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2nd
12.婚約者と楽しいお茶会
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紅茶で喉を潤し、ふっと息を吐き出す。外でゆっくりとお茶をするにはポカポカ日和でいい天気だ。やっとゆっくりできる時間ができたと思う反面、こうしてゆっくりお茶ができるのもきっとあと半年ぐらいだとそっと息を吐き出す。学園を卒業すれば本格的に社交や国政に携わることになり時間も大きく割かれてしまう。
「レオンハルト様、いらっしゃいました」
現れたマリアンヌの後ろには待ちわびていた姿。立ち上がり彼女がスムーズに座れるように軽く椅子を引いてあげる。エスコートを済ませたあと自分の席に戻ろうとしたときに、ふわりと甘やかな香りが鼻に届いた。
「こうやってゆっくりするのも久しぶりだね、アイビー」
「そうですわね。レオンハルト様、ご無理をなさってはおりませんよね?」
「安心して、回復薬のお世話にはなっていないから」
「それは安心致しましたわ」
できることならもう二度と回復薬のお世話にはなりたくないなと苦笑を漏らせば彼女も僅かに眉を下げて微笑む。そうは言っても卒業すればたくさんお世話になりそうだということを僕たちもどことなく察しはついている。
それはさておき、と。テーブルの上にあるものを彼女に進めれば「頂きますわ」と迷うことなく手を伸ばし、そして口に運んだ。
「……! 美味しいですわ、このスコーン。それぞれの素材の味をしっかりと感じますわ。これはレオンハルト様のところのシェフが作ったのですの?」
「ふふっ、実はそれね、あの街のクイネが作ったんだよ」
「まぁ、あのクイネが? とても上達したのですね……わたくしたちと初めて会ったときはあんなにも小さかったのに……って、レオンハルト様?」
「ん? なんだい?」
「これがここにあるということは――お一人で行ったんですの? わたくしを差し置いて?」
「ああごめんねアイビー。今回は『お忍び』じゃなかったんだ。ね、オーウェン」
「然様でございます」
控えていた騎士のオーウェンにそう問いかけると彼はアイビーに向かって軽く頭を下げた。僕だってアイビーを連れて行きたかったけれど今回は『王子』として赴いたから、あちらこちらに寄り道するのも難しかった。このスコーンだって帰り際に急いで買いに行ったものだ。
それにしても、とつい苦笑を漏らす。僕とアイビーは何度か変装してお忍びで行っているけれど、僕たちの正体はきっと街の人たちにはバレている。変装したところで所作や教養は出てしまうものだろうし、僕たちもいつまでも隠し通せるものだとはそもそも思ってはいなかった。
ただ僕たちがお忍びで行っているから、彼らも目を瞑ってくれているだけ。厚意で『庶民の人間』として扱ってくれている。それがきっと彼らの感謝の印なのだと僕は思っている。
「急いでクイネのところに行ったら彼ちょっと驚いてたよ。やっぱり風貌が違うとびっくりしちゃうのかな」
「レオンハルト様は特にそうかもしれませんわね。見慣れている黒がキラキラと美しいブロンズになっているんですもの、わたくしも初めて見たら驚くかもしれませんわ」
「そういうものなのかな」
普段の自分の髪の色も見慣れているし、変装するときに変えている黒もいつも美しい黒色を見ているから僕にとってはどちらともめずらしくはない。けれどアイビーの言葉にそうなのかと納得しながら僕もスコーンを口に運ぶ。
「ところでアイビー、首尾はどうだい?」
「ちゃんと矯正していますわ。ただ最近……困ったことになっていますの」
「困ったこと?」
それは聞き捨てならないな、と笑顔を貼り付けつつ少しだけ身体を前のめりにする。彼女の要望もあってアレはアイビーに任せたけれど、問題が起きたとなると話は別。早々にこちらに引き取らなければいけないなと頭の回転速度を早める。
けれどそんな僕の考えなどわかっていたのだろう、彼女は楽しそうにくすりと笑みをこぼすと一度ティーカップに口をつけ喉を潤し、口を開いた。
「最近、どうも『望んでいる』傾向が見られますの。待っていますのよ――わたくしが鞭を振るうのを」
「わぁ」
「もちろん望み通りにはさせませんわよ? だって、とことん『矯正』しなければならないでしょう?」
「新たな扉を開けさせてしまったんだねぇ。君はなんて罪作りな人だ」
「ふふ、嫌ですわ。一緒にいすぎてレオンハルト様に似てしまったんですわね」
「長く一緒にいると似ると言うしね」
お互い「ふふ」と笑って紅茶を飲む。傍で控えているオーウェンもマリアンヌも嫌な顔など一切しない。寧ろ二人にとって聞き慣れた会話で面白みもないかもしれないなと思ってしまうぐらいだ。
「そうでしたわ。ミラがどうしても本を使いたいって言うから何度か『あの場所』から出しておりますの。レオンハルト様に許可を得たほうがよかったかしら」
「いいよ、君に一任しているんだ。好きなようにするといい」
「感謝しますわ」
「それにしても、そうかぁ。ミラの本ね。アイビーも使ってみたのかい?」
「それが……どうやらあれは取り出すときに魔力を込めなければいけないようで、わたくしは使えませんの……少し残念ですわ」
「物質の収納なんかはほとんど魔法が使われているからね。魔力を使わずに、となると次元の問題になるしそっちはかなり難しいだろうなぁ」
「なのでシアン様が今興奮状態で研究しているのだとミラが教えてくれましたわ」
どうやらあれ以来ミラとシアンは仲良くしているらしい。それぞれ趣味は違うけれど、うまい具合に歯車が噛み合ったようだ。うまくいってよかったよとほくそ笑む僕にアイビーは「やっぱりわかっていましたのね」と小さく微笑みティーカップを傾けた。
けれどそうやって人と人との繋いで新たなものを生み出すのも僕の役割だ。それが後に大いに僕の助けとなってくれることを知っている。今回はミラとシアン、そしてクリスとソフィア嬢。あの二人は元より顔が広い。あらゆる伝手を持っているため双方利益があるとわかればすぐに手を組むことはわかっていた。
あの件でソフィア嬢は更に手広く事業を展開することが可能になったし、その見返りとしてノイトラール家も社交の場で更にその存在感を増すことに成功した。
「レオンハルト様のほうはどうですの?」
スコーンの他にも美味しいデザートも用意しておいた。どれもこれもアイビーの好みのものばかり。アイビーも食したことのない新しいものはファルクから情報を教えてもらったものだ。
その美味しいものはアイビーにたくさん食べてもらいたいから、僕はシェフに作ってもらっていたクッキーを一枚手に取り口に運ぶ。サクッとした食感にふんわりと香るバターは十分に僕の口の中を満たしてくれる。
「僕のほうは、そうだねぇ……流石というべきか。プライドだけは一人前だね」
「それだけで想像つきましたわ」
「ふふっ。でも楽しくもあるよ。そのプライドをちょこっとずつ折ってあげるのも乙ってもんだよ」
「恐ろしいですわね」
「酷いなぁ、そんなこと言うのはその可愛らしいお口かな?」
「まぁ。レオンハルト様ったら」
穏やかな風が吹きあたたかい日差しの中クスクスと互いの笑みが溢れる。ここ最近少しバタバタしていたから今のこの緩やかな時間を感受してもバチは当たらないだろう。紅茶を注いでくれるマリアンヌにお礼を言いつつ、二人共ゆっくりしてくれとマリアンヌとオーウェンに座るよう勧めた。二人のテーブルも椅子もしっかりと用意してある。
この場所は僕が所有する屋敷の一つで誰かがそう簡単に侵入することはできない。よって二人が常に警戒する必要もない。
「……ハイロは、どうしますの?」
あの件に関してハイロは十分に手を尽くしてくれた。けれどそれですべてがなかったことにできるかと言われれば僕は首を横に振る。そんな簡単な問題でもない、彼もそれほどのことを過去にしてしまっているのだから。けれど。
「そうだね……ハロルドが傍にいるときならば、魔法を使っていいと許可を出した。研究にも必要になってくるだろうからね。でもまぁ、今後どうなるかは彼の頑張り次第だ」
「なるほど……レオンハルト様にしてはとても温情をかけましたのね」
「そうだよ。大体僕はアイビーにやったことに関して許すなんてこと、それこそ一生、なんだからね?」
「まぁ怖い」
アイビーは楽しそうに笑うけれど僕はもう今思い出しただけでも表情に出さないだけで結構怒ってるからね。なんと言ってもアイビーに罪を被せて罰しようとしていたんだから。それを簡単に許せると思う? 許せないだろう僕はアイビーに関しては心が狭いことを自負している。
「それにしても、ブリガンテの件については本当に情報収集が早かったのですわね」
「ああ、あの件は僕とそしてファルクにもかなり動いてもらったからね。とは言っても……あの件に関しては僕も父上の手のひらで踊らされたようなもんだよ」
ブリガンテ公が裏でどう動いていたのか、そして何を企んでいたのか。父上がそれを知らないはずがない。ということはこれからどう動くのかをわかった上で、僕がどう対処するか傍観していたのだろう。とは言ってもそこは僕の父親、僕がどう動くのかもわかっていたはず。
そして頃合いを見図らないいいところを持っていくという、狡っ辛いというか抜け目がないというか。如何に自分の手を煩わせずに物事を処理するか、父上はその能力がとにかく特化している。使えるものは何でも使うのだ、それが例え息子だろうとなんだろうと。
残念ながら、僕は父のそういった一面を兄上の分まで受け継いでしまっていると思っている。僕だってきっとなんでも利用する。それこそ、大切な婚約者だって。僕は囮に使ってしまう。
嫌だなぁ、と苦笑を浮かべてあたたかい紅茶を喉に流し込む。きっとこれからそういうことがより一層増えるんだ。
そしてアイビーはそれを他の誰よりも理解している。
「レオンハルト様は、まだ自分が『手のひらで踊らされている』と自覚があるのでいいと思おいますわ。愚かな者は、それすら気付かず利用されるだけ利用されるのですから」
「あの二人のように?」
「そうですわ」
「上に立つものがそうあってはいけないね」
利用するようなことがあっても利用されるようなことがあってはならない。ただの傀儡と成り下がった王に一体誰がついてくるというのだろうか。
そういえば、と何かを思い出したかのような口振りに僕も顔を上げ首を傾げる。笑顔で待っていると彼女は口元を手で隠して少しだけ声に出して笑うと、こほんと一つ咳払いをして口元にあった手を退かした。
「実はですね、ステラさんが卒業後わたくしの侍女になりたいと言い出したんですの」
「へぇ? ルフトゥ嬢が? うん、悪くはない話だけど……ねぇ?」
「そうですの。わたくしたちの趣味が彼女には刺激が強いものなんですの。わたくしの侍女になるより、ルフトゥ家の人間として慈善事業に力を入れたらどうでしょうと助言をしてみましたわ」
「僕もそっちのほうがいいと思うよ」
ルフトゥ家は貴族の中で数少ない慈善事業を手掛けている。よって庶民たちからの人気は絶大で信頼も寄せられている。そのルフトゥ家のご令嬢が王子の婚約者の侍女になる、というよりも懇意にしている、といったほうが印象がいいだろう。
侍女となったら王族の権威でどうのこうのという声が必ず出てくるはずだから。それよりも「仲良くしているお友達です」のほうがずっと印象がいい。それをアイビーではなくルフトゥ嬢の口から出たら尚更。
にしても。どうやらアイビーとルフトゥ嬢は最近特に仲良くしているようだ。ルフトゥ嬢がアイビーに憧れを抱いていると言ったほうがいいか。よくアイビーに色んなことを尋ねてくるようになっていた。
僕としては、まぁ、アイビーの理解者が増えるのは喜ばしいことだとは、思っているけれど? でもね? 二人っきりの時間も減っちゃうなぁ、とか……少しだけ思ってみたりね? あのファルクでさえ二人っきりなれる時間を増やすためにサッと場を去るなんてことをしてくれているけれどね?
そこがちょっと、というか、まぁぶっちゃけると割と不満があるといえばあるけれど。でも女子同士の時間を邪魔するのもなぁ、という葛藤がここのところ続いている。
ともかく、と一度軽く咳払いをして口元をナフキンで軽く拭い椅子から立ち上がる。風でふわりと広がる黒髪が美しいと見惚れつつ彼女の元へ歩み寄り、そして傍で跪いた。
「アイビー、僕たちはこれからも命を狙われることがあるだろうし、僕は何かあれば再び君を囮として使うかもしれない。でもね、王になったとしても僕は側室を置くつもりはまったくないし、僕にとって大切にしたい女性は君だけだ、アイビー」
だから、と真っ直ぐに彼女を見上げ、誓いのように胸に手を当てそして微笑みを浮かべる。
「これからも僕の隣にいてくれるかい?」
僕の問いかけに彼女は同じように微笑んで椅子から立ち上がり、僕の手に触れると同じく立ち上がるようにそっと引いて促した。
「もちろんですわ、レオンハルト様。わたくし貴方のためならばなんだってできますもの。魔法が使えなくても鞭を手に取り振るいますわ。毒にだって耐えれますし最近では暗器も習っておりますの。貴方を害するものはすべて許しはしませんし、貴方がこうして触れる相手は、わたくしだけですわ」
とてつもない強烈な告白に僕はもう大満足だ。崩れる表情を隠すこともせず満面の笑みを浮かべて彼女を腕の中に閉じ込める。僕たちは親同士が決めた政略結婚のための婚約だった。
でも今はそんなこと関係ない。十年以上一緒にいてお互いのいいところも悪いところも見て知ってきて、それでも僕たちはお互いを選ぶ。決められていたから選ぶんじゃない、ちゃんと自分たちの意志でだ。
「……卒業まで、このゆったりとした時間を楽しもうか?」
「そうですわね。時折趣味に時間を費やして」
「ふふっ、趣味にね」
「ええ。そしてまたお忍びで出かけたりもしましょう?」
「うん、そうだね」
ぎゅっと抱きしめて、そして身体を離す。初めて会ったときも可愛らしいとは思ったけれど、今は驚くほど美しくなった。きっと彼女はこれからもっと美しくなって、そして強くなっていく。
そんな彼女を誰にも渡すつもりはないし、彼女に襲いかかるものすべてを薙ぎ払う。それは誰であろうとも。
美しく柔らかな頬にそっと触れる。嫌がる素振りを一切見せず寧ろ愛しさを全面に出している微笑みはとても攻撃力がある。心の中で胸を押さえつつ、僕はその頬に口づけを落とした。
「レオンハルト様、いらっしゃいました」
現れたマリアンヌの後ろには待ちわびていた姿。立ち上がり彼女がスムーズに座れるように軽く椅子を引いてあげる。エスコートを済ませたあと自分の席に戻ろうとしたときに、ふわりと甘やかな香りが鼻に届いた。
「こうやってゆっくりするのも久しぶりだね、アイビー」
「そうですわね。レオンハルト様、ご無理をなさってはおりませんよね?」
「安心して、回復薬のお世話にはなっていないから」
「それは安心致しましたわ」
できることならもう二度と回復薬のお世話にはなりたくないなと苦笑を漏らせば彼女も僅かに眉を下げて微笑む。そうは言っても卒業すればたくさんお世話になりそうだということを僕たちもどことなく察しはついている。
それはさておき、と。テーブルの上にあるものを彼女に進めれば「頂きますわ」と迷うことなく手を伸ばし、そして口に運んだ。
「……! 美味しいですわ、このスコーン。それぞれの素材の味をしっかりと感じますわ。これはレオンハルト様のところのシェフが作ったのですの?」
「ふふっ、実はそれね、あの街のクイネが作ったんだよ」
「まぁ、あのクイネが? とても上達したのですね……わたくしたちと初めて会ったときはあんなにも小さかったのに……って、レオンハルト様?」
「ん? なんだい?」
「これがここにあるということは――お一人で行ったんですの? わたくしを差し置いて?」
「ああごめんねアイビー。今回は『お忍び』じゃなかったんだ。ね、オーウェン」
「然様でございます」
控えていた騎士のオーウェンにそう問いかけると彼はアイビーに向かって軽く頭を下げた。僕だってアイビーを連れて行きたかったけれど今回は『王子』として赴いたから、あちらこちらに寄り道するのも難しかった。このスコーンだって帰り際に急いで買いに行ったものだ。
それにしても、とつい苦笑を漏らす。僕とアイビーは何度か変装してお忍びで行っているけれど、僕たちの正体はきっと街の人たちにはバレている。変装したところで所作や教養は出てしまうものだろうし、僕たちもいつまでも隠し通せるものだとはそもそも思ってはいなかった。
ただ僕たちがお忍びで行っているから、彼らも目を瞑ってくれているだけ。厚意で『庶民の人間』として扱ってくれている。それがきっと彼らの感謝の印なのだと僕は思っている。
「急いでクイネのところに行ったら彼ちょっと驚いてたよ。やっぱり風貌が違うとびっくりしちゃうのかな」
「レオンハルト様は特にそうかもしれませんわね。見慣れている黒がキラキラと美しいブロンズになっているんですもの、わたくしも初めて見たら驚くかもしれませんわ」
「そういうものなのかな」
普段の自分の髪の色も見慣れているし、変装するときに変えている黒もいつも美しい黒色を見ているから僕にとってはどちらともめずらしくはない。けれどアイビーの言葉にそうなのかと納得しながら僕もスコーンを口に運ぶ。
「ところでアイビー、首尾はどうだい?」
「ちゃんと矯正していますわ。ただ最近……困ったことになっていますの」
「困ったこと?」
それは聞き捨てならないな、と笑顔を貼り付けつつ少しだけ身体を前のめりにする。彼女の要望もあってアレはアイビーに任せたけれど、問題が起きたとなると話は別。早々にこちらに引き取らなければいけないなと頭の回転速度を早める。
けれどそんな僕の考えなどわかっていたのだろう、彼女は楽しそうにくすりと笑みをこぼすと一度ティーカップに口をつけ喉を潤し、口を開いた。
「最近、どうも『望んでいる』傾向が見られますの。待っていますのよ――わたくしが鞭を振るうのを」
「わぁ」
「もちろん望み通りにはさせませんわよ? だって、とことん『矯正』しなければならないでしょう?」
「新たな扉を開けさせてしまったんだねぇ。君はなんて罪作りな人だ」
「ふふ、嫌ですわ。一緒にいすぎてレオンハルト様に似てしまったんですわね」
「長く一緒にいると似ると言うしね」
お互い「ふふ」と笑って紅茶を飲む。傍で控えているオーウェンもマリアンヌも嫌な顔など一切しない。寧ろ二人にとって聞き慣れた会話で面白みもないかもしれないなと思ってしまうぐらいだ。
「そうでしたわ。ミラがどうしても本を使いたいって言うから何度か『あの場所』から出しておりますの。レオンハルト様に許可を得たほうがよかったかしら」
「いいよ、君に一任しているんだ。好きなようにするといい」
「感謝しますわ」
「それにしても、そうかぁ。ミラの本ね。アイビーも使ってみたのかい?」
「それが……どうやらあれは取り出すときに魔力を込めなければいけないようで、わたくしは使えませんの……少し残念ですわ」
「物質の収納なんかはほとんど魔法が使われているからね。魔力を使わずに、となると次元の問題になるしそっちはかなり難しいだろうなぁ」
「なのでシアン様が今興奮状態で研究しているのだとミラが教えてくれましたわ」
どうやらあれ以来ミラとシアンは仲良くしているらしい。それぞれ趣味は違うけれど、うまい具合に歯車が噛み合ったようだ。うまくいってよかったよとほくそ笑む僕にアイビーは「やっぱりわかっていましたのね」と小さく微笑みティーカップを傾けた。
けれどそうやって人と人との繋いで新たなものを生み出すのも僕の役割だ。それが後に大いに僕の助けとなってくれることを知っている。今回はミラとシアン、そしてクリスとソフィア嬢。あの二人は元より顔が広い。あらゆる伝手を持っているため双方利益があるとわかればすぐに手を組むことはわかっていた。
あの件でソフィア嬢は更に手広く事業を展開することが可能になったし、その見返りとしてノイトラール家も社交の場で更にその存在感を増すことに成功した。
「レオンハルト様のほうはどうですの?」
スコーンの他にも美味しいデザートも用意しておいた。どれもこれもアイビーの好みのものばかり。アイビーも食したことのない新しいものはファルクから情報を教えてもらったものだ。
その美味しいものはアイビーにたくさん食べてもらいたいから、僕はシェフに作ってもらっていたクッキーを一枚手に取り口に運ぶ。サクッとした食感にふんわりと香るバターは十分に僕の口の中を満たしてくれる。
「僕のほうは、そうだねぇ……流石というべきか。プライドだけは一人前だね」
「それだけで想像つきましたわ」
「ふふっ。でも楽しくもあるよ。そのプライドをちょこっとずつ折ってあげるのも乙ってもんだよ」
「恐ろしいですわね」
「酷いなぁ、そんなこと言うのはその可愛らしいお口かな?」
「まぁ。レオンハルト様ったら」
穏やかな風が吹きあたたかい日差しの中クスクスと互いの笑みが溢れる。ここ最近少しバタバタしていたから今のこの緩やかな時間を感受してもバチは当たらないだろう。紅茶を注いでくれるマリアンヌにお礼を言いつつ、二人共ゆっくりしてくれとマリアンヌとオーウェンに座るよう勧めた。二人のテーブルも椅子もしっかりと用意してある。
この場所は僕が所有する屋敷の一つで誰かがそう簡単に侵入することはできない。よって二人が常に警戒する必要もない。
「……ハイロは、どうしますの?」
あの件に関してハイロは十分に手を尽くしてくれた。けれどそれですべてがなかったことにできるかと言われれば僕は首を横に振る。そんな簡単な問題でもない、彼もそれほどのことを過去にしてしまっているのだから。けれど。
「そうだね……ハロルドが傍にいるときならば、魔法を使っていいと許可を出した。研究にも必要になってくるだろうからね。でもまぁ、今後どうなるかは彼の頑張り次第だ」
「なるほど……レオンハルト様にしてはとても温情をかけましたのね」
「そうだよ。大体僕はアイビーにやったことに関して許すなんてこと、それこそ一生、なんだからね?」
「まぁ怖い」
アイビーは楽しそうに笑うけれど僕はもう今思い出しただけでも表情に出さないだけで結構怒ってるからね。なんと言ってもアイビーに罪を被せて罰しようとしていたんだから。それを簡単に許せると思う? 許せないだろう僕はアイビーに関しては心が狭いことを自負している。
「それにしても、ブリガンテの件については本当に情報収集が早かったのですわね」
「ああ、あの件は僕とそしてファルクにもかなり動いてもらったからね。とは言っても……あの件に関しては僕も父上の手のひらで踊らされたようなもんだよ」
ブリガンテ公が裏でどう動いていたのか、そして何を企んでいたのか。父上がそれを知らないはずがない。ということはこれからどう動くのかをわかった上で、僕がどう対処するか傍観していたのだろう。とは言ってもそこは僕の父親、僕がどう動くのかもわかっていたはず。
そして頃合いを見図らないいいところを持っていくという、狡っ辛いというか抜け目がないというか。如何に自分の手を煩わせずに物事を処理するか、父上はその能力がとにかく特化している。使えるものは何でも使うのだ、それが例え息子だろうとなんだろうと。
残念ながら、僕は父のそういった一面を兄上の分まで受け継いでしまっていると思っている。僕だってきっとなんでも利用する。それこそ、大切な婚約者だって。僕は囮に使ってしまう。
嫌だなぁ、と苦笑を浮かべてあたたかい紅茶を喉に流し込む。きっとこれからそういうことがより一層増えるんだ。
そしてアイビーはそれを他の誰よりも理解している。
「レオンハルト様は、まだ自分が『手のひらで踊らされている』と自覚があるのでいいと思おいますわ。愚かな者は、それすら気付かず利用されるだけ利用されるのですから」
「あの二人のように?」
「そうですわ」
「上に立つものがそうあってはいけないね」
利用するようなことがあっても利用されるようなことがあってはならない。ただの傀儡と成り下がった王に一体誰がついてくるというのだろうか。
そういえば、と何かを思い出したかのような口振りに僕も顔を上げ首を傾げる。笑顔で待っていると彼女は口元を手で隠して少しだけ声に出して笑うと、こほんと一つ咳払いをして口元にあった手を退かした。
「実はですね、ステラさんが卒業後わたくしの侍女になりたいと言い出したんですの」
「へぇ? ルフトゥ嬢が? うん、悪くはない話だけど……ねぇ?」
「そうですの。わたくしたちの趣味が彼女には刺激が強いものなんですの。わたくしの侍女になるより、ルフトゥ家の人間として慈善事業に力を入れたらどうでしょうと助言をしてみましたわ」
「僕もそっちのほうがいいと思うよ」
ルフトゥ家は貴族の中で数少ない慈善事業を手掛けている。よって庶民たちからの人気は絶大で信頼も寄せられている。そのルフトゥ家のご令嬢が王子の婚約者の侍女になる、というよりも懇意にしている、といったほうが印象がいいだろう。
侍女となったら王族の権威でどうのこうのという声が必ず出てくるはずだから。それよりも「仲良くしているお友達です」のほうがずっと印象がいい。それをアイビーではなくルフトゥ嬢の口から出たら尚更。
にしても。どうやらアイビーとルフトゥ嬢は最近特に仲良くしているようだ。ルフトゥ嬢がアイビーに憧れを抱いていると言ったほうがいいか。よくアイビーに色んなことを尋ねてくるようになっていた。
僕としては、まぁ、アイビーの理解者が増えるのは喜ばしいことだとは、思っているけれど? でもね? 二人っきりの時間も減っちゃうなぁ、とか……少しだけ思ってみたりね? あのファルクでさえ二人っきりなれる時間を増やすためにサッと場を去るなんてことをしてくれているけれどね?
そこがちょっと、というか、まぁぶっちゃけると割と不満があるといえばあるけれど。でも女子同士の時間を邪魔するのもなぁ、という葛藤がここのところ続いている。
ともかく、と一度軽く咳払いをして口元をナフキンで軽く拭い椅子から立ち上がる。風でふわりと広がる黒髪が美しいと見惚れつつ彼女の元へ歩み寄り、そして傍で跪いた。
「アイビー、僕たちはこれからも命を狙われることがあるだろうし、僕は何かあれば再び君を囮として使うかもしれない。でもね、王になったとしても僕は側室を置くつもりはまったくないし、僕にとって大切にしたい女性は君だけだ、アイビー」
だから、と真っ直ぐに彼女を見上げ、誓いのように胸に手を当てそして微笑みを浮かべる。
「これからも僕の隣にいてくれるかい?」
僕の問いかけに彼女は同じように微笑んで椅子から立ち上がり、僕の手に触れると同じく立ち上がるようにそっと引いて促した。
「もちろんですわ、レオンハルト様。わたくし貴方のためならばなんだってできますもの。魔法が使えなくても鞭を手に取り振るいますわ。毒にだって耐えれますし最近では暗器も習っておりますの。貴方を害するものはすべて許しはしませんし、貴方がこうして触れる相手は、わたくしだけですわ」
とてつもない強烈な告白に僕はもう大満足だ。崩れる表情を隠すこともせず満面の笑みを浮かべて彼女を腕の中に閉じ込める。僕たちは親同士が決めた政略結婚のための婚約だった。
でも今はそんなこと関係ない。十年以上一緒にいてお互いのいいところも悪いところも見て知ってきて、それでも僕たちはお互いを選ぶ。決められていたから選ぶんじゃない、ちゃんと自分たちの意志でだ。
「……卒業まで、このゆったりとした時間を楽しもうか?」
「そうですわね。時折趣味に時間を費やして」
「ふふっ、趣味にね」
「ええ。そしてまたお忍びで出かけたりもしましょう?」
「うん、そうだね」
ぎゅっと抱きしめて、そして身体を離す。初めて会ったときも可愛らしいとは思ったけれど、今は驚くほど美しくなった。きっと彼女はこれからもっと美しくなって、そして強くなっていく。
そんな彼女を誰にも渡すつもりはないし、彼女に襲いかかるものすべてを薙ぎ払う。それは誰であろうとも。
美しく柔らかな頬にそっと触れる。嫌がる素振りを一切見せず寧ろ愛しさを全面に出している微笑みはとても攻撃力がある。心の中で胸を押さえつつ、僕はその頬に口づけを落とした。
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