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第六章 泥沼のプリンセス
1. GOLDEN TWINS
しおりを挟む■ 6.1.1
その女は、妖しく撫でる様に俺の肩を右手でなぞりながら、妖艶な笑みを浮かべて左隣のスツールに腰を下ろした。
端から見ればどこからどう見ても、娼婦に粉を掛けられている飲み客だ。
俺のことを船乗りだと知っている奴が見れば、久々に地上で呑んでいたが、素性がばれて娼婦にロックオンされた哀れな、もしくは幸せな船乗り、と見えるかも知れない。
しかし俺達は、この女が見かけ通りの娼婦ではない事を知っている。
そして俺は、この女がなぜ今ここに居て、なぜ俺達がここに居ることを知っていたのかという事を考えている。
この女が所属している組織は壊滅状態に有り、前回の様なバックアップ態勢は取れていない筈だった。
そしてさらに、バペッソやジャキョセクションに付け狙われ、さらにはその他大勢の組織からも追い回される立場となってしまった俺達は、今日ここに入港することなど誰にも知らせては居なかったし、公式な記録を調べても判る筈は無かった。
しかし情報がダダ漏れになっている訳は無かった。
もしそうであれば、今頃俺達は何人ものヤクザや、後ろ暗い組織の連中に取り囲まれている筈だからだ。
しかし今のところ、俺達の眼に付く範囲でその様な連中がこちらの動きをうかがっている様子はない。
誰かが意図的に、特定の対象に対して情報を流したとしか思えなかった。
そして、そんな事をやりそうな奴に心当たりは一人しか居なかった。
何か理由があって情報を漏らしたのだろうが、どこに漏らしたのか、その理由は何か、何を考えているのか、何をまた謀り事を巡らそうとしているのか、それを知りたかった。
無いとは思うが、条件も何も無しに情報をばらまかれたのだとしたら、堪ったものでは無かった。
「なぜ俺達がここに居ることを知っている?」
俺は女の目を見ながら言った。予想は付いているが、それでも確証となる情報が欲しかった。
自分がかなり険しい表情になっていることは自覚できる。
もっとも、この女が正直に本当のところを喋るかどうかは余り期待できないのだろうが。
「知っているも何も。この店はいつも使わせてもらっている店よ。顔を覚えている客が居たから声をかけただけじゃないの。前回、他にかっ攫われたから余計に、ね。」
女は、偶然俺を見かけたから声をかけたのだと言った。
その受け答えは、完全に娼婦のロールプレイモードに入っている事を示している。
この女はここに居る限り本来の仕事に戻って話をするとは思えなかった。
女がここに居る本当の経緯と理由を聞きたければ、前回同様他所に場所を移し、他に聞く者がいない状況でなければならないのだろう。
幸い、俺達にはその様な場所の心当たりがあった。
しかし、その様な場所に心当たりがあるかどうかということと、女の話を聞きたいかどうかについてはまた別の話だった。
俺達の居場所を知った経緯はぜひ聞いてみたいものだが、なぜ俺達の居場所を知りたかったのか、という理由については余り聞きたいとは思えなかった。
また面倒な依頼が舞い込む匂いが濃密に漂っているからだ。それは、この女が現在置かれているであろう状況から容易に想像できた。
「そうか。だが、商売は他でやってくれ。生憎、女は間に合っている。」
嘘ではない。レジーナに戻れば、乗員は女だらけだ。
俺は女が言った「儲け話」には一切触れず、女を追い払おうとした。
「つれないわねえ。なに? 男の方が良いの? それとも私じゃ年を取り過ぎてる? 未成年の方が良いとか、そっちの趣味なの? あ、私も何か飲むもの頂戴。そうねえ、トムコリンズをお願い。
「ねえ、ところで儲け話があるんだけれど。」
相変わらず良く喋る女を演じている様だった。
「マサシ。その話を受けてもらえないだろうか。勿論、気に入らなければ依頼を断っても良い。だが取り敢えず、話だけは聞いてやってくれないか。」
頭の中にアデールの声が響いた。
やはりな。
俺の視覚聴覚情報への常時アクセスは、レジーナ、ルナとニュクスにしか許可していない。
アデールはレジーナからでも現在の状況を聞いたのだろう。
この女に、俺達の現在位置を流したのはアデールか、少なくとも地球軍情報部だろう。
連中の商売で、お互いにどの様に情報をやりとりするのかなど、俺達一般の人間は知りようもないが、地球軍情報部はどうやってかこの女が俺に会いたがっている事を知り、そしてどの様にしたかは知らないが、今現在の俺の所在地をこの女に教えた。
この女が俺に依頼したい仕事の内容が、地球にとって何らかの利益になると判断して。
「また何を企んでいる? 謀略を巡らすよりも、正面から依頼してこいと前に言ったはずだが?」
レジーナのオープン回線でアデールに音声通信を送る。レジーナはもとより、ニュクスやブラソンにも聞こえるはずだ。
まだアデールとの関係が険悪だった頃、シャルルの造船所の食堂で俺は宣言した。
俺を思う様に動かしたいなら、謀り事を巡らすよりも正面から依頼してこい、と。
裏で謀略を巡らし、俺を上手く乗せて動かしたと知ったなら、次は船から叩き出す、と宣言したはずだった。
「それについては、約束通り教える。だが、ネットワーク越しに話す様な内容ではない。その女を連れて、一旦レジーナに戻ってくれ。直接話したい。」
既に謀略の匂いがするが、俺とこの女を巡り合わせる程度であれば、まだお膳立ての範疇に含めてやっても良いかと思った。
自分が知らないところですでに進行し始めている企みに巻き込まれつつあることを苦々しく思いながらも俺はそう判断し、アデールからの要請を承諾した。
「ブラソン、折角落ち着いて飲み始めたところ悪いんだが、船に戻っても良いか? レジーナ、俺達の周辺におかしな動きはあるか?」
「余り油断できない身分だからな。酔う前にこのあたりで切り上げておうちに帰るってもんだろう。連中の金で作った新造船の中で旧交を温めるのも悪くないかもな。」
顔に皮肉な笑みを浮かべて、ブラソンが音声通信で返してきた。
「ノバグがネットワークを掌握している訳では無いので一般のサービスでのID検索結果になりますが、今のところ特に周りにおかしな動きはありません。」
レジーナからの返答を待って、俺は女に返答した。
「儲け話については、他の奴に聞かれないところで聞こう。期待通りお持ち帰りしてやる。付いて来い。」
そう言って俺はスツールから腰を浮かせた。
「あん。待ってよ。私の分のトムコリンズがまだ来てないわ。せっかく奢ってもらったんだもの、飲ませてよ。」
俺は小さくため息を一つ付きながら、ギムレットとマルガリータを追加で注文して再びスツールに腰を下ろした。
そう言えば、ホテルで対応に出てきた少佐も、地球産のワインを飲んで美味いなどと言っていたと、ふと思い出した。
■ 6.1.2
俺たちが乗ったビークルは、雨をかき分けるようにして猥雑な繁華街から飛び上がり、システム管制操縦らしいすばらしい速度で高層ビル群の脇を高度100mを維持して飛び抜けた。
夜の闇の中、雨に煙って霞んだ高層ビルの窓明かりが後ろに流れていく。その明かりを反射して僅かに輝く水滴が車窓を流れる。
店ではあれだけ賑やかに話をしていたのが、今は後席から発せられる声もない。
娼婦としてのロールプレイは終了したのか、それともビークルの中で黙ったまま座っている俺達「客」に対する気配りなのか。
俺たちの間には何の会話もないまま、ビークルは程なく郊外の小さな離着陸床に到着した。
離着陸用の僅かな標識灯と誘導灯の他には何も明かりの無いこの小さな離着陸床の上に、鏃か槍の穂先と見まごう如く長く鋭い白銀の船体を静かに横たえて、闇に降る雨に濡れそぼりながらレジーナはその羽を休めている。
ビークルは速度と高度を落としながら、離着陸床のほぼ中央に着陸しているレジーナの船体に向かってゆっくりと近付いて行った。
レジーナの船体の各所に灯る標識灯と安全灯の明滅が、ビークルの大きな窓から差し込んで俺達の顔を照らす。
レジーナの船体のすぐ脇に停止したビークルの扉が開き、俺たちは湿り気と雨の匂いが充満した大気の中に降り立った。
俺達が固いフォームドセラミクスの地面を踏むとほぼ同時に、レジーナ底面の貨物用ハッチが開き、船内から明かりが漏れ出してくる。
ハッチはゆっくりと開いていき、先端が地面に接触したところで斜路を形成して停止した。
斜路を歩いて登り、俺たちが船内に入ると静かな音を立ててハッチが閉まり始めた。
ハッチが閉まりきったところで俺は口を開いた。
「最初に言っておく。聞いているかも知れないが、この船には機械知性体と呼ぶべきAIが何人もいる。この船は地球船籍で、この船の中では地球の法が有効だ。すなわちこの船の中では機械知性体の基本的人権が保障されている。彼女達は俺達と同じ人間だ。」
「知っているわ。テランは機械知性体と共生している。最近では機械達とも仲が良いらしいじゃない?」
まだ娼婦の格好をしているので娼婦のロールプレイをしているのか、軽く微笑みながら女は答える。
「私自身、AIや機械知性体から何かされた訳じゃないわ。特に害意は持っていないし、未知のものに対する興味以上の感情は持っていないわね。」
「それを聞いて安心した。ここで立ち話もなんだ。俺の部屋に行こう。レジーナ、アデールを呼んでくれ。可能であれば話に参加して欲しい。
「それから、準備でき次第離床してくれ。進路は任せる。他に船があまり居ない方向で頼む。」
今回の件の発端には、間違いなくアデールが噛んでいる。それは先程の通信からも明らかだった。
アデールが、と言うよりも地球軍情報部が俺に何をさせたいのかはっきりさせる必要がある。
貨物室から主通路に登るリフトを出ると、いつか見たものと似たような黒いスーツ姿に身を包んだアデールが俺たちを出迎えた。
「マサシ、礼を言う。そして、お初にお目にかかる。アデールだ。地球軍情報部に所属している。」
アデールは俺の後ろに視線を投げて挨拶の言葉を口にした。
俺は、アデールがいきなり自分の所属を明らかにしたことに少し驚いたが、よく考えればごく簡単な消去法でアデールが何者か推定することが出来る事に思い至った。
地球政府の人間だと明らかにする必要があったのだろう。つまり、今から行う話し合いは、そう云う性格のものになるのだろう。
「お世話になったようで、こちらこそ礼を言うわ。」
先程までとは打って変わって、冷たく実務的な声が俺の後ろから発せられた。
娼婦のロールプレイはもう止めたのだろうかと俺が後ろを振り向くと、そこには濃い青色の露出度の高い派手な服はそのままに、船内の明かりを受けて透き通った輝きを放つような銀髪をショートボブに切り飛ばし、切れ長の青い眼から射抜くような視線を発する女が立っていた。
やはりそうかと思いつつ、俺は言った。
「Regina Mensis IIへようこそ。久しぶりだな、ミリ。無事に生き延びられているようで、何よりだ。」
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