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2章
20 夜空(アレク視点)
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アレクはハナとグリーンバレー温泉地へ取材にいくことになった。
店はまた店番を頼んだ。今後もガイドブックに力を入れていくなら、従業員を増やすことも視野に入れる必要があるかもしれない、とアレクは考える。
しかしハナがこの貸本屋にいるのはあくまで職業訓練であり、長く勤めなくていいことは、アレクからもハナに当初から伝えている。
独立するまでの目安は半年から一年。ーー3冊目のガイドブックである今回のグリーンバレーの本の発行予定日頃に半年目となる。それが一つの節目だ。
ハナはこの僅かな間に、日常生活もビジネスの社会習慣も身に付けた。言葉もみるみる上手くなった。貸本屋の売り上げでも、鉄道会社とのパイプ作りでも十分過ぎる位成果を上げた。就職先に紹介状を書くにも困らないだろう。
今のところ、ガイドブックの収益は全て店に入れており、ハナへは給金が支払われていない。
アレクに出して貰っている生活費の方が大きい、というのが給金を断るハナの言い分で、実際その通りだった。
しかし3冊目が出る頃には逆転し始めている筈で、その頃を目安に給金を払う体制に切り替えたいとアレクは考えている。
アレクに世話になっている、と負い目でハナを縛るような真似は決してしたくなかった。給料制になれば、ハナはより自分の望む給料や職種へ転職しやすくなる。
アレクは着々と、ハナにとって『アレクが要らなくなる』よう準備を進めている。ハナに出来る限りのことを教えているのもそのためだ。
ハナから全てを奪い、アレクに力を貸してほしいと頭を下げなければ生きていけないようにしたのはアレクだ。
だから、奪われる前の、ハナが気兼ねせず自分の力で自分の人生を歩めた地点まで、送り届けるのが自分の最低限の義務だとアレクは思っている。
先代は子供のアレクを育てる時に言った。
『親ってのは、子供が親(自分)なしで生きていけるようにするまでが仕事なんだよ』と。
アレクは、それは寂しそうだと思った。しかし今は、その気持ちに近いかもしれない。寂しいけれど、その仕事を果たせず自分が相手の未来を奪ってしまうことの方が辛い。
半年後、ハナが店を出ていくか、報酬を受け当面店で働き続けるかはまだ分からない。
けれど着々とカウントダウンは刻まれていることを、アレクは忘れない。
◇◆◇◆◇◆
アレクはハナと列車の二等車に乗って後悔した。かなり混んでいてハナが男達に潰されそうだ。アレクも二等車に乗ったことはあるが、時間帯の違いかここまで混んではいなかった。
しかしハナの国では奴隷船もかくやという列車で通勤していたそうで驚く。こうしていてもハナと顔や体の距離が近くて緊張するのに、彼女は見知らぬ男に接触されて平気なのか。
挙げ句、アレクが壁について支えている腕が辛いだろうから自分に寄りかかっていいと気遣う。……気遣う方向が少々違う気がする。異文化って分からない……。
「グリーンバレー。グリーンバレー」
最後に列車がひときわ大きく揺れ、全身で押し潰してしまったハナは柔らかかった。最早、心を無にするしかない。
◇◆◇◆◇◆
2人は一緒に取材をして歩いた。前の2つのガイドブックはハナが取材と調査をし、アレクが確認をした。しかしこの温泉地は、自分の街だった今までと違い早々何度も来れないので、見落としがないよう2人で回ることを基本にしたのだ。
ハナがこれまでに確立した取材の手法や方向性を、アレクも学ぶ。この作風が評価されているのだから、大事に踏襲したい。元々本作りの経験値はあるので、アレクも理解は早かったが、ハナの手法や感性は優れている、と舌を巻いた。
一緒に取材して歩くのは初めてで、互いにアイデアや着眼点の意見を交換し、どんな本にしようと夢を組み立てていくのはとてもワクワクし楽しいものだった。
午後遅く、アレクはハナと散策道を歩いた。
紅葉の盛りはもう少し後のようだが、今でも木々が色付き秋の風情を感じさせる。そんな中、隣を歩くハナは普段よりお洒落をしていてとても綺麗だ。高級な場所にも出入りするためきちんと結い上げた髪はいつもと雰囲気が違い、細い項にドキリとする。
そんな彼女と、仕事とはいえ並んで歩けることに心が浮き立つ。
道の途中に少女が蹲っていた。足を痛めて歩けないようで、雨も近いのでアレクが運ぶことにした。妙齢の女性を抱き上げるのは、不埒なものがなくても一般の男にとって少々緊張することで、アレクも例外でなかったし、少女の方も同様かそれ以上のようだったが、やむを得ない。
そんな中、ハナが気を紛らわせるよう次々少女に話を振ってくれたので助かった。流石大人の配慮のできる人だ。
そして話題が、旅の感想や魅力についてなのがまたハナらしい。
いや、旅先で出会う人との世間話では一番適切ではあるのだがーーアレクが子供の頃にもハナはこんな話をした、と思い出す。相手の気分を上げようとすると、旅のーー自分の好きなものの話になるのだろうか。思わず笑みが零れた。
アレクが少女を助けたのは、単に人として当然だからだが、ハナの前で格好つけたかった気持ちが掠めたのも否めない。
昔ハナが、見ず知らずのアレクを雨のない場所へ連れていき手当てをしてくれたから。ハナから教えられたことをアレクが引き継いでいたら、喜んで貰えるかもしれない、と。
やはりハナは、手を貸したアレクを『親切で格好いい』と言ってくれた。雨の中小走りでホテルへ向かう途中、つい顔が緩んでしまった。ハナは雨を避け俯きぎみだったので、そんな顔を見られなくて幸いだった。
◇◆◇◆◇◆
翌日、2人別行動で取材をしている間に、ハナの方で予想外のことが起こったようだった。夕食の時詳しく話を聞いたところ、具合の悪い女性を介抱したら、それは同じ街のギブソン夫人で、ハナのことを知っていたらしい。
確かにハナは、稀に立ち寄る商人を除けば、街唯一の東方系の異国人だから、一度見かければ記憶している住民も多いだろう。そして、物怖じせず買い物に取材にと飛び回っているのだから。
そして意外な情報を得た。デイヴィス男爵がカーライル研究所に出資していて、更に良くない噂があるとのこと。
それを知っていればもっと警戒したし、ハナをこちらの世界に閉じ込めてしまうことにもならなかったのに、とアレクは悔やんでも悔やみ切れない。
取材を終え街へ帰ったら、ハナが掴んでくれたこの糸口を辿ってみようと、アレクは心に決める。
それにしても、こんな糸口を引き当ててくるとは。更に、街の実業家の一人、ギブソン夫人と縁を繋ぐとは。これはハナの運なのか。いや、元を辿れば親切にしたことが巡り巡って返ってきているのだから、ハナの人徳なのだろう。
◇◆◇◆◇◆
レストランを出てアレクはハナと夜道を歩く。
この街の大きな通りはガス灯が使われている。少し昔はガスは体に悪いと言われ敬遠されたが、煤がでないため、いい空気を求める人々が集う保養地のこの街でも使われだした。
ふと、ハナが声を上げる。
「あ!さそり!」
「え?さそり?!」
南国などにいる生き物で毒のある、あのさそりだろうか?こんなところに?まさか。
聞くと、ハナの国ではさそり座と呼ぶ星座を空に見つけたとのことだった。異世界であっても星空は同じなんだ、と興奮した様子でハナは話す。
ハナは空を見上げたままガス灯から離れた薄暗い方へふらふらと歩いていき……
「危ない!」
「わっ?!」
仰向けに転びそうになったハナをアレクが支える。
ハナは眉尻を下げ、情けなさそうに、恥ずかしそうに言った。
「靴が片方どっかいっちゃった……」
「ブッ……ハハッ、ハハハハーッ!」
ハナには申し訳ないが、アレクは大笑いしてしまった。
まさにハナ。これぞハナ。アレクは、ハナと初めて会った日を思い出す。
研究所の外へ出るなり、ふらふらと引かれるように道の端へ寄っていって、街を見下ろす風景に夢中で見入っていた。
いきなり公園の道端にしゃがみこみ、生えている雑草がハナの世界とこちらで同じだと目を輝かせた。
そうだ、これがハナだった。
ハナはとても優秀な人だ。膨大な知識量を元に組み立てる思考、旺盛な好奇心、行動力。更に慈悲深く思い遣り深い。おまけに綺麗だ。完璧過ぎる。
アレクにとって高嶺の花の存在だ。
だから……ハナのこんな人間臭い面を見ると、一気に親近感が湧いてしまう。
ハナもまた、自分と地続きの所に立っている一人の人間なのだと。特別な神に選ばれた特殊な存在ではないのだと。
持って生まれた人としての能力だけで、自分を磨き、知識や経験を磨き自分を築き上げ、時に空を見上げて靴を飛ばす。
おどけて憮然として見せるハナが……可愛く思えて仕方ない。いや、大人の女性に対し「可愛い」は失礼かも知れない。「愛おしい」と言えばいいだろうか。
アレクはハナを抱き上げる。
靴は明日明るくなってからでないと見つかりそうにない。裸足で歩かせる訳にはいかない。
ところがハナは大変驚き、恥じらうかのように目を逸らす。見下ろした彼女の耳は少し赤くなっている。
満員列車に慣れている筈の彼女が何故、と思ったら、満員列車は心を無にして乗るもので、普段の生活では直接的接触は少ないのが普通だそうだ。
アレクには満員列車の感覚はよく分からないが、普段の感覚ならこちらの世界と余り変わらないようで、共感しやすい。
聞いたら、こうして抱き上げられたのはアレクが初めてだそうだ。居たたまれないように身を縮める彼女には悪いのだが、ハナに異性として意識されていることに、アレクはつい心が浮き立ってしまう。
落とさないように強めに抱え込むと、腕の中に柔らかくすっぽり収まってしまう。……あくまで、動くハナを落とさないようにだと思うものの、浮かれて余計に力が入っていた気もする。
愛しくて愛しくて、ぎゅっとしたくてたまらない。
ガス灯の灯りが揺らぐ向こうには、ハナの世界と同じ星空が広がっている。
同じ所と、違う所と。
優れた所と、親近感が湧く所と。
沢山の様々な輝きが、空を、世界を満たしている。
***********
ここまで40話以上、お読みくださり心よりお礼申し上げます。
これまで毎日更新して参りましたが、ストックがなくなってきてしまいました。恐縮ではございますが、これから不定期更新になります。
そろそろラストが見えてきて、これから伏線のまとめを行っていくため構成が複雑になり、どの情報をどの回でどんな風に語るか、パズルのような組み立てと格闘しているところです(^^;)
3月中には完結できると思います。ハッピーエンドです。最後までお付き合いくださいましたら幸いですm(_ _)m
店はまた店番を頼んだ。今後もガイドブックに力を入れていくなら、従業員を増やすことも視野に入れる必要があるかもしれない、とアレクは考える。
しかしハナがこの貸本屋にいるのはあくまで職業訓練であり、長く勤めなくていいことは、アレクからもハナに当初から伝えている。
独立するまでの目安は半年から一年。ーー3冊目のガイドブックである今回のグリーンバレーの本の発行予定日頃に半年目となる。それが一つの節目だ。
ハナはこの僅かな間に、日常生活もビジネスの社会習慣も身に付けた。言葉もみるみる上手くなった。貸本屋の売り上げでも、鉄道会社とのパイプ作りでも十分過ぎる位成果を上げた。就職先に紹介状を書くにも困らないだろう。
今のところ、ガイドブックの収益は全て店に入れており、ハナへは給金が支払われていない。
アレクに出して貰っている生活費の方が大きい、というのが給金を断るハナの言い分で、実際その通りだった。
しかし3冊目が出る頃には逆転し始めている筈で、その頃を目安に給金を払う体制に切り替えたいとアレクは考えている。
アレクに世話になっている、と負い目でハナを縛るような真似は決してしたくなかった。給料制になれば、ハナはより自分の望む給料や職種へ転職しやすくなる。
アレクは着々と、ハナにとって『アレクが要らなくなる』よう準備を進めている。ハナに出来る限りのことを教えているのもそのためだ。
ハナから全てを奪い、アレクに力を貸してほしいと頭を下げなければ生きていけないようにしたのはアレクだ。
だから、奪われる前の、ハナが気兼ねせず自分の力で自分の人生を歩めた地点まで、送り届けるのが自分の最低限の義務だとアレクは思っている。
先代は子供のアレクを育てる時に言った。
『親ってのは、子供が親(自分)なしで生きていけるようにするまでが仕事なんだよ』と。
アレクは、それは寂しそうだと思った。しかし今は、その気持ちに近いかもしれない。寂しいけれど、その仕事を果たせず自分が相手の未来を奪ってしまうことの方が辛い。
半年後、ハナが店を出ていくか、報酬を受け当面店で働き続けるかはまだ分からない。
けれど着々とカウントダウンは刻まれていることを、アレクは忘れない。
◇◆◇◆◇◆
アレクはハナと列車の二等車に乗って後悔した。かなり混んでいてハナが男達に潰されそうだ。アレクも二等車に乗ったことはあるが、時間帯の違いかここまで混んではいなかった。
しかしハナの国では奴隷船もかくやという列車で通勤していたそうで驚く。こうしていてもハナと顔や体の距離が近くて緊張するのに、彼女は見知らぬ男に接触されて平気なのか。
挙げ句、アレクが壁について支えている腕が辛いだろうから自分に寄りかかっていいと気遣う。……気遣う方向が少々違う気がする。異文化って分からない……。
「グリーンバレー。グリーンバレー」
最後に列車がひときわ大きく揺れ、全身で押し潰してしまったハナは柔らかかった。最早、心を無にするしかない。
◇◆◇◆◇◆
2人は一緒に取材をして歩いた。前の2つのガイドブックはハナが取材と調査をし、アレクが確認をした。しかしこの温泉地は、自分の街だった今までと違い早々何度も来れないので、見落としがないよう2人で回ることを基本にしたのだ。
ハナがこれまでに確立した取材の手法や方向性を、アレクも学ぶ。この作風が評価されているのだから、大事に踏襲したい。元々本作りの経験値はあるので、アレクも理解は早かったが、ハナの手法や感性は優れている、と舌を巻いた。
一緒に取材して歩くのは初めてで、互いにアイデアや着眼点の意見を交換し、どんな本にしようと夢を組み立てていくのはとてもワクワクし楽しいものだった。
午後遅く、アレクはハナと散策道を歩いた。
紅葉の盛りはもう少し後のようだが、今でも木々が色付き秋の風情を感じさせる。そんな中、隣を歩くハナは普段よりお洒落をしていてとても綺麗だ。高級な場所にも出入りするためきちんと結い上げた髪はいつもと雰囲気が違い、細い項にドキリとする。
そんな彼女と、仕事とはいえ並んで歩けることに心が浮き立つ。
道の途中に少女が蹲っていた。足を痛めて歩けないようで、雨も近いのでアレクが運ぶことにした。妙齢の女性を抱き上げるのは、不埒なものがなくても一般の男にとって少々緊張することで、アレクも例外でなかったし、少女の方も同様かそれ以上のようだったが、やむを得ない。
そんな中、ハナが気を紛らわせるよう次々少女に話を振ってくれたので助かった。流石大人の配慮のできる人だ。
そして話題が、旅の感想や魅力についてなのがまたハナらしい。
いや、旅先で出会う人との世間話では一番適切ではあるのだがーーアレクが子供の頃にもハナはこんな話をした、と思い出す。相手の気分を上げようとすると、旅のーー自分の好きなものの話になるのだろうか。思わず笑みが零れた。
アレクが少女を助けたのは、単に人として当然だからだが、ハナの前で格好つけたかった気持ちが掠めたのも否めない。
昔ハナが、見ず知らずのアレクを雨のない場所へ連れていき手当てをしてくれたから。ハナから教えられたことをアレクが引き継いでいたら、喜んで貰えるかもしれない、と。
やはりハナは、手を貸したアレクを『親切で格好いい』と言ってくれた。雨の中小走りでホテルへ向かう途中、つい顔が緩んでしまった。ハナは雨を避け俯きぎみだったので、そんな顔を見られなくて幸いだった。
◇◆◇◆◇◆
翌日、2人別行動で取材をしている間に、ハナの方で予想外のことが起こったようだった。夕食の時詳しく話を聞いたところ、具合の悪い女性を介抱したら、それは同じ街のギブソン夫人で、ハナのことを知っていたらしい。
確かにハナは、稀に立ち寄る商人を除けば、街唯一の東方系の異国人だから、一度見かければ記憶している住民も多いだろう。そして、物怖じせず買い物に取材にと飛び回っているのだから。
そして意外な情報を得た。デイヴィス男爵がカーライル研究所に出資していて、更に良くない噂があるとのこと。
それを知っていればもっと警戒したし、ハナをこちらの世界に閉じ込めてしまうことにもならなかったのに、とアレクは悔やんでも悔やみ切れない。
取材を終え街へ帰ったら、ハナが掴んでくれたこの糸口を辿ってみようと、アレクは心に決める。
それにしても、こんな糸口を引き当ててくるとは。更に、街の実業家の一人、ギブソン夫人と縁を繋ぐとは。これはハナの運なのか。いや、元を辿れば親切にしたことが巡り巡って返ってきているのだから、ハナの人徳なのだろう。
◇◆◇◆◇◆
レストランを出てアレクはハナと夜道を歩く。
この街の大きな通りはガス灯が使われている。少し昔はガスは体に悪いと言われ敬遠されたが、煤がでないため、いい空気を求める人々が集う保養地のこの街でも使われだした。
ふと、ハナが声を上げる。
「あ!さそり!」
「え?さそり?!」
南国などにいる生き物で毒のある、あのさそりだろうか?こんなところに?まさか。
聞くと、ハナの国ではさそり座と呼ぶ星座を空に見つけたとのことだった。異世界であっても星空は同じなんだ、と興奮した様子でハナは話す。
ハナは空を見上げたままガス灯から離れた薄暗い方へふらふらと歩いていき……
「危ない!」
「わっ?!」
仰向けに転びそうになったハナをアレクが支える。
ハナは眉尻を下げ、情けなさそうに、恥ずかしそうに言った。
「靴が片方どっかいっちゃった……」
「ブッ……ハハッ、ハハハハーッ!」
ハナには申し訳ないが、アレクは大笑いしてしまった。
まさにハナ。これぞハナ。アレクは、ハナと初めて会った日を思い出す。
研究所の外へ出るなり、ふらふらと引かれるように道の端へ寄っていって、街を見下ろす風景に夢中で見入っていた。
いきなり公園の道端にしゃがみこみ、生えている雑草がハナの世界とこちらで同じだと目を輝かせた。
そうだ、これがハナだった。
ハナはとても優秀な人だ。膨大な知識量を元に組み立てる思考、旺盛な好奇心、行動力。更に慈悲深く思い遣り深い。おまけに綺麗だ。完璧過ぎる。
アレクにとって高嶺の花の存在だ。
だから……ハナのこんな人間臭い面を見ると、一気に親近感が湧いてしまう。
ハナもまた、自分と地続きの所に立っている一人の人間なのだと。特別な神に選ばれた特殊な存在ではないのだと。
持って生まれた人としての能力だけで、自分を磨き、知識や経験を磨き自分を築き上げ、時に空を見上げて靴を飛ばす。
おどけて憮然として見せるハナが……可愛く思えて仕方ない。いや、大人の女性に対し「可愛い」は失礼かも知れない。「愛おしい」と言えばいいだろうか。
アレクはハナを抱き上げる。
靴は明日明るくなってからでないと見つかりそうにない。裸足で歩かせる訳にはいかない。
ところがハナは大変驚き、恥じらうかのように目を逸らす。見下ろした彼女の耳は少し赤くなっている。
満員列車に慣れている筈の彼女が何故、と思ったら、満員列車は心を無にして乗るもので、普段の生活では直接的接触は少ないのが普通だそうだ。
アレクには満員列車の感覚はよく分からないが、普段の感覚ならこちらの世界と余り変わらないようで、共感しやすい。
聞いたら、こうして抱き上げられたのはアレクが初めてだそうだ。居たたまれないように身を縮める彼女には悪いのだが、ハナに異性として意識されていることに、アレクはつい心が浮き立ってしまう。
落とさないように強めに抱え込むと、腕の中に柔らかくすっぽり収まってしまう。……あくまで、動くハナを落とさないようにだと思うものの、浮かれて余計に力が入っていた気もする。
愛しくて愛しくて、ぎゅっとしたくてたまらない。
ガス灯の灯りが揺らぐ向こうには、ハナの世界と同じ星空が広がっている。
同じ所と、違う所と。
優れた所と、親近感が湧く所と。
沢山の様々な輝きが、空を、世界を満たしている。
***********
ここまで40話以上、お読みくださり心よりお礼申し上げます。
これまで毎日更新して参りましたが、ストックがなくなってきてしまいました。恐縮ではございますが、これから不定期更新になります。
そろそろラストが見えてきて、これから伏線のまとめを行っていくため構成が複雑になり、どの情報をどの回でどんな風に語るか、パズルのような組み立てと格闘しているところです(^^;)
3月中には完結できると思います。ハッピーエンドです。最後までお付き合いくださいましたら幸いですm(_ _)m
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