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第一章 危険に見合った報酬
45. カナ・レファル
しおりを挟む■ 1.45.1
二日後、俺たちは依頼を完遂してハフォネミナからヘリトホット星系行きの定期航路の二人用個室に収まっていた。
この後地球に戻ってすぐに船を造るつもりの俺は、造船費用に少しでも多くの金を回したくて相変わらず財布の中身を気にしなければならない生活を送っているが、今回の報酬で相当懐具合が暖かくなったブラソンの奢りで、船室は上から数えた方が早いクラスを使用していた。
部屋の居心地は快適だったが、そんな贅沢な部屋に男二人でチェックインしたおかげで、客室に案内してくれたすらりとしたイケメンのスチュワードからは、新婚旅行と誤解されてしまった。
勘弁してくれ。
ブラソンに金を使わせることを遠慮した俺に、この金が手に入ったのはそもそもお前があの酒場で俺を誘ってくれたからだ、その分くらいは返させてもらっても罰は当たらねえだろう、と奴は言い、結局俺はそれを承諾した。
何も二人用個室にしなくても良いだろう、という俺にブラソンは、
「話がある。まだ確認が取れていないが、あまり人に聞かせたい話では無い。」
と返してきた。
ベレエヘメミナからハフォンに戻る兵員輸送艦の中でも、ブラソンがあまり口数多くなく何かをずっと考え続けているのは気付いていた。
まだ結論の出ないその話をするための二人用個室なのだろうと理解した。
ヘリトホットまで、途中数カ所の寄港地を経て十日程度の旅程となっている。
ヘリトホットに到着した後は、さらに二回ほど定期航路を乗り継いでソル太陽系のガニメデステーションに至る。そこからドメスティック航路に乗り換えてセレスまで行き、セレスからタクシーを使ってアステロイドベルトにある馴染みの造船所まで行くつもりだった。
全て通して、ハフォンからセレスまで二十五日ほどかかる予定だ。
ソル太陽系、つまり地球は、オリオン腕の比較的中央部にあり銀河系図全体から見ればそれほど辺境という訳ではないのだが、銀河種族の文明圏を繋ぐ定期航路網の上では明らかに辺境に位置していた。
太陽系外とを結ぶ定期航路は日に一便あるかないか、といったところだ。
つい先日まで滞在していたハフォンも、それほど有力な種族という訳ではないのだが、それでも一日に数便の太陽系外航路の発着がある。
実は、ヘリトホット経由で地球に向かうと、少しだけ遠回りになってしまう。
ハフォンであと二日ほど待ってアデアラ経由の航路を使った方が、一回の乗り換えで済む上に、二十日程度で到着するので結果的に二日ほど早く地球に着くことが出来る。もちろん金も、少しだがその分だけ安くつく。
しかしブラソンはなんだかんだと理由を付けて、乗ることが出来るハフォン太陽系外航路の船のうちで最も早く出航するものを選び、かなり強引な手を使ってチケットを手に入れて、大慌てと言って良いような勢いで船に乗り込んだ。
まるで一刻一秒を争ってとにかくハフォンから離れたくて仕方が無い様な、そんな出発だった。
クーデターも収束し、仕事も終わった事だし、もっと落ち着いて行動すればいいじゃないかと言っても、まるでハフォンに一秒でも長くいればその分命が削られるかのように、俺の意見には聞く耳持たずブラソンはとにかく急いでいた。
急ぐ理由を尋ねても、今一つはっきりしない理屈をこねるだけで明確な答えが返ってこない。
たぶんブラソンは何かの情報を得ており、そしてそれが理由でとっととハフォンを立ち去りたいと考えており、またその理由はどこで聞き耳を立てられているか分からないハフォンでは話したく無いのだろう、と理解して最後は全てブラソンに任せることにした。
その結果がこのちょっとリッチな部屋と、新婚さん扱いだった。
ブラソンは部屋に入ってすぐにネットワークのチェックを開始し、何かの情報を探しているようだった。
ブラソンがネットジャンキーなのはもう分かっているのでそれについて何か言う気は無いのだが、その捜し物は、慌ててハフォンを飛び出した事と繋がっているのだろうと見当をつけていた。
船に乗り込んでから一晩眠り、連れ立って朝食を摂った後に部屋に戻ってきた。
いかん。
こんなに常に二人で一緒に行動していては、ますます新婚旅行と間違えられてしまう。
朝食の時にスープで少し汚してしまった手を洗面台で洗い、部屋にしつらえられているソファに戻ってきたところで俺は切り出した。
「さて、そろそろ話してくれても良いんじゃないか? 何か理由があって泡食ってハフォンを飛び出したんだろう? その話をするためのこの部屋なんだろう?」
ブラソンは俺の向かいのソファに腰掛けてネット情報の検索をしている。
この部屋の設備は、二段ベッドと壁に埋め込まれたようなライティングデスクもどきしかなかった行きの船とはまるで異なっていた。
ベッドが二段なのはスペースの限られた宇宙船と言う制約上仕方のないことだが、広く取られた室内には、中央にホロモニタが据え付けられており、そのモニタを挟むようにして二脚のゆったりとしたソファが備えられていた。
入り口脇には小さな部屋が区切ってあり、洗面台とトイレ、簡易バスが組み込まれている。
「分かっていたか。」
ネットワークから現実世界に意識を戻してきたブラソンが俺の方を見ながら答えた。
「分からいでか。その理由をハフォンにいる間は話したく無かった、というところまでは理解している。」
「その通りだ。ちょっと待て。一段落したら話す。ああ、何か飲み物を買ってきてくれないか。長い話になる。」
「いいだろう。時間は沢山ある。」
ブラソンはネットワークに戻り、俺は部屋を出た。
部屋から少し歩いたところにフードベンダーと小さな売店があり、何組かの椅子とテーブルが置いてある軽食スペースのようになっている場所がある。
勿論フードベンダーはハフォンのものとは大きく異なり、何種類ものスナックや各国料理のインスタント食品を選ぶことが出来る。
そして売店の方に行けば作りたての軽食を買えるばかりか、同じく作りたてのビーフハンバーガーにコークさえも手に入れることが出来る。
もっともコークは別にして、ビーフハンバーガーの方のお味はこれまた銀河標準なのだが。
つまり、バサバサしていて、不味くて、そして高い。
わざわざ高い金を払って不味いハンバーガーを食うこともない。俺たちは今、地球に向かっている。あと一月も待たず、トロの握りでもピッツァマルゲリータでもゲーンマッサマンでも、旨い本物がいくらでも食えるようになるのだ。
売店でドリンクやお茶のパッケージを三つほど買い込み、さらにボヴェルガと言う名前の、少し薬臭いがバーボンそっくりの風味のある酒を一本追加して、俺は部屋に戻った。
ブラソンがあわてた理由が、ハフォン情報軍による口封じの可能性もあるとは考えたが、それならば俺が部屋を出るときにそれなりの警告をするはずだと思い、特に警戒することもなくブラブラと売店から歩いて帰る。
果たして何の問題もなくごく平和に俺は部屋に帰り着いた。
部屋に入り、ソファの間に置いてあるローテーブルの上に飲み物と酒のボトルを置く。
話せるようになったら話し始めるだろうと、特に急かすこともせずにソファに深く腰掛け、どこかの国の特産の茶をちびりちびりと飲みながら船内エンターテイメントのコンテンツを検索する。
「愛に包まれた日々」「勝利からの帰還」「速撃ちハッチの大冒険」「大いなる銀河」。ダメだ。タイトルからしてクソ退屈な中身しか想像できない。
「デヴォルドリグルバルモヘイジェウ」「セシェイェイペヘンネレレインレ」。観て欲しければ誰にでも分かるタイトル付けろ。
「銀河大爆発」「レーザー光線ビュンビュン」「エンジン全開ババーン!」。バカにしてるのか。
「あの国な。すぐにまたクーデター起こるぜ。」
いつの間にかネットを抜け、ボヴェルガの栓を開けてボトルを手に持ったブラソンが、ボトルから直にラッパ飲みしながら呟いた。
楽しむよりも苛つく事の方が多そうなタイトルの並んだ船内エンターテイメントのウインドウを閉じ、少し座り直してブラソンの方を向いて俺もパッケージから茶を一口飲む。
「最初、ダナラソオンに煽られて洗脳された軍がクーデターを起こしたのだろうと思っていた。違った。たまたまダナラソオンがあの役職に就いていて、魔法だかなんだかで人を洗脳する能力を持っていた。だから奴がとりあえずの首謀者になっただけだ。首をすげ替えただけのクーデターが、今から何度でも起こるだろう。だから、急いだ。さっさと金を貰ってトンズラしなけりゃ、次から次にクーデターが起こって、下手すりゃいつまで経っても契約完了せずに泥沼にはまっていた。」
ブラソンは手に持ったボトルを煽る。これは、もう何本か買ってきた方が良いかも知れない。
「クーデター組織は今回一掃された。そうじゃないのか? 俺達はあれだけ死にそうな目に逢って、それでもまだ連中の本体は生きている、と?」
王宮で地下牢に閉じこめられたのも、駆逐艦で曲芸飛行をやってのけたのも、狂った猛スピードで爆散一歩手前の突撃をやってのけたのも、次から次に押し寄せる敵の歩兵と殺し合いをしたのも、全て無駄だったと?
いや、無駄じゃない。俺たちは報酬を手に入れた。確かに個人口座にクレジットが送金されたことを確認した。
だから、俺とブラソンにとってはあれで良いのだ。
虚しさを感じるのは、ただ単に自分の命を懸けた行動の結果がまるで何の効果も無かったかの様に状況が変化していない事。
ただそれだけのことだ。命を懸けた報酬は手に入れているのだ。
「本体、か。そうだな、本体はまだ生きている。覚えているか? ハフォンに入国してすぐ、俺たちの前を歩いていた民間のハフォン人がイミグレでエラーを起こしたことを?」
覚えているとも。
慣れないスパイごっこを始める事になり、心持ちビビりながらハフォンに入ってすぐいきなりトラブルで止められた。てっきりいきなりばれてしまったのだと思い、心臓が口から飛び出しそうだった。
「あの男はたぶん、ごく普通のハフォン人だった。しかし、チップ持ちだった。もしかしたら本人も気付いていないかも知れないが。」
「は? 言っている意味が分からない。ハフォン人はチップを持たないだろう。本人がチップに気付いてないなんて、あり得ない。」
チップは必ず本人同意の元に導入される。
同意を得ずに無理にチップを導入した場合、通常傷害罪が適用される。自分の脳内にものを考える異物があるという精神的な強い拒絶反応から、精神疾患や人格崩壊を起こす例もあり、国によっては殺人罪を適用するところもある。
ちなみにハフォンは傷害罪を適用するが、本人の宗教的信条に沿わない不可逆的処置を強要したと言うことで、漏れなく終身刑以上が付いてくる。
「お前が王宮を攻略している頃、俺がハフォンのネットワークを落としていたのは知っているな?」
俺が「キリタニ運送」とか云う冴えない社名で王宮の総務庁に出入りしていた頃の話だ。
ブラソンはホテルの自室に機材を担ぎ込んで、そこからネットワークに潜っていた。
「確か、お前がダナラソオンを積んだシャトルでベレエヘメミナまで飛ぶという大冒険をやらかした日だ。もうすでに何日もネットに潜っているのに、クーデター関連の情報が全然集まらなくて、俺はネット検索に少し嫌気が差し始めていた。いつまで経っても俺から情報が得られないミリは不機嫌になるし、俺の方も自分の腕を疑われている様でお互いの間に気まずい雰囲気が流れていた。クーデターなんて実は嘘っぱちで、ただ単に被害妄想に駆られたハフォン情報軍の空騒ぎなんじゃ無いか、と思い始めていた。そんな中で、俺はネット上に妙なものを見つけたんだ。」
そう言ってブラソンはまた一口酒をあおる。
ここで話を終わらせる気は無いだろうと、俺は特に相槌を打ってもいない。
椅子に浅く腰掛け、両膝に肘を突いた状態で両腕を膝の間に垂らし、右手に酒のボトルを持ったブラソンは、つま先から1mくらい前方の床に視線を落としたまま話し続ける。
俯きがちのその顔に浮かぶ表情はよく分からない。ただ、心躍るような話では無いだろうと云うことだけは、雰囲気で分かった。
「ハフォンのいわゆる基幹ネットワークの裏に、完全に独立した細いネットワークがあった。普通のやり方じゃあ、どうやったってそのネットワークに入ることさえ出来ない。そのネットワークが何のためにあるのか、ずっと不思議だった。ハフォンだけじゃない。ベレエヘメミナにもそのネットワークはあった。ベレエヘメミナ陥落の時にベレエヘメミナネットワークを落とすと同時に力業で落としてやった。そこで分かった。そのネットワークは、クーデター組織が自分たちのために作ったネットワークだった。」
基幹ネットワークの脇に別の独立したネットワークが存在することがどれだけ異常なことなのか、素人の俺にはよく分からないが、ベレエヘメミナ陥落直後の反乱軍との会議の中でのブラソンの発言の意味が、今やっと分かった。
「ここから先は推測だ。そのネットワークは、実はクーデター組織が作ったものじゃない。バイオチップがプログラムされた機能として自動的に作ったものだ。何のために? バイオチップ同士が通信するためだ。間違えるなよ。クーデター組織の構成員同士が通信するんじゃないぞ。バイオチップ同士が通信するためだ。」
その言い方だと、かなり怖い状況しか想像できないんだが?
「理解したようだな。だから、あのイミグレゲートで引っかかった男は、自分のバイオチップを認識していないんじゃないかと想像している。あの男がハフォンに来たのもバイオチップの指示だろう。だが多分、あの男はそれがバイオチップの指示だとは思っていないはずだ。自分の意志で、何か用事があってハフォンに来る必要があった、それがあの男の認識だろう。その通りだよ。マサシ、お前が思っているとおりだ。クーデターに関わっている連中は、バイオチップに操られているだけだ。だから、王にあれほど近いところにいたダナラソオンも、ハフォネミナの総司令も、基幹艦隊の司令官も、本来なら熱烈に祖国に忠誠を誓う筈の奴らが、フィコンレイドとの友好関係を結びたがり、そしてクーデターを起こして国をひっくり返そうとしたんだ。」
「いやちょっと待て。お前が見つけた物的証拠は、そのクーデター組織のネットワークだけだろう。バイオチップに操られているとか、何でそこまで論理が飛躍するんだ? そもそも、普通のハフォン人が何でバイオチップを入れてるんだ。おかしいだろ。」
ブラソンは俺の顔をしばらく見つめ、右手のボヴェルガを一口あおった。
「ついさっき入ってきたニュースだ。船に乗ってずっとネットに繋いでいたのは、このためだ。」
ブラソンがそう言うと、俺たちの中間、ローテーブルの上の空間にホロモニタ画像が投影された。
それは、ネットワーク越しに取得したと思しき、ハフォン情報軍内部の報告書だった。
その報告書の粗筋は、
◆特務駆逐艦隊とその所属陸戦隊によるベレエヘメミナ奪還戦の犠牲者である反乱軍陸戦隊兵士達の死体が回収された。
◆いわゆる司法解剖のため、および使用された銃器に対する重装甲スーツの耐久性評価のため、回収された兵士達の死体の一部は検屍解剖に回された。
◆検屍解剖の結果、ベレエヘメミナ奪還戦の犠牲となった多くの兵士達に銀河標準規格準拠の擬似バイオチップが発見された。
◆当該擬似バイオチップは、分析の結果、正規の標準バイオチップではない事が判明した。
◆死体から擬似バイオチップが発見された兵士達の身体記録や、病歴、健康診断記録等を総ざらいしたが、誰もバイオチップ埋め込み手術を受けているものは居なかった。
◆このため当該擬似バイオチップは、外部から外科的手段で挿入埋め込みされたものではなく、その対象者の体内に於いて形成されたものであると推察される。
◆当該擬似バイオチップ解析の結果、これらの擬似バイオチップはフィコンレイド語に似通ったコマンドを持つことが判明。フィコンレイド語ベースで開発されたシステムとそのコマンドであると考えられる。
◆また同解析の結果、当該擬似バイオチップの機能は、ネットワーク通信と、宿主たる対象者にその情報を伝える事にほぼ特化されている。標準バイオチップの一般的な付与機能であるスチルショットやビデオ再生、スケジューリング機能などは認められなかった。
◆バイオチップ工学の技術者コメントから、シンプルな機能のナノマシンを共存させるだけで、体外からバイオチップ材料を口径摂取させ、長期間かけて体内にバイオチップを形成させることは可能であるとの情報を得ている。
◆当該バイオチップの組成構造分析とパターン解析の結果、五種類のタンパク質の口径摂取と、ナノマシンによるこれらタンパク質および、元々人体から供給される各種人体構成物質の分解、再構成によって今回の単純機能バイオチップを形成可能である事が分かった。
◆もっとも有力なタンパク質およびナノマシン摂取源として考えられるのは、十二年前に発生した「メルクレッテ薬剤事件」で対象となった栄養補助薬品(サプリメント)「カナ・レファル錠」である。
◆「メルクレッテ薬剤事件」は、複数の民間企業体が製造した複数の栄養補助食品および日用薬品において、数種の不純物混入が発見された問題である。見つかったのは比較的人体に無害な不純物ばかりであった。当該製造ロットのハフォン国内在庫については当時全て廃棄された。しかしながら多星間企業体かつ国外での製造であったこと、および混入した不純物による人体への深刻な影響は無いと判断されたこともあり、混入経路、混入時期については、詳細な遡及調査は行われなかった。
◆この不純物の混入したカナ・レファル錠を用法通り二錠/日を口径摂取した場合、二百二十六日で当該疑似バイオチップ形成に十分な材料蛋白質が体内に蓄積する。
◆ナノマシンが体内に摂取された経路は現在調査中。
◆カナ・レファル錠のハフォン国内での販売数は、三兆錠/年、累計約百五十兆錠。
◆カナ・レファル錠を製造しているヅォンシア・バイオメトリクス社は、星間企業体ヴォゾニャテア・コンツェルンのグループ企業であり、ヴォゾニャテア・グループ健康食品本部長バジュオン・ゾン、健康食品開発研究所長ジャミオン・レリを筆頭に、他健康食品本部組織内に多数のフィコンレイド人およびクオーター以上のフィコンレイド系社員を確認済み。
◆ヴォゾニャテア・コンツェルンおよびヅォンシア・バイオメトリクス社内のフィコンレイド軍情報部の存在については調査中。
ホロモニタの右半分、少し暗く表示される部分をゆっくりと流れていく白い文章の並びが終わる。
読み進めるに従って、俺は自分の眉間に寄る皺が少しずつ深くなっていくことを自覚していた。
胸クソの悪くなる内容だった。
汎銀河戦争の紳士的な交戦協定などクソ食らえとばかりに、民間人、どころか種族全体を対象とした大規模バイオテロでしかない。
これだけの人間が、自分が知らない間に頭の中に正体不明のバイオチップを抱える事になり、そのバイオチップから発せられる命令に知らず知らずのうちに従ってしまい、そして本人はそれを無自覚。
フィコンレイドは、ハフォンという種族を対象とした民族浄化を星系間規模で実行しようとしたとしか思えない。
しかもその民族浄化は、まずはハフォン内部でハフォン人自らが血みどろの殺し合いをし、十分に数が減ったところで尻尾を振りながら自らその首をフィコンレイドに差し出す、という救いようのないものだ。
フィコンレイドがやることは、自分達の命令に絶対服従するようになったハフォン人を隷属化し、磨り潰すだけ。
いや。
あまり考えたくないが、自殺や徹底的な殺し合いを命じる、という手もあるか。
絶対服従する様になったハフォン人は、嬉々としてその命令に従い、最後の一人になるまでお互いに殺し合うだろう。全ての領土を血の海に変えて。
俺の伝え聞くフィコンレイド人の性質なら、こっちの可能性の方が高そうだ。
そしてこれは、そう遠くない将来現実に起こる話だ。今、ハフォンはまさにその破滅的な将来に向けて最初の一歩を踏み出したばかり。
ハフォンは俺の故郷では無い。しかし、つい数日前までその地に居り、顔を突き合わせて仕事をしていた、あの生真面目で馬鹿正直な気の良い連中が、正体不明の不気味なバイオチップに洗脳され操られて、喜びながらに血塗れになって互いを殺し合うような、そんな状況は想像したくない。
本当に胸糞の悪くなる話だ。
「しばらくしたら気付かれて消去されるだろうが、ハフォン情報軍のサーバ内に仕掛けた情報収集用のプログラムが送ってくるクーデター関連の情報の中に含まれていた。仕事は終わった。しかし今回の仕事は相当ヤバイ。国として、種族としての存亡がかかっているからな。だから引き続き追跡している。
「そして、こんなクソヤバイ状況だったから、一秒でも早く金を受け取って、全速力であの星から逃げ出したかったんだ。」
ブラソンは顔を上げて、俺の目を真っ直ぐに見ながら言った。
一つの種族が、敵対する種族の工作によって今まさに転がり落ちんとする破滅への坂道の天辺から無自覚に踏み出したところだった。
依頼され達成した仕事の後日談として、彼らのこの先はやはり気になる。
しかしそれよりも何よりも、自分達の身の安全の方が遙かに大切だった。だから、その危険の坩堝と化したような星から可能な限りに素早く逃げ出す必要があった。
だが、その後に残してきた星を含め、一つの種族に滅びの運命がこれから襲いかかる。
そして彼ら自身はそれに気付いていない。
「それ寄越せ。」
ブラソンが右手にボヴェルガのボトルを持ち続け、その中身をものすごい勢いであおり続ける理由が分かった。
ブラソンから受け取った酒を、まるでコークのような勢いで腹に流し込む。
きつい酒に喉が焼ける。バーボンと薬品が混ざり合ったような、少しツンとする香りが鼻を抜けていく。
「どうするよ、これ。」
もう一度ボトルをあおった後、ボヴェルガをテーブルの上に置いて俺は呟いた。
「どうしようもないさ。俺達は、貰った金の分だけの仕事をした。サービスで、疑似バイオチップネットワークに関する情報は幾つか奴らのサーバの中に置いてきた。何日かすれば気付くだろう。
「しかし気付いたところでどうしようも無い。すでに種は撒かれた後だ。種が撒かれたどころか、ヤバイあれもこれもが全部混ぜ合わさって煮詰まって、後は火が点いたら一発でドカンてトコまで来てる。
「連中の破滅に巻き込まれるのはご免だ。悪い奴らじゃ無いが、かといって確実に自分の命を落とす事が分かっているボランティアをやる気は無い。」
そう。その通りだ。ブラソンが正しい。
「しばらく、寝覚めが悪くなるな。」
「・・・そうだな。」
俺達と、新しい船を買うための金と希望と、腹の底に石塊を投げ込まれたようなすっきりしない重い気分を乗せて、船は無数の色とりどりの星に彩られた銀河という名の大海原を進んでいく。
地球へ、帰ろう。
そして、もう一度あの星空に乗り出そう。
今度は、自分の脚で。しっかりと星の大海を踏みしめながら。
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