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 まずは王子との話し合い、ということに持ち込みたいのだけれど。あれ以来どうも王子が私を避けているような気がする。姿が見えて声をかけようとした瞬間、フッと物陰に隠れて追いかけてみればすでにその姿がない。一、二回ぐらいは偶然かな、とか忙しいのかな、とか思う程度なんだけどもそれが五回以上続けば偶然ではないことぐらい気付く。
 なぜ王子が私を意図的に避けているのか。
 とにかく婚約破棄の話を進めないことには、このままだと下手したら追放どころか死亡エンドフラグに突入してしまう。悪役令嬢補正っていうのは本当に厄介で、攻略対象者のみならず一般生とにまでやや影響が出ている。そのせいで未だに友達と呼べる仲の人はフリージア一人。他の生徒だったりはたまた令嬢だったりは遠目から私を眺めているだけだ。試しに一度同じクラスの子に話しかけようとしたら、一応会話はしてくれたけれどその笑顔はやや引き攣っていた。
 しかもだ、王子と話がしたいがためにその姿を探していはいるんだけれど。いつの間にか尾ひれがつきまくっている噂が広がってしまい、ただ話たいだけなのに「婚約者なのに王子を付け回している」だの「熱心なのは令嬢だけでそれに気付いていない」だの。噂を流すほうは楽しんでいるだけで責任取らないんだから楽なものよね! と内心ご立腹である。
「もう……王子が避ける理由って何よ!」
 フリージアの手を借りて一緒に探してもらおうとは思ったけれど、それこそイベント発生しそうだから彼女を巻き込めない。結局休み時間や昼休憩のときに一人で探すしかない。たまに視界に入るエディに王子の行き先を聞いてみるも言葉を濁らせるだけだ。
 本当に、逃げて回りたいほど私のことを嫌っているっていうことなのかしら。それならさっさと頷いてほしい、と切実に思う。それが双方のためだと言うのに。頷かない理由も逃げまわる理由も私にはまったくわからない。
 今も王子の姿を探してひと気のない場所まで行ってあちこち見て回っているけれど中々見つからない。この歳になって初めて王子とのかくれんぼなのかしら、とやや現実逃避しつつズンズンと足を進めていた。
 そしたらだ、向こうのほうから探していた人物とは別の人間が歩いてきた。しかもいいイメージがまったくない相手。なんでこんなところに、と「げっ」と小さくこぼしてしまったけれど急いで取り繕う。一応、私令嬢なので。お淑やかにしておかなければ。気付かなかったフリをしてそのまますれ違おうとまったく目も合わせずに通り過ぎようとしてみた……けれど、顔を歪めるほどの力強い手で腕を掴まれ立ち止まらざる得なかった。
「シカト? いいご身分だね」
「どうも、ご機嫌よう」
 そもそも身分的には彼は男爵の子、私は公爵の子なのだから私のほうが上だ。それに令嬢にいきなり馬鹿力で掴むのは失礼の値するだろうにそのことも知らないのだろうか、この弟キャラは。
 かなりの力で掴まれているけれどそれを表情には出さず笑顔を貼り付けてみせれば、彼の顔が大きく歪む。明らかに面白くなさそうな顔。フリージアがいないだけでこうも態度が変わるなんて、本当に彼は乙女ゲームのキャラなのだろうか。まぁ元は乙女ゲームでもこれは現実なのだから、実際そんな夢物語のような設定はないだろうけれど。
「可哀想だよね~。王子に嫌われてるって気付いてないの? 公爵令嬢のくせにおつむ足んないのかな?」
「あら、あなたは令嬢の腕を力任せに掴んでいいという教育でも受けたの? しかも周りに誰もいないところで虐めのように人を罵倒するなんて。そういうことは卑怯者のやることなのだと、あなたのお父様は教えてくださらなかったのかしら?」
「なッ……!!」
 また悪役令嬢っぽいことを言ってしまった。けれど馬鹿にしてくる相手に泣き寝入りなんてしたくはないし、つい売り言葉に買い言葉で言い返してしまう。お父様もやられたらやり返せと言っていたし。
 少し手の力が緩んだのを感じて思い切り腕を振り払う。フィリップは隠しもせず堂々と舌打ちをしてみせ、私の肩をそこそこの力で押してきた。身体がよろけ、ずっとこの態度だということはもしかしたらと悪い予感しかしない。だからと言って下手に出ることはしないけれど。
「調子に乗ってんじゃねぇよ! ただの公爵の娘が親の金で好き勝手にやってるだけだろ?!」
「……あなたって、ヒロインフリージアの前とでは全然態度が違うのね。だから彼女に嫌われるんじゃなくて」
「ッ、お前ッ」
 途端に視界がぐらつき、気付いたら身体が廊下の上に横たわっていた。左頬が熱くてじんじんどころの痛みじゃない。
 え、コイツ本当にやったの? 思い切り女の子の頬を拳で殴ったの? あり得ない。
 世の中にはやっていいことと悪いことがある。周りに人がいなかったから思い切り顔を殴ってきたのだろうか。そうなると益々目も当てられない。人に暴力を振る人間だということだ、この攻略対象者である弟キャラは。ゲームとの性格のギャップが激しすぎる。というよりももしかしたら作中で細かく描写されていなかっただけで、悪役令嬢に対してこういう態度だったのかもしれない。そういえばこの弟キャラに散々暴言を吐かれて最終的には殺されたエンドがあったなと今になって思い出した。
 左頬が痛くてたまらないけれどなぜか涙は出てこない。ただし、何の感情も乗っていない目で見上げれば彼はたじろいた。殴った右手を左手で押さえて、ようやく自分が何をしでかしてしまったのか気付いたようだ。
「お、お前が悪いんだからな! ボクをバカにするからッ!」
「先に私を馬鹿にしたのはあなたでしょう」
「うるさいッ!」
 え、もしかしてもう一発? 頭に血が上って衝動のまま動いてしまっている。思い切り殴られたせいで頭はまだぐわんぐわんと揺れるし避けれる自信がない。衝撃に備えるように反射的にギュッと目を瞑った。
「やめろ!」
 けれど殴られる前に第三者の声がそれを遮った。まさか人がいるなんて思っておらずパッと目を開けて声のしたほうへ視線を向ける。そこには大股で歩いてきている攻略対象者である、体育系のサイラス・キャメロン・フロックス。彼はやや怒ったような表情をしながらこちらに歩いてきている。もちろん、彼のせいで死亡するエンドがカトレアにはある。まさかこんなところで、と思ったけれどその考えは杞憂に終わった。
 彼はフィリップと私の間に立つと、まるで私を庇うかのようにこちらに背を向けてくれている。分が悪いとすぐにわかったのだろう、フィリップは笑顔を浮かべつつ握りこぶしを解いて言い訳を始めた。
「勘違いしないでサイラス、その女が悪いんだよ? ボクの悪口言うからさぁ……それに少し手が当たっただけで大袈裟に倒れたりしちゃって……」
「悪いが、最初から見ていた。お前が思い切り拳を振り上げて彼女を殴るところもだ」
「は……?」
「すべてはお前が悪い。諸所には俺が報告しておく」
「はぁ?! なんだよ、黙って見ていたくせにヒーロー気取りかよ!」
 確かにフィリップが言う通り、最初から見ていたと言うのであれば一発目殴られる前に助けに入ることもできたということだ。なぜ二発目まで待ったのだろうとつい呆れ顔になってしまう。これも悪役令嬢補正か。もしこれがヒロインなら彼は真っ先に飛んできただろうから。
 そしてフィリップはというと私の前から梃子でも動かないサイラスにその本気度が伝わってきたのか、悪態をつきながら駆け足でこの場を去って行った。まるで尻尾巻いて逃げるチンピラみたい、だなんて決して思ってはいない、うん。
「……すまない、もう少し早く止めに入ればよかったな。頬が腫れてしまっている」
「いいえ……助けてくれてありがとう。二発目ももらうと思っていたから」
「……令嬢にここまでするとは思っていなかったんだ」
 そう言いながら身を屈めたサイラスはポケットからハンカチを取り出して私の頬に当ててくれる。意外に紳士的だ。体育系だからこそ上下関係やそういう礼儀作法はしっかりと教育されてきたのかもしれない。そんな彼の執事もきっと紳士的なのだろう、フリージアが好きになる理由がなんとなくわかったような気がした。
「保健室に行って手当てをしてもらったほうがいい。俺が支えよう」
「あ、待って……悪いのだけれど、私の友人を呼んできてほしいの。フリージア・エーデルという子なんだけれど」
「ああ、あの子か。待っていてくれすぐに戻る」
 婚約者がいるにも関わらず男女二人っきりで行動することは好ましくない。サイラスもそれに気付いてくれてすぐにフリージアを呼びに行ってくれた。本当に攻略対象者の中でも彼って紳士だ。
 かなり熱を持ち始めた左頬をハンカチで押さえつつ、廊下の壁に寄りかかって座っているとパタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。顔を動かすのも少し億劫になってきたものだから視線だけを少し動かしてみれば、目の前に涙目のフリージアの顔がドンと迫る。
「カトレア! あぁっ、綺麗な顔がこんなに腫れてっ」
「フリージア……悪いけれど、保健室までついてきてくれる?」
「もちろんよ! それに何があったのか彼から聞いたわ! 本っ当に最低! 女の子の顔を殴るなんて!」
「エーデルさん、あまり大きな声だと彼女の頬に響く……」
「あっ、ごめんなさいカトレア! 早く保健室に行こっ……!」
 泣きながらも私の身体を必死に支えてくれようとしているフリージア、お礼を言いつつ立ち上がろうとしてみたけれどうまく足に力が入らない。それを見越してかサイラスのほうもフリージアとは逆のほうから私の身体を支えてくれた。二人の支えてもらう形になってしまって申し訳なく思いつつ、ゆっくりと歩みを進める。
「……ねぇ、カトレア。私いいこと思いついた」
「いいこと?」
 保健室に向かうまでにはエントランスを抜けて中庭の通路を歩いていかなければならない。つまり人が多いところに出てしまい嫌でも目につく。こんな顔の腫れた姿、あまり見られたくないなぁと思いつつも隣にいるフリージアが何やらあくどい顔をしていた。
「悪いようにはしないから、ね?」
「別にあなたを疑ってはいないけれど……」
「ありがとう! 私に任せて!」
 サイラスに扉を開けてもらい、とうとうエントランスに出てしまった。生徒の視線が頬に突き刺さる。
「あぁ! 可哀想なカトレア! フィリップに散々貶されてしかもほっぺた殴られるなんて! なんで私の友達がこんなひどいことされなきゃいけないの?!」
「え、えっ? フリージア?」
「カトレアは悪いこと何もやってないのに! やっかみでこんなことされるなんてあんまりだよ!」
 それはもう、とてつもなく大きな声でそんなことを言い出したフリージアにポカンと口を開ける。いや彼女の言っていることに間違いはない。本当にあれはやっかみでそれを指摘したら殴られたのだから。
「サイラスくんも見たんでしょ?!」
「ああ、この目でしっかりと。アルストロ嬢のご家族にはしっかりと詳細を報告するつもりだ」
「お願い、私友達をこんな目に合わせた人が許せないの!」
 いやいやフリージアさん、やややり過ぎなような気がする。ものすごくやり過ぎのような気がする。でもさっきまで好奇の目だったものが哀れみに変わっているから効果は抜群のようだ。私はとても恥ずかしいけれど。
 結局頬が真っ赤に腫れ上がっている私にそれを支えているフリージアとサイラスという状況が真実味を増したようで、後日噂は尾ひれがついて広がったようだ。あれからフィリップの姿を見せていないようだけれどサイラスは本当に諸所に報告をしたらしく、腹を立てているお父様を見たのは本当に久しぶりだった。私はというと顔の腫れが引くまで休むように言われたし、学園でどれほど騒ぎになったのかは登校するまでわからなかった。
 ただどうやら、殴られて可哀想な令嬢……ではなく。あんな性格の悪い令嬢でも庇おうとしているフリージアのヒロインとしての株がものすごく上がったのと、殴られるようなことをしたんだろという私の評価は相変わらず低いままで終わったようだ。
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