ビー玉とぬか床

梅酒ソーダ

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ビー玉とぬか床

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  夏休み。それはぼくにとって一番楽しい期間であり、ずっと続けばいいのにと毎日思う時間のことだ。
 入道雲がもくもくと青空に寝転がっている八月十三日。ぼくは弟のハルキと、近所に住むナツネで森に探検に行こうとしていた。

「アキオ、今日はどっから行く?」
ナツネは三つ編みを揺らしながらぼくに聞いた。ジリジリと照りつける太陽を真っ白な麦わら帽子でバリアしているけど、ほっぺに汗がつたっている。

「今日は大木ルートでいこう!」
「そうしよう!」
 ぼくの提案に、おんぶされているハルキも元気に賛成した。
 ぼくたちは探検する時、どこから森に入るのかでルートの名前を変えている。例えば今日行くのは、となりのトトロに出てくるみたいな、立派なクスノキがあるから「大木ルート」。その反対方面にはいつからあるのか分からない祠があるから「祠ルート」など。とにかく目印になるものの名前をつけてわかりやすく呼ぶのがぼくたちのこだわりだ。
「今日こそ、ひみつ基地作りたいね!」
 ハルキはぼくの耳元で大きな声で言った。くっついてるぼくの背中とハルキのお腹の体温で余計に汗をかいていたのも相まって、すごく不快だった。けどぼくは優しいから、いいお兄ちゃんだからハルキをおんぶしたまま大木ルートに向かって歩き出した。


 
「森の中って、ちょっとだけ涼しいね」
 ハルキはおんぶされるのに飽きたのか、はたまた涼しくなって走り回りたくなったのか、自然のカーテンが深くなってくると自分で歩き出した。小川も近いからか、ここだけひんやりと冷たい空気が頬をなでる。けれどセミの鳴き声がうるさくて、やっぱり夏なんだと思い出させてくれる。
「あ、ねぇねぇあそこ! ひみつ基地に出来そうだよ!」
 ハルキが大木の奥の方を指さして走り出す。
「ちょっと! そこらへん木の根っこがあるから走ると危ないよ!」
 ナツネがハルキを追いかけるように後を追う。ぼくもすぐに追いかけようとしたが、背後になんとなく気配がして、くるりと振り返った。
 
 すごく、神秘的だった。

 自然のカーテンのちょうど切れ目、ドーナツみたいに真ん中だけ穴が空いてるところから光が差し込んでいた。その光の中心に、スポットライトが当たったように立っている白いキツネがいた。

 ぼくはこの森に何度も訪れたことがあるけど、キツネを見るのは初めてだった。お母さんやお父さんからもキツネが出ることなんて、聞いたことがなかった。
 キツネはぼくを何秒間か見つめたあと、ぼくに背を向けて四足歩行に切りかえて走った。
 
 追いかけよう。

 ぼくはハルキとナツネのことはそっちのけで、キツネを追いかけた。多分大丈夫だ。ハルキはそそっかしいけど、ナツネは頼りになるし、ぼくはぼくで森の地理は頭に入っている。今は面白そうな方に行きたい。誰に言い訳するでもなくぼくはキツネを追いかけた。
 あれ、でもこんな道あったっけ? キツネはどんどんと僕の知らない道を進んでいく。それでもぼくはキツネを追いかけた。

 夢中で走ってたら、いつの間にか見たこともない場所にたどり着いた。夏なのにイチョウの木が辺り一面を覆っている。走ってきた汗をイチョウの葉とともにすうっと引かせてくれる風。セミの大合唱はなく、ざわざわと葉が動く音しか聞こえない。ここだけ秋になってしまったように、不可思議だった。

「あれはなんだ……?」

 木々がまるでそこを囲むように、ぼくの先に立派な鳥居と、小さな祠があった。ぼくの何倍も大きい鳥居とその祠はかなりアンバランスで、違和感があった。
 
「あれ、ここまで来ちゃったんだ」
 
 鳥居を見上げるぼくの背後から声が聞こえた。すこし声に渇きがあって、でも心地よい、それでもって産まれる前から知っているような、不思議な声だ。

「わっ」

 振り返るとぼくを見つめる白キツネが、前足をなめていた。こいつ、今、しゃべった……よな?

「いいところでしょう、此処」
 白キツネは笑うみたいに目を細めた。ぼくは驚きを隠せなくて、何も言えず固まってしまう。
 
「あぁ、そんなに怖がらないで。別に取って食ったりするつもりじゃないさ」
 白キツネは祠の屋根に飛び乗り、おすわりをした。なんだかとても神々しい生き物にみえる。そしてその祠は、よく見ると僕たちが森にはいる時に目印にしている祠と同じことに気がついた。
 
「あなたは……神様なんですか?」
 ぼくは恐る恐る聞いた。その質問に白キツネは口をあけケタケタと笑う。

「なるほど! たしかにそうだよな、そうみえるよな。でも残念、私は神様じゃないんだ」
 いったい何がおかしいのだろう。ぼくは笑った意味がよくわからなかった。でも白キツネが笑ったおかげで、ぼくも少し緊張が解けてきた。
「ここはどこなの? なんでここだけ秋なの? どうしてあなたは、喋れるの?」
 ぼくはここぞとばかりに質問した。白キツネは白銀色の眼をぼくに向ける。
「うーん、すまない。それは言っちゃいけない約束でね」
 白キツネはよくわからない答えを返し、ぼくを余計に混乱させた。そんなの意味わかんないよ、とぼくはひとりごとみたいに呟いた。

「宝物ってあるかい?」
 白キツネは突拍子もなく質問してきた。ぼくは聞こえてるけど、どうして聞いたのかよく分からなくて、もう一度聞き返した。
「宝物はあるか聞いたんだ」
 やっぱり宝物はある? って聞いたんだ。どうしてそんなこと聞くんだろう。宝物……。そうだなぁ……。あっ。
 ぼくはズボンのポケットの重みを思い出して、手を突っ込んだ。
「これ、ぼくはビー玉が宝物」
 ぼくは白キツネに両手の中にあるビー玉を見せた。猫の目みたいなデザインの、色とりどりのビー玉がキラキラと光っている。

「これ、ひみつ基地に隠そうと思ってたんだ」
 ジャラジャラとビー玉の音を鳴らす。白キツネはまたケタケタと笑った。

「なるほど! いいね、実にガキんちょっぽくて結構だ」
 また笑った。このキツネはいったい何がしたいんだろう。ぼくはムッとして白キツネをにらんだ。
 
「そういうあなたはなんなんですか」
 
 白キツネは一通り笑ったあと、ふうーと満足気に息を吐いた。
 
「私はね、ぬか床かなぁ」
 白キツネの思わぬ答えに、今度はぼくが笑ってしまう。
 
「ぬか床!?  キツネがぬか漬けなんてやるの!? 」
 あははっと高笑いするぼくの声がよく響く。白キツネは目を細めているが、今度は笑いはしなかった。
 
「……私の家族がね、私が漬けた漬物を食べた時に美味しいって喜んでくれたんだ」
 白キツネは遠くを見つめるようにそう言った。
「知ってるかい? ぬか床って人間の手の菌でより美味しくなるんだよ」
 白キツネは祠の屋根を降り、ぼくの足元でおすわりをした。
「私はね、宝物って、思いが形になっただけだと思うんだ」
 白キツネはぼくに手招きをした。あぁ、こっちに来いってことじゃないくて、しゃがんでってことね。ぼくは白キツネの目線に合わせるようにしゃがんだ。
「君のビー玉も、きっと今は分かっていないだけでなにか思いがあるはずだよ」
 白キツネは前脚でぼくの手のビー玉をコロコロと触る。ぼくは白キツネの言葉の意味がよく分からなかった。だってビー玉は、キラキラしてて、きれいで、海賊が欲しがる財宝みたいに価値があるものだから宝物なんじゃないか。
「ぼく、よくわからないや」
 ぼくは白キツネが触っていたけど、ビー玉をポケットに入れてしまった。
 
「いつかわかるさ、アキオにもきっと」
 白キツネはしっぽを揺らしながら、優しい目をした。……そういえば、ぼくの名前、教えたっけ? そしてぼくはどうしてなのか、この顔を見たことがある気がした。
 
「さぁ、そろそろ帰らないと、お連れさんたちに心配されてしまうよ」
 白キツネはぼくに帰るように目線で促す。振り返ると、イチョウの木々の先に青々とした緑の葉が見える場所があった。ぼくは歩き出す前に白キツネに質問した。
 
「また、会える?」
 
 白キツネは少し困った顔をした。
 
「どうかな。でも忘れないで欲しい。私はアキオのこと、ずっと近くで見守っているさ」
 


 そこからぼくはどうやって帰ったのか、正直よく覚えていない。気がついたら大木の前にいて、ハルキとナツネに「さっきからぼーっとして、どうしたの?」と心配されていた。
 夢、だったのかな。
 ぼくはアブラゼミの声で、また夏を思い出した。ぼくは「なんでもないよ」とだけ言って、三人で探検を続けた。
 


 太陽がおやすみして、スズムシの声が鳴る夜。晩ご飯の時間になったことをお母さんに告げられ、ぼくは自分の部屋を飛び出して居間に向かう。
 
「あっ」
 
 ちゃぶ台の上にあるお母さんの献立をみて、ぼくは少し驚いた。
 
「お漬物だ」
 
 白い皿の上にあるにんじんときゅうりの漬物。ぼくの家では漬物が晩御飯に出ることはほとんどない。ハルキが漬物が苦手で、それから我が家のメニューから消えていた。
 
「今日は、ご先祖さまがお家に帰ってくる日だからね。ハルキとアキオのおじいちゃん特製のお漬物だよ」
 お母さんはいただきますを促し、お父さん、ぼく、ハルキで手を合わせた。
「おじいちゃん?」
 ぼくのおじいちゃんは、ハルキが生まれた年に亡くなった。ぼくはまだ三才とかだったから、おじいちゃんとの思い出は残っていない。
「アキオはもう覚えてないかな。おじいちゃんの作る漬物、美味しそうに食べてたんだよ」
「え、そうなの」
「そうよ、おじいちゃんすごく喜んでたんだから。おじいちゃんが亡くなってからも、お母さんが漬物を守ってたのよ」
 お母さんは縁側の外の月夜を懐かしそうに見つめた。
 
 もしかして、あのキツネは――
 
 ぼくはきゅうりの漬物を口に運んだ。しおっ辛いのに、なんだか優しくて、とても美味しかった。
「美味しい! なんで嫌いだったんだ! つけもの!」
 ハルキもぼくの真似をして漬物を食べると、思いのほか美味しかったようで目がキラキラとしていた。
 
 宝物は、思いが形になったもの。
 ぼくはなんとなく、その言葉の意味を理解した、気がした。
 
 縁側からひんやりとした風が頬をなでる。その風は、あのイチョウの葉と共に吹く風と、とてもよく似ていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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