷く癇に障った。
「お前がその名を呼ぶな」
荒々しく吐き捨てた言葉に、ハッと我に返る。流石に言葉がきつすぎたか。これで怯えて泣かれるとなると面倒だ。適当なことを言って早々にこの場を去ろう、そう考えている俺とは裏腹に彼女は決してすすり泣くような音は出さなかった。
「申し訳ございません、王子」
その代わり何の感情も出ていない表情に声色。目は、俺を見てはいなかった。
そうしてお互い親睦を深めないまま、学園に通うことになった。彼女とまともに会話をしなかったが、一応婚約者という名目があったため入学時だけは一緒に登校という形をとった。もちろんエディも傍にいる。王子とその婚約者ということもあって他の生徒からは遠巻きで見られ、声をかけられなかったことは面倒事が省かれて大いに助かった。
だがそれもほんの数日だけだった。いつの間にか彼女が俺の後ろにいなかったのだ。いなくなったのに気付いたのは数日後で、それをエディに呆れられた。「君は本当に関心がないな」という言葉付きで。まさかの遅刻かと顔を歪めたらどうやら違うようだ。
「彼女、友人ができたそうだよ。楽しそうにしているのを何回か見た」
「……友人ぐらいできるだろ」
「君も彼女も友人、特にいないだろ」
言葉が喉の奥に引っかかった。だが俺は敢えて、作っていないだけだ。あんな欲にまみれた目を向けられると嫌悪感しか抱かない、それならばいないほうがいい。彼女もそうだろうと思っていたが、どうやらそれは俺の思い込みだったようだ。それに学園に登校するようになって彼女の妙な噂が勝手に広まっている。そんなこともあって彼女も友人を作ろうという気にはならないだろう、とまで思っていたんだが。
「昼休憩なんて一緒に食事取ってるみたいだよ。一般生徒らしいけど、ずっと笑顔でいる」
「……随分詳しいんだな」
「俺は君と違って彼女と交流を深めていたからね」
確かに、幼き頃から三人でいることは別に少なくはなかったが。先程から「いつの間に」という言葉しか出てこない。いつの間にエディと彼女は親しくなっていたのだろうか、いつの間に彼女は友人を作ったのだろうか。エディの言っていた通り、俺は婚約者にあまりにも関心を抱いてはいなかった。それに、今後も抱かなくてもいいと思っていた、が。
「面白くなさそうな顔。一緒じゃなくて残念だったね」
無意識に俺と彼女は似たようなものだと思っていたことを、エディには見透かされていた。
その数日後だ、めずらしく父上に呼び出されたのは。親子の会話が決してないわけではないが大概政治の話だ。意見を求められ、王になる器であることを証明するために決して間違えた答えを返すわけにはいかない、そんな会話。今回も恐らくそういうことに関しての呼び出しだろうとドアをノックし中へ入り、頭を上げて父に挨拶をする。
「お呼びでしょうか、父上」
「ああ。突然で何だが簡潔に言おう。アルストロ家が婚約破棄を提示してきた」
「……婚約破棄?」
「そうだ。元はアルストロ家の後ろ盾を得るための『契約』の印である婚約だったが、アルストロ家から別の条件での契約が提案された。こちらとしては決して悪い話ではないため、承諾した」
将来、国のためにと勝手に婚約された俺たちであったが、今回もまた父親たちの勝手な計画のために今度は破棄しろと言う。こちらの考えなどお構いなしに。
「ただし、最終的に婚約を破棄するかどうかの判断はお前に委ねる。お前が承諾すれば婚約破棄は成立したこととなる」
「ですが。そうなるとアルストロ家の令嬢はどうなりますか」
勝手に決めておきながら、今度は勝手にこちらに判断を委ねる。一体何なんだ。父親を尊敬していないわけではない、国王としてこの人の手腕は見事なものでだからこそ国は豊かでいられる。俺が目指しているものであり、そして皆がこうなることを望んでいる。
だがこうも自分の道を決められなければならないのか。俺はともかく、彼女にまで。別に好いてもいない者の元へ嫁げと言われ、今度は婚約を破棄されろと言われる。貴族であるのなればめずらしい話ではない、寧ろよくある話だ。それにしてもあまりにも理不尽な話だ。
「アルストロ家の令嬢は社交界で肩身の狭い思いをするだろうな。能なしと後ろ指を差され噂され嘲笑され、女としての価値を下げられる」
「……でしたら」
「そしてこの婚約破棄を最も望んだのがその令嬢だ。己がそうなることをわかっておきながらな。賢いが故に、お前の婚約者に選んだというのに……惜しいことだ」
なぜ俺はこんなにも、衝撃を受けているのだろうか。父上に破棄しろと言われたわけではないのか、周りに言われるがまま承諾したわけではないのか――彼女は、最も望んだだと。
それから父上に頭を下げ退室した。どうやって自室に戻ったのかあまり覚えていない。色んなことが起こったわけでもない、たった一つの提案がなされただけだ。それなのになぜ俺は、こんなにも……不安定になっているのだろうか。
自分の感情がわからず翌日すぐにエディを呼び出した。婚約破棄が提示されたこと、アルストロ家と父上はそれを承諾しており、あとは俺自身がどうするのか決めろということ。エディも別に好いているわけでもない相手が奥さんにならずに済むのだからよかったじゃないか、と事もなげにさらりと告げる。その言葉に俺は更に衝撃を受けた。
「……レオ、もしかしてショックを受けているのか?」
「は……?」
「何があろうと、何が起ころうとも、カトレアは自分の傍から離れるわけがないって、そう思っていた?」
「っ……!」
「カトレアに関心を持っていなかったくせにね」
レオは昔からご機嫌取りのようなことをせず、はっきりと自分の思ったことを口にする。俺が腹を立てて首を切る、などと思っていないのだ。
だがエディの言うとおりだ。勝手に決められた婚約というなの契約、まだ大人になりきっていない俺たちがどうすることもできない。だからこそそれは決定事項で変えられようのないものだと思っていた。だからこそ、どう足掻いても彼女は俺の元から去ることもできないのだと。
けれどそれも強く望めば、変えることができたのだ。思考停止をしていたのは俺、思考をめぐらせていたのは彼女。言われるがままだった俺に対して彼女は俺の知らないところで足掻いていた。
「婚約破棄されたら君が嫌いな人たちがこぞって君に近付くだろうね。撫で声で無駄に肌の接触をして君が何もしなくても勝手に称えてくる。健気に一歩下がって控えてくれる令嬢なんていないさ」
想像しただけでもゾッとする。あんな欲深い目を持った人間が俺の周りに集まってくる、中には既成事実さえ作ればいいと思っている者だっているはずだ。今までそれがなかったのは『婚約者』というものが抑止力になっていたから。
婚約破棄など、俺にとっては何一つ利点などない――そこまで考えて我に返る。結局俺は幼少期から自分のことしか考えられない。盾となっていた彼女がいなくなればまた疎ましいことが起きる、真っ先にそう考えるのだこの頭は。こんな利己的である人間を、彼女はもしかしたら見透かしていたのかもしれない。それならば婚約破棄を望んでいるということも納得できる。
彼女と、話し合う必要があるのだろう。今まで会話をしようとしてこなかったツケが今こうして来ているのだ。お互い、納得した上で結論を出したほうがいい。
「彼女は君が思っているより野心家だよ。アルストロ家に嫡男はいないからね」
「まさか……いや、賢い彼女ならばあり得る話、か……」
「ちゃんと向き合うんだよ、レオ」
友人にもそう言われ、首を小さく縦に振った。
そして俺は――彼女から逃げた。彼女から直接婚約破棄のことを告げられ、自然と足が彼女とは別の方向を向いてしまい言い訳を口にしその場を去った。話し合う必要があるとわかっておきながら、彼女の姿が見える度に足が逃げてしまうのだ。
俺がそういう行動を起こしてしまったが故に、またあらぬ噂が流れ始めた。嫌がる俺に彼女がそれでも追いかけている、という風に。ただ勝手に逃げてしまう俺を彼女が婚約破棄のために探しているだけに過ぎないというのに。だがそれにしても、なぜ彼女の悪い噂がこうも簡単に素早く広がっているのか。入学してしばらくして事実無根の不名誉な噂が広がったが、一体誰が流しているのか。貴族の娘か、いや彼女たちは社交界で口にすることはあっても学園の生徒であるときはそれなりに弁えている。
「……嫌な予感がするな」
前兆を予見することは後の王となるためにそれなりに培われてきた。誰かが故意に彼女を貶めようとしている、そう考えてよさそうだ。
取りあえず俺は今、無意識に逃げてしまう身体だ。信頼できるエディに色々と調べてもらったほうがいいのかもしれない。
そのとき唯一心を許せる相手は、スターチス家の執事長の息子であるエディだけだった。歳も近く、決して愚かで浅はかな人間ではなく寧ろ深慮深く賢い。権力などには興味はなく、ただ純粋に父親の手伝いをし俺の話を聞いてくれる友人だった。将来きっとエディが執事長となるのならば安心できる、そう思いながら王子としての教養を受けながら日々を過ごしていた。
そんな中、婚約話が出てきた。王子であればその話が出てくるのは当たり前だろう。だが、人間が嫌になっている俺が果たして相手を受け入れられるかどうか。
答えは『否』だった。
アルストロ家の娘、カトレア・ノーマ・アルストロ。彼女は初めて顔を合わせたとき礼儀正しく名を告げ頭を下げた。洗礼されている所作だった。しっかりと教養が行き届いているのが見て取れたが、そもそも俺自身が受け入れられる器を持ってはいなかった。親同士が勝手に決めた婚約だ、よくも知りもしない相手に一体何を育めと言うのか。反吐が出る。結局俺も彼女もこの国のための道具に過ぎない。
それでも彼女は婚約者であろうと、健気だった。婚約者としての決まりのように顔を合わせる時間、その間必死で何か話題を出そうと色々と話しかけてきた。だが俺は話すつもりもなく、また彼女と親交を深めるつもりも更々ない。あらゆる言葉をすべて聞き流し、結局何を喋っていたのかまったく記憶に留めなかった。
「王子は何がお好きなんですか?」
「さぁ」
「本は読みます?」
「ああ」
「どんなものを読むんですか?」
「色々」
こんな感じで、彼女の言葉にはすべて一言で返す。喋るのも億劫だったからだ。それに気付いてか、数回会ううちに彼女の口数も徐々に減っていき天気の話など実のないものになっていった。目を合わせることもせず、俺よりも小さい彼女の歩幅に合わせて歩くこともない。だから彼女は常に俺の後ろを歩く。そんなある日のことだった。
「王子、名は『レオ』でございましたよね。私も今後そうお呼びしてもよろしいでしょうか?」
それは、親しい者だけに許している呼び名。顔も目も合わせない、ただ利益のためだけの関係性である彼女がその『親しい者』に入るわけがない。
今ならば婚約者であれば別に口にするのもおかしいわけではないのに、当時の俺は酷く癇に障った。
「お前がその名を呼ぶな」
荒々しく吐き捨てた言葉に、ハッと我に返る。流石に言葉がきつすぎたか。これで怯えて泣かれるとなると面倒だ。適当なことを言って早々にこの場を去ろう、そう考えている俺とは裏腹に彼女は決してすすり泣くような音は出さなかった。
「申し訳ございません、王子」
その代わり何の感情も出ていない表情に声色。目は、俺を見てはいなかった。
そうしてお互い親睦を深めないまま、学園に通うことになった。彼女とまともに会話をしなかったが、一応婚約者という名目があったため入学時だけは一緒に登校という形をとった。もちろんエディも傍にいる。王子とその婚約者ということもあって他の生徒からは遠巻きで見られ、声をかけられなかったことは面倒事が省かれて大いに助かった。
だがそれもほんの数日だけだった。いつの間にか彼女が俺の後ろにいなかったのだ。いなくなったのに気付いたのは数日後で、それをエディに呆れられた。「君は本当に関心がないな」という言葉付きで。まさかの遅刻かと顔を歪めたらどうやら違うようだ。
「彼女、友人ができたそうだよ。楽しそうにしているのを何回か見た」
「……友人ぐらいできるだろ」
「君も彼女も友人、特にいないだろ」
言葉が喉の奥に引っかかった。だが俺は敢えて、作っていないだけだ。あんな欲にまみれた目を向けられると嫌悪感しか抱かない、それならばいないほうがいい。彼女もそうだろうと思っていたが、どうやらそれは俺の思い込みだったようだ。それに学園に登校するようになって彼女の妙な噂が勝手に広まっている。そんなこともあって彼女も友人を作ろうという気にはならないだろう、とまで思っていたんだが。
「昼休憩なんて一緒に食事取ってるみたいだよ。一般生徒らしいけど、ずっと笑顔でいる」
「……随分詳しいんだな」
「俺は君と違って彼女と交流を深めていたからね」
確かに、幼き頃から三人でいることは別に少なくはなかったが。先程から「いつの間に」という言葉しか出てこない。いつの間にエディと彼女は親しくなっていたのだろうか、いつの間に彼女は友人を作ったのだろうか。エディの言っていた通り、俺は婚約者にあまりにも関心を抱いてはいなかった。それに、今後も抱かなくてもいいと思っていた、が。
「面白くなさそうな顔。一緒じゃなくて残念だったね」
無意識に俺と彼女は似たようなものだと思っていたことを、エディには見透かされていた。
その数日後だ、めずらしく父上に呼び出されたのは。親子の会話が決してないわけではないが大概政治の話だ。意見を求められ、王になる器であることを証明するために決して間違えた答えを返すわけにはいかない、そんな会話。今回も恐らくそういうことに関しての呼び出しだろうとドアをノックし中へ入り、頭を上げて父に挨拶をする。
「お呼びでしょうか、父上」
「ああ。突然で何だが簡潔に言おう。アルストロ家が婚約破棄を提示してきた」
「……婚約破棄?」
「そうだ。元はアルストロ家の後ろ盾を得るための『契約』の印である婚約だったが、アルストロ家から別の条件での契約が提案された。こちらとしては決して悪い話ではないため、承諾した」
将来、国のためにと勝手に婚約された俺たちであったが、今回もまた父親たちの勝手な計画のために今度は破棄しろと言う。こちらの考えなどお構いなしに。
「ただし、最終的に婚約を破棄するかどうかの判断はお前に委ねる。お前が承諾すれば婚約破棄は成立したこととなる」
「ですが。そうなるとアルストロ家の令嬢はどうなりますか」
勝手に決めておきながら、今度は勝手にこちらに判断を委ねる。一体何なんだ。父親を尊敬していないわけではない、国王としてこの人の手腕は見事なものでだからこそ国は豊かでいられる。俺が目指しているものであり、そして皆がこうなることを望んでいる。
だがこうも自分の道を決められなければならないのか。俺はともかく、彼女にまで。別に好いてもいない者の元へ嫁げと言われ、今度は婚約を破棄されろと言われる。貴族であるのなればめずらしい話ではない、寧ろよくある話だ。それにしてもあまりにも理不尽な話だ。
「アルストロ家の令嬢は社交界で肩身の狭い思いをするだろうな。能なしと後ろ指を差され噂され嘲笑され、女としての価値を下げられる」
「……でしたら」
「そしてこの婚約破棄を最も望んだのがその令嬢だ。己がそうなることをわかっておきながらな。賢いが故に、お前の婚約者に選んだというのに……惜しいことだ」
なぜ俺はこんなにも、衝撃を受けているのだろうか。父上に破棄しろと言われたわけではないのか、周りに言われるがまま承諾したわけではないのか――彼女は、最も望んだだと。
それから父上に頭を下げ退室した。どうやって自室に戻ったのかあまり覚えていない。色んなことが起こったわけでもない、たった一つの提案がなされただけだ。それなのになぜ俺は、こんなにも……不安定になっているのだろうか。
自分の感情がわからず翌日すぐにエディを呼び出した。婚約破棄が提示されたこと、アルストロ家と父上はそれを承諾しており、あとは俺自身がどうするのか決めろということ。エディも別に好いているわけでもない相手が奥さんにならずに済むのだからよかったじゃないか、と事もなげにさらりと告げる。その言葉に俺は更に衝撃を受けた。
「……レオ、もしかしてショックを受けているのか?」
「は……?」
「何があろうと、何が起ころうとも、カトレアは自分の傍から離れるわけがないって、そう思っていた?」
「っ……!」
「カトレアに関心を持っていなかったくせにね」
レオは昔からご機嫌取りのようなことをせず、はっきりと自分の思ったことを口にする。俺が腹を立てて首を切る、などと思っていないのだ。
だがエディの言うとおりだ。勝手に決められた婚約というなの契約、まだ大人になりきっていない俺たちがどうすることもできない。だからこそそれは決定事項で変えられようのないものだと思っていた。だからこそ、どう足掻いても彼女は俺の元から去ることもできないのだと。
けれどそれも強く望めば、変えることができたのだ。思考停止をしていたのは俺、思考をめぐらせていたのは彼女。言われるがままだった俺に対して彼女は俺の知らないところで足掻いていた。
「婚約破棄されたら君が嫌いな人たちがこぞって君に近付くだろうね。撫で声で無駄に肌の接触をして君が何もしなくても勝手に称えてくる。健気に一歩下がって控えてくれる令嬢なんていないさ」
想像しただけでもゾッとする。あんな欲深い目を持った人間が俺の周りに集まってくる、中には既成事実さえ作ればいいと思っている者だっているはずだ。今までそれがなかったのは『婚約者』というものが抑止力になっていたから。
婚約破棄など、俺にとっては何一つ利点などない――そこまで考えて我に返る。結局俺は幼少期から自分のことしか考えられない。盾となっていた彼女がいなくなればまた疎ましいことが起きる、真っ先にそう考えるのだこの頭は。こんな利己的である人間を、彼女はもしかしたら見透かしていたのかもしれない。それならば婚約破棄を望んでいるということも納得できる。
彼女と、話し合う必要があるのだろう。今まで会話をしようとしてこなかったツケが今こうして来ているのだ。お互い、納得した上で結論を出したほうがいい。
「彼女は君が思っているより野心家だよ。アルストロ家に嫡男はいないからね」
「まさか……いや、賢い彼女ならばあり得る話、か……」
「ちゃんと向き合うんだよ、レオ」
友人にもそう言われ、首を小さく縦に振った。
そして俺は――彼女から逃げた。彼女から直接婚約破棄のことを告げられ、自然と足が彼女とは別の方向を向いてしまい言い訳を口にしその場を去った。話し合う必要があるとわかっておきながら、彼女の姿が見える度に足が逃げてしまうのだ。
俺がそういう行動を起こしてしまったが故に、またあらぬ噂が流れ始めた。嫌がる俺に彼女がそれでも追いかけている、という風に。ただ勝手に逃げてしまう俺を彼女が婚約破棄のために探しているだけに過ぎないというのに。だがそれにしても、なぜ彼女の悪い噂がこうも簡単に素早く広がっているのか。入学してしばらくして事実無根の不名誉な噂が広がったが、一体誰が流しているのか。貴族の娘か、いや彼女たちは社交界で口にすることはあっても学園の生徒であるときはそれなりに弁えている。
「……嫌な予感がするな」
前兆を予見することは後の王となるためにそれなりに培われてきた。誰かが故意に彼女を貶めようとしている、そう考えてよさそうだ。
取りあえず俺は今、無意識に逃げてしまう身体だ。信頼できるエディに色々と調べてもらったほうがいいのかもしれない。
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