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魔法の羽根ペン
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大きな振り子時計がボーン、ボーンと鳴った音で意識が戻った。くたびれたカーテンの隙間から陽が差している。どうやらまだお昼くらいらしい。
「物語は順調? ヨハンナ」
古書店と生活スペースを繋ぐ扉をガチャリと開けながらトムおじさんは私に聞いてきた。
「まあ、ぼちぼちってところかな」
「そうかいそうかい」
トムおじさんが持つトレイには、湯気が立ちこめるハーブティー。それを私の隣に置くと、羊毛でできたふわふわのホウキをどこからとも無く取り出し、本の埃を優しく取り除き出した。
「ここは居心地がいいかい?」
背を向けているトムおじさんが私に質問する。私は視線を原稿に戻しながら肯定した。
「うん。時の流れが違うみたいで、好きなの」
話しながら小説を書くことは難しい。結局悩んでるふりをしてペン回しを始めた。
古い紙の匂い、文字に囲まれる古書店という空間、トムおじさんが淹れるハーブティーのぬくもり。ここは、外の嫌なものが入ってこない聖域。ここでは、別の何者かを私が作りだせる、いわば神様になれる。
だけど最近、神様でいることが難しくなってきた。……いわゆる、スランプっていうやつ。ぼちぼちとか言ってたけど、頭の中で物語が紡げなくて、全然別のことを考えてしまう。
「時の流れねぇ。確かにここは色んな時代の本があるから、時の重みが出てくるよねえ」
トムおじさんはきっと、微笑みながら顎髭を触っているんだろう。見なくてもわかる。
トムおじさんは、街の外れにある古書店を営む老紳士。私が家や学校に居場所がないことを知ると、『好きな時にここを使っていい』と言ってくれたのだ。以来、私はここで本を読んだり、小説を書いたりしている。あまりお客さんも来ないから静かで、落ち着ける空間。
「次のお話は魔法使いの女の子のお話だったかな?」
ホウキをパタパタさせながらトムおじさんは私に聞く。
「そう。でもこの子は家族唯一の落ちこぼれで、魔法を使うのが上手くないの。だから孤立してる。けどだからといって魔法を使わない普通の子たちにもいじめられてる。……この子はどこにも居場所がなくて、泣いてるんだ」
原稿には何日か前に書いた書き出しの文章。どうすればこの子が活きるのか、書いては消しての繰り返し。
「なるほど……。その子は、いつか魔法が上手く使えるようになって、自分という存在に意味を見いだしてくれるといいね」
あ、そうだ。トムおじさんは何かを思い出したように扉の向こうに行き、しばらくしたら戻ってきた。
「これをあげる。これはね、僕がまだ若い頃、魔女に貰ったものなんだ」
両手で差し出してきたものは、『羽根ペン』だった。とりあえず私はそれを受け取る。緑色の羽には、ところどころ金箔が散りばめられていて、妖精の魔法の粉にも、夜空にうつる星のようにも見えた。
「魔女? 魔女なんていないでしょ、ホントの世界には」
トムおじさんは私の言葉を聞くと笑いだす。
「はは! そう思い込んだら、そうなのかもしれないね。でもいるんだ。いいかい、このペンには魔法がかかっている。このペンで書くと書きたいものがスラスラ書ける。好きな人へのラブレター、家族への思い。もちろん、小説だってそう。僕はもう必要ないから、ヨハンナ、君に託すよ」
そう言ってトムおじさんは私の頭を撫でた後、本の埃取りに戻った。
羽根ペンはインクを浸して使うようだ。ペン先は万年筆のようになっており、柄の部分には銀色の細やかな模様が施されている。
私は恐る恐るペン先をインクに浸し、何か書こうとしてみた。少し考えたあと、インクがぽとり、と落ちる。
じんわりと原稿用紙に黒い斑点ができた時、脳の奥の深海でゆっくり浮上するような感覚になった。途端、光を求め必死にもがいて、息を吸い込みたくなるようになった。
私はそれと同時に思ったことを書き始める。ペンを走らせる速度と脳がギリギリ追いついているが、いつ抜かされてもおかしくないくらい、ものすごい勢いで書いてしまった。
*
気がつけば日が傾いており、店内はオレンジ色の世界になっていた。ハーブティは温度をなくし、トムおじさんもレジ前の椅子で読書をしていた。
「トムおじさん」
私が呼ぶと、トムおじさんは目だけをこちらへ向け、にやりと片方の口角だけあげた。
「物語は順調? ヨハンナ」
何時間か前に聞かれた台詞。私はクスッと笑って答えた。
「まあ、ぼちぼちってところかな」
トムおじさんはパタン、と本を閉じ立ち上がる。
「実はあの羽根ペンには、魔法なんてないんだ」
トムおじさんはあっけらかんとそう言った。少しだけ残念だけど、それでも私は明らかに筆の進みが良かった。だからちょっとだけ信じてしまった自分が恥ずかしかった。
「でも、物語は書けた。つまり、信じれば道開くってこと。今回は羽根ペンだったけど、いつかヨハンナは、ヨハンナ自身を信じてあげられる人になれるといいね」
トムおじさんは、思い込みはよくないぞ~と背を向けて冷えたハーブティーのマグカップを片しに行ってしまった。
ボーンボーンと振り子時計が鳴る。夕陽が沈み、闇に包まれる時間がこれから来るのに、不思議と晴れ晴れしたような気持ちになったのだった。
「物語は順調? ヨハンナ」
古書店と生活スペースを繋ぐ扉をガチャリと開けながらトムおじさんは私に聞いてきた。
「まあ、ぼちぼちってところかな」
「そうかいそうかい」
トムおじさんが持つトレイには、湯気が立ちこめるハーブティー。それを私の隣に置くと、羊毛でできたふわふわのホウキをどこからとも無く取り出し、本の埃を優しく取り除き出した。
「ここは居心地がいいかい?」
背を向けているトムおじさんが私に質問する。私は視線を原稿に戻しながら肯定した。
「うん。時の流れが違うみたいで、好きなの」
話しながら小説を書くことは難しい。結局悩んでるふりをしてペン回しを始めた。
古い紙の匂い、文字に囲まれる古書店という空間、トムおじさんが淹れるハーブティーのぬくもり。ここは、外の嫌なものが入ってこない聖域。ここでは、別の何者かを私が作りだせる、いわば神様になれる。
だけど最近、神様でいることが難しくなってきた。……いわゆる、スランプっていうやつ。ぼちぼちとか言ってたけど、頭の中で物語が紡げなくて、全然別のことを考えてしまう。
「時の流れねぇ。確かにここは色んな時代の本があるから、時の重みが出てくるよねえ」
トムおじさんはきっと、微笑みながら顎髭を触っているんだろう。見なくてもわかる。
トムおじさんは、街の外れにある古書店を営む老紳士。私が家や学校に居場所がないことを知ると、『好きな時にここを使っていい』と言ってくれたのだ。以来、私はここで本を読んだり、小説を書いたりしている。あまりお客さんも来ないから静かで、落ち着ける空間。
「次のお話は魔法使いの女の子のお話だったかな?」
ホウキをパタパタさせながらトムおじさんは私に聞く。
「そう。でもこの子は家族唯一の落ちこぼれで、魔法を使うのが上手くないの。だから孤立してる。けどだからといって魔法を使わない普通の子たちにもいじめられてる。……この子はどこにも居場所がなくて、泣いてるんだ」
原稿には何日か前に書いた書き出しの文章。どうすればこの子が活きるのか、書いては消しての繰り返し。
「なるほど……。その子は、いつか魔法が上手く使えるようになって、自分という存在に意味を見いだしてくれるといいね」
あ、そうだ。トムおじさんは何かを思い出したように扉の向こうに行き、しばらくしたら戻ってきた。
「これをあげる。これはね、僕がまだ若い頃、魔女に貰ったものなんだ」
両手で差し出してきたものは、『羽根ペン』だった。とりあえず私はそれを受け取る。緑色の羽には、ところどころ金箔が散りばめられていて、妖精の魔法の粉にも、夜空にうつる星のようにも見えた。
「魔女? 魔女なんていないでしょ、ホントの世界には」
トムおじさんは私の言葉を聞くと笑いだす。
「はは! そう思い込んだら、そうなのかもしれないね。でもいるんだ。いいかい、このペンには魔法がかかっている。このペンで書くと書きたいものがスラスラ書ける。好きな人へのラブレター、家族への思い。もちろん、小説だってそう。僕はもう必要ないから、ヨハンナ、君に託すよ」
そう言ってトムおじさんは私の頭を撫でた後、本の埃取りに戻った。
羽根ペンはインクを浸して使うようだ。ペン先は万年筆のようになっており、柄の部分には銀色の細やかな模様が施されている。
私は恐る恐るペン先をインクに浸し、何か書こうとしてみた。少し考えたあと、インクがぽとり、と落ちる。
じんわりと原稿用紙に黒い斑点ができた時、脳の奥の深海でゆっくり浮上するような感覚になった。途端、光を求め必死にもがいて、息を吸い込みたくなるようになった。
私はそれと同時に思ったことを書き始める。ペンを走らせる速度と脳がギリギリ追いついているが、いつ抜かされてもおかしくないくらい、ものすごい勢いで書いてしまった。
*
気がつけば日が傾いており、店内はオレンジ色の世界になっていた。ハーブティは温度をなくし、トムおじさんもレジ前の椅子で読書をしていた。
「トムおじさん」
私が呼ぶと、トムおじさんは目だけをこちらへ向け、にやりと片方の口角だけあげた。
「物語は順調? ヨハンナ」
何時間か前に聞かれた台詞。私はクスッと笑って答えた。
「まあ、ぼちぼちってところかな」
トムおじさんはパタン、と本を閉じ立ち上がる。
「実はあの羽根ペンには、魔法なんてないんだ」
トムおじさんはあっけらかんとそう言った。少しだけ残念だけど、それでも私は明らかに筆の進みが良かった。だからちょっとだけ信じてしまった自分が恥ずかしかった。
「でも、物語は書けた。つまり、信じれば道開くってこと。今回は羽根ペンだったけど、いつかヨハンナは、ヨハンナ自身を信じてあげられる人になれるといいね」
トムおじさんは、思い込みはよくないぞ~と背を向けて冷えたハーブティーのマグカップを片しに行ってしまった。
ボーンボーンと振り子時計が鳴る。夕陽が沈み、闇に包まれる時間がこれから来るのに、不思議と晴れ晴れしたような気持ちになったのだった。
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