16 / 43
軋みながら回り出す歯車
16
しおりを挟む
《エリーお姉様無事でしたの?! わたくし怪我を負ったと聞いてもう気が気でなくてすぐにそちらに向かおうとしたのですけれどお父様とお母様とメイドと執事と騎士と使用人に止められてしまって行けなかったのですお顔の怪我はああ麗しいお顔に傷が付くだなんて耐えられませんわ! もっとお薬をお送りしたほうが良いでしょうか?! エリーお姉様聞こえておりますの?!》
「ああもう聞こえているわよ! そんな一気に話しかけられても全然頭に入ってこないじゃない!」
《あ、やだわたくしったらつい……》
通信の後ろから小さく「お嬢様……」という声が聞こえる。声からして執事かしら。あまり周りの人間に会話を聞かれたくないのだけれど、思っているとシャルルは執事に退室するように指示をしていた。どうやら上手く魔法具を扱えるか見守ってくれていただけらしい。
《エリーお姉様、もう大丈夫ですわ。ご用件はなんでしょう?》
やっと用件を言える、と甲高い声で多少痛くなった耳を撫でつけつつ魔法具に向かって口を開く。
「シャルル、あなたフォルネウス家の現状を知らないかしら。例えばパーティーで何かを聞いたとか、噂とかよく出回っているでしょう?」
《……お姉様》
あなたの姉ではないんだけど、とやっぱりいつも突っ込んでしまう呼び名に「どうしたの」と短く返した。
《……まったくわかりませんわ》
「……え? 何かしらあるでしょう」
《わたくしソフィア様が行方不明になってから一歩も外に出ておりませんでしたの。今はエリーお姉様に会うために出るようにはなりましたけれど、わたくし、あれからパーティーに一度も出席しておりませんわ》
「……一度も?! よくあなたのお父様がお許しになったわね?!」
《わざわざ嫌な思いをする必要なないと言ってくださいまして》
なんてこと。まさかの返答に思わず口を開いて固まってしまった。ドミニクもシャルルが活発になったと言っていたからしっかり令嬢としての役目も果たしているとばかりに思っていたのに。
と、屋敷を飛び出す前にパーティーに出席することをやめてしまった私には言われたくないかもしれない。人のこと言えないわ、と開いた口を手で強引に閉じた。それよりもどうしようかと少し唸る。シャルルならば少しぐらい噂でもいいから情報を持っているだろうと踏んでいたのだけれど。
そう考えていると魔法具の向こうから《あの》という声が聞こえ、顔を上げた。
《わたくしに、考えがありますわ。少し時間をくださいな、エリーお姉様》
「……危険なことではないでしょうね」
《大丈夫ですわ! 折角エリーお姉様がわたくしを頼ってくださったんですもの。頑張りたいのです!》
いつだってこの意気込みは称賛に値する。折角シャルルがこう言っていることだし、万が一にも危険なことに足を突っ込みそうになってもドミニクが止めてくれるだろう。決して無理はしないこと、と約束を取り付け通信は終わった。
それから次に連絡が来たのがその三日後。一週間はかかるかと予想していたため思わぬ早さにもしかして失敗したのかもしれない、と思いつつも食事を作ってくれている先生と一度目を合わせて魔法具を発動させた。
《エリーお姉様お怪我はどうですの?! 治りました?!》
「そんなすぐに治るほど超人ではないわよ……ところでシャルル、何かあったの?」
《あらやだわたくしったらまた……はい、ご報告がありますわ》
フォルネウス家の事情に詳しい人間と接触することに成功し、その人物から話が聞ける機会をもらったという報告だった。フォルネウス家の事情に詳しい人間? と最初は首を捻ったけれど今の私にはその人物が誰も思い浮かばない。幼い頃から別棟に移っていたため本館の事情がまったくと言っていいほどわからないのだ。もしかしたらその本館のほうで何かがあり、金目当ての交渉だってあり得る。
そんな私の心配を他所に《大丈夫ですわ》の声が聞こえた。
《指定された場所に行くかどうかは、お姉様にお任せしますわ。けれど決して危害を加えるようなお方ではないと、断言致します》
やや破天荒な性格とはいえシャルルも立派な令嬢のひとり。その令嬢がそこまで言うのであれば、と一度目を閉じて意を固めた。
会ってみよう、シャルルの言うその人物に。例え力尽くで何かされようとしても鳩尾一発殴ってみるか、もしくは男であれば急所を蹴り上げればいい。きっと先生もついてきてくれるはずだから大丈夫だろうと、指定された場所と日時を聞き出した。
「エリーさん、一応こういうものも作っていたんですが」
昼食を食べ終え片付け終わった頃、一度部屋に引っ込んだ先生が布らしきものを持って戻ってきた。色はランプブラックというとても暗い色をしていたけれど、でも指定された時間はほぼ深夜。
「相手はわかりませんが密会ということになるでしょうし、ハイドの魔法も掛かっているので丁度いいかと」
「先生って本当になんでも作れるのね」
「これは趣味で作ったものなんですよ。でもまさか役に立つ日が来ようとは」
趣味でハイド魔法の掛かったローブを作るなんて。流石というかもう天才と言ってもいいのでは? という程の出来栄えだ。しっかりと二枚あることだし、これを羽織って目的の場所へ向かうことにした。
指定されたのはギリギリ貴族階層で東の端のほう。以前は庶民階層だったけれど私財を余らせていた貴族が自分の私有地を広げたいだなんて勝手な考えにより、元に住んでいた庶民の人たちは追い出され家は取り壊され、わざわざ真新しい屋敷が建てられた。でもその貴族も実は裏家業で稼いだ金だということが上に知られてしまい、地位は剥奪され少し朽ちた屋敷はしばらく放置された。
そのままだとゴロツキが住み着きかねないということで、ひとりの貴族がその屋敷の買い取りを名乗りでた。人柄もよく庶民の人たちとも交流があり、その人物が住むようになってから周辺の人たちとの友好関係は上々だそうだ。心の拠り所として建てられた教会も綺麗に維持されている。そして今回の向かっている場所が、その教会だ。
時間が遅いせいもあるけれど、元から教会に行くまでに自然のゲートを通らなければならない。木が覆い茂っているため月明かりも届きにくく、より一層暗さを感じる。けれど密会するには適しているのかもしれない。
「しかし夜とは言え……人がいる場合もあるのでは?」
「ここの教会は夜しっかりと閉じているらしいわ。それにこの暗さだし……誰かに見られることはないと、思うけれど」
「……それだけ相手も用心深い、ということですね」
相手がどういう人物なのかわからないためこちらも自然と用心深くなる。先生から貰ったローブを頭までしっかり被り、ゲートの下を歩いて行く。やがて抜ければ明かりも何もない教会が現れた。ドアの前に立ちそっと押してみればキィ……と小さく音が鳴り鍵が掛かっていないことに息を呑む。
先生はいつでも魔法を発動できるように身構えて、私も弓矢を持ってくることはできなかったけれど懐に仕舞っているナイフをローブの上から確認した。
「お待ちしておりました」
声と共に淡い光がゆっくりと灯る。徐々に見えてきた顔に私は目を見張った。
「……セバスチャン」
目の前には二年と数ヶ月前、手紙ひとつで別れを告げた相手……あの屋敷でただひとり私の世話をしてくれていた執事長のセバスチャンが立っていた。
「やはり、セイファー様もご一緒でしたか」
「これは……お久しぶりです、セバスチャンさん」
「どうして、あなたがここに……」
「プルソン家のご息女、シャルル様からご連絡を頂きました。どうか困っている貴女様の助けになってほしいと。このセバスチャン、僭越ながらご助力したくこうして馳せ参じた次第でございます」
無駄のない綺麗な、まるで執事のお手本のようにお辞儀をしたセバスチャンに言葉が出てこない。恩を仇で返したような娘に、令嬢ではなくなった娘にまだこうして敬意を払おうとしてくれるのか。
顔を上げたセバスチャンは優しげに微笑むと「お嬢様」と言葉を続ける。
「如何お過ごしですか?」
「……大変なこともあるけれど、先生と一緒に充実した日々を送っているわ」
「そうですか……それは、ようございました」
「セバスチャン、私」
「何も仰らなくていいのです。このセバスチャン、貴女様が健やかにお過ごしであればそれでいいのです」
ツン、と鼻が痛くなり咄嗟に手で押さえる。そっと差し出された綺麗なハンカチを受け取り礼を告げれば、彼はまた柔らかく微笑んだ。
「今のフォルネウス家の現状が知りたい、とのことでしたが」
「っ、ええ、一体フォルネウス家で何が起こっているの?」
「……このセバスチャン、お恥ずかしい話ですが屋敷の異変に気付いたのはほんの数ヶ月前なのです」
私が家を出たあと、セバスチャンは本館のほうにきちんと戻ったらしい。業務がひとつ減っただけで仕事内容は変わらなかったらしいけれど、ソフィアが行方不明だとわかったのは姿を消して数カ月後。本当に別棟にまったく興味がなかったのね、と思ったけれどセバスチャンは内心腹立たしかったらしい。実の娘がいなくなった、なぜそれを血の繋がった親が心配しないのだと。結局捜索をされることもなく、そのままなかったことにされたらしい。
鬱陶とした日々を過ごしていたけれど、相変わらずフォルネウス家の当主とその妻は次女のキャロルを溺愛していた。キャロルが望むものはすべて与え、その甘やかしが多少行き過ぎているところもあったけれどいつも通りのフォルネウス家であったと。
ならばセバスチャンが異変に気付いた数ヶ月前、一体何があったのだろうか。話を続けてと促すと彼は僅かに表情を歪めた。
「……キャロル様のご要望が、かなり強引なものになりました。王子に会いたい、また聖職者になりたいと」
「聖職者は癒やしの魔法を使える者のみがなれる職業でしょう? フォルネウス家は歴代そのような人間が出ていないから無理よ」
「お嬢様の仰るとおりです。聖職者に関しては流石に無理だと旦那様も仰っていたのですが……」
「……王子には会わせたってこと?」
「……然様でございます。そして婚約者として名乗り出たいと」
「呆れるほどの我が儘し放題ね」
確かに私だって暴れたりメイドをクビにしたりしたけれど、でも一度も王子の婚約者になりたいと言ったこともなければ聖職者になりたいとも思わなかった。常識的に考えればどれもこれも無理な願いなのだ。
甘やかしていたとは言ってもあまりにも度が過ぎている。一体どういう教育を受けていたのか、数人いる家庭教師は何をやっていたのかと小言を言えば予想もつかない答えが返ってきた。
「キャロル様はかなりの頻度で家庭教師を変えています。今仕えている者もキャロル様の言葉にすべて『イエス』と答える者だけです」
「あの厳しかったアネットはどうしたの」
「……体調を崩され実家に戻られました。ですがそれも果たして……」
聞けば聞くほど呆れと共に謎が深まっていく。だってキャロルは可愛らしい愛想のある子だったのでしょう? なのにそれがどうしてそうなったのか。教育のせいもあるかもしれないけれど、それにしてもあまりにもゲームのキャロルとかけ離れているような気がしてならない。
「……この数カ月前、何があったかわかる?」
「ソフィア様が去られたあと通常の業務に戻ったのですが、私はキャロル様の傍にいる必要はないと旦那様に言われておりまして」
「……わかった。ありがとう、セバスチャン」
当主は最も常識のある執事長と教育係を遠ざけた、ということになる。そうまでキャロルを甘やかして一体当主は何をしたいのか、何かを企てているのかそれとも。
けれどひとつだけわかったことは、これ以上セバスチャンが外に情報を伝えるようなことがあれば彼の身が危ぶまれるということ。
「セバスチャン、あまり無理をしないほうがいいわ。できることならフォルネウス家から離れていたほうがいい」
「実はすでに長期休暇を頂き屋敷から離れ、この近くに身を置かせてもらっています」
教会の持ち主、ならびにこの近くにある屋敷の主とは古い友人で、だからこそこうやって今この教会をお借りしているそうだ。ちなみに探知の魔法も持っているので誰かひとりでも教会に近付いたらわかると、サラッと笑顔で付け加えた。流石は執事長と言うべきか、執事長という立場の人間は魔法省の人間ぐらいに何でもできなければ務まらないのだろうか。
取りあえず浄化の力を止めたことはキャロルだけではなく、フォルネウス家の問題の可能性が出てきた。ディランが来たときに自分の正体を明かしておかなくてよかったとつくづく思う。折角処刑フラグ回避したかと思ったのに、あらぬ疑いでまたそのフラグが元通りに戻りそうなっていたかもしれないのだ。
セバスチャンにもう一度礼を言ってローブを羽織り直す。未だ復旧の最中、まだ整理されていない裏路地などにゴロツキが住みついているかもしれない。絡まれる前にさっさと帰ったほうがいいと踵を返すと後ろから「お嬢様」との声が聞こえる。足を止め振り返れば、淡い光の中目尻に皺を寄せて微笑んでいる彼の顔。
「できることなら、貴女様の成長を間近で見守りたかったものです――お嬢様」
きっと屋敷にいる間、彼はずっとそんな眼差しで私を見守っていてくれていた。頭を打つ前までの私はそれに気付くことなく、屋敷を出た私は後悔した。もっと早く気付くべきだったと。
「美しくなられましたね」
あの頃あなただけが私を見放さなかったのよ、セバスチャン。
視界が滲み鼻が痛くなって、唇を噛みしめる。折角再会したというのに情けない顔を見せるわけにはいかない。か細く息を吐き出して、そしてセバスチャンがよく知っている笑顔を浮かべた。
「ああもう聞こえているわよ! そんな一気に話しかけられても全然頭に入ってこないじゃない!」
《あ、やだわたくしったらつい……》
通信の後ろから小さく「お嬢様……」という声が聞こえる。声からして執事かしら。あまり周りの人間に会話を聞かれたくないのだけれど、思っているとシャルルは執事に退室するように指示をしていた。どうやら上手く魔法具を扱えるか見守ってくれていただけらしい。
《エリーお姉様、もう大丈夫ですわ。ご用件はなんでしょう?》
やっと用件を言える、と甲高い声で多少痛くなった耳を撫でつけつつ魔法具に向かって口を開く。
「シャルル、あなたフォルネウス家の現状を知らないかしら。例えばパーティーで何かを聞いたとか、噂とかよく出回っているでしょう?」
《……お姉様》
あなたの姉ではないんだけど、とやっぱりいつも突っ込んでしまう呼び名に「どうしたの」と短く返した。
《……まったくわかりませんわ》
「……え? 何かしらあるでしょう」
《わたくしソフィア様が行方不明になってから一歩も外に出ておりませんでしたの。今はエリーお姉様に会うために出るようにはなりましたけれど、わたくし、あれからパーティーに一度も出席しておりませんわ》
「……一度も?! よくあなたのお父様がお許しになったわね?!」
《わざわざ嫌な思いをする必要なないと言ってくださいまして》
なんてこと。まさかの返答に思わず口を開いて固まってしまった。ドミニクもシャルルが活発になったと言っていたからしっかり令嬢としての役目も果たしているとばかりに思っていたのに。
と、屋敷を飛び出す前にパーティーに出席することをやめてしまった私には言われたくないかもしれない。人のこと言えないわ、と開いた口を手で強引に閉じた。それよりもどうしようかと少し唸る。シャルルならば少しぐらい噂でもいいから情報を持っているだろうと踏んでいたのだけれど。
そう考えていると魔法具の向こうから《あの》という声が聞こえ、顔を上げた。
《わたくしに、考えがありますわ。少し時間をくださいな、エリーお姉様》
「……危険なことではないでしょうね」
《大丈夫ですわ! 折角エリーお姉様がわたくしを頼ってくださったんですもの。頑張りたいのです!》
いつだってこの意気込みは称賛に値する。折角シャルルがこう言っていることだし、万が一にも危険なことに足を突っ込みそうになってもドミニクが止めてくれるだろう。決して無理はしないこと、と約束を取り付け通信は終わった。
それから次に連絡が来たのがその三日後。一週間はかかるかと予想していたため思わぬ早さにもしかして失敗したのかもしれない、と思いつつも食事を作ってくれている先生と一度目を合わせて魔法具を発動させた。
《エリーお姉様お怪我はどうですの?! 治りました?!》
「そんなすぐに治るほど超人ではないわよ……ところでシャルル、何かあったの?」
《あらやだわたくしったらまた……はい、ご報告がありますわ》
フォルネウス家の事情に詳しい人間と接触することに成功し、その人物から話が聞ける機会をもらったという報告だった。フォルネウス家の事情に詳しい人間? と最初は首を捻ったけれど今の私にはその人物が誰も思い浮かばない。幼い頃から別棟に移っていたため本館の事情がまったくと言っていいほどわからないのだ。もしかしたらその本館のほうで何かがあり、金目当ての交渉だってあり得る。
そんな私の心配を他所に《大丈夫ですわ》の声が聞こえた。
《指定された場所に行くかどうかは、お姉様にお任せしますわ。けれど決して危害を加えるようなお方ではないと、断言致します》
やや破天荒な性格とはいえシャルルも立派な令嬢のひとり。その令嬢がそこまで言うのであれば、と一度目を閉じて意を固めた。
会ってみよう、シャルルの言うその人物に。例え力尽くで何かされようとしても鳩尾一発殴ってみるか、もしくは男であれば急所を蹴り上げればいい。きっと先生もついてきてくれるはずだから大丈夫だろうと、指定された場所と日時を聞き出した。
「エリーさん、一応こういうものも作っていたんですが」
昼食を食べ終え片付け終わった頃、一度部屋に引っ込んだ先生が布らしきものを持って戻ってきた。色はランプブラックというとても暗い色をしていたけれど、でも指定された時間はほぼ深夜。
「相手はわかりませんが密会ということになるでしょうし、ハイドの魔法も掛かっているので丁度いいかと」
「先生って本当になんでも作れるのね」
「これは趣味で作ったものなんですよ。でもまさか役に立つ日が来ようとは」
趣味でハイド魔法の掛かったローブを作るなんて。流石というかもう天才と言ってもいいのでは? という程の出来栄えだ。しっかりと二枚あることだし、これを羽織って目的の場所へ向かうことにした。
指定されたのはギリギリ貴族階層で東の端のほう。以前は庶民階層だったけれど私財を余らせていた貴族が自分の私有地を広げたいだなんて勝手な考えにより、元に住んでいた庶民の人たちは追い出され家は取り壊され、わざわざ真新しい屋敷が建てられた。でもその貴族も実は裏家業で稼いだ金だということが上に知られてしまい、地位は剥奪され少し朽ちた屋敷はしばらく放置された。
そのままだとゴロツキが住み着きかねないということで、ひとりの貴族がその屋敷の買い取りを名乗りでた。人柄もよく庶民の人たちとも交流があり、その人物が住むようになってから周辺の人たちとの友好関係は上々だそうだ。心の拠り所として建てられた教会も綺麗に維持されている。そして今回の向かっている場所が、その教会だ。
時間が遅いせいもあるけれど、元から教会に行くまでに自然のゲートを通らなければならない。木が覆い茂っているため月明かりも届きにくく、より一層暗さを感じる。けれど密会するには適しているのかもしれない。
「しかし夜とは言え……人がいる場合もあるのでは?」
「ここの教会は夜しっかりと閉じているらしいわ。それにこの暗さだし……誰かに見られることはないと、思うけれど」
「……それだけ相手も用心深い、ということですね」
相手がどういう人物なのかわからないためこちらも自然と用心深くなる。先生から貰ったローブを頭までしっかり被り、ゲートの下を歩いて行く。やがて抜ければ明かりも何もない教会が現れた。ドアの前に立ちそっと押してみればキィ……と小さく音が鳴り鍵が掛かっていないことに息を呑む。
先生はいつでも魔法を発動できるように身構えて、私も弓矢を持ってくることはできなかったけれど懐に仕舞っているナイフをローブの上から確認した。
「お待ちしておりました」
声と共に淡い光がゆっくりと灯る。徐々に見えてきた顔に私は目を見張った。
「……セバスチャン」
目の前には二年と数ヶ月前、手紙ひとつで別れを告げた相手……あの屋敷でただひとり私の世話をしてくれていた執事長のセバスチャンが立っていた。
「やはり、セイファー様もご一緒でしたか」
「これは……お久しぶりです、セバスチャンさん」
「どうして、あなたがここに……」
「プルソン家のご息女、シャルル様からご連絡を頂きました。どうか困っている貴女様の助けになってほしいと。このセバスチャン、僭越ながらご助力したくこうして馳せ参じた次第でございます」
無駄のない綺麗な、まるで執事のお手本のようにお辞儀をしたセバスチャンに言葉が出てこない。恩を仇で返したような娘に、令嬢ではなくなった娘にまだこうして敬意を払おうとしてくれるのか。
顔を上げたセバスチャンは優しげに微笑むと「お嬢様」と言葉を続ける。
「如何お過ごしですか?」
「……大変なこともあるけれど、先生と一緒に充実した日々を送っているわ」
「そうですか……それは、ようございました」
「セバスチャン、私」
「何も仰らなくていいのです。このセバスチャン、貴女様が健やかにお過ごしであればそれでいいのです」
ツン、と鼻が痛くなり咄嗟に手で押さえる。そっと差し出された綺麗なハンカチを受け取り礼を告げれば、彼はまた柔らかく微笑んだ。
「今のフォルネウス家の現状が知りたい、とのことでしたが」
「っ、ええ、一体フォルネウス家で何が起こっているの?」
「……このセバスチャン、お恥ずかしい話ですが屋敷の異変に気付いたのはほんの数ヶ月前なのです」
私が家を出たあと、セバスチャンは本館のほうにきちんと戻ったらしい。業務がひとつ減っただけで仕事内容は変わらなかったらしいけれど、ソフィアが行方不明だとわかったのは姿を消して数カ月後。本当に別棟にまったく興味がなかったのね、と思ったけれどセバスチャンは内心腹立たしかったらしい。実の娘がいなくなった、なぜそれを血の繋がった親が心配しないのだと。結局捜索をされることもなく、そのままなかったことにされたらしい。
鬱陶とした日々を過ごしていたけれど、相変わらずフォルネウス家の当主とその妻は次女のキャロルを溺愛していた。キャロルが望むものはすべて与え、その甘やかしが多少行き過ぎているところもあったけれどいつも通りのフォルネウス家であったと。
ならばセバスチャンが異変に気付いた数ヶ月前、一体何があったのだろうか。話を続けてと促すと彼は僅かに表情を歪めた。
「……キャロル様のご要望が、かなり強引なものになりました。王子に会いたい、また聖職者になりたいと」
「聖職者は癒やしの魔法を使える者のみがなれる職業でしょう? フォルネウス家は歴代そのような人間が出ていないから無理よ」
「お嬢様の仰るとおりです。聖職者に関しては流石に無理だと旦那様も仰っていたのですが……」
「……王子には会わせたってこと?」
「……然様でございます。そして婚約者として名乗り出たいと」
「呆れるほどの我が儘し放題ね」
確かに私だって暴れたりメイドをクビにしたりしたけれど、でも一度も王子の婚約者になりたいと言ったこともなければ聖職者になりたいとも思わなかった。常識的に考えればどれもこれも無理な願いなのだ。
甘やかしていたとは言ってもあまりにも度が過ぎている。一体どういう教育を受けていたのか、数人いる家庭教師は何をやっていたのかと小言を言えば予想もつかない答えが返ってきた。
「キャロル様はかなりの頻度で家庭教師を変えています。今仕えている者もキャロル様の言葉にすべて『イエス』と答える者だけです」
「あの厳しかったアネットはどうしたの」
「……体調を崩され実家に戻られました。ですがそれも果たして……」
聞けば聞くほど呆れと共に謎が深まっていく。だってキャロルは可愛らしい愛想のある子だったのでしょう? なのにそれがどうしてそうなったのか。教育のせいもあるかもしれないけれど、それにしてもあまりにもゲームのキャロルとかけ離れているような気がしてならない。
「……この数カ月前、何があったかわかる?」
「ソフィア様が去られたあと通常の業務に戻ったのですが、私はキャロル様の傍にいる必要はないと旦那様に言われておりまして」
「……わかった。ありがとう、セバスチャン」
当主は最も常識のある執事長と教育係を遠ざけた、ということになる。そうまでキャロルを甘やかして一体当主は何をしたいのか、何かを企てているのかそれとも。
けれどひとつだけわかったことは、これ以上セバスチャンが外に情報を伝えるようなことがあれば彼の身が危ぶまれるということ。
「セバスチャン、あまり無理をしないほうがいいわ。できることならフォルネウス家から離れていたほうがいい」
「実はすでに長期休暇を頂き屋敷から離れ、この近くに身を置かせてもらっています」
教会の持ち主、ならびにこの近くにある屋敷の主とは古い友人で、だからこそこうやって今この教会をお借りしているそうだ。ちなみに探知の魔法も持っているので誰かひとりでも教会に近付いたらわかると、サラッと笑顔で付け加えた。流石は執事長と言うべきか、執事長という立場の人間は魔法省の人間ぐらいに何でもできなければ務まらないのだろうか。
取りあえず浄化の力を止めたことはキャロルだけではなく、フォルネウス家の問題の可能性が出てきた。ディランが来たときに自分の正体を明かしておかなくてよかったとつくづく思う。折角処刑フラグ回避したかと思ったのに、あらぬ疑いでまたそのフラグが元通りに戻りそうなっていたかもしれないのだ。
セバスチャンにもう一度礼を言ってローブを羽織り直す。未だ復旧の最中、まだ整理されていない裏路地などにゴロツキが住みついているかもしれない。絡まれる前にさっさと帰ったほうがいいと踵を返すと後ろから「お嬢様」との声が聞こえる。足を止め振り返れば、淡い光の中目尻に皺を寄せて微笑んでいる彼の顔。
「できることなら、貴女様の成長を間近で見守りたかったものです――お嬢様」
きっと屋敷にいる間、彼はずっとそんな眼差しで私を見守っていてくれていた。頭を打つ前までの私はそれに気付くことなく、屋敷を出た私は後悔した。もっと早く気付くべきだったと。
「美しくなられましたね」
あの頃あなただけが私を見放さなかったのよ、セバスチャン。
視界が滲み鼻が痛くなって、唇を噛みしめる。折角再会したというのに情けない顔を見せるわけにはいかない。か細く息を吐き出して、そしてセバスチャンがよく知っている笑顔を浮かべた。
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
転生無双の金属支配者《メタルマスター》
芍薬甘草湯
ファンタジー
異世界【エウロパ】の少年アウルムは辺境の村の少年だったが、とある事件をきっかけに前世の記憶が蘇る。蘇った記憶とは現代日本の記憶。それと共に新しいスキル【金属支配】に目覚める。
成長したアウルムは冒険の旅へ。
そこで巻き起こる田舎者特有の非常識な勘違いと現代日本の記憶とスキルで多方面に無双するテンプレファンタジーです。
(ハーレム展開はありません、と以前は記載しましたがご指摘があり様々なご意見を伺ったところ当作品はハーレムに該当するようです。申し訳ありませんでした)
お時間ありましたら読んでやってください。
感想や誤字報告なんかも気軽に送っていただけるとありがたいです。
同作者の完結作品「転生の水神様〜使える魔法は水属性のみだが最強です〜」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/743079207/901553269
も良かったら読んでみてくださいませ。
二度目の結婚は異世界で。~誰とも出会わずひっそり一人で生きたかったのに!!~
すずなり。
恋愛
夫から暴力を振るわれていた『小坂井 紗菜』は、ある日、夫の怒りを買って殺されてしまう。
そして目を開けた時、そこには知らない世界が広がっていて赤ちゃんの姿に・・・!
赤ちゃんの紗菜を拾ってくれた老婆に聞いたこの世界は『魔法』が存在する世界だった。
「お前の瞳は金色だろ?それはとても珍しいものなんだ。誰かに会うときはその色を変えるように。」
そう言われていたのに森でばったり人に出会ってしまってーーーー!?
「一生大事にする。だから俺と・・・・」
※お話は全て想像の世界です。現実世界と何の関係もございません。
※小説大賞に出すために書き始めた作品になります。貯文字は全くありませんので気長に更新を待っていただけたら幸いです。(完結までの道筋はできてるので完結はすると思います。)
※メンタルが薄氷の為、コメントを受け付けることができません。ご了承くださいませ。
ただただすずなり。の世界を楽しんでいただけたら幸いです。
どうやら私(オタク)は乙女ゲームの主人公の親友令嬢に転生したらしい
海亜
恋愛
大交通事故が起きその犠牲者の1人となった私(オタク)。
その後、私は赤ちゃんー璃杏ーに転生する。
赤ちゃんライフを満喫する私だが生まれた場所は公爵家。
だから、礼儀作法・音楽レッスン・ダンスレッスン・勉強・魔法講座!?と様々な習い事がもっさりある。
私のHPは限界です!!
なのになのに!!5歳の誕生日パーティの日あることがきっかけで、大人気乙女ゲーム『恋は泡のように』通称『恋泡』の主人公の親友令嬢に転生したことが判明する。
しかも、親友令嬢には小さい頃からいろんな悲劇にあっているなんとも言えないキャラなのだ!
でも、そんな未来私(オタクでかなりの人見知りと口下手)が変えてみせる!!
そして、あわよくば最後までできなかった乙女ゲームを鑑賞したい!!・・・・うへへ
だけど・・・・・・主人公・悪役令嬢・攻略対象の性格が少し違うような?
♔♕♖♗♘♙♚♛♜♝♞♟
皆さんに楽しんでいただけるように頑張りたいと思います!
この作品をよろしくお願いします!m(_ _)m
【完結】悪役令嬢に転生したのでこっちから婚約破棄してみました。
ぴえろん
恋愛
私の名前は氷見雪奈。26歳彼氏無し、OLとして平凡な人生を送るアラサーだった。残業で疲れてソファで寝てしまい、慌てて起きたら大好きだった小説「花に愛された少女」に出てくる悪役令嬢の「アリス」に転生していました。・・・・ちょっと待って。アリスって確か、王子の婚約者だけど、王子から寵愛を受けている女の子に嫉妬して毒殺しようとして、その罪で処刑される結末だよね・・・!?いや冗談じゃないから!他人の罪で処刑されるなんて死んでも嫌だから!そうなる前に、王子なんてこっちから婚約破棄してやる!!
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる