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4.お店始めました
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実は無事に国境を越えられてびっくりしている。
リクが渡してくれたメモ通りに進んで行ったら大きな橋があって、そこが国境だった。国境に門番がいたけれどフェネクス国の兵士だと思われる人たちはにこやかに私を通してくれた。ちょっと警備ザルじゃない? と少し不安になったけれど、橋を渡り終えてまた驚いた。
サブノック国はあちこち霧が発生していて、国全体が常に薄い霧で覆われている状態だった。それに比べてこのフェネクス国はどこを見ても晴れやかだ。霧なんて一つも見当たらない。橋を渡っただけでこんなにも変わるのだろうかと目を白黒させた。
そして少し歩いたところで街が現れ、まずはリクの言っていた宿を探してみる。ここになかったらまた別の街かもしれないと思いつつ、あちこちきょろきょろしながら歩いていた。邪魔になっただろうに、すれ違う人たちは「この街に来るのは初めてかい?」ってとても親切に声を掛けてきてくれる。サブノック国でこんな扱いされなかった、とまた驚きながらも小さく頷きつつ足を進めた。
「あっ、ここかな?」
紙に書かれていた宿屋『マオ』、その名前と同じ看板がぶら下がっている。ここかもしれない、とおずおずと扉を開けてみる。
「あの……ごめんください」
「おやいらっしゃい! 一名様かい?」
「私、リクという人からこの宿のことを教えてもらって、来たんですが……」
「……! 早くお入り、ここに来るまで大変だっただろう?」
思ったより近かったとは言えそれなりの距離を歩いてきてる。あちこち砂だらけになっているにも関わらず、膨よかなおば様は私の腕を引いて中へと促した。
「リクから知らせが届いたんだ、アンタ『サヤ』だね?」
「は、はい」
「立ち話もなんだ、席に座りな。お腹も空いただろう?」
タイミングよく「くぅぅぅ」と小さくお腹が鳴った。道中一応手軽に食べられるものを摘みながら歩いてきたけれど、言われた途端空腹を覚えた。少しの恥ずかしさに思わずお腹に手を当てれば女性はにっこりと笑って、私が椅子に座ったのを確認して部屋の奥に消えていく。
ほんの少し待ってみれば目の前にホカホカと湯気の立っているスープが置かれた。その傍にはふっくらとした香ばしいかおりがするパン。パッと顔を上げれば「お食べ」と笑顔で勧めてくれた。
城にいる間、一応聖女としての扱いは受けてきた。如何にも豪華なご飯はいつもメイドさんが持ってきてくれていた。けれど聖女の部屋で、一人ぽつんと食べる食事はなんだか味気ない。温かいはずなのに、なぜかぬくもりを感じなかった。でもそんなこと言うのもきっと贅沢なんだよね、と一度も文句を言うことはなかった。
目の前にあるご飯はそんな豪華なものではなかったけれど、それでも口に入れたパンはふんわりとしていて喉を通って行ったスープは全身に作っれくれた人のぬくもりが広がるようだった。美味しい、この世界に来て初めて美味しいものを食べた。
「美味しい……とても、美味しいですっ……」
「そうかい、それはよかった。ゆっくりとお食べ、おかわりはあるからね」
「はい……!」
ふと、背中にぬくもりが触れた。女性が私の傍に来てそっと背中を撫でてくれていた。そのぬくもりに、震えていた声がまた震えそうになってギュッと唇を噛みしめて堪える。
それからぬくもりを求めるようにひたすら食べ物を口に運んだ。おかわりをすることはなかったけれど、パンもスープも美味しくてあっという間だった。最後にタイミングよく出された温かいお茶でホッと息を吐く。やっぱり食事は大切だ、生きている実感を湧かせてくれる。
「お腹は満たされたかい?」
「はい……あっ、すみません! お忙しいときに……!」
「いやいいんだよ! 丁度昼の客が途絶えたところで暇しているところだったんだ。さて、それじゃ改めて」
女性は私の隣にある椅子を引くとそれに腰を下ろし、にこりと笑顔を向けた。
「あたしはこの宿屋『マオ』の店主、メリー・ペリドットだ。周りからはメリーおばさんって言われているよ」
「私はサヤと申します」
苗字も名乗ろうと思ったけれど、セシルさんが発音しいくい響きだと言っていたから名前だけでもいいかもしれないと端折った。宿屋の店主、メリーさんはうんうんと私の言葉に頷きながら口を開く。
「大まかなことはリクから教えてもらってるよ。大変だったねぇ……向こうの王様も一体何を考えていることやら」
「あの、リクとは……」
リクが知らせを届けるぐらいなのだろうけれど、隣国と交流を持つことなんて簡単なことなのだろうか。疑問に思いつつもそう口にすれば、メリーさんは「ああ」と溌剌とした笑みを浮かべる。
「あの子とは親しい仲だよ。おや……? そのペンダント……」
メリーさんが目ざとく首から下げているものに気付いたらしい。特に聞かれて困るようなことではないと思って、落とさないよう服の下に隠していたそれを摘み上げた。
「リクがくれたんです。お守りだからって」
「へ~……あの子が。へぇ、そうかい」
「あ、あの……もしかして貰っちゃったら駄目なものでした……?」
「あっはは! 大丈夫気になさんな。あの子があげたんだったら大切に持っておきな。言っていた通り、それはちゃんとしたお守りだ」
「は、はぁ……」
なんだか含みのある言い方だったような気もするけど。でも二人してこのネックレスを『お守り』というのであれば、そうなのだろう。リクがくれたものだし、これからもしっかりと大切に持っておこうと再び服の下に隠す。
「さてサヤ。アンタ住むところがないだろう? ここの空いている部屋に住みな」
「えっ、でも、突然失礼じゃ……」
リクから連絡が行っていたと言っても私たちは初対面だ。流石に初対面の相手にそこまでしてもらうには気が引ける。でもそう言ったところで「他に行く宛ないだろう?」と正論を言われてしまって言葉が詰まった。
「ここはこう見えて商売繁盛してるんだ、アンタ一人ぐらいは養えるって!」
「え、えっ、でもっ」
「見知らぬ土地に来て苦労してきたんだからさ、ご褒美があってもいいと思うよ。あたしはね」
国が違うだけで、こんなにも人柄も変わるのだろうか。異世界って本当に不思議だと思いつつ、メリーさんのありがたい申し出にしばらく悩んだ後結局頭を下げた。違う国に来て知っている人もいない、その中で住むところももちろん生きていくために仕事を探すのも一苦労するはずだ。
お願いします、と頭を下げた私にメリーさんは「大袈裟だねぇ!」と豪快に笑った。
カランとドアの方から軽い音が聞こえる。顔を上げてみるとそこには一人のおばあちゃんが不安げに中に入ってきていた。
「こんにちは」
「こんにちは、お嬢ちゃん。ここ……物を修理してくれるお店だって聞いて来てみたんだけど」
「はい、間違いないです」
おばあちゃんはハッとして次に「よかった」と小さく安堵していた。そして大切そうに抱えていた布からとある物を取り出す。
「これ、修理できるかしら?」
そこには古い懐中時計。ネジ部分が欠けてしまい他のお店で修理を頼もうとしても、部品を作るのが難しいと断れてしまったのだとおばあちゃんは残念そうに告げる。
おばあちゃんが大切に持っていた懐中時計を落とさないよう、両手でしっかりと受け取る。カチカチという音も聞こえない、時間が完璧に止まってしまっている。あちこちサビやヒビも目立っていて、落としてしまったらあっという間に割れてしまいそうだった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと直しますから」
にこりと笑顔を浮かべても、おばあちゃんはまだどこか不安そう。それもそうだ、あちこちのお店から断られたのだから今回も駄目かもしれないという気持ちの方が大きいのかもしれない。
テーブルの上に預かった懐中時計をゆっくりと置く。両手をかざすと淡い光が生まれて、徐々に懐中時計が姿を変えていく。
やがて光が消えて懐中時計に手を伸ばす。サビもヒビもない、もう少しで壊れてしまいそうだったそれは今はしっかりと秒針が時を刻んでいた。
「これで大丈夫ですか?」
「あ、あっ……動いてる……! 動いているよ……!」
私から懐中時計を受け取ったおばあちゃんは動いているのを確認して、目に涙を浮かべてギュッと懐中時計を握りしめていた。本当にこれとない大切な物だったのだろう、おばあちゃんのその姿を見て私はよかったと笑みを浮かべる。
「これはね、亡くなったじい様の形見だったのよ……もう随分と動かなくなって、壊れてしまうと思って」
「そうだったんですね」
「あぁ……これで、まだじい様の思い出と一緒に暮らせるよ……ありがとうね、お嬢ちゃん」
「お役に立ててよかったです」
おばあちゃんからお代を受け取って、幸せそうに手を振るおばあちゃんに同じように手を振り返して見送った。
メリーさんのところに置いてもらってからと言うものの、何もしないわけにはいかないと倉庫か何か空いているところがないかと尋ねてみた。すると前に食料の倉庫として使っていたけど今はもう使ってないからそこならどうだい、と言っていた場所がここだった。宿屋『マオ』のすぐ隣にある、他の建物の間に埋め込まれるように建っているこの小さな建物。中は決して広くはなかったけれど私には十分だった。
聖女として碑石の修復に使っていたこの力、実は他の物にも使えた。とは言っても「壊れたところを綺麗にする」、というよりも「一番綺麗だった状態に戻す」という言い方の方が正しいのかもしれない。でもそれはすべて物に対してで、人に対しては使えない。人の傷を癒やすとなると「癒やしの魔法」という扱いになるようで、その細かい分別が未だにあまり理解できていない。
だってこの世界、ファンタジーですし。
そして修理屋として門を構えて、そこそこにお店は稼働している。お金の価値が円とあまり変わらないことに大いに助かった。ただし「円」ではなく「アゲート」だけれど。日本で銀色の硬化は百円だけれど、この国だと百アゲートとなる。
お店に訪ねてくる人は、ほとんどが大切な思い出が詰まっている物の修復だった。例えばオルゴールだったり、例えば肖像画だったり。もう泣きそうな顔で藁にもすがる思いでやってくる人たちに、こっちも笑顔にしてあげたいと強く思う。思い出だけでもせめて少しでも長く一緒に居させてあげたいと。
ただこの力は「一番綺麗だった状態に戻す」力、だから風化を止めることはできない。元に戻しても、物の時間も経っていく。それは碑石が風化することと一緒だ。前の聖女が碑石を修復しても元の状態に戻しただけで、次の聖女が来なければ風化していく一方。
ちなみに普通に日常品で使っている物の修復は鍛冶屋さんにお願いしてくださいと伝えている。他のお店の邪魔をするつもりは毛頭ない。
「サヤ、お昼だから食べに来な!」
「エリーさん! いつもありがとうございます!」
「いいんだよ、働いたらたーっぷりご飯を食べなきゃね!」
「はい!」
エリーさんは相変わらず私に良くしてくれている。宿屋兼食事処のお店らしく、昼になるとお客さんの書き入れ時になる。忙しい時間だからわざわざ私の分まで、と最初は断ったけれど「十も二十も作るにゃ変わらないよ!」と言われてしまい納得してしまった。確かに時間をずらしてわざわざ作ってもらうよりも、まとめて一気に作った方が手間も省ける。
ということで忙しくなる少し前にエリーさんは私を呼びに来てくれる。エリーさん曰く、私は細く見えてしっかりと食べているのか不安になるらしい。彼女の好意を受け取り、私は今日も宿屋『マオ』へ温かいご飯を食べに行く。
リクが渡してくれたメモ通りに進んで行ったら大きな橋があって、そこが国境だった。国境に門番がいたけれどフェネクス国の兵士だと思われる人たちはにこやかに私を通してくれた。ちょっと警備ザルじゃない? と少し不安になったけれど、橋を渡り終えてまた驚いた。
サブノック国はあちこち霧が発生していて、国全体が常に薄い霧で覆われている状態だった。それに比べてこのフェネクス国はどこを見ても晴れやかだ。霧なんて一つも見当たらない。橋を渡っただけでこんなにも変わるのだろうかと目を白黒させた。
そして少し歩いたところで街が現れ、まずはリクの言っていた宿を探してみる。ここになかったらまた別の街かもしれないと思いつつ、あちこちきょろきょろしながら歩いていた。邪魔になっただろうに、すれ違う人たちは「この街に来るのは初めてかい?」ってとても親切に声を掛けてきてくれる。サブノック国でこんな扱いされなかった、とまた驚きながらも小さく頷きつつ足を進めた。
「あっ、ここかな?」
紙に書かれていた宿屋『マオ』、その名前と同じ看板がぶら下がっている。ここかもしれない、とおずおずと扉を開けてみる。
「あの……ごめんください」
「おやいらっしゃい! 一名様かい?」
「私、リクという人からこの宿のことを教えてもらって、来たんですが……」
「……! 早くお入り、ここに来るまで大変だっただろう?」
思ったより近かったとは言えそれなりの距離を歩いてきてる。あちこち砂だらけになっているにも関わらず、膨よかなおば様は私の腕を引いて中へと促した。
「リクから知らせが届いたんだ、アンタ『サヤ』だね?」
「は、はい」
「立ち話もなんだ、席に座りな。お腹も空いただろう?」
タイミングよく「くぅぅぅ」と小さくお腹が鳴った。道中一応手軽に食べられるものを摘みながら歩いてきたけれど、言われた途端空腹を覚えた。少しの恥ずかしさに思わずお腹に手を当てれば女性はにっこりと笑って、私が椅子に座ったのを確認して部屋の奥に消えていく。
ほんの少し待ってみれば目の前にホカホカと湯気の立っているスープが置かれた。その傍にはふっくらとした香ばしいかおりがするパン。パッと顔を上げれば「お食べ」と笑顔で勧めてくれた。
城にいる間、一応聖女としての扱いは受けてきた。如何にも豪華なご飯はいつもメイドさんが持ってきてくれていた。けれど聖女の部屋で、一人ぽつんと食べる食事はなんだか味気ない。温かいはずなのに、なぜかぬくもりを感じなかった。でもそんなこと言うのもきっと贅沢なんだよね、と一度も文句を言うことはなかった。
目の前にあるご飯はそんな豪華なものではなかったけれど、それでも口に入れたパンはふんわりとしていて喉を通って行ったスープは全身に作っれくれた人のぬくもりが広がるようだった。美味しい、この世界に来て初めて美味しいものを食べた。
「美味しい……とても、美味しいですっ……」
「そうかい、それはよかった。ゆっくりとお食べ、おかわりはあるからね」
「はい……!」
ふと、背中にぬくもりが触れた。女性が私の傍に来てそっと背中を撫でてくれていた。そのぬくもりに、震えていた声がまた震えそうになってギュッと唇を噛みしめて堪える。
それからぬくもりを求めるようにひたすら食べ物を口に運んだ。おかわりをすることはなかったけれど、パンもスープも美味しくてあっという間だった。最後にタイミングよく出された温かいお茶でホッと息を吐く。やっぱり食事は大切だ、生きている実感を湧かせてくれる。
「お腹は満たされたかい?」
「はい……あっ、すみません! お忙しいときに……!」
「いやいいんだよ! 丁度昼の客が途絶えたところで暇しているところだったんだ。さて、それじゃ改めて」
女性は私の隣にある椅子を引くとそれに腰を下ろし、にこりと笑顔を向けた。
「あたしはこの宿屋『マオ』の店主、メリー・ペリドットだ。周りからはメリーおばさんって言われているよ」
「私はサヤと申します」
苗字も名乗ろうと思ったけれど、セシルさんが発音しいくい響きだと言っていたから名前だけでもいいかもしれないと端折った。宿屋の店主、メリーさんはうんうんと私の言葉に頷きながら口を開く。
「大まかなことはリクから教えてもらってるよ。大変だったねぇ……向こうの王様も一体何を考えていることやら」
「あの、リクとは……」
リクが知らせを届けるぐらいなのだろうけれど、隣国と交流を持つことなんて簡単なことなのだろうか。疑問に思いつつもそう口にすれば、メリーさんは「ああ」と溌剌とした笑みを浮かべる。
「あの子とは親しい仲だよ。おや……? そのペンダント……」
メリーさんが目ざとく首から下げているものに気付いたらしい。特に聞かれて困るようなことではないと思って、落とさないよう服の下に隠していたそれを摘み上げた。
「リクがくれたんです。お守りだからって」
「へ~……あの子が。へぇ、そうかい」
「あ、あの……もしかして貰っちゃったら駄目なものでした……?」
「あっはは! 大丈夫気になさんな。あの子があげたんだったら大切に持っておきな。言っていた通り、それはちゃんとしたお守りだ」
「は、はぁ……」
なんだか含みのある言い方だったような気もするけど。でも二人してこのネックレスを『お守り』というのであれば、そうなのだろう。リクがくれたものだし、これからもしっかりと大切に持っておこうと再び服の下に隠す。
「さてサヤ。アンタ住むところがないだろう? ここの空いている部屋に住みな」
「えっ、でも、突然失礼じゃ……」
リクから連絡が行っていたと言っても私たちは初対面だ。流石に初対面の相手にそこまでしてもらうには気が引ける。でもそう言ったところで「他に行く宛ないだろう?」と正論を言われてしまって言葉が詰まった。
「ここはこう見えて商売繁盛してるんだ、アンタ一人ぐらいは養えるって!」
「え、えっ、でもっ」
「見知らぬ土地に来て苦労してきたんだからさ、ご褒美があってもいいと思うよ。あたしはね」
国が違うだけで、こんなにも人柄も変わるのだろうか。異世界って本当に不思議だと思いつつ、メリーさんのありがたい申し出にしばらく悩んだ後結局頭を下げた。違う国に来て知っている人もいない、その中で住むところももちろん生きていくために仕事を探すのも一苦労するはずだ。
お願いします、と頭を下げた私にメリーさんは「大袈裟だねぇ!」と豪快に笑った。
カランとドアの方から軽い音が聞こえる。顔を上げてみるとそこには一人のおばあちゃんが不安げに中に入ってきていた。
「こんにちは」
「こんにちは、お嬢ちゃん。ここ……物を修理してくれるお店だって聞いて来てみたんだけど」
「はい、間違いないです」
おばあちゃんはハッとして次に「よかった」と小さく安堵していた。そして大切そうに抱えていた布からとある物を取り出す。
「これ、修理できるかしら?」
そこには古い懐中時計。ネジ部分が欠けてしまい他のお店で修理を頼もうとしても、部品を作るのが難しいと断れてしまったのだとおばあちゃんは残念そうに告げる。
おばあちゃんが大切に持っていた懐中時計を落とさないよう、両手でしっかりと受け取る。カチカチという音も聞こえない、時間が完璧に止まってしまっている。あちこちサビやヒビも目立っていて、落としてしまったらあっという間に割れてしまいそうだった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと直しますから」
にこりと笑顔を浮かべても、おばあちゃんはまだどこか不安そう。それもそうだ、あちこちのお店から断られたのだから今回も駄目かもしれないという気持ちの方が大きいのかもしれない。
テーブルの上に預かった懐中時計をゆっくりと置く。両手をかざすと淡い光が生まれて、徐々に懐中時計が姿を変えていく。
やがて光が消えて懐中時計に手を伸ばす。サビもヒビもない、もう少しで壊れてしまいそうだったそれは今はしっかりと秒針が時を刻んでいた。
「これで大丈夫ですか?」
「あ、あっ……動いてる……! 動いているよ……!」
私から懐中時計を受け取ったおばあちゃんは動いているのを確認して、目に涙を浮かべてギュッと懐中時計を握りしめていた。本当にこれとない大切な物だったのだろう、おばあちゃんのその姿を見て私はよかったと笑みを浮かべる。
「これはね、亡くなったじい様の形見だったのよ……もう随分と動かなくなって、壊れてしまうと思って」
「そうだったんですね」
「あぁ……これで、まだじい様の思い出と一緒に暮らせるよ……ありがとうね、お嬢ちゃん」
「お役に立ててよかったです」
おばあちゃんからお代を受け取って、幸せそうに手を振るおばあちゃんに同じように手を振り返して見送った。
メリーさんのところに置いてもらってからと言うものの、何もしないわけにはいかないと倉庫か何か空いているところがないかと尋ねてみた。すると前に食料の倉庫として使っていたけど今はもう使ってないからそこならどうだい、と言っていた場所がここだった。宿屋『マオ』のすぐ隣にある、他の建物の間に埋め込まれるように建っているこの小さな建物。中は決して広くはなかったけれど私には十分だった。
聖女として碑石の修復に使っていたこの力、実は他の物にも使えた。とは言っても「壊れたところを綺麗にする」、というよりも「一番綺麗だった状態に戻す」という言い方の方が正しいのかもしれない。でもそれはすべて物に対してで、人に対しては使えない。人の傷を癒やすとなると「癒やしの魔法」という扱いになるようで、その細かい分別が未だにあまり理解できていない。
だってこの世界、ファンタジーですし。
そして修理屋として門を構えて、そこそこにお店は稼働している。お金の価値が円とあまり変わらないことに大いに助かった。ただし「円」ではなく「アゲート」だけれど。日本で銀色の硬化は百円だけれど、この国だと百アゲートとなる。
お店に訪ねてくる人は、ほとんどが大切な思い出が詰まっている物の修復だった。例えばオルゴールだったり、例えば肖像画だったり。もう泣きそうな顔で藁にもすがる思いでやってくる人たちに、こっちも笑顔にしてあげたいと強く思う。思い出だけでもせめて少しでも長く一緒に居させてあげたいと。
ただこの力は「一番綺麗だった状態に戻す」力、だから風化を止めることはできない。元に戻しても、物の時間も経っていく。それは碑石が風化することと一緒だ。前の聖女が碑石を修復しても元の状態に戻しただけで、次の聖女が来なければ風化していく一方。
ちなみに普通に日常品で使っている物の修復は鍛冶屋さんにお願いしてくださいと伝えている。他のお店の邪魔をするつもりは毛頭ない。
「サヤ、お昼だから食べに来な!」
「エリーさん! いつもありがとうございます!」
「いいんだよ、働いたらたーっぷりご飯を食べなきゃね!」
「はい!」
エリーさんは相変わらず私に良くしてくれている。宿屋兼食事処のお店らしく、昼になるとお客さんの書き入れ時になる。忙しい時間だからわざわざ私の分まで、と最初は断ったけれど「十も二十も作るにゃ変わらないよ!」と言われてしまい納得してしまった。確かに時間をずらしてわざわざ作ってもらうよりも、まとめて一気に作った方が手間も省ける。
ということで忙しくなる少し前にエリーさんは私を呼びに来てくれる。エリーさん曰く、私は細く見えてしっかりと食べているのか不安になるらしい。彼女の好意を受け取り、私は今日も宿屋『マオ』へ温かいご飯を食べに行く。
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