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紅焔京

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 土下座した男は見たことがない人だけど、私のことは知っているのだろう。土間に額を擦り付けながらぶるぶる震えている。私はしゃがんで彼の肩に手を乗せた。

「何があったの?」
「そ、それは」
「私がこのお方にぶつかってしまったのでございます! 奥方様のお手間をとらせ申し訳ございません!」

 私が訊ねると大きい方の男は言い淀み、細身の方が答えた。なるほど些細な喧嘩ということだ。

「気持ちは分かるけど、彼も悪気はなさそうだし謝っているのだから許してあげたら?」

 嘘だ。ちょっとぶつかっただけで怒鳴り散らすほど怒り狂う男の気持ちなんて一ミリも分からん。だけど、鬼神族の人は割とこれくらいのことで怒りがちだ。ちょっと腕っぷしに自信のある人は特に。もっともっと強くなると逆に落ち着いてくるのも特徴。紅焔や清心みたいに。

「はっ! お騒がせして申し訳ありませんでした! そちらの旦那にも申し訳なかった。ついカッとして」
「いえいえ、とんでもないです。元はと言えば、こちらの不注意ですから」

 鬼神族がカッとなりやすいのは本人たちも認めるところなので冷静になるとすぐに仲直りし始める。カッとなっている間は手がつけられないために、そうならないよう最初からトラブルに気を付けるのが常識だったりする。なので、細身の男が言うことは単なる謙遜ではない。ぶつかったのならお互いに責任はあるけども。
 これで終わりか、と思って清心を見ると彼は承知したとばかりに頷く。

「皆の者、頭を上げい。座礼を解くことを許可する」

 清心がそう言うと、みんな立ち上がって自分の用事に戻っていく。その中の一人が私の方へ駆けてきた。

「奥方様!」
「お鈴ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、奥方様。こちらへどうぞ」

 その人は猟業所で働く鬼神族の女性で鈴と言う。可愛らしい名前だが、彼女も猟師で腕っぷしは滅法強い。着物の袖から覗く腕はむっきむきだ。
 私は無駄に有名人なのでここに来るときは奥の部屋を使わせてもらっており、鈴ちゃんに案内してもらうことが多い。

「実は今、勇者様もおいでになっているんですよ」
「あれ? そうなんだ」
「はい。修行の旅をなさっているとか。京にいらっしゃる間は我々のために力を奮ってくださるそうで」
「それは有難いね」

 うーん、勇者っぽい。鬼神族は戦闘力に長けているのでそっちの方は手が足りているけど、時折手に終えない魔物も出現するし力を貸してくれるのは助かる。勇者が来たと言うことは魔王絡みで何が問題が起こる可能性もある。どっちみち、勇者がいれば大丈夫だ。

「サリーナ殿!」

 奥に向かって廊下を歩いていると、少し先の障子がパッと開いて群青色の髪をした青年が出てきた。ファーガスだ。目に見えない耳を垂れ、ない尻尾をブンブン振りながら『また会えた! 嬉しい! 好き!』と顔に書いてあるように見える。犬狼族は鼻と耳が良いので私に気付いて出てきたのだろう。

「こんにちは、ファーガス」

 私はファーガスに近づいて私よりも少し下にある彼の頭に手を乗せた。彼の背が低いわけではなく、私が長身なだけだ。紅焔は更に大きいけど。ファーガスの髪は犬みたいに柔らかくてフワフワしていた。態度だけじゃなくて、見た目も髪の毛すらも可愛い。
 ファーガスは頬をパッと赤らめて私を見上げた。

「僕の名前を覚えていてくださったのですね!」
「夫なんだから当たり前でしょ」
「ええっ?!」

 隣で鈴ちゃんが吃驚した声を出す。そう言えば、昨日の今日だ。私とファーガスが結婚したことは当事者以外では紅焔と清心くらいしか知らないだろう。
 私はちょっといい気になって、ファーガスの頭を抱え込むように引き寄せて頬擦りした。

「ふふ、可愛いでしょ?」
「そ、それじゃ、お殿様は……」
「別に離婚する訳じゃない。夫が増えただけ」

 鈴ちゃんが顔面蒼白になって唇を震わせるので、一応説明しておいた。何をそんなに吃驚しているのだろう。鈴ちゃんにだって夫が3人もいるらしいのに。

「それはそうでしょうが」
「じゃあ何に驚いてるの? もしかして女として半人前なのに夫を増やすのは非常識だとか?」
「い、いいえ! 決してそのようなことは!」

 私が紅焔と結婚してから第七夫人にまで降格したことは町のみんなが知っているので、紅焔と私が初夜を迎えていないのは公然の事実となっている。つまり、恥ずかしながら私が処女であることをみんなが知っているのだ。そんな状況で新しい夫を迎えると言うのだから、そりゃ驚くよね。

「サリーナ殿、もしかしてコウエンはあなたの第一夫君では……?」
「ないよ。この先はどうなるか分からないけど」

 私の手から解放されたファーガスはめちゃくちゃ分かりやすく『僕にもチャンスがある!』っていう顔をして金色の目をキラキラさせた。可愛い。
 実際のところ、紅焔には義理があるけど彼には謎の硬派設定があるため話す機会もほぼないしあんまり仲良くない。それよりファーガスの方が分かりやすく好意を示してくれて可愛くてタイプだし、彼の方が第一夫君になる可能性は高いと思う。

「そんな……」

 何故か鈴ちゃんが物凄くショックを受けた顔をしている。自分のお殿様に一番でいて欲しいのかもしれない。

「そんな顔しなくても。紅焔には他に6人も可愛い妻がいるじゃない。彼も女には執着しないタイプだし」

 彼女の肩をぽんぽんと優しく叩く。けど、鈴ちゃんの顔色は良くならなかった。

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