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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
35. ファラゾアの幼女
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その幼女が目覚めたのは、コンテナから救い出してからたっぷり五十時間程経ってからだった。
レジーナはまだアリョンッラ星系の重力圏から脱出して居らず、通常空間を星系南方に向けて真っ直ぐ進んでいた。
さすがにこれだけ離れてしまえば、もう普通の脚の宇宙船では追いつくことが出来ないと諦めたのか、ジャキョセクションからの追っ手は感知されていなかった。
「マサシ、女の子が目覚めました。A客室まで来てもらえますか?」
操縦席からみて一番手前、左側の客室に寝かされた幼女を常にモニターし続けていたルナから連絡が入った。
ルナは俺から指示された通りに常に客室内をモニタし続け、手が空いたときには実際に客室内に入って幼女の状態を観察し続けていた。
ルナの連絡を受けて部屋から出ると、隣の部屋を使っているニュクスもちょうど部屋から出てくるところだった。
「ふむ。やはり幼女が気になると見えるの。」
顔を合わせるやいなや、またそういう事を言い出す。
「おまえしつこいよ。いつまでそのネタを引っ張るつもりなんだ。」
ニヤニヤと嗤うニュクスに、心持ち不機嫌そうに投げ返す。
子供に甘い顔を見せては駄目だ。もちろん、ニュクスが子供では無いことは十分に理解している。
「取り敢えずあの娘が船に居る間は楽しめるじゃろ?」
俺は楽しくない。
ニヤニヤ嗤いながら俺の顔を見上げて覗き込む様にするニュクスを無視して客室との隔壁を越える。
客室に例の幼女が居るとは言え、目覚めたあの幼女が何か破壊工作をするとも思えず、また容態が急変したときに即応できる様に客室との隔壁は解放してあった。
左側のA客室のドアを開けて中に入る。
部屋の奥の壁際に設置されたベッドの脇に、いつものショートパンツとスカジャン姿のルナが立っており、そしてベッドの隅、部屋の角の部分に例の幼女が怯えた様に小さくなっていた。
実際に怯えているのだろう。
どの様に捕獲されたのかは知らないが、非合法な人身売買をする様な連中が、子供の心のケアをしながら捕獲するとはとても思えない。
追い回して追い詰め、最後には麻酔銃の様なものも使ったかも知れない。
「大丈夫。怖くない。」
ルナが無表情のまま、英語で話しかけている。人選を失敗したかも知れない。
俺達が近づくと、怯えて部屋の隅に固まっていた幼女は、さらに小さくなって頭を抱えてベッドの上にうずくまってしまった。
「XXXXXXX!」
幼女が小さな、しかし喉から絞り出す様な声で何かを言っている。
声が小さすぎて何語か聞き取れない。何語か分からないので、何を言っているのか理解できない。
「怯えんで良いぞ。もう誰もお主の事を追い回したりせぬ。酷い事はせぬ。お主は助かったのじゃ。」
ニュクスがベッドの上に上がり、幼女の肩に手を掛けて話しかける。見た目の歳が余り違わないニュクスの方が受け入れられやすいという考えだろう。
ニュクスが話したのはファラゾア語だった。
ファラゾア語など使う事も無いので、レジーナのライブラリには格納されていなかった。
随分古いものしか無いが、機械達のデータベースには存在するというので、無いよりは全然ましだとニュクスにダウンロードしてもらい、それをレジーナのライブラリに格納した。
そのライブラリ経由で俺も一応ファラゾア語を格納したので、聞けば理解できる様になっている。
ニュクスが肩に触ったときに、幼女は怯えてピクリと肩を跳ね上げた。
ニュクスの声に少し落ち着いたのか、まだ肩で息をしているが、叫ぶ様な声はもう上げていない。
かなり落ち着いてきた様だ。想像していたよりも遥かに早く落ち着いてくれそうで助かる。ずっと意識を失っていて、途中酷い目に遭う経験を積み重ねなかっただけまだましな精神状態なのだろう。
「お母さんは?」
小さな声で幼女が喋っているのが聞き取れた。
確かに、ファラゾア語だった。どこかの学校で語学を履修している学生でも無い限りは、物好きにもファラゾア語を習得している奴などいないだろう。
決定的な情報だった。
「すまぬのう。儂らはお主しか見つけられなんだ。」
ニュクスが幼女の肩に掛けた手でそのまま背中を軽くさすっている。
「お父さんもいないの?」
「すまぬ。お主だけじゃ。掴まった時に父と母も居ったのか?」
「お父さんとお母さんはお家でナニバの世話をしてた。あたしはお家の外で遊んでた。農場の柵の外は危ないから行っちゃ駄目って言われてたの。エナシオの葉を取りに森に行ったら急に頭が痛くなって暗くなったの。明るくなったら痛い機械がいて動けなくて、機械に掴まれて痛くてまた暗くなって・・・」
幼女は殆どパニック状態にあるようで、叫ぶように喋り続け、そしてガタガタと震え始めた。
「もう良い。もう良いのじゃ。ここには怖い機械も居らぬし、暗くなることもない。痛くもならぬ。安心せい。」
背中をさすっていたニュクスが肩に手を回して抱き寄せる。幼女はニュクスに抱きつくと震え続けた。
幼女の話は要領を得なかったが、やはりファラゾア人の隠れ里のような星があるのは間違いの無いことの様だった。
その星では、大人のファラゾア人がおり、少なくとも普通の農業を行って、そして家畜も飼っているようだ。
独り家から離れたところで攫われたようだ。
人身売買に手を染めている業者の内、ファラゾアの隠れ里の場所を知っているものが居り、その業者が偶にその星を訪れては人さらいを行っているのだと推測出来る。
この幼女に関しては、出来れば親元に帰してやりたいと思う。
だが、ファラゾアの隠れ里が違法人身売買業者の被害に遭っていることに関して、正義の味方宜しく俺がしゃしゃり出てどうこうしようという気にはなれなかった。
俺は自分自身がそれほどナショナリズムが強い方だとは思っていない。
ファラゾアと地球人の間に、地球人の存亡を掛けた激しい戦いがあったとは言え、それは俺の感覚にしてみれば遙か昔のことだ。
俺自身、ファラゾアに対して特別な感情を抱いている訳では無い。「面倒だから、出来れば関わり合いになりたくない連中」程度の認識でしか無い。
だから、ある意味地球人の同類とも言える、ファラゾア本体と袂を分かった隠れ里のファラゾア人達に対して、何か積極的な支援を行おうという気になる訳でも無かった。
それは彼ら自身が解決すべき問題だ。出来なければ滅びる。
地球人もそうやって生き延び、そして今がある。
ファラゾア人だから助けの手を伸ばさない訳でも無い。
この銀河を支配しているのは、冷酷なまでの弱肉強食主義だ。
弱ければ負ける。負ければ、滅びる。
自分で自分の身を守れないものは滅びる。それは、個人でも、種族でも同じ事だ。
それだけのことだった。
ベッドの上では、ニュクスに抱かれ背中をさすられている幼女がまた少し落ち着きを取り戻しつつあった。
「お主の名は何という? お主の家の場所は分かるか? 何という星じゃ?」
ニュクスに抱きついていた幼女が顔を上げる。
ファラゾア人特有の明るい赤色の眼がニュクスを見上げる。
「あたしミスラタミズ。お家に帰れるの?」
ミスラタミズと名乗った幼女は、恐る恐るという風にニュクスに訊いた。
「お主はのう、気を失うておる内に随分と遠いところまで来てしもうたのじゃ。お主の家がどこにあるのかさえ分からぬほどにのう。じゃが、安心せい。長うかかっても、必ず家に帰してやろうぞ。」
誰がやるんだそれ、と思ったが、よく考えればニュクスは銀河中に眼と耳を持ち、その気になれば数百万の艦隊を動かすことが出来る。
いや、ニュクスが数百万の機械艦隊を動かすのでは無く、数百万の機械艦隊がニュクスなのだ。
「あたしが住んでいたのは、ニニダの村の近く。家の名前はテゼロテレテ。お姉さん、お家分かる?」
「儂の名前はニュクスじゃ。お主の名前は、ミスラタミズ・テゼロテレテ・ニニダで合うておるか?」
「うん。それで合ってる。その名前なら誰だって家が分かるってお父さんが言ってた。」
「星の名前は分かるか? お主が住んで居った星じゃ。」
「星? お空の?」
ミスラタミズは首を傾げ、不思議そうな顔でニュクスを見ている。
多分、彼女には自分が住んでいたのが惑星の上だという認識が無いのだろう。
幼い彼女にその認識が無いのか、その星に住んでいるファラゾア人が科学的退化をしているのかは分からない。
人口が一定数を割ると、文明や科学は急速に退化する。
銀河列強の地位を誇るファラゾアであっても、そこから逃げ出した脱走者の数によっては、流れ着いた星で生きていくのに精一杯で、文化や科学技術といったものが全て失われていてもおかしくは無い。
植民星に入植した集団が余りに過酷なその星の環境にさらされ、生き延びること以外に割ける労力の余裕を持てず、母星から持ち込んだ技術や知識を一度全て失い、数万年掛けてやっと地球の中世前後の生活と科学技術を再び手に入れる、等という話は割とよくある。
母星からの全面的な支援でテラフォーミングまで行った星に入植するのと、当ても無く送り出された播種船でたまたま見つけた居住可能な星に入植するのとでは、定住後の苦労に天と地ほどの差がある。
逃げ出したファラゾア人達が、テラフォーミング用の装備を持ち出せたかどうかは分からない。
持っていなかったとすれば、やっと定住式の農業を発展させたばかりの文明レベルにまで退化した可能性は大いにあるだろう。
「そうじゃ。星じゃ。お主が住んで居った惑星じゃ。」
「???」
ミスラタミズは、ニュクスが突然意味不明の言葉を喋り始めたかの様に、その顔を不思議そうに見上げている。
彼女に自分たちが住んでいるのが惑星という分類の星の上であるという知識がないだけなのか、隠れ里のファラゾア人全般がその様な科学的知識を失っているか、のどちらかだろう。
いずれにしても、ミスラタミズからファラゾア人の隠れ里の星の名前を聞き出すことは不可能そうだった。
「安心せい。幾ら時間がかかろうとも、儂が必ずお主の星を捜し当てて見せようぞ。必ず家に帰してやるよって、安心せい。」
そう言ってニュクスはミスラタミズの頭を撫でた。
「お主、腹は減っておらぬかや?」
そう言われて、ミスラタミズはふと我に返ったような表情になった。
「お腹・・・空いた。」
「じゃろうの。コンテナの中では何も食わしてもろうては居らなんだからのう。ルナ、この娘に食事を頼めるかや?」
「ええ。お昼も近いですから、少し早いですが昼食にしましょう。」
ファラゾア語で話しかけたニュクスに対して、ルナもファラゾア語で返す。
「このお姉ちゃんは?」
未だベッドの端に立つルナを見上げながらミスラタミズが問う。
「ルナという。この船の中の色々な事を全部取り仕切って居る。」
「ルナと言います。よろしく、ミスラタミズ。」
「ルナさんはあたしと同じ。ニュクスさんはなんで髪の毛が黒くて眼が緑色なの?」
「おお、そうじゃのう。ニュクスと並ぶとまるで姉妹のようじゃのう。儂の髪は黒くして居るのじゃ。世の中には色々な髪の色と眼の色の人が居るのじゃぞ。」
「タニサマラのお姉ちゃんは髪が金色だったけど、眼は赤かったよ? みんな金色なのは珍しいって言ってた。」
「そうか、そうか。お主の星では銀色の髪に赤い眼が普通じゃったか。しかしの、黒い髪が普通の星だってあるのじゃ。」
「ねえ、星って、どうして? お星様にも人が住んでいるの?」
生来人なつこい性格なのか、つい先ほどまで部屋の隅で怯え震えていた面影はもうどこにもない。
子供らしい真っ直ぐで素直な目で、思ったことを端からニュクスに聞いている。
そう言えば、これ位の年頃の子供は世の中のありとあらゆるものに対して疑問を持ち、しつこいくらいに色々なことを尋ねてくるものだった。
そうしてみると、地球人もファラゾア人も何ら変わりはない。そこにいるのは、ただ一人のかわいい女の子でしかなかった。
「そうじゃのう。お主にはまだ少し難しいかも知れぬのう。じゃが、空腹を満たすのがまずは先じゃ。食事を呼ばれながらにゆるりと話してやろうかのう。」
そう言いながらニュクスはミスラタミズをベッドの端から降ろし、スリッパを履かせて手を引く。
床の上に立ったミスラタミズの背丈は、ニュクスの肩辺りまでしかなかった。
「ミスラタミズ、甘いものは好きですか?」
「大好き!」
ミスラタミズの顔には既に笑顔までが戻っている。
三人連れだって部屋を出て昼食に向かう姿は、まるで大人達から幼児の守りを任された親戚の年上の少女達といった風に見える。
しかしミスラタミズは種族的には地球人の仇敵であるファラゾア人で、そしてその出身地は誰も知らず地図にさえ載って居らず、そのような隠れ里から違法人身売買業者によって攫われて故郷への帰り方さえ分からない幼女なのだった。
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