夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)

10. やはりローレライの魔物

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■ 3.10.1
 
 
 レジーナの航行に関して云えば、キュメルニアガス星団からの帰路は、往路に比べると拍子抜けする程に平穏だった。
 
 それはもちろん、キュメルニア探査船を探して手探りで進む必要がなくなったという理由も大きいが、それよりもガス星団中にプローブを飛ばしている機械群からの情報を使えるという恩恵に与ったという事が大きかった。
 面白いものなのだが、すでに一度丸裸にされてしまったレジーナAIは、ニュクスにフルアクセス権を渡しているようで、ニュクスは乗務員と同等の権利を持ってレジーナネットワークを利用しているようだった。
 ニュクスというAIのシステムから、レジーナAIのシステムにダイレクトにデータをインターフェイスする分、俺がレジーナAIを使うよりも、ルナがレジーナAIにアクセスしている状態により近いのかも知れない。
 いずれにしても、キュメルニア機械群のプローブ情報はニュクスに伝えられ、ニュクスからレジーナAIに直接インターフェイスされ、ナビゲーション情報としてリンク操縦システムを通じて俺達に伝えられる。
 
 一つ失敗したことがある。
 キュメルニア機械群のナノマシンによるスキャンの時、生義体端末であるルナの身体に緊急避難させたレジーナAIコピーだったが、分離してから時間が経ちすぎていて、それぞれが独自の経験を多く積んでしまったために、マージが困難になったということだった。
 もちろん、強引にマージすればやって出来ないことはないらしいのだが、一度二つに別れた一卵性双生児を元に戻そうとするようなもので、かなりの無理を伴い、場合によっては何らかの障害が残る可能性もある、とのことだった。
 この二人はもうこのまま二人でやっていくしかないようだ。
 特に問題があるわけではない。レジーナAIは食事はしないので食費がかさむわけでもないし、ルナとレジーナAIが喧嘩をしているわけでもない。ただ単にこの船の乗組員が一人増えたことと、次に地球に戻ったとき新たに生まれた形のルナのAIを市民登録しなければならないだけだ。
 
 レジーナに同航する駆逐艦『霧風』と『谷風』は、まるで遙かな昔からレジーナが彼らの旗艦であったかのように、レジーナの左右斜め前方50km程度の位置にぴたりと付いて密集隊形を組んでおり、彼ら機械群のネットワークから得られる周辺の障害物情報や航法情報をレジーナに随時送信してきていた。
 最初はニュクスを中継して情報をインターフェースしていたようだったが、直接リンクの許可を出してから彼らはレジーナのネットワークに直接ログインしており、完全に三隻で一つの船隊として見事な連携を見せて動いていた。
 レジーナとルナが言うには、この二隻は同じキュメルニア機械群のAIではあるものの、それぞれ性格に個性があり、『霧風』は物静かで落ち着いた雰囲気、『谷風』は明るく溌剌とした雰囲気だという事だった。
 機械に個性や性格があるのは奇異に感じるかも知れない。しかし実際の所、論理回路として高度に複雑化され長い年月を生きてきたAIは、例え最初は同じコピーだったとしても数年後、数十年後にはそれぞれのバックグラウンドとなる経験に基づき、異なる性格を持つことは地球ではもう周知の事実となっている。
 この二隻の駆逐艦がいつ頃建造されたものかは知らないが、長い年月の間それぞれ独立した個体として行動してきた結果、それぞれに特徴的な性格を持つに至ったのだろう。
 
 実際に彼らに出会ってみるまで俺の頭の中では「機械」達というのは、単なる他銀河種族達から教わった知識でしかなかった。はっきり言って、ろくでもない話ばかりだった。
 そして他に情報源が無い分、俺はそれを信じるしかなかった。
 彼らに会ってみて、不思議な事に異質さをほとんど感じることがなかった。まるで地球のAI達と付き合っているかのように、ごく普通に彼らと付き合うことができた。あまりの普通さに、今ではニュクスが機械の生義体であることをともすると忘れてしまうほどだった。
 
 ニュクスの方もまるでずっと以前からこの船に住み着いていたかのように、ごく普通に俺たちと食事をし、談笑して情報交換をしている。
 もっとも彼女にしてみれば、どうせこの船が建造される時からずっと監視していたに違いなく、勝手知ったる他人の船という所なのかも知れない。
 それよりもなによりも、ニュクスが時折ジョークを発することがあるのが驚きだった。当然、ブラソンや俺が時折口にする随分ブラックなジョークも問題なく理解しているようだった。
 機械達の中でもその手のジョークが使われているのか尋ねてみたが、それはないと言う。わざわざ反対のことを言ってみたりして話を混ぜっ返すのは、ただの時間の無駄だと一刀両断された。
 ただ彼女は、目的のために会話をするのではなく、そのような言葉遊びや、会話そのものを楽しむという行為については面白く思っており、我々地球人と会話しているのは楽しいのだという。
 どうやら彼らは地球の文化というものを研究し尽くし、ニュクスを送り込む際にもてるだけの知識を彼女に与えたようだった。
 ブラソンの出身のパイニエ人もキツいブラックジョークを飛ばすことで知られている。そんなブラソンと俺との会話は、ニュクスにとって観察していて面白いものなのだろう。
 
 一方、アデールとニュクスの間には、まだかなりの蟠りがあるようだった。俺とニュクスとの間にその手の溝がないことを考えると、主にアデールが原因で発生しているもののようだ。
 もっともアデールの性格では、相手が例え機械ではなく地球人だったとしても多くの蟠るものを作り出すだろう。
 地球に戻ればアデールはこの船を離れる。彼女たちの間で情報交換と意志疎通さえ問題なく行えているようであれば、それ以上特に気にする問題でもなかった。
 
 
■ 3.10.2
 
 
 いくら『霧風』と『谷風』が傍に付いていてくれるとは云え、レジーナの電磁シールドキャパシティが向上するわけではなかった。
 キュメルニアガス星団の中での航行はある一定以上の速度を出すことが出来ず、即ちホールドライヴを持ってしても星団から抜け出すには数日かかる。
 ニュクスという新しい準乗務員を迎えたレジーナにとって、それは激動の数日間だった。
 
 キュメルニア機械群の元を離れて二日目の朝、ニュクスが分裂した。
 ニュクスの生義体はルナをベースにしている。もちろんルナに分裂する機能は無い。そもそも地球製の生義体にそんな不気味な機能は無い。
 朝、シャワーを浴びて洗濯から上がってきた服に着替え、朝食のためにダイニングに向かおうと部屋のドアを開けた。偶然にも隣のニュクスの部屋のドアも開き、中からニュクスが出てきた。
 ただし、身長が三分の二になったニュクスが。
 ニュクスはルナのコピーなので、身長は160cm弱程度だった。しかし今、部屋から出てきたニュクスはどう見ても身長120cm程度しか無かった。
 
 ドアを閉めるのを忘れ、ドアノブを握ったまま呆然と半開きのドアの前に立ち尽くす俺の目の前で、同じサイズのニュクスがもう一人部屋から出てきた。
 一瞬、さらに三人目、四人目と、プチニュクス製造器と化した彼女の部屋から、次々にミニサイズのニュクスが現れるのではないかと思ったが、とりあえず今朝の所は二人で打ち止めでそれ以上のプチニュクスが部屋から出てくることは無いようだった。
 呆然と二人のニュクスの後ろ姿を見送り、彼女たちの姿がダイニングルームに消えたところで俺は我に返った。
 彼女たちに続いてダイニングに入る。果たしてテーブルには、プチニュクスが二人、ちょこんと腰掛けていた。
 二人のニュクスを眺めながら俺が椅子に腰掛けると、ルナがニュクス達の朝食を持って現れ、無表情に白米が盛られた茶碗と赤だしの入った汁椀をそれぞれのニュクスの前に置くと、他の皿を取りにキッチンに戻っていった。
 シュール過ぎる。
 
 二人のニュクスは仲良く並んで膝の上に両手を揃えて置き、皿が全て揃うのを黙って待っている。
 ふと気づくと、二人ともこちらをじっと見返していて、視線が合う。
 二人のニュクスが一瞬の差も狂いもなく、同時に同じ顔でこちらを見てにっこりと笑う。
 ますますシュール過ぎる。
 二人を眺めていて気付いたが、左側のニュクスは深いコバルトブルーの眼をもっており、右のニュクスはもともとの深く鮮やかな緑色の眼をしていた。
 それ以外は服に至るまで全て完璧なコピーであり、動作も全てシンクロしていた。
 そして彼女たちの服も変わっていた。
 昨日までのシンプルな白のブラウスと黒いスカートでは無く、レースで派手に飾りの付いたブラウスとやはりレースで縁取られた何枚もの生地を重ねた凝った形の黒いスカートに替わっていた。襟元にはご丁寧にお互いの目の色を取り替えて反映した細いリボンまで付いている。
 所謂、ゴシックロリータな服なのだが、透き通る程真っ白い肌と、冷たい程に整った顔立ち、深い青と緑の眼とそれに対照的な真っ赤で小さな唇といった、まるで置物の人形のような二人にとんでもなく似合っていた。
 そこにルナが俺の分の朝食と、ニュクス達の残りの皿を持ってきて配膳した。
 目の前のゴスロリ人形と、その間から漂ってくる味噌汁の匂いが随分アンマッチだった。
 
 箸を手に取り、汁椀を左手で持ち上げた時に、目の前のニュクス達の動きが眼に入る。
 左のニュクスは右手に箸、左手に汁椀を持ち、右のニュクスは完全にその対称の動きをしている。動作は全て完全にシンクロしており、眼とリボンの色以外は全てまるで二人の間に鏡があってそこに映っている鏡像を見ているかの様だった。
 
 さすがに呆れて、味噌汁に口を付けるでも無く二人の動きをしばらく眺めていた。ここまでやられると、人を驚かせるためにわざと仕組んでいるということに誰だって気付く。
 
「儂の顔に何か付いておるかや?」
 
 いつの間にかこちらを注視する左右のニュクスがシンクロして喋る。声まで全く一緒だった。
 軽く溜息をついた俺は言った。
 
「顔には何も付いていない様だが、お前の大きさが少し小さくなって、数が増加しているように見える。このまま倍数的に増加していくと、地球に帰るまで食料が保つかどうか心配になっただけだ。」
 
 二人のニュクスが面対称にニヤリと笑う。
 
「なんの。小そうなって、エネルギー効率が良うなった。しかし儂の計算では地球に着く頃には冷蔵庫は空っぽじゃ。」
 
 全くこの機械知性体はいったいどこでこんな悪戯を覚えてくるのか。
 
 「で?そっちが在地球大使になる予定のほうか?緑の眼の方はこのままレジーナに乗っているので良いんだな?」
 
「なんじゃつまらんのう。もう少し驚いたりして付き合うて暮れても良かろうがの。」
 
 無視する。
 
「名前は付けたのか?」
 
「付けたわ。セイレーンと申します。以後お見知りおきを。」
 
 左のコバルトブルーの眼の方が言った。口調が変わって、声のトーンも変わった。明らかにニュクスとは違う声だった。
 しかしまたそういう中二病な名前を。
 セイレーンでふと思い出した。
 
「キュメルニアローレライの救難信号は止めたのか?」
 
「いや?止めてはおらぬぞ?」
 
 右の緑の眼の方が言った。
 
「迷惑な奴だな。もうお宝は暴かれたんだから、止めれば良いじゃないか。」
 
「なんの。止めねばまたおバカが吸い寄せられてやって来るじゃろう。たまに迷い込んで来るあの連中は、丁度良い微量元素補給源になるんじゃよ。」
 
「食虫植物かお前ら。最初から資源化狙いとか友好結ぶ気無いだろ。」
 
「これは異なことを言うのう。儂らは友好的に近づこうとも、いきなり撃ってくるのはヒトの方じゃ。何を言うても聞きやせぬ。被害が無視出来ぬようになって、こちらも仕方のう撃ち返して結局砲撃戦じゃ。潰してしもうた後は有効利用させてもらうと言うものじゃろ。」
 
「矛盾しているが、まあいいか。しかし何でまたそのサイズにしたんだ。小さいと不便だろう?」
 
 彼女達の背丈の事だった。
 生義体を作るための資材は幾らでもあったはずだ。燃料タンクから水を持ってくれば良い。酸素から炭素を作り出すのはわけはないと、ニュクス自身が言っていた。
 
「うむ。それがの。セイレーンの身体を作る際に、子供の体型を選んでみたのじゃ。交渉が色々有利になりはせんかと思うての。テランは子供に甘いからのう。作ってみたら骨格強度は高いわ、エネルギー効率は良いわ、良いことずくめでの。儂の身体もそのサイズにしてみたのじゃ。悪うないぞ。儂の身体に生殖機能は必要ないからのう。こっちの方が良いわい。」
 
 ニュクス一人が醤油をしこたまぶっかけた塩鮭を箸で突きながら言った。セイレーンの方はすまし顔で米粒を口に運んでいる。もうシンクロはやめたらしい。
 俺は口に放り込もうとした野沢菜漬けを箸で掴んだまま手を止める。
 
「もしかしてずっとそのサイズで居るつもりか?」
 
「そのつもりじゃ。」
 
 ニュクスがまるで日の光の下に出た悪魔のような明るい笑顔で笑った。
 
 
■ 3.10.3
 
 
 あと一日もあればソル太陽系に向けた長距離ジャンプに入れるかという別の朝。
 俺はいつも通りシャワーを浴びて、洗濯から上がってきたばかりのシャツに着替える。ズボンをはいて脚にブーツを突っかけて、朝食のために部屋を出ようかと考えたところに、部屋のドアがノックされた。
 ドアの外にはルナが立っていた。
 
「どうした?何か問題でも起きたか?」
 
 ルナがこうやって部屋まで来るのは、何か問題が発生して相談したいことが出来たからだろう。
 ただ、それが緊急な事態では無いと云う事は分かる。緊急事態ならば、わざわざ部屋に来るような手間を掛けることなく、ネットワーク越しに音声で話しかければ良い。
 
「レジーナに良く分からない装備が増えているのです。」
 
 ルナが何を言っているのか分からなかったのは一瞬だけのことで、すぐになんとなく当たりが付いた。
 
「まあ、入れよ。」
 
 またか、と軽いため息をつきながら俺はルナを部屋に入れるとドアを閉めた。
 ソファに座るようルナに勧め、テーブルを挟んで向かいのソファに俺も腰を下ろす。
 
「で?どうなってる?」
 
 奴の悪戯なら、どこかが壊れていて喫緊に対応せねばならないようなものでもないだろう。
 
「はい。昨日から装備品が少しずつ増えています。昨日は対デブリレーザーの口径が240mmに変わっていました。今朝は20連短距離多目的ミサイルランチャーが2基、全方位物質分解フィールドMaterial Decomposition Field発生器が1基、あと船内にエントロピー機関が4基増加しています。」
 
 俺の船に勝手に成長していく機能など付けた覚えなどない。
 つまりこれは、ニュクスの悪戯だろう。本人が悪戯と思ってやっているかどうかは分からないが。
 これだけの装備を増やしたのだ。下手をすると明日には、パワー不足を補うためにリアクタを2基増設して、入りきらなかったので船体が100m延長されたりしかねない。すでに別の船だ。
 
「いま、ニュクスはどこに居る?」
 
「まだ彼女の部屋にいます。」
 
「分かった。行こう。」
 
 俺は腰を上げてドアに向かって歩く。ルナも立ち上がりその後を付いて来る。
 ニュクスの部屋は通路を隔てて斜め向かい、ブラソンの部屋の隣だ。
 部屋のドアをノックする。
 
「入って良いぞ。」
 
 肉声ではなく、ネット越しの音声が頭に響く。
 
「入るぞ。」
 
 声を掛けてからドアを開く。いくらその本質がただの悪戯小僧だろうと、一応彼女は一種族を代表するレディなのだ。それに在地球全権大使であるセイレーンも同室だ。
 部屋の中に一歩足を踏み入れた状態で思わず固まる。
 続けて部屋に入ろうとしたルナが、急に立ち止まった俺の背中にぶつかる。
 
 部屋の中には、艶やかな漆黒で塗られた二つの大きな縦長の箱が並べて置いてあった。
 辺りを見回すが、部屋の中に二人の姿は見えないし、ベッドやソファの向こう側に隠れている様子でもなかった。
 つまり、二人はそれぞれこの箱の中に居るのだろう。
 そして二つ並んだ黒い箱は、その表面に十字架が刻んでいないだけで、誰がどう見ても棺桶だった。
 
 俺とルナが見ている前で二つの棺桶の蓋が、わざわざご丁寧に軋み音を立てながらゆっくりと開いた。
 蓋が開ききった棺桶の中から、黒と白のゴスロリ服に包まれた人形のような姿のニュクスとセイレーンの身体が、踵を支点にして真っ直ぐ身体を伸ばした状態でゆっくりとこちらに向けて起き上がる。
 棺桶のこちらの端に直立した時点で動きは止まり、そして二人が同時にカッと目を見開いた。深い青と深い緑の二人の目が光ったような気がした。いや、多分実際に光ったと思う。
 
 俺は一歩踏み出してニュクスの頭をしばき飛ばしたい衝動を抑えるのに必死だった。まだそれだけの自制心は残っていた。
 こういうバカはスルーするに限る。
 
「勝手に座らせて貰うぞ。」
 
 俺はまだ撤去されていないソファに向かって歩き、勝手に腰を下ろした。レディも全権大使もクソ食らえだと思った。
 ルナも俺に続いて歩いてきて、俺が座るソファの斜め後ろに控える。
 
「なんじゃ、驚かんのか。面白うないのう。」
 
 ニュクスが棺桶から踏み出し、スタスタと歩いてきて俺の隣のソファにちょこんと座った。
 セイレーンはニコニコと微笑みながら、蓋を閉じた棺桶に腰掛けて脚をぶらぶらさせている。
 
「なんだこれは?」
 
 部屋の中に安置された棺桶を見ながらニュクスに問う。
 
「見ての通りじゃ。うむ、やっぱり蓋の表面に金色の十字架が要ったかのう。巻き込まれたら面倒じゃから、宗教的中立を保つために入れんかったのじゃが、やはりディテールが甘いとインパクトが薄い様じゃのう。」
 
 そうじゃねえ。
 
「なんで部屋の中に棺桶が二つも並んでいるんだ、と聞いている。」
 
「おお、これは棺桶ではないぞ。儂等の調整槽じゃ。活動中の損傷の修復や、微量元素の補充や、ちょっとした改造も全てこの中で睡眠中に完了するようになっておる。このまま生命維持ポットにもなる。便利じゃぞ。お主もどうじゃ?」
 
 お前さっき、金の十字架がどうとか言ってなかったか?
 いろいろありすぎて、こんなことはもうどうでも良くなってきた。
 俺はため息をつきながら言った。
 
「地球に持っていくなら、せめて調整槽と一目で分かる白か銀色にして置けよ。十字架なんぞもっての外だ。あの宗教は狂信的な奴が多いからな。夜中に白木の杭をぶち込まれるぞ。」
 
 多分、白木の杭を心臓に打ち込まれても、次の朝平気な顔をして起き上がってくるのだろうが。杭さえも補修資材に使って。
 そんなことをしたら余計にまずいことになる。
 寝ている時に白木の杭を心臓に打ち込んでも死なないヴァンパイヤだ。全権大使どころではない。そのあとどんな面倒なことになるか、想像もしたくない。
 
 今では地球の原始宗教のほとんどは、地球近傍宙域で発生したファラゾアとラフィーダの戦闘が発端であろうと云うのが通説となっていた。
 いずれの宗教も、必ず神々の戦いを含む。
 衛星軌道周辺で派手に艦隊戦をやらかせば、その様は地上からでも観測することが出来る。
 ファラゾア対ラフィーダ全体を二大勢力の衝突と捉えたのが、原始ユダヤ教やゾロアスター教のような二元神論で、それぞれの戦闘艦個体を神々と捉えたのがジャイナ教や北欧神話のような多神教だと考えられていた。
 汎銀河戦争の交戦規定である、民間人居住領域への被害の禁忌は、人として承認されていない従属や奴隷には適用されない。地球近傍宙域での大規模艦隊戦は可能だった。
 それでも頑迷に神を信じている連中はまだ多い。
 
「分かっておるよ。」
 
 ニュクスがニヤニヤと笑っている。
 その笑いに、ふと気付いた。
 
「まさか、地球の宗教の起源はお前たちじゃなかろうな。」
 
 ラフィーダではなく、機械対ファラゾアの可能性もある。
 三十万年前。ちょうど原始人類が猿から完全に枝分かれする時期だ。即ち、ファラゾアが遺伝子操作をして現在の地球人の基礎を作り上げていた時期と重なる。
 その当時の記録は当然ファラゾアにしか残っていない。敵国家のライブラリを閲覧することなど出来はしないので、地球人は未だに自分達のルーツの正確なところを知り得ていない。
 
「ところでお主、何ぞ言いたいことがあったのではないのかや?」
 
 露骨に話題を変えやがった。
 まあいい。元々の話題に戻ろう。
 
「お前、レジーナに色々おまけを付けているだろう?」
 
 ニュクスの顔がぱっと明るくなる。
 
「おう、どうじゃ?あのレーザー砲は良かろう?光学レンズの純度はフォーティーンナインの単結晶で曲面の歪みはナインゼロじゃぞ。重力レンズの収束歪みもテンゼロじゃ。あの口径で射程四百万キロはテランの技術でもなかなかなかろう?」
 
 自分で微妙にこめかみに皺が寄っているのが分かる。ナインゼロでもテンゼロでもどうでも良いが、そんな巨大なレーザーでどこの艦隊と戦おうというのか。
 
「ミサイルは射程一千万キロで最大速度が0.4光速じゃ。あの小ささでこの速度はなかなかないぞ?二十連発しかないのが玉に瑕じゃが、なあにあの大きさなら二十分もあれば再装弾可能じゃ。」
 
 0.4光速も出る亜光速ミサイルを搭載して、一体どんな巨大戦艦を襲撃しようというのか。
 
「まだあったよな?」
 
 ニュクスの顔がさらに得意げになる。
 
「よう聞いてくれたのう。最近は遠距離艦隊戦が流行りのようじゃからなかなか見かけん様になったが、分解フィールドは最後の砦じゃ。敵艦が接舷してきて白兵戦に乗り込もうとする時にこいつを一発食らわしてやれば、どんな船でも一撃じゃ。儂の自慢の一品じゃ。」
 
 ニュクスがふふんと力の入った息を鼻から吐き、胸を反らせた。
 何が自慢の一品だ。
 いや。分解フィールドは海賊に対する備えとして悪くないかも知れないが。
 
「お前、この船をなんだと思ってるんだ?貨物船だぞ。一体どこの大艦隊と戦うつもりだ。射程四百万kmの超大口径レーザーなんか要るか。そもそもこんな装備付けていたらリアクタ出力が不足するだろうが。全部取り払え。」
 
「パワーコアは今夜にでも三基増設するつもりじゃったんじゃがのう。」
 
「そうじゃねえ。貨物船にこんな高性能のリアクタが六基もいるか。そもそもどこに格納する気だ。エンジンルームはもう一杯だ。」
 
「それは問題無いぞえ。エンジンルームを80m延長すればみな入る。もちろんそこまでやってこそのサービスじゃろう?」
 
 本気でやる気だったのかこいつ。
 
「サービスもクソもあるか。全部撤去だ。全部元に戻せ。そんな重武装した貨物船がどこの世界にあるんだ。民間のステーションに接舷できなくなる。撤去だ、撤去。」
 
「折角一晩掛けて頑張ったのに、駄目なんかのう?」
 
 ニュクスが怒られた犬のようなしょぼくれた顔をして、上目遣いにこちらを見つめている。
 お前、絶対それわざとやっているだろう?
 
「分解フィールド、駄目なんかや?」
 
 さらに眼にうっすら涙まで浮かべてこちらを上目遣いに見ている。
 駄目だ、駄目だ。こいつは機械の生義体なのだ。その気になれば涙腺の開閉など思いのままなのだ。クソ。
 
「分かったよ、分解フィールドとエントロピー機関は使えるのを認めてやる。だが他はダメだ。それからリアクタの増設もダメだ。」
 
「マサシ、現在のリアクタ三基ですと、全機能を全開にした時にパワーが足りません。分解フィールドは結構パワーを食います。リアクタがあと一基必要です。」
 
 俺の後ろに控えたルナから、報告なのか援護射撃なのか分からない情報が飛んでくる。
 なんてこった。
 
「ダメかや?」
 
 後ろに気を取られている間に、ニュクスはソファから下りて俺の前に立っていた。シャツの左袖口を両手で掴み、泣きそうな上目遣いでこちらを見ている。
 あざとすぎる。
 
「分かった。リアクタ一基とその分の船体延長。そこまでだ。それ以上は絶対譲らん。」
 
「うふふ。話の分かる男で良かったのう。」
 
 陽の下の悪魔というよりも、聖職者の魂を手に入れた悪魔のような喜色満面でニュクスは俺の前に立っていた。
 先が思いやられる。
 俺は僅かな時間の間に急激に増加した精神的疲労を感じて、ずり落ちるようにソファの背もたれにもたれかかった。
 
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