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王はかく語りき
親子
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「こうして父上と二人でお茶をするのも久しぶりですね」
学園の寮に行ったままのレオンハルトが長期休暇の頭に城へと戻ってきた。外を眺めると天気もよい、ならば外でどうだという言葉にレオンハルトは素直に頷いた。
テラスに既に準備されていたテーブルに椅子、そしてそのテーブルの上に広がっている軽食。少し日差しが強かったがそれも木陰によって緩和されている。対面する形でそれぞれ椅子に座り、ジェームスが注いだティーカップに口をつける。
「どうだ、学園生活は」
「楽しいですよ。まぁ、色々とありますけどね。もう少し美味しい回復薬でもあればなぁとは思いますけど」
「味の改良は長年の課題だ、当面無理であろうな」
「そうですか、残念です。でもこれが国一つとなったら回復薬どころの話ではないんでしょう? 父上はいつ人間をやめたんですか?」
「やめておらんわ」
憎まれ口も叩くようになった息子についそう返した後、喉をクツクツと鳴らす。レオンハルトが今通っているカナット学園は謂わば国の縮図。仕事量は国王に比べて少ないとは言えやっていることに大差はない。私も状況が落ち着いた頃を見計らって父が通わせてくれるようになったが、回復薬を使っていたことを今は懐かしくも思う。
「随分と謳歌しているようだな」
「ええ、トラブルもいいスパイスとなっていて退屈しませんよ」
学園で何が起こっているのか影の者の伝いでこちらに方向が上がっている。学園ならではのトラブルもあれば、レオンハルトをその座から引き摺り下ろそうと敢えて学園を狙った計画など何かしら起こっている。
が、それでいちいち精神が追い詰められるほど軟弱な子に育てた覚えはないし、寧ろ今までのオルトロス家の中でもその性癖は上位に食い込んでくるかもしれない。父も私も、何かしらの趣向はあるもののレオンハルトはまた一層と癖が強い。
「ところで父上、一つお伺いしたいんですけど」
南西の街の名産となりつつある菓子を口に含み、味わうようにゆっくり咀嚼した後レオンハルトはにこりと笑みを浮かべこちらを向いた。
「卒業したら、僕にその座をすぐに譲ってくれるんですか?」
まるで虫も殺さぬ人懐っこい笑みは、浅い付き合いの者ならばあっさり騙されるだろう。しかし私はこの国の王でありこの子の父親だ、その目の奥が野心で溢れているのを知っている。
一度笑みをこぼし、私も南西の菓子に手を伸ばす。あれほど荒んでいたというのに瞬く間に活気を取り戻し、今やこうして他の街にも誇れるようなものも作り出せるようになった。そしてその支援を担った我が息子を、街の者たちはまた誇らしげに思っている。
一つ口に含んでみれば程よい酸味にくどくない甘み、レオンハルトが「父上の好きな味でしょ」と笑ってみせた。確かに悪くはない。
我が国の王座は、割と早い周期で変わっているかもしれない。隣国との争いが激化した時は戦上手だった父がすぐさま王座を譲り受けた。争いが終わり、内政に力を入れなければならなくなった時は内政に強かった私が譲り受けた。時代の流れによってその時最も王座に適した者が選ばれている。
レオンハルトは私の教育もあってが内政に強く、そしてよく父の元へ遊びに行っていたところを見ると戦術なども習っていたに違いない。幼き頃よりよく命を狙われていた身であるから騎士の鍛錬所へ顔を出し訓練も積んでいる。謂わば、攻守共に優れていた。だが。
「お前がこの座に座るのはもうしばらくだな」
「……なんだ。そうですか。そういえば父上はいつ譲り受けたんですか?」
「そうだな、確か二十の時か」
「兄上が生まれて二年後なんですね」
「そうだな」
私が今四十二ぐらいになるが、確か父が私に王座を譲った時もそのくらいの年齢だったはず。他所の国は六十にもなっても王座にいるというのだから驚かされる。歳を食えば体力が落ち判断力も鈍ってくる。我が国では近年の研究で魔力すら徐々に失われていくことも分かってきている。その状態で、果たして国を治めることができるのか。
ならば素早く後継者を鍛え上げ後を任せたほうがいいだろうというものが、この国の古くからの考えだ。それだけは未だに変わってはいない。そしてそのためのカナット学園だった。
「ならば父上、僕が二十になった時には譲って下さい」
「フッ……考えておこう」
レオンハルトは卒業後すぐに譲り受けたいだろうが、私が今手掛けているものはそうすぐには片付かない。それを終えるまで待っておいてもらおう、とティーカップに口をつける。
「ところで、子が生まれたそうだな」
突拍子もなく主語もなかった言葉だが、それは正しくレオンハルトに伝わった。同じようにティーカップに口をつけていた顔がパッと上がる。
「とても可愛かったですよ。目元は似ていたんですけど、全体的に相手の方に似ているかもしれません」
「ほう?」
相手側の顔を見たことはないが、話を聞いているとどうやら私の妻に似ているようだ。「優しげですけど芯はしっかりしています」と前にレオンハルトから聞いた言葉に尚更そうだと思ったのは記憶に新しい。だが少し弱気なあの子にはそれくらい引っ張ってくれる女性が丁度いいのであろう。
子もできたということはうまくやっているようで、レオンハルトもそろそろ護衛につけている者たちを呼び戻してもいいかもしれないと小さくこぼしていた。
「まぁ、僕とアイビーの間にできる子もきっと! 可愛いと思いますけど」
「……お前は、本当に……アイビーのことを溺愛しておるな」
「もちろんですとも。僕たち恋愛結婚になるんです。どうです羨ましいでしょう」
「いいや別に。父の前で惚気けるな」
「えぇ? 惚気けますけど」
「胸焼けする」
「まだ若いじゃないですか、父上」
だからと言って顔を合わせては一度は必ず聞かされる惚気けにはうんざりする。まず初手が「アイビーが可愛いんです」から始まり延々と続きそうになるそれを「仕事だ」と言ってすぐさま切り上げさせるのだが。生憎、今回は時間があるからとこうしてゆっくり茶をしているわけであって。そのせいでレオンハルトも自重しない。
これは長くなるぞと息を吐き出そうとしたところ、席を外していたジェームスが戻り私たちに一礼した。
「アイビー令嬢がいらっしゃっております」
「僕が呼んだんです。同席させてもいいですよね?」
「ああ、構わん」
「では迎えに行ってきます」
言うが早いか素早く椅子から立ち上がると直様レオンハルトはその姿を消した。思わず息を吐き出し背を凭れかける。
「一体誰に似たことやら」
「よいではございませんか。仲睦まじいことはよきことです」
「私への当てつけか?」
「人それぞれでございましょう。オーゼット様とレイチェル様はまた別の形だったということだけです」
アイビーをエスコートしながら戻ってきたレオンハルトの表情は、誰にも見せない随分と締まりのない顔だ。もう遠目から見ても人目憚らず互いに笑みを向けている二人にやはり胸焼けがした。行儀が悪いとわかっていながらテーブルに片膝をつき手に顎を乗せる。
「見てみろあの顔。顔面総崩れだ」
「ほっほっほ、微笑ましい限りです」
胸焼けは変わらず続いてはいるが、レオンハルトとその婚約者であるアイビーの姿を見ているとやはりレイチェルの目に狂いなどなかったのだと口角を上げた。
***
「兄上、いい話がありますよ」
東北への視察の話が出ていた中、突如部屋を訪れた弟――レオンハルトは第一声にそう言葉を発した。
弟とは六つ歳が離れている。それもあって私は弟が可愛くて仕方がなかった。腹の探り合いの中にぽつんとあるその可愛らしさは私にとってはとても癒やしだ。周りの人間たちは好き勝手に『スペア』などと言っているようだけれど、それでも毎日努力をしている弟の姿を知っている。私はそんな弟が自慢であったし、弟も兄として不甲斐ない私をそれでも慕ってくれていた。
「どうしたんだい? レオンハルト」
「これを見て下さい」
そう言って差し出された一枚の紙。それを受け取りサッと視線を走らせる。見覚えのある筆跡に、そして書かれていた内容に私は息を呑んだ――東北への視察の中で、私を殺害しようと企てている者がいる。
バッと顔を上げてみればそこには表情の動いていない弟の姿。これを私に渡したということは弟もこのことを知っている。けれど、一体これをどこで手に入れたのか。
「兄上はずっと、王座に座りたくないと言っていましたね」
「……ああ、そうだね」
「そして僕はずっと――その座に座りたくてたまらない」
出された言葉に目を瞠る。私が日々どう思っているのか弟は知っていたし、弟が何をどう思っているのか私も知っているつもりではいた。けれど、こうもはっきり口にされたのは初めてだった。
弟は気弱な私とは違う。私は一人でも多くの人々を助けたい、そう思っていてもあちらこちらから聞かされる声に優先順位を決められない。どこから手を付ければいいのかわからなかった。周りはそんな私のことを利用するには容易いと思っていることも知っている。けれど、それに対して強く出ることもできない。
ここでもし貴族との亀裂を入れてしまえば、人々への助けが遅くなってしまうかもしれない。その貴族の財力は少なからず民にも影響していたことを知っていたから。父はいつも「強かに動け」と言う。周りを利用してでも動けと。でも私にとってそれが何よりも難しかった。
けれど弟は違う。とても可愛らしく愛嬌のある弟だけれど、その頭の中ではいくつもの案が駆け巡っている。状況によってあらゆる案を出すことができ、またしっかりと優先順位をつけることもできて自分の意思もしっかりと持っていた。私に一番足りない部分を、弟はより多く持っていた。
「兄上、これを利用しましょう」
「利用……」
ハッと息を呑む。ここにいては私はきっと王座を継がなければならない。そう、この国にいる限り。
けれど、その利用というものは……それを成し遂げるためには、すべてを欺かなければならない。大切な人たちですら。嘘を、つかなければならない。
「兄上、僕は兄上がとても賢いことを知っています。でも少しだけ、勇気が足りないのもまた知っています」
「レオンハルト……」
「どうですか。ここで、人生を賭けた大博打に打って出るというのは」
知らず知らずのうちにゴクリと喉を鳴らす。私は今まで一度もそういったものをやったことがない。いつも安全かどうか確かめてから、足を進めてきていた。誰かのためではない、自分のために案を巡らせろと弟はその視線で告げてくる。
思わず乾いた笑い声が出てきた。誰かのことを想うと、民たちのためにと頑張っても中々はっきりとした案が出てこないというのに……どうしてこんな時に限って、私の頭はあらゆる考えを巡らせるのか。少し考えただけでも色んなものを思いついてしまう自分が嫌になってくる。
「僕も手伝いますよ兄上。腕のいい細工師を知っているんです」
兄上、と続けて聞こえてくるまだ幼さの残る声に、俯けていた顔を上げた。
「兄上にとって、これはたった一度しかないチャンスですよ」
弟は、人心掌握に優れている。どんな言葉を掛ければ一番に相手の胸に響くのかわかっている。
一度軽く頭を左右に振り、顔を上げ背筋を伸ばす。こうして立っていると弟の身長は私よりもまだ小さいのに、それでも勝負所での弟の身体は随分と大きく見える。とても逞しくて頼り甲斐のある……父に、とても似ている姿。
「私にできるだろうか」
情けなく笑う私に、弟は勝ち気な笑みを浮かべた。
そう、弟は可愛らしく愛嬌のある子なのだと周りも思っているけれど、こちらの姿が本来の姿だ。野心に溢れていて負けん気が強い。そんな弟がしっかりと頷き返してくれる。
「もちろんです――だって兄上も、オーゼット王の息子なんですから」
学園の寮に行ったままのレオンハルトが長期休暇の頭に城へと戻ってきた。外を眺めると天気もよい、ならば外でどうだという言葉にレオンハルトは素直に頷いた。
テラスに既に準備されていたテーブルに椅子、そしてそのテーブルの上に広がっている軽食。少し日差しが強かったがそれも木陰によって緩和されている。対面する形でそれぞれ椅子に座り、ジェームスが注いだティーカップに口をつける。
「どうだ、学園生活は」
「楽しいですよ。まぁ、色々とありますけどね。もう少し美味しい回復薬でもあればなぁとは思いますけど」
「味の改良は長年の課題だ、当面無理であろうな」
「そうですか、残念です。でもこれが国一つとなったら回復薬どころの話ではないんでしょう? 父上はいつ人間をやめたんですか?」
「やめておらんわ」
憎まれ口も叩くようになった息子についそう返した後、喉をクツクツと鳴らす。レオンハルトが今通っているカナット学園は謂わば国の縮図。仕事量は国王に比べて少ないとは言えやっていることに大差はない。私も状況が落ち着いた頃を見計らって父が通わせてくれるようになったが、回復薬を使っていたことを今は懐かしくも思う。
「随分と謳歌しているようだな」
「ええ、トラブルもいいスパイスとなっていて退屈しませんよ」
学園で何が起こっているのか影の者の伝いでこちらに方向が上がっている。学園ならではのトラブルもあれば、レオンハルトをその座から引き摺り下ろそうと敢えて学園を狙った計画など何かしら起こっている。
が、それでいちいち精神が追い詰められるほど軟弱な子に育てた覚えはないし、寧ろ今までのオルトロス家の中でもその性癖は上位に食い込んでくるかもしれない。父も私も、何かしらの趣向はあるもののレオンハルトはまた一層と癖が強い。
「ところで父上、一つお伺いしたいんですけど」
南西の街の名産となりつつある菓子を口に含み、味わうようにゆっくり咀嚼した後レオンハルトはにこりと笑みを浮かべこちらを向いた。
「卒業したら、僕にその座をすぐに譲ってくれるんですか?」
まるで虫も殺さぬ人懐っこい笑みは、浅い付き合いの者ならばあっさり騙されるだろう。しかし私はこの国の王でありこの子の父親だ、その目の奥が野心で溢れているのを知っている。
一度笑みをこぼし、私も南西の菓子に手を伸ばす。あれほど荒んでいたというのに瞬く間に活気を取り戻し、今やこうして他の街にも誇れるようなものも作り出せるようになった。そしてその支援を担った我が息子を、街の者たちはまた誇らしげに思っている。
一つ口に含んでみれば程よい酸味にくどくない甘み、レオンハルトが「父上の好きな味でしょ」と笑ってみせた。確かに悪くはない。
我が国の王座は、割と早い周期で変わっているかもしれない。隣国との争いが激化した時は戦上手だった父がすぐさま王座を譲り受けた。争いが終わり、内政に力を入れなければならなくなった時は内政に強かった私が譲り受けた。時代の流れによってその時最も王座に適した者が選ばれている。
レオンハルトは私の教育もあってが内政に強く、そしてよく父の元へ遊びに行っていたところを見ると戦術なども習っていたに違いない。幼き頃よりよく命を狙われていた身であるから騎士の鍛錬所へ顔を出し訓練も積んでいる。謂わば、攻守共に優れていた。だが。
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「……なんだ。そうですか。そういえば父上はいつ譲り受けたんですか?」
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「そうだな」
私が今四十二ぐらいになるが、確か父が私に王座を譲った時もそのくらいの年齢だったはず。他所の国は六十にもなっても王座にいるというのだから驚かされる。歳を食えば体力が落ち判断力も鈍ってくる。我が国では近年の研究で魔力すら徐々に失われていくことも分かってきている。その状態で、果たして国を治めることができるのか。
ならば素早く後継者を鍛え上げ後を任せたほうがいいだろうというものが、この国の古くからの考えだ。それだけは未だに変わってはいない。そしてそのためのカナット学園だった。
「ならば父上、僕が二十になった時には譲って下さい」
「フッ……考えておこう」
レオンハルトは卒業後すぐに譲り受けたいだろうが、私が今手掛けているものはそうすぐには片付かない。それを終えるまで待っておいてもらおう、とティーカップに口をつける。
「ところで、子が生まれたそうだな」
突拍子もなく主語もなかった言葉だが、それは正しくレオンハルトに伝わった。同じようにティーカップに口をつけていた顔がパッと上がる。
「とても可愛かったですよ。目元は似ていたんですけど、全体的に相手の方に似ているかもしれません」
「ほう?」
相手側の顔を見たことはないが、話を聞いているとどうやら私の妻に似ているようだ。「優しげですけど芯はしっかりしています」と前にレオンハルトから聞いた言葉に尚更そうだと思ったのは記憶に新しい。だが少し弱気なあの子にはそれくらい引っ張ってくれる女性が丁度いいのであろう。
子もできたということはうまくやっているようで、レオンハルトもそろそろ護衛につけている者たちを呼び戻してもいいかもしれないと小さくこぼしていた。
「まぁ、僕とアイビーの間にできる子もきっと! 可愛いと思いますけど」
「……お前は、本当に……アイビーのことを溺愛しておるな」
「もちろんですとも。僕たち恋愛結婚になるんです。どうです羨ましいでしょう」
「いいや別に。父の前で惚気けるな」
「えぇ? 惚気けますけど」
「胸焼けする」
「まだ若いじゃないですか、父上」
だからと言って顔を合わせては一度は必ず聞かされる惚気けにはうんざりする。まず初手が「アイビーが可愛いんです」から始まり延々と続きそうになるそれを「仕事だ」と言ってすぐさま切り上げさせるのだが。生憎、今回は時間があるからとこうしてゆっくり茶をしているわけであって。そのせいでレオンハルトも自重しない。
これは長くなるぞと息を吐き出そうとしたところ、席を外していたジェームスが戻り私たちに一礼した。
「アイビー令嬢がいらっしゃっております」
「僕が呼んだんです。同席させてもいいですよね?」
「ああ、構わん」
「では迎えに行ってきます」
言うが早いか素早く椅子から立ち上がると直様レオンハルトはその姿を消した。思わず息を吐き出し背を凭れかける。
「一体誰に似たことやら」
「よいではございませんか。仲睦まじいことはよきことです」
「私への当てつけか?」
「人それぞれでございましょう。オーゼット様とレイチェル様はまた別の形だったということだけです」
アイビーをエスコートしながら戻ってきたレオンハルトの表情は、誰にも見せない随分と締まりのない顔だ。もう遠目から見ても人目憚らず互いに笑みを向けている二人にやはり胸焼けがした。行儀が悪いとわかっていながらテーブルに片膝をつき手に顎を乗せる。
「見てみろあの顔。顔面総崩れだ」
「ほっほっほ、微笑ましい限りです」
胸焼けは変わらず続いてはいるが、レオンハルトとその婚約者であるアイビーの姿を見ているとやはりレイチェルの目に狂いなどなかったのだと口角を上げた。
***
「兄上、いい話がありますよ」
東北への視察の話が出ていた中、突如部屋を訪れた弟――レオンハルトは第一声にそう言葉を発した。
弟とは六つ歳が離れている。それもあって私は弟が可愛くて仕方がなかった。腹の探り合いの中にぽつんとあるその可愛らしさは私にとってはとても癒やしだ。周りの人間たちは好き勝手に『スペア』などと言っているようだけれど、それでも毎日努力をしている弟の姿を知っている。私はそんな弟が自慢であったし、弟も兄として不甲斐ない私をそれでも慕ってくれていた。
「どうしたんだい? レオンハルト」
「これを見て下さい」
そう言って差し出された一枚の紙。それを受け取りサッと視線を走らせる。見覚えのある筆跡に、そして書かれていた内容に私は息を呑んだ――東北への視察の中で、私を殺害しようと企てている者がいる。
バッと顔を上げてみればそこには表情の動いていない弟の姿。これを私に渡したということは弟もこのことを知っている。けれど、一体これをどこで手に入れたのか。
「兄上はずっと、王座に座りたくないと言っていましたね」
「……ああ、そうだね」
「そして僕はずっと――その座に座りたくてたまらない」
出された言葉に目を瞠る。私が日々どう思っているのか弟は知っていたし、弟が何をどう思っているのか私も知っているつもりではいた。けれど、こうもはっきり口にされたのは初めてだった。
弟は気弱な私とは違う。私は一人でも多くの人々を助けたい、そう思っていてもあちらこちらから聞かされる声に優先順位を決められない。どこから手を付ければいいのかわからなかった。周りはそんな私のことを利用するには容易いと思っていることも知っている。けれど、それに対して強く出ることもできない。
ここでもし貴族との亀裂を入れてしまえば、人々への助けが遅くなってしまうかもしれない。その貴族の財力は少なからず民にも影響していたことを知っていたから。父はいつも「強かに動け」と言う。周りを利用してでも動けと。でも私にとってそれが何よりも難しかった。
けれど弟は違う。とても可愛らしく愛嬌のある弟だけれど、その頭の中ではいくつもの案が駆け巡っている。状況によってあらゆる案を出すことができ、またしっかりと優先順位をつけることもできて自分の意思もしっかりと持っていた。私に一番足りない部分を、弟はより多く持っていた。
「兄上、これを利用しましょう」
「利用……」
ハッと息を呑む。ここにいては私はきっと王座を継がなければならない。そう、この国にいる限り。
けれど、その利用というものは……それを成し遂げるためには、すべてを欺かなければならない。大切な人たちですら。嘘を、つかなければならない。
「兄上、僕は兄上がとても賢いことを知っています。でも少しだけ、勇気が足りないのもまた知っています」
「レオンハルト……」
「どうですか。ここで、人生を賭けた大博打に打って出るというのは」
知らず知らずのうちにゴクリと喉を鳴らす。私は今まで一度もそういったものをやったことがない。いつも安全かどうか確かめてから、足を進めてきていた。誰かのためではない、自分のために案を巡らせろと弟はその視線で告げてくる。
思わず乾いた笑い声が出てきた。誰かのことを想うと、民たちのためにと頑張っても中々はっきりとした案が出てこないというのに……どうしてこんな時に限って、私の頭はあらゆる考えを巡らせるのか。少し考えただけでも色んなものを思いついてしまう自分が嫌になってくる。
「僕も手伝いますよ兄上。腕のいい細工師を知っているんです」
兄上、と続けて聞こえてくるまだ幼さの残る声に、俯けていた顔を上げた。
「兄上にとって、これはたった一度しかないチャンスですよ」
弟は、人心掌握に優れている。どんな言葉を掛ければ一番に相手の胸に響くのかわかっている。
一度軽く頭を左右に振り、顔を上げ背筋を伸ばす。こうして立っていると弟の身長は私よりもまだ小さいのに、それでも勝負所での弟の身体は随分と大きく見える。とても逞しくて頼り甲斐のある……父に、とても似ている姿。
「私にできるだろうか」
情けなく笑う私に、弟は勝ち気な笑みを浮かべた。
そう、弟は可愛らしく愛嬌のある子なのだと周りも思っているけれど、こちらの姿が本来の姿だ。野心に溢れていて負けん気が強い。そんな弟がしっかりと頷き返してくれる。
「もちろんです――だって兄上も、オーゼット王の息子なんですから」
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