戀する痛み

璃鵺〜RIYA〜

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戀する痛み

戀する痛み 17

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何を言っているんだろう?
悠貴さんに病院を継がせるために、お見合いさせたりしてるんでしょう?

ボクは理事長の言葉に、頭の中が『???????』で埋め尽くされていた。
車が安全運転で夜の街を走って行く。対向車線のライトや、煌々(こうこう)と灯りのついたビル、家路(いえじ)を急いでいる人が、視界の隅を流れていく。

理事長はボクを見ることはなく、正面を見たまま、口を開く。少しだけ悠貴さんに似た、心地の良い低い声が耳朶(じだ)を打つ。

「あれは母親によく似ている・・・目元も鼻筋も口唇の厚さも耳の形も・・・思慮深い話し方も吐息のつきかたも眉根を寄せるタイミングも諭(さと)すような言いかたも、呆れた時の笑い方も、諦めた時の・・・・・・あれの母親は本当に美しい女だった。顔立ちだけではなく、心も美しく、慈悲深く天使のように優しい・・・悪魔のように頭のいい女だった」

どこか夢を見ているような、うっとりとした口調で、理事長が語り出した。
いきなり何の話しなのかはわからないけれども、悠貴さんのお母様の話しなら、聞きたいと思った。
ボクは邪魔することなく、理事長の紡(つむ)ぐ言葉を聴き続けた。

「私と彼女は大学で出会った。同じ医学部で医師を目指して勉強している内に、私は彼女に恋をして、彼女もまた私を愛してくれた。お互いに医師免許を取って、大学を卒業したら、結婚しようと約束をしていた。子供ができたら、どんな家に住みたいか、そんなことを毎晩毎朝毎晩毎朝話していた」
「・・・・・・」

理事長は今、この人の意識は今ここにはない。お母様との想い出の中へと飛んでいっている。
その証拠に、語る口元は優しく綻(ほころ)んでいるし、いつも冷徹な瞳が潤んでいるように見える。
心なしか、頬がうっすらと薔薇色に変化しているように見えた。
それは、戀(こい)をしている表情だった。
息ができなくなる。
そのくらい、大切な大事な人の話しをしているんだと、肌で感じた。
今まで見たことのない、恐らく悠貴さんですら見たことがないのかもしれない、そんな様子の理事長から、ボクは目が離せなくなっていた。

ボクは口を挟むこともできず、ただ、黙っていた。

「二人とも無事に免許を取って卒業し、厳しい研修医生活を送っていた。それも落ち着いて給料も安定して、そろそろ結婚しようかと話し合っていたが、急に私の父親が見合い話しをもってきた」
「え・・・?」
「相手も医者の家で、病院を大きくしようとする父のエゴだ。もちろん私は断った。愛する女性がいて結婚するつもりだと言ったが、父がそんなことを許すはずがなく、見合い話しは勝手に進められていった。私の想いは無視された」

それって・・・それって・・・今の悠貴さんと同じ状況じゃない・・・?
自分が父親にされたことと、同じことをしているの・・・?
なんで?どうして?

どうして?!

理事長がいきなりボクを振り向いた。
思わず、ビク・・・っと肩をすくめる。
理事長の全身から、冷たい空気が流れてくる。
呼吸ができなくなるほどの。負の感情が、ありとあらゆる負の感情をぶつけてくる。
泣きたかった。
泣いて叫んでしまったらこの場から解放されるなら、そうした。
でもそんな状況じゃない。
何をしても足掻(あが)いても、終わるまで逃げられない。

全身から血の気がひいて、でも視線は外せなくて、理事長から目が離せなくて。

夢を見ているようだった瞳は、すでに冷たい光りが湛(たた)えられていた。

「そして私の見合い話しを聞いた彼女は姿をくらました。私にも彼女の家族にも何も言わずに、消えてしまった。必死に探した。日本中を探した。彼女が勤めそうな病院にも全て問い合わせた。けれども彼女は見つからなかった。何ヶ月も探しても見つからなかった。彼女が姿を消したのは、父の勝手な行動に怒りながらも、家を捨てて彼女と逃げる勇気のなかった私に呆れ果てたのからだろう。そう思っていた」

ボクは一言も発せずに、理事長の話しを聞き続けていた。
理事長の口調が少しずつ早口になっていく。
怒っているのか、苛立っているのか。
それとも・・・ただただ誰かに聞いて欲しいだけなのか・・・。

冷たい光りの奥の奥に、哀しみが揺らめいている気がした。

「絶望した私は、自暴自棄になって父の言う通りに結婚し、父の言う通りに病院を継いで、父の言う通りに医師会のメンバーにもなった。父の言う通りに彼女のことも遠い記憶として封じ込めていた。そんな時に、家の顧問弁護士から連絡がきた。彼女が見つかったと」
「・・・っ」
「その時に私は初めて知った。彼女が私の子供を産んでいたこと。一人で育てていたこと。私の家の事情を考えて、私になにも言わずに姿をくらましたこと。事情はわかったがいきなり会うことはできなかった。お互いの事情もあったし、子供は何も知らない。そうこうしているうちに長年の苦労がたたって病気になってしまった」
「・・・・・・」
「倒れた時に本当は引き取りたかった。わたしの病院に入院させて手術して、わたしの手元に置いておきたかった。でもそれはできなかった。妻と生まれたばかりの娘と、医師会での立場と。たったそれだけのことで私は、唯一人愛した女を救えなかった。彼女は死んでしまった。わたしに夢みたいな記憶を残して、たった一人の息子を残して、芳(かぐわ)しい匂いを残して。逝(い)ってしまった・・・・・・彼女は、美しい人だった」
「・・・・・・」
「彼女の死後、弁護士から手紙を渡された。彼女は私の家の弁護士が自分たちを探すだろうことを、そしてとっくに見つけ出していることにも気づいてた。住所や勤務先も調べられていたが、気づいていないふりをして、そのままにしていた。そして彼女は手紙を弁護士へ郵送していた。遺言とまではいかないが、彼女の最後の願いがしたためられていた。自分の死後、願わくば子供を私に託したいと思っていると」

車はゆっくりと走る。ボクの家に向かって。
早く・・・早く着いて!
これ以上、これ以上は聞いてはいけない。

何故かボクはそう思っていた。

話し続ける理事長の雰囲気が、少しずつ、少しずつ、異様なものに変化している。
哀しいとも違う、淋しいとも違う、喜びもあり驚きもあり、色々な感情が入り混じって混沌(こんとん)として。
狂気じみている。

そう・・・狂ってるんだ。

これ以上話しを聞いたら、ボクまでおかしくなる。

暗くて深くて、真っ黒な感情の塊(かたまり)に、取り込まれて飲み込まれて埋められる。
戀(こい)と憎しみと嫌悪と、切なさと、憐憫(れんびん)が、理事長の瞳に溢れて、流れ込んでくる。

恐い。
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