マグノロギア

栂嵜ここみ

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森に眠る花

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 館は半ば森と同化していた。伸び放題の草が緑の絨毯となって隙間なく床を覆い、風化して崩れた壁を蔦が芸術的に彩っている。部屋の調度品は遍く朽ちていたが、僅かに残る意匠はどれも美しくかつての威光を感じさせた。

「広いお屋敷だね」

 ルタはエントランスホールを見渡してそう言った。錆びたシャンデリアがホール中央の床に散らばっている。その奥に伸びる階段は、腐った梁が落ちたのだろう、瓦礫によって塞がれており上階に登ることは困難な状態だった。

「ヘレル、ページありそう?」

 ルタは入り口を振り返り巨体を見上げて問いかける。傾いた門扉を退かしていたヘレルは暫し沈黙した後、金に輝く紋様を何度か明滅させて首を擡げた。その先には扉が一つあった。

『ーー高濃度のマグノリウムを検知。左奥の部屋だ』
「あっちだね。行ってみよう!」

 言うが早いかルタは扉の方へと駆け出して、長い草に隠れた瓦礫に足を取られた。「わ!」短い悲鳴を上げてルタの身体が前に傾く。そのまま倒れそうになったルタを背後から伸びた腕が支えた。
 『ルタ、』頭上から声が降る。普段のように落ち着いた、しかしどこか気遣うような声。

『足元が悪い。移動には注意を』
「ありがとうヘレル」
『運ぶか?』
「ううん、大丈夫!」

 ルタは照れたようにはにかんだ。そしてヘレルの夜色の腕をそっと一撫でして離れると、今度は足元に注意を払いながら歩き始めた。
 サクサクと草を踏み歩く一人分の足音と二人の声だけが静まり返ったホールに響く。

「こんなに立派なのに、森の奥にあるなんて不思議だね」
『貴族の保養地だったのだろう』
「でも道もなかったよ? 馬車や魔鉱動力車マグヴィークルだとここまで大変そう」
『この館同様森に埋もれたか。……或いは、そも必要が無かったか』
「必要がない?」

 ルタはそっくり言い返して首を傾げた。徐に壁に掛かった額縁に目を遣る。飾られていたであろう絵画は幽かに女性とおぼしき人影を残すのみであった。

「お外に出るのが嫌な人だったのかしら」
『……、……そうかもしれない』

 ヘレルはルタの疑問に静かに返事をして沈黙した。
 錆びた扉をヘレルの手を借りながら開く。真っ直ぐとした廊下が続いている。床はエントランスの有様に劣らず草が生い茂り、硝子のない窓枠から差し込む光が等間隔に廊下を照らしていた。
 『少々狭いな』ヘレルがそう言って形状を変える。猛禽類を模したフォルムをとったヘレルに、ルタの表情が明るくなった。最近の彼はこのフォルムがお気に入りだ。
 エントランスホールより幾分か歩きやすい廊下を行く。歩きながら周囲を観察していたルタは口を尖らせた。

「うーん。……なんだか、普通だね」

 ルタの言葉通り、周囲の蔦も草も蝋晶病に罹っている様子は見られなかった。ページの発するマグノリウムが周囲の物体へ蝋晶病を引き起こすのをこれまで数多く見てきたルタ達にとって、この屋敷は異様なほど正常だ。奇形の植物や異形化した生物も見当たらない。本当にあるのか疑わしくなるのも仕方のない話だった。

『だが反応には近付いている』
「もう少し先?」
『否、ーーこの部屋だ』

 ヘレルが一つの扉の前で止まった。何の変哲もない扉をしげしげと眺め、ルタは取手に手を掛けた。「開けるよ、と!」声を掛けつつ、少し力を入れて扉を引く。俄に起こった風に積もった枯れ葉がはらりと舞った。
 軋んだ音と共に開かれた扉の先には、家具以外の物が真ん中に一つ置かれていた。

「女の子だ……」

 ルタは目を見開いて呟いた。
 部屋の中心、長方形の台の上に少女が一人横たわっている。
 台の上に広がるアプリコットピンクの髪。白と黒を基調にしたドレスに身を包んだ少女は稚く、ルタとあまり年が変わらないように見えた。小さな手を胸の上に組み、瞼は閉じられている。少女の周りには花が敷き詰められており、それを閉じ込めるように透明な箱が上から被さっていた。

「……棺、かな」
『そのようだな』

 ヘレルの返事を聞きながら、ルタは感嘆の息を漏らした。
 驚くべきことに、こんな廃墟にあってなお少女の遺体は指先一つ、髪一本とて朽ちていなかった。まるで今しがたまで生きていたかのようにーーともすれば今もただ眠っているだけのようにさえ見えるほど、眠る少女の横顔は可憐で瑞々しい。大きな窓から差し込む陽光に包まれて静かに眠りにつくその姿は、まるで一枚の絵画のように幻想的だった。
 ルタはそろそろと棺へ近寄った。でなければ少女が目を覚ましてしまうような気がしたからだ。棺の傍らに立つと躊躇いがちに透明なそれに指先で触れ、それから掌をひたりと当てた。伝わってくる滑らかな質感はよく見知ったものに似ていた。

「これ、硝子じゃない……マグノリウム鉱石? こんな透明なの初めて見た」
『棺だけではない。中もだ』
「お花も?」
『花も、この遺体もだ』

 ルタは目を丸くした。棺の中を覗き込む。見た限り、少女の身体にそれらしい凝結や変色は散見されなかった。

『全身が蝋晶化している。長年放置されて劣化が見られないのはそのせいだ』
「……病気だったのかな……」

 ルタは目を伏せた。思い出すのは育て親、マトリカリア。目の前の少女は重度の蝋晶病に罹るかの師の行く末なのだろうか。ルタの憂いを感じ取って、ヘレルは『否、』と返した。

『処置をされたのはおそらく死後。でなければ体表を歪なマグノリウム結晶が覆いつくしていたはずだ』
「……処置?」
『嗚呼、』

 ルタが顔を上げる。それに応えるようにヘレルの紋様が波打ち輝いた。長い蛇腹の尾がゆらりとくねる。

『マグノリウムをエンバーミングに使うとは、随分思い切ったことをする』
「えんばーみんぐって?」
『遺体を腐らせないための処置だ。この遺体を、この姿のまま留めおきたかった何某が居たらしい』

 マグノリウムを防腐剤代わりに注入し、内部から全身を蝋晶化させることで腐食を防いだのだろう。そう説明してヘレルは少女の頭上辺りへ浮遊した。

『ここまで完全な形で維持するのは並大抵ではない。神懸り……悪魔的な技術と執念の産物だ』

 マグノリウムの反応を制御し変質を抑えながら遺体をマグノリウムと同化させるなど、如何に卓越した魔術師であってもまず不可能だ。人智を超えた存在ーーそれこそ悪魔か、それに近しい者の所業であろう。

「きっと、それだけこの子が大事だったんだね」

 ルタは感慨深くそう言って棺の少女を見つめた。眠る少女の顔は安らかで、どこか満ち足りたものだった。

『検知した高濃度のマグノリウムの発生源はこの棺で間違いない』
「ページじゃなかったんだ」
『ページではない。……が、マグノリウムを私が取り込むことは可能だ』

 思いがけない言葉にルタはヘレルの方を仰いで瞳を瞬かせた。

「吸収したらどうなるの?」
『遺体は蝋晶化している。吸収すれば棺諸共、跡形もなく消滅する』
「消滅……」

 返された答えを復唱する。跡形もなく消え去る。それがどういうことか想像する。ガランとした部屋の中、何もない台がぽつねんと置かれている光景。ルタは胸の奥がざわついて身の置き所のない気持ちになった。

『生命の理として本来正しい形に戻る。それだけのことだ』

 ヘレルは淡々とした様子でそう告げた。ヘレルの言う事はきっと正しいのだろう。けれど正しいだけでは感情は割り切れない。

『どうする、ルタ』

 ヘレルが答えを待っている。それはヘレルがルタの、『人』の答えを問うているからだ。そうルタは理解した。
 目を閉じ、幾ばくか逡巡し、……やがてルタは首を横に振った。

「……ううん、やめとく」

 ルタの手が羽織っている外套の裾を握る。一瞬視線を床に落とし、それからルタはヘレルを見つめた。

「こんなに幸せそうに眠ってるんだもの。邪魔したらだめだと思う、から」
『承知した』

 ヘレルはすんなりと引き下がった。元よりルタの決断を尊重するつもりだったようだ。

『非活性状態のマグノリウム鉱石は故意に反応させない限り周囲の環境に害を及ぼすことはない。取り込む必要性は極めて低い。であれば、ルタの心に沿う選択が一番良い』
「……ありがとう、ヘレル」

 ルタがヘレルに手を伸ばす。その腕にするりと尾を巻きつけて、ヘレルはルタの掌に頭を擦り寄せた。

「ーーそうだ。ちょっと待ってて!」

 何を思いついたのか、ルタはそう言い置くとパタパタと忙しなく部屋を出ていく。棺と共に残されたヘレルは不思議そうに首を捻った。
 暫くして戻ってきたルタの手には二輪の花が握られていた。「こっちはヘレルの分ね」片方をヘレルに見せてルタが笑う。ヘレルは合点がいったとばかり頷くとルタの傍らに移動した。

「うるさくしちゃってごめんなさい」

 ルタが二輪の花を棺の上に置く。
 ブルー・セントサルヴィ。聖女サルヴィアの名を冠する、空のように美しい青の弔花。蝋晶化しない花はいずれ枯れ、風に浚われることだろう。
 束の間の彩りを添えて、眠る少女にルタは微笑み手を組むと、そっと囁いた。

「おやすみなさい」

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